団塊おんじ 人生100年時代を行く!

長く生きるかではなく、どう生きるかの試行錯誤録

住宅設備の劣化に年金生活者はどう対応している?

 今年の夏は記録的な暑さでした。

 

 気象予報士は、毎日のように熱中症にならないよう、不要不急の外出を避け、エアコンをつけて適度な室温で過ごすよう呼び掛けていました。

 

 いまや夏の暑さを乗り切るために、エアコンは必需品になっています。

 

 我が家のリビングのエアコンは、かれこれ10数年活躍してくれたのですが、今年買い替えをしました。

 

 そのきっかけになったのが、地元の自治体のエコ・キャンペーンで、今買い替えることにより、7万円ほどの補助がでるといいます。

 

 そのことを知って妻は乗り気になり、早速行きつけの家電量販店に足を運ぶはめになりました。

                 Josch13さんによるpixabayからの画像

 よく話を聞くと、どんなエアコンでも補助の対象になるわけでなく、節電に優れた環境にもやさしい最新鋭機種がその対象とのこと。

 

 いろいろ話を聞くうち、あまりの性能の違いに妻は大乗り気になってしまいました。

 

 かなり高額ではありますが、7万円の自治体の補助が背中を押した格好です。

 

 本格的な夏になる前に、手続きを済ませて取り付けを終えましたので、今年の夏は快適なエアコン生活を享受できました。

 

 ただ支払い後に残った家計のやりくりが大変です。

 

 そんな矢先に、今度はトイレが不具合を起こしてしまいました。

 

 トイレの設備はエアコンを上回り、かれこれ20数年を経過しています。

 

 こちらは少し前から土台と便座をつなぐ部分が外れてしまっているようで、利用するたびに便座がグラグラする状態です。

 

 仕方がないので、再び家電店を訪れて相談することにしました。

 

 最近のトイレは節水機能に優れているようで、こちらは国が推進するエコ・キャンペーンの対象になっているといいます。

 

 ただし、対象となる住宅設備を3箇所手を入れることが条件だとのことで、補助金をもらえることは魅力ではありますが、これ以上の出費は我が家にとって大きな痛手となります。

 

 どこの家でも住宅設備のメンテナンスや買い替えは避けられないことだと思いますが、年金生活者は貯蓄を取り崩さなければならないことになります。

 

 物価高が続く中で、他の年金生活者世帯は、この問題にどう対処しているのでしょうか。

 

渋沢栄一は今の日本経済をどう見るのだろう

 

 新一万円札が出回りだして、一万円札にあまり縁のない私も、最近やっとお目にかかる機会が増えてきました。

 

新一万円札の顔は渋沢栄一翁です。

 

 いうまでもなく明治以降の近代日本の経済の礎を築くうえで大きな貢献をした実業家です。

 

 著者に「論語と算盤」があります。

 

 今メジャーリーグで大活躍の大谷翔平選手は、この「論語と算盤」の読者だったことを知り、興味を持ちました。

 

 彼は高校時代からマンダラートという目標を達成するための発想を図式化した表をつくっていました。

 

 9×9のマスで構成されているマンダラートの真ん中に目標を置きますが、高校一年生の大谷翔平は「ドラフト1位8球団」と書いています。

 

 それから、その目標を達成するための8つの要素が囲んでいます。例えば「スピード160キロを出す」です。そして、その要素が目標となり、それを達成するために必要な8つの要素で囲みます。例えば「腰回りを鍛える」です。

 

 大谷選手は日ハムに入団した後もマンダラートを使用していました。

 

 すでにプロの野球選手になっていましたので、マンダラートの真ん中の目標が変わっていました。

 

「大リーグを目指す」です。

 

 そして、その目標を達成する8つの要素の一つであった「人間性」を達成する要素のマスの中に書いていたのが「論語と算盤を読む」だったそうです。

 論語は儒教を、算盤は商売を意味しています。

 

 この両者は、元来相性が悪いとされてきました。

 

 金儲けを目的とする商売は、卑しい行為であると儒教は批判してきました。

 

 かのマックス・ウェーバーは、プロテスタントの倫理と倹約の精神が資本主義の発展の原動力であると主張し、儒教の国が経済発展することなど有り得ないと言い切っていました。

 

 儒教の思想が足かせとなって停滞を続けた中国や韓国を尻目に、この学説をあっさりと覆したのが日本だったのです。

 

 そしてその反証に貢献し、日本の経済思想に大きく影響したのがこの「論語と算盤」でした。

 

 渋沢は、論語を辿りながら、孔子は富を追い求めるべきではないと言っているわけではなく、道理に基づかない方法での富の追及はいけないと言っているに過ぎず、道理に基づく富の追及は、むしろ正当化されるという論法を使って儒教を経済に引き寄せていきました。

 

 渋沢は孔子の唱える「仁」を強調し、仁を商売人に求めました。

 

 仁とは、現代的に言えば、社会的共通善、ないしは公共的な意思といった言葉に置き換えられます。

 

 商売人に道徳心があってこそ、金儲けが社会の発展や繁栄に貢献できると強調したのです。

 

 今の日本経済に目を移すと、大企業は過去最高の利益を上げつつ内部留保を溜め、従業員や投資家に十分に分配していません。

 

 これは渋沢流に解釈すれば、稼いだ利益を社会に還流させる公共的な意思、つまり仁に欠けているということになります。

 

 現下の状況を渋沢翁は雲の上で何と言っているのでしょうか。

 

 

LRTによる新しい街づくり

 私の従妹の息子が宇都宮市役所に勤めており、LRT(次世代型路面電車)の開業にむけての準備プロジェクトに携わっていると、以前に従妹を通じて聞いていましたので、関心をもって見守っていました。

 

 そのLRTが昨年8月に開業となり話題を集めました。

 

 JR宇都宮駅から隣の芳賀町の工業団地まで、15キロ弱の区間を44分で結んでいます。

 

 総事業費は約684億円で、国が半額を補助しました。

 

 人口減少で電車の本数やバスの路線を減らす地方都市が目立つ中、なぜ宇都宮市は公共交通に多額の投資ができたのか。

 

 その答えに驚きはなく、市がLRTの工事現場や車両の見学会、沿線の住民向け説明会を繰り返すという地道な取り組みで、市民の理解を広げただけだといいます。

 

 2020年の市長選もLRTが争点となりましたが、推進派の現職が大勝しています。

 

 世界のまちづくりの「成功例」として知られるフランス東部のストラスブールも1994年にLRTを導入しました。

 

 やはり住民の支持を得ながら、20年以上かけて路線を大幅に拡充していったといいます。

 

 日本では公共交通のサービスレベル向上のために公的な財源がほとんど投入されていないとの指摘があります。

 

 人口減を理由に公共交通を縮小させれば、町は荒廃するばかりです。

 

 宇都宮市はLRT開業を機に「住みやすい町」を全国にPRしています。

 

 宇都宮駅周辺ではマンション開発が続き、郊外の新興住宅地に2021年に新設された小学校の児童数は、この3年で170人増え、860人に膨らみました。

 

 地元の自治会長は「何もなかった地域がこんなに活気に満ちるとは」と驚いているといいます。

 

 宇都宮市の人口が減少傾向にある中、3月時点の沿線人口は6万3890人と、LRT整備が本格化する前の2012年から約8%増えました。

 

 このまま沿線での居住を選択する人が増えていけば、緩やかにコンパクトな街になっていく可能性があります。

 

 今後も“住みやすいまちづくり”に力を入れている宇都宮市の取り組みを見守っていきたいものです。

 

父がショートステイの生活に馴染んできたようです

 父がショートステイ生活に入って約3週間、2泊3日の予定で一度帰宅することになりました。

 

 午前中のうちに迎えにいかなければので、いつもより早く家を出発します。

 

 ただお盆休みの週に入りますので、渋滞が予想されており、午前中に着けるかを気にしながら車を走らせます。

 

 高速道路は案の定渋滞していますので、いつも降りるインターより手前で下道に出て、何とか午前中のうちに到着できました。

 

 施設の駐車場に着くと、首を長くして待っていたのか、スタッフに付き添われながら父が出てきました。

 

 心なしか病院を退院した時より元気そうです。

 

 ショートステイで供される食事は、病院でのものより気に入っているようで、何よりです。

 

 帰路の途中で回転すし店に入り、昼食を済ませます。

 

 実家に戻ると、杖をつきながら歩いて家の中に入ることができました。

 

 ショートステイの施設内での生活は空調がきいており、真夏でも暑さを感じることがなかったとのことですが、さすがに真夏の日差しをしばし受けたせいか、汗をかいたようです。

 

 年初に風呂のリフォームを済ませておいたので、風呂に入るよう促しますが、少し疲れたというので、ベッドまで連れていき横にしてタオルケットをかけてあげます。

 

 その後、横になって少し休んだせいか元気を取り戻し、風呂に入りたいというので、少しぬるめにして湯をはります。

                                   andrea candrajaさんによるpixabayからの画像

 父は大の肉好きなのですが、ショートステイの食事は魚中心のようです。

 

 その日の夕食は柔らかい肉をすき焼き風にして食べさせましたが、久し振りの肉に父は満足そうです。

 

 翌日は自分の書斎に入り込んで、長い時間何かをやっていましたが、両親の施設利用に関する必要書類はこちらで預かっていますので、なすがままにしておきます。

 

 2日間家で過ごしましたので、ショートステイに戻るのを嫌がるかと心配しましたが、3日目の朝、ショートステイに持ち込むものをまとめて、出発の準備をしているのをみて、ほっと一安心しました。

 

 

 

 

セルフレジ 子に使わせ行列

 

 小さな子は何にでも興味を示します。

 

 ショッピングモールのエレベーターでよく見かけるのは、小さな子が一生懸命に手を伸ばして、行き先階のボタンを押そうとしている光景です。

 

 へたをすると、全部のボタンを押そうとしますから、親はそばで押すのを必死でやめさせます。

 

 また時折見かけるのは、食品スーパーのセルフレジで、母親が買った食品を1個ずつバーコードでスキャンする行為を傍でみていて、自分もやりたいと母親にせがむ光景です。

 

 空いている時間帯であれば、子供の好奇心を満足させるために、親の監視のもと、少し体験させることもアリかもしれません。

 

 しかし多くの場合、早く買い物を済ませようと、セルフレジは行列ができるものです。

 

 そうなると、子供がもたもたとバーコードスキャンするのを許そうものなら、行列の中から舌打ちが聞こえてきそうです。

             carole LRさんによるpixabayからの画像

 

 しかし、スキャンする度に、ピッピッと音がするのを聞いたら、子どもはやりたがるに決まっているような気がします。

 

 こんな時付き添う大人(親)は、どのように対処すればよいものでしょうか。

 

 こどものやりたい気持ちを大事にしてあげるのも大切ですが、いつもかなえられるわけではないことを教えていくのも重要です。

 

 空いている日はいいけれども、混んでいる時はダメといった、日によって違う対応は、子どもが理解しにくいかもしれません。

 

 静かにおとなしくしていたら、最後の一つだけといったような一貫性のあるルールにしたほうがよいのでしょう。

 

 私の1歳8ヶ月の孫も、あと1~2年もすれば、そんな年頃になるのでしょうか。

 

回覧板をまわす世帯が減ってきました

 我が家は集合住宅のなかの1戸です。

 

 ときおり郵便受けに回覧板がはみ出した姿で入っていて、回収して妻に渡しています。

 

 というのも、自治会とのつきあいを妻まかせでやってきてしまいましたので、内容を見た後、どこにまわしてよいのかも把握していません。

 

 こんなことではいけないと思っているのですが…。

 

 そういえば、近くにできた大型マンションでは、入居の条件に自治会への入会を義務付けていると聞き驚きました。

 

 我が集合住宅では、自治会への加入は任意でしたから、当初から入会したのは半分ほどだったと記憶しています。

 

 その自治会への加入世帯が、近年みるみる減ってきているようです。

 

 脱会の理由はいろいろなのでしょうが、主な理由は“高齢化”のようです。

 高齢になったことで、持ち回りでやってくる役員の仕事が負担になってきたとの声をきいたことがあります。

 

 またご主人が病気になり、その世話をすることで、自治会との関わりが負担になってきた世帯もあります。

 

 確かに役員になると、「赤い羽根の募金」とか「社会福祉協議会への寄付金」などを、各世帯をまわり徴収する仕事があります。

 

 仕事で日中不在の家などからの徴収は、何度も訪問したりせねばならず大変です。

 

 今年はコロナ禍以来、何年かぶりに地域の夏祭りが開催されました。

 

 祭りともなると、自治会役員の役回りが重要となります。

 

 祭り開催のための寄付金集めに、自治会役員が奔走しています。

 

 その自治会の役員も、代替わりを迫られているとききます。

 

 各地域と行政とのパイプ役を担ってきた自治会役員ですが、新たな時代の自治会の役割を見直しながら、地域の来し方行く末を考えなければならない分岐点にさしかかっているのかもしれません。

 

 夏祭り当日に遊びにきた孫が、無邪気に喜んでいる姿をみながら、そんなことを考えたものでした。

 

キッチンカーが存在感を増しています

 私が定年退職するまで勤めていた職場の背後に、地域では有名な神社がありました。

 

 その神社の前は、車通りも少ないこともあって、昼頃になるとキッチンカーがやってきて、付近のオフィスの人たちが列をなして昼食を買い求めていました。

 

 当時はキッチンカーがオフィス街で止まっているのは珍しい光景でした。

 

 しかしコロナ禍の外出自粛で街から人が消え、飲食店は「3密」を避けて対応客数を減らし、休業も急増しました。

 

 店舗の維持が厳しくなった飲食業者は、身軽なキッチンカーでの営業を模索し、住宅街にも進出しました。

 

 キッチンカーを含む移動販売車に対して、東京都の保健所が営業許可を与えた件数は、1989年度は約400件でしたが、2021年度には約5200件にまで増えました。

 

 開業資金は通常の飲食店の半分程度で済むこともあり、起業や副業などコロナ禍の業態転換で一気に広がりました。

                                         Bessiさんによるpixabayからの画像

 

 キッチンカーを「身近な場所までやって来て食べ物が購入できる」と定義すれば、その歴史は長いようです。

 

 日本の食文化に詳しい立命館大の鎌谷かおる教授は、「振り売り」が源流ではないかと指摘します。

 

 棒の両端にくくりつけた桶に魚などを入れ、肩に担いで売り歩く商人で、当時の文献から少なくとも室町時代の1465年頃には存在していたと考えられています。

 

 江戸時代に入ると、それまでの振り売りに加え、桶を木箱に変えて屋根のある「屋台」が登場しましたが、担いで売り歩く点は同じです。

 

 大きく変わったのは、食材のままではなく、そば、すし、天ぷらといった完成された料理の状態で販売された点です。

 

 江戸の街では火災が多発したため、屋内での火を使う調理は避けられる傾向があったといいます。

 

 また単身者が多かったこともあり、手軽な食事として外食が求められ、屋台の発展が進んだようです。

 

 屋台に車輪がつき、いわゆる「カー」になったのは、明治時代初期の1890年頃で、当時最先端のビフテキ、カツレツなど西洋料理も提供されました。

 

 調理設備のある車は、欧米では「フードトラック」と呼ばれますが、キッチンカーという和製英語は第2次世界大戦後の食糧難の時代に日本各地を駆け巡りました。

 

 現在のキッチンカーの役割は温かな料理だけにとどまりません。

 

 ATM(現金自動預け払い機)を搭載した車が過疎地を走り、買い物難民の家へ生鮮食品も届けます。

 

 また災害の多い日本、被災地で炊き出しの役割も担います。

 

 今後もキッチンカーは、ますます多様なサービスを提供していくことでしょう。