団塊おんじ 人生100年時代を行く!

長く生きるかではなく、どう生きるかの試行錯誤録

中国で静かに育つ独立思考

 最近、中国において政府による言論統制への抵抗が静かに広がりつつあるという趣旨の2つの記事を目にしました。

 

 研究者自らがその集団に飛び込み、長期間にわたって観察する「参与観察」という研究手法があります。

 

 東大の阿古智子教授は、大学院生時代から中国の農村部などで参与観察を続け、農村や出稼ぎ労働者といった庶民の観点から中国社会の実態に迫ってきました。

 

 現在阿古氏は、中国当局が海外研究者への警戒を強めているため、中国を訪れることは控えているといいます。

 

 現在は、中国を離れ、日本を訪れている人々からの聞き取りが主な調査手段で、ジャーナリストや人権派弁護士といった人達が次々と彼女の家を訪れます。

 

 彼らの滞在は、阿古氏にとって中国社会の「今」を知ることができる貴重な機会です。

                        RUSTU BOZKUSさんによるpixabayからの画像

 

 以下、阿古氏の記事内容を紹介させていただきます。

 

 異例の3期目に入った習近平政権について、私の友人である中国の知識人たちは「今の政権には希望がない」と口をそろえます。

 

 忠誠心の厚いイエスマンばかりで要職を固めたため、政治的な硬直が目に付くというのです。

 

 これは、1950年代後半に、農作物と鉄鋼の増産を目指す「大躍進政策」を主導した毛沢東の失敗を想起させます。

 

 当時の中国政府は、「農作物を食い荒らす」として、国を挙げてスズメの駆除を行いました。

 

 政策転換を進言する側近を解任してまで駆除を続けた結果、かえって害虫を大量発生させ、深刻な食糧不足と大量の餓死者を招いたのです。

 

 習政権による「ゼロコロナ政策」も、同じような構図だったのかもしれません。工場閉鎖による経済ダメージやロックダウンによる市民生活の制限といった多大な犠牲を払いながら、中国政府は新型コロナウィルスに対する徹底的な抑え込みを続けました。

 

 しかしその強権的な政治姿勢には、ほころびが出ています。その象徴が、ゼロコロナ政策に対する無言の抗議「白紙運動」でした。

 

 昨年11月、新疆ウイグル自治区ウルムチ市でマンション火災が起き、住民10人が死亡しました。ゼロコロナ政策の行動制限により、住民の避難と消火活動が遅れたと政府への批判がわき起こりました。

 

 その後、市民らが犠牲者追悼のため、何も書かれていない白い紙を持って集まったのが運動の始まりです。

 

 白紙を持って街頭に出るというのは、政府による言論統制への抵抗です。

 

 監視技術が強化され、政府に批判的なネット上の書き込みでさえ即座に削除される中国で、若者たちを中心に「私たちは何も言っていない。だから規制できない」という意思表示をしたのです。

 

 若い世代は政府の強権的な姿勢に違和感を持ち始めています。

 

 そして中国国内の「個人」に焦点をあてた時、私は特に女性に注目しています。

 

 白紙運動を全土に波及させる大きなうねりを作り出したのは、これまで政府や社会に抑圧されてきた女性でした。

 

 私は、中国の封建的な政治体制や社会構造がこれから変わっていくとすれば、女性が後押しすると考えています。

 

   (読売新聞 2023年6月25日朝刊の記事より抜粋)

 

 同日の別のコラムで、中国総局長の大木聖馬氏が次のように書いています。

 

 今月上旬、北京郊外で旧知の知識人に会う機会があった。お茶を飲みながら互いに状況を語らい、それぞれの関心事について話しているうちに、彼は少し意外に思えることを言った。

 

 「あなたたち外国人には見えにくいかもしれないが、中国では独立した思考がどんどん育っている」

 

 「改革開放が進んで、多様な情報が国外から入ってくるようになった。国内だけでなく、国外の情報にも接し、比較し、考えている。今更、後戻りすることはない」と彼は力強く語った。

 

 中国の報道、言論、思想、そして文化が一色に染まっているように映る。だが彼は言う「毛沢東の文化大革命期は国外の情報がないから独立した思考が育たず、誰もが毛個人を信じていた。いま皆が、あの時のように一人の人間のみを信奉するだろうか」

 

 そして、そっとこう付け加えた。

 

 「自分で考える人は、号令がかかっても信奉しているように装っているだけだ」

 

 統制下にあっても屈しない、独立思想のたくましさを見た気がした。

 

(読売新聞 2023年6月25日朝刊 ワールドビュー中国総局長 大木聖馬氏

 の記事より抜粋)

 

 私たちも、このような中国での独立思考が広がる動きを、静かに見守っていきたいものです。