団塊おんじ 人生100年時代を行く!

長く生きるかではなく、どう生きるかの試行錯誤録

お酒類を出せない飲食店はどうなるの?

 母の日ということで、娘が食事に行こうと提案してくれています。

 

 しかし私達の住む地区は飲食店への規制でアルコール飲料の提供が禁じられています。

 

 私と妻は外で食事をする時にはビールか他のアルコール飲料を少々嗜みます。

 

 娘はお酒類は全く飲みませんので、アルコール飲料提供禁止は全く関係ありません。

 

 娘が食事に誘おうとしているのは、鴨焼のおいしい蕎麦店で、彼女のお気に入りの店です。

 

 居酒屋ではありませんので、この状況のなかでも営業しているようです。

 

 昼下がりの時間帯に、それぞれが用事を済ませて、お店で待ち合わせをすることになりました。

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  LEEROY Agencyさんによるpixabayからの画像

 

 全員がそろって何を注文するか協議します。

 

 娘と妻は、せっかくだからと、何品かセットになっている「昼のランチコース」を注文します。

 

 私はそんなに食べられませんので、鴨焼きとお蕎麦を注文することにしました。

 

 普段は日本酒は飲まないのですが、この店で食事をするときは決まって日本酒を注文して、鴨焼き、板わさなどをつまみにお酒を楽しんだ後に、お蕎麦を食べるというのが、私のいつもの食事の流れになっています。

 

 しかしアルコール禁止ですから、お茶をすすり乍らの食事になりました。

 

 いつもより会話の声を抑え、周囲に気を使いながらの食事ですから、食事もあっという間に終わってしまいます。

 

 アルコール抜きの食事でしたから、いつもより食事料金は3割程度安く済み、会計担当の娘は「しめしめ」と思ったはずです。

 

 この店は料理に力を入れている店ですから、そうでもないのでしょうが、競争の激しい地域のB級グルメ店では、食事料金を低くして、アルコール類の注文で利益を確保している店も多いと聞きます。

 

 そうなると、アルコール飲料の提供禁止は、そのような店にとっては打撃が大きいはずです。

 

 この状況がいつまで続くのか分かりませんが、酒を供さずともおいしい食事で評価を得て、成り立つ商売に方向転換していかなければならないのかも知れません。

 

 

安否確認のための帰省、行って良かった

ゴールデンウイークに入り、こっそり慎重に車を出し、実家に向かいました。

 

高速道路入り口までの一般道路も混み合っていましたが、高速道路下り線も大変な混雑です。渋滞で止まってしまうほどではありませんが、空いている時ほどのスピードは出せません。

 

当然のことながら、前後左右の車は東京をはじめとする首都圏のナンバーばかり、皆さんどこにいかれるのかなぁ、などと考えながら車を走らせます。

 

 長時間の運転でしたので、途中サービスエリアに寄り、館内には立ち入らずに、トイレ休憩のみで車に戻ります。

 

 サービスエリアも車で込み合っています。

 

 家族連れの人たち、友達同士のグループを多く見かけました、大半が若い人達です。

 

 緊急事態宣言、蔓延防止等重点措置がでている地域の人たちにとっては、感染拡大が進む地元を逃げ出したいということなのでしょうか。

 

 このゴールデンウイークの人の動きが、二週間後にどんな影響と結果をもたらすのか、心配なところではあります。

 

トイレを済ませ、速やかにサービスエリアを後にします。

 

 実家に到着し家に入ると、父母ともに居間のこたつを挟んで横になっています。

 

 母が横になっているのはいつものことなのですが、父が横になっているのには驚かされました。

 

いつもなら、父は庭の手入れなどを行いながら、私たちの到着を迎えてくれるのですが……。

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      LUM3Nさんによるpixabayからの画像

 

 父にどこか悪いのか聞くと、右肩から背中にかけて激しい痛みで動けないといいます。

 

 病院にも行っていないというので、家内がかかりつけの近くの病院に電話をし、状況を伝えて相談します。

 

「熱はあるか」と聞かれ、体温計で父の体温を測ろうとしましたが、体温計がすぐに出てきません。

 

 どこかにあるはずだというのですが、聞けばもう何年も家で体温を測ったことがないといいます。

 

 休日ではありますが、幸い父がいつも診てもらっている先生がいらっしゃるということなので、すぐ父を車に乗せ、病院に向かいました。

 

 病院の非常用の出入り口に車を停めると、看護師さんがすぐに来てくれて、車の中で測るようにと、体温計を差し出してくれました。

 

 すぐに体温を測りましたが、なんと「37度1分」あります。

 

 その体温計の数字を車の窓越しに見た看護師は、「37度を超えると、院内に入れないので、ここで待っていてください」と指示をくれました。

 

 以前、軽い脳梗塞を経験している父ですから、不安が頭をよぎります。

 

 しばらく待つと、担当医が来てくれ、窓越しに父に症状を確認するためのいくつかの質問をはじめました。

 

 簡単な見立ての後、医師は「今日は休日なので、検査は休み明けにするとして、痛み止めを出しておきますから、それを飲み、水分を摂って安静にしていてください」と言います。

 

また、脳梗塞の場合には、痛みは出ませんから、脳梗塞の症状ではないとのこと。それを聞いて安心はしましたが、まずは家に連れて帰り様子をみることに。

 

途中、コンビニにより、スポーツドリンクを買って、それを飲ませます。聞けば食事以外では、全く水分を摂っていないとのこと。

 

 高齢者は喉の乾きに鈍感になるとはよく聞く話です。

 

 経口補水液が一番良いのですが、スポーツドリンクでも大丈夫と看護師に言われています。

 

 夕食時にたくさんスポーツドリンクを飲ませ、早めに休ませ、翌朝には少し症状が治まった様子、しかし体温計がないので熱の下がりまでは確認できません。

 

 朝食後、体温計を買いに電器店に向かい、切れた電球と体温計を購入し、スーパーに寄り、食料品を買い求めます。

 

 デイサービスが休みの母を車椅子に乗せて連れてきたので、買い物を終わった後、回転寿司に連れていき昼食を取りました。

 

 寿司ネタを一つ二つ食べると「もう食べられない」と言います。

 

 父は驚くほどよく食べるのですが、母が食が細くなったのをみると寂しい思いがします……。

 

 帰って早速父の体温を測ると、平熱に戻っていて一安心です。

 

 すっかり元気を取り戻した父は、いつも通り庭をいじくりはじめました。

 

 帰る日実家を出た後、ケアマネジャーを訪ね、状況を報告しがてら今後のことを相談しました。

 

 ケアマネジャーは母の認知症が少しづつ進んでいるといいます。

 

 万が一に備え、ケアマネジャーと連絡をとりながら事に当たらなければなりません。

 

 コロナ禍を理由にすっかり足が遠のいてしまったことを反省しつつ、ワクチン接種後には、頻繁に様子を見にこなければならないと思いながら、郷里を後にしました。

 

 

後ろめたさを感じつつ、実家に向かいます

 昨年末は、コロナウィルス感染拡大騒ぎで帰省を控え、その後も機会を逸してズルズルと5か月が過ぎてしまいました。

 

 時折、安否確認を兼ねて電話をしたり、ケアマネジャーから報告を受けたりしていましたが、いかにコロナ禍とはいえ、さすがに帰省しない期間が長くなり過ぎたこともあり、これから出かけてみることにします。

 

 本当は、ワクチン接種を受けてからと思ったのですが、間に合いません…。

 

 県をまたがっての移動をしないようにと、各自治体の首長さんが呼びかけている中での出発ですから、気が引けます。

 

 しかし、これ以上超高齢の両親を放っておくわけにはいきません。

 

 一か月ほど前に、CPR検査を受け、陰性でした。

 

 その後感染している可能性もないではないですが、先ほど検温をして36.2度でしたから、まず大丈夫だと思います。

 

 車で移動して、途中どこにも立ち寄らずに、実家まで直行しますから、人との接触はゼロにするつもりです。

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  Jill Wellingtonさんによるpixabayからの画像

 

 連休明けから、本格的にワクチン接種が始まるようですから、このような不自由な状況からはやく脱却したいものです。

 

 両親がコロナに感染して、最後の看取りもままならない状況は、想像しただけでも、いたたまれませんから、はやくワクチンを接種させたいものです。

 

 地元自治体から、ワクチン接種予約の連絡がきているかどうか確認をしたいと考えています。

 

 実家について、庭先に車をつけたら、帰るまで車を動かさないつもりです。

 

 近所の目がありますから…。

 

 こんな後ろめたい思いをして、帰省をするのは本意ではありませんが、事情をご理解いただきたいと切に願うばかりです。

 

 

江戸時代は武士も庶民も同格だった

 今、NHKの大河ドラマでは日本資本主義の礎を築いた「渋沢栄一」の生涯を取り上げています。

 

 序盤のストーリーで、農民の息子であった渋沢が代官の理不尽な取り立てに怒る場面が描かれていました。

 

 時代劇ではよく目にするシーンではあります。

 

 私たちが学んだ歴史の教科書では、「江戸時代は、武士が支配階級をなし、食糧を生産する農民は、銭を扱う商人よりも高い身分に位置付けられた」と 学びました。

 

 いわゆる「士農工商」です。

 

 しかし近年の教科書からは「士農工商」の記述は減っているといいます。

 

 武士が都合よく支配するために固定的な身分を作ったという説明も聞かなくなりました。

 

「江戸時代は国土が大きく町と村に分かれ、町に住む庶民は町人、村に住む庶民は百姓で、基本的に同格だった」と渡辺尚志・一橋大名誉教授は話します。

 

 また大石学・東京学芸大名誉教授は「『士農工商』は家を単位に国家を納める『役』の違いで、国家に対する『役』という意味では平等だった」と説いています。

 

 武士は軍事や行政で国家に奉仕し、農民は食糧を生産し、職人は物を作り、商人は流通を担いました。

 

「苗字帯刀」は武士の特権とされていますが、公に名乗れはしなかったものの農民も名字を持っていたことが分かってきています。

 

 また「斬り捨て御免」にしても武士の側に相手の非を証明する義務がありました。

 

 武士は形式上は政治を独占していましたが、政策実行の過程では世論に気を使い、百姓から意見を求めることもあったようです。

 

 江戸時代の武士は、中世の強い私権を持った武士とは、大きく性格が異なっていたというわけです。

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      Lukas Jancickaさんによるpixabayからの画像

 

【身分の垣根にも緩さがあった】

 

 農業の知識を農政に生かすため、武士に登用された農民もいれば、浄瑠璃作者の近松門左衛門のように武士の家に生まれながら芸能者として生きた例もあります。

 

 百姓の跡取り以外が町に出て商工業に就くこともあり、『家』は身分で固定されていても、個人は渡り歩くことが可能でした。

 

 上下関係ばかり厳しくては社会が持ちません。

 

「江戸時代が265年も続いた理由の一つには、緩さがあった」と大石名誉教授は話しています。

 

 知れば知るほど「江戸時代」の265年が今の私たちに「生きるヒント」を投げかけているようで、一層魅力を感じているところです。

 

 今世界では、独裁や全体主義といった、互いを監視しあう、自由を奪われた国が台頭しています。

 

 経済的恩恵と引き換えに、自由を奪われた人間社会が、どのような歴史的変遷をたどるのか、注視していこうと思っています。

 

 

コロナ対応で財政悪化が止まらない

 再びコロナウィルス感染拡大が止まりません。

 

 国は感染拡大地域に緊急事態宣言を発令するようですが、酒類を提供する飲食店、大型商業施設大型への休業要請、大型イベントの無観客開催などと、これまでより踏み込んだ措置を決断するようです。

 

 すでに経営が悪化している飲食店、商業施設にゴールデンウイークの期間中、「休業しろ」というからには、相応の休業補償を覚悟しなければなりません。

 

 しかし今思い切った措置をとらないと、医療崩壊が深刻化するのは確実な状況ですから躊躇している場合ではないでしょう。

 

 国からの地方交付税交付金を、都道府県レベルでは唯一受けていない「お金持ち自治体・東京都」ですが、コロナ禍の対策のために相当な出費を強いられており、収束をみるまでに、これまでの蓄えの大半を吐き出さざるを得ず、財政は悪化するのかもしれません。

 

 ただでさえ膨大な借金を抱えている日本は、コロナとの闘いのなかで、どこまで持ちこたえることができるのでしょうか。

 

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 Jill Wellingtonさんによるpixabayからの画像

 

【法人税率の引き下げ競争は限界に】

 

米国バイデン政権は2兆ドル(約220兆円)規模のインフラ投資計画を表明しています。

 

これだけの投資をするには、当然財源が必要ですから現行の法人税率21%から28%に引き上げを行うことで、財源の確保を考えているようです。

 

トランプ前政権の減税路線を転換して、大企業に負担を求めていこうというわけです。

 

日本もアベノミクスの一環として、海外からの投資を呼び込むために、40%近かった実効税率を2016年度に30%弱にまで下げています。

 

これまで先進各国は、企業誘致や自国企業の競争力強化のため、法人税率の引き下げ競争を行なってきました。

 

しかし、新型コロナウィルス対策により膨大な支出を強いられた各国の財政は急速に悪化しています。

 

もはや税率引き下げ競争などやっている場合ではないでしょう。

 

一方、コロナ禍の中でも「GAFA」と呼ばれる巨大IT企業は、利益を伸ばしています。

 

これまでも、彼らはタックスヘイブン(租税回避地)などの税率の低い国・地域に利益を集め、「課税逃れ」を行っていると批判されてきました。

 

 バイデン政権は今月、世界的な大企業約100社を対象に、売上高に応じて各国が税を徴収できる独自案を示したといいます。

 

 主要20カ国・地域(G20)は、最低税率の導入などで7月の合意を目指しています。

 

 各国の協調で論議を加速させてほしいものです。

 

 

教職が不人気、小学校が危機感を募らせている

  やっと「35人学級の実現」に向けて動き出したというのに、小学校教員の採用倍率が低迷し、教育関係者が危機感を募らせているといいます。

 

 文科省によりますと、2020年度採用の教員試験で公立小学校の採用倍率は過去最低の2.7倍でした。

 

 中学校の5倍、高校の6.1倍と比べても際立って低いのです。

 

 中学・高校教員の免許は幅広い学部で取得できますが、ほぼ全教科を教える小学校教員は養成する大学が限られることもネックになっているのでしょうか。

 

 今年度から小学校で35人学級が段階的に導入されるのに伴い、5年間で約1万3000人の教員が必要となります。

 

 東京都教育委員会は、幼稚園教諭経験者が小学校の免許を通信課程で取得して採用された場合、費用を補助する制度を始めたようですが、他方、新規参入した私立大の一部では「学力不問」に近い入試や教科指導が不十分な傾向も指摘されています。

 

 そのような影響もあってか、学校現場では、「学力不足の若手教員に高学年を任せられない」「通知表の所見を適切に書けない教員が多く、管理職が添削に追われる」といった校長の嘆きが聞かれるようです。

 

 こうした状況を踏まえ、国立大関係者には、教員免許のハードルをむしろ高くするべきだとの意見も根強いといいます。

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   Stokpicさんによるpixabayからの画像

 

【教員の働き方改善】

 

 2018年に実施された経済協力開発機構(OECD)の国際調査によると、日本の小中学校教員の勤務時間は参加国・地域で最長でした。

 

 文科省が教職の魅力を発信しようと先月始めたツイッターには、皮肉なことに過酷な実態を訴える現教職員の声であふれているといいます。

 

 優秀な学生を教育の世界に呼び込むためには、雇用環境の改善が不可欠です。

 

 35人学級を定着させ、討論や発表を重視したアクティブ・ラーニングへの転換を促すためにも、子供たちの学びを深める指導能力を持ち、意欲に溢れた教員を確保できなければ、日本の教育の土台は大きく揺らぎかねません。

 

ネットで何にでも繋がれるわけではない

 コロナ禍のなかで、食料品や日用品は以前と変わらず買い物に出かけますが、それ以外の買い物はほとんど出かけなくなりました。

 

 どうしても必要なものがあれば、ほとんどネットを使って検索し、注文しています。

 

 そんな生活を続けているうちに、最近気が付いたことがあります。

 

買う気はないけれど、ちょっと関心を持って検索しようものなら、そのあとからネット検索をする度に、前に検索した商品が頼みもしないのに、画面に表示されるようになります。

 

 また、商品を購入しようとすると、「この商品に関心のある方は、別のこんな商品にもアクセスしています」などと別の商品が表示されたりします。

 

 ネット検索をしていると、勝手に傾向を分析して「これがあなたの好み」と他の商品を薦めてきます。

 

 またSNSでも「この人は友達ではないですか?」などと次々と人を紹介してきたりします。

 

 これはこれで便利なのかもしれませんが、「おせっかいじゃない」と感じることが度々あります。

 

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      Couleur5さんによるpixabayからの画像

 

 そんなことを感じていたら、昔読んだ『インターネットはからっぽの洞窟』(クリフォード ストール著・草思社、1997年)という本があったことを思い出しました。

 

 コンピュータやインターネットの可能性を過信して、実生活とのつながりを喪失することに対して警鐘を鳴らしている本です。

 

 著者は天文学者であるとともに、ネットワークに侵入したハッカーをとらえた経験を持つコンピュータやネットワークの専門家でもあります。

 

 当時の私はインターネットの「イの字」も知らない人間でしたが、これからは想像もつかないような時代が到来するのかと思ったと同時に、リアルな世界でつながっていた我々が、異次元の世界で交流するようになるということが実感できませんでした。

 

 著者は本の中で、インターネットで色々な情報が入手できるようになった結果、

研究者たちの間では、インターネットで入手できる情報だけで満足する傾向が出てきたと述べています。

 

 そして現存する人類文化のすべてを電子化することができない以上、これは危険なことだとも指摘しています。

 

 本書は短文を積み重ねたくだけた文体で書かれ、具体例がたくさん含まれていて、読みやすい本だった記憶があります。

 

 ただちょっと感情的で論理的な説得力には、若干欠けるような気もしましたが…。

 

 いま振り返れば日本にインターネットが紹介された頃には、「世界の人々とつながる手段」と宣伝されていました。

 

 それが現に正しかったのでしょうが、同時に、ネットの世界にばかり目が行き、近くの人々への関心が希薄化したり、リアル世界の関係性が閉ざされてしまうといった副作用も生じるとは、誰も想像していなかったことなのかもしれません。