団塊おんじ 人生100年時代を行く!

長く生きるかではなく、どう生きるかの試行錯誤録

母の特養への入所が決まりました

 先週連絡があり、条件が整ったので、現在入院中の母を迎え入れることが可能になったとのことです。

 

 長くお世話になっているケアマネジャーとは別の方からの電話でした。

 

 丁度出かけている時でしたので、改めてこちらから連絡する旨を伝えて、その時は電話を切りました。

 

 昨日の朝、父にそのことを伝えると、「なるべく早く迎え入れてもらえると有難い」との返事です。

 

 何らかの逡巡があるものと思っていただけに、その返答には驚きました。

 

 入院が長引いて、毎週面会の際に洗濯物を引き取ってきては、それを父が洗濯していました。

 

天候不順の気候のなかで、なかなか乾かない洗濯物にやきもきする生活を送っていましたので、そんな生活に疲れがでているのかもしれません。

 

 いずれにしても、家に戻って来ても生活することは難しいだけに、退院後の行き先は特別養護老人ホームが最も望ましい選択だとは思っていました。

 

 あとは父がどう思うかが決め手だとは考えていただけに、すんなり了解してくれたことに安堵しました。

                                            Lukas jancickaさんによるpixabayからの画像

 

 父への電話のあと、早速施設の担当者の方に連絡を取りました。

 

 詳しい話を聞いた後、病院との調整を経て退院、そして入所という流れを説明されます。

 

 こちらの都合の良い日を何日か提示した後、病院とのやりとりは担当の方がすべて進めてくれるとのことです。

 

 入所後、洗濯物はすべて施設側で管理してくれますから、父は週に一度の面会に行くだけです。

 

 残るハードルは、病院を退院した後、家に帰れると思い込んでいる母への説得です。

 

 その心配ごとを、妻が担当の方に打ち明けると、誰でも多かれ少なかれ入所することへの抵抗を感じながら入所しますとの返答です。

 

 2年前の父の入院時に、ショートステイ施設に母に入ってもらった時も、脱走を試みたこともある母ですから、いかに気持ちを整理してもらえるかが最後の難問です。

 

 入所をする際には、母の住民票を施設に移さなければいけないと聞いた時に、私たちも一定の覚悟を迫られるのだなと複雑な気持ちになりました。

 

 

 

日本はいい国なのか

 先日、休日にテレビをつけていると、「小さな旅」という番組が放送されていました。

 

 播磨灘に浮かぶ家島諸島の坊勢島という2000人ほどが暮らす島が舞台です。

 

 漁業を生業とするこの島では、人口がこの20年で4割も減ったといいます。

人口減少は漁業にも影響を及ぼし、現在漁業にはインドネシアの若者がついています。

 

 そのうちの1人ウリル・アル・バブは、5年前に技能実習生としてこの島にやってきました。

 

 特定技能を取得した今も水産会社で働く彼は、日本語も魚を捌くのもお手のものになっています。

 

 お金を溜めて将来的にビジネスを立ち上げたいというウリルさん。現在は同じインドネシア出身の人達と共同生活をおくっています。

 

 ウリルさんはこの5年間、故郷には1度しか帰っていないのだそうです。

 

 そんなウリルさんを先輩漁師の妻たちが気にかけ、定期的に家を訪問してくれます。

 

 ウリルさんたちは彼女たちを「日本のお母さん」と慕っています。

 

 ウリルさんは20歳の時、先輩漁師たちが買ってくれたスーツを着て成人式に出席しました。

 

 新たな人を迎え入れながら、島の営みは続いていきます…。

 

 こんな情景が映し出される画面を見ながら、技能実習生が地域に溶け込んで日本で生活をしている姿にほっとさせられました。

                                         Dim Houさんによるpixabayからの画像

 

 インドネシアをはじめベトナムやタイなど、東南アジアの人達のなかには、「日本はいい国だ」との褒め言葉を投げかけてくれる人達が多くいます。

 

 しかし、技能実習生として日本にきた人達のなかには、「いい国だと思っていたのに」と失望の声をもらす人がいるのです。

 

 いろいろと課題の多い技能実習制度、政府の有識者会議では、この制度を廃止し、3年の育成期間を経て、長期滞在が可能となる特定技能制度につなげる新制度の創設を盛り込んだ最終報告書をまとめたそうです。

 

 日本に来て技能修得後に日本で働き、失望させずに日本の職場に溶け込んでもらって、「やはり日本はいい国だ」と思ってもらえる新制度を作ってもらいたいものです。

 

 

 

気温差についてゆくのが大変です

  先週までの季節外れの高い気温の中、いつまでも残暑が続いているかのような気持ちで生活していました。

 

 先週末から寒気が下りてきたことで、様相は一変、関西では“木枯らし1号”が観測されたようです。

 

 金曜日から実家に行っていた私は、土曜の朝に気温が急降下し、早朝から強風が吹き荒れる天気に、身が竦む思いで過ごしました。

 

 気温が4度を示す朝、一番先に起きてストーブをつけ、コーヒーを飲みながら木々が強風で揺れている窓を眺めます。

 

 紅葉した山々は、朝日に照らされ、赤と黄色と緑のコントラストを映し出して私の目を楽しませてくれました。

 

 完全武装で外に出てみると、冷たい風が私の身体のぬくもりを、一瞬のうちに奪い取ります。

 

 完全武装とはいっても、つい先日まで残暑のような日々でしたから、風を跳ね返すような真冬の支度は間に合いませんでしたから、首元から風が入り込んで、震え上がる寒さです。

 

 あとひと月もすると、路面が凍結してむやみに歩き回るのは危険なのですが、まだ足元は滑る心配はありません。

 

 ホテルの前を通りかかると、紅葉シーズンだけに、沢山の宿泊者の車が駐車場に並んでいます。

 

 今日は強風が吹き荒れる一日になりそうですから、色づいた葉がかなり落ちてしまいそうです。

 

 せっかく紅葉狩りに訪れたのですから、観光客の皆さんには満足して帰ってもらいたいものです。

 

 川の方に降りてみると、いつもなら川原を散策する人や釣り人の姿が目にとまるのですが、この強風ではさすがに人影は見当たりません。

 来週には色づいた葉もほとんどが落ちて、寒々しい冬山に姿を変えることでしょう。

 

 これから何か月かは、天気予報に気を配りながら、チェーンを用意するかどうかを思案しながらの実家通いになりそうです。

 

 寒さに体を慣らしていかねばなりません。

 

 

シニアの力は、人類生き残りの鍵だった

 少子高齢化社会のなかで、何かと高齢者ばかりが優遇されすぎて、若い人たちが割を食っているとの不満の声を時折耳にします。

 

 ここにきて少子化に歯止めがかからないことへの危機感か、子ども家庭庁などをつくり子育て世帯への応援施策も少しずつ動き始めました。

 

 そのための財源に苦慮する政府は、高齢者にもこれまで以上の負担をしてもらおうとしているようです。

 

 日本の人口の一大勢力である団塊の世代が、全員後期高齢者を迎える2025年がすぐそこに迫ってきた現在、巷では「老害」などという言葉があちこちで囁かれています。

 

 高齢者の一員である私は、60歳定年当時、職場の後輩たちに迷惑をかけるのが嫌で、自由の身となることを選び、今日に至っています。

 

 そして職場だけでなく、世間にも迷惑をかけているのだとすれば、さっさとこの世を引退してもよいと思うこともあります。

                                             Hermann Traubさんによるpixabayからの画像

 

 最近、生命科学の進展にあわせ、「老い」をテーマとする研究が増えています。

 

 東京大学定量生命科学研究所の小林武彦教授は、「なぜヒトだけが老いるのか」との著書のなかで、シニアの存在について以下のように述べられています。

 

 多くの動物たちが、生殖機能を失うと同時に寿命を迎えます。

 

 つまり老いる前に死んでしまうのです。

 

 ではなぜヒトはその後も生き続け、老いる(長寿化した)のでしょうか?

 

 死は、生物の進化に欠かせない重要な要素です。要するに、「なぜ死ぬか」ではなく、「死んだもの(種)だけが生き残ってきた」のです。

 

 そして老いは、ヒトの進化のプロセスにおいて、生き残るのに有利に働いたと小林教授は言います。

 

 それを教授は「シニア」という概念で説明しています。

 

ヒトは家族を基本単位とした集団(コミュニティ、共同体)の中で進化し、その結束力を武器として、生き残ってきました。

 

 また、ヒトのように日々進歩・発展する社会性の生き物には、本能だけで子育てはできません。

 

 教育内容も常にバージョンアップが必要だからです。

 

 そこでシニアによる教育が登場するのです。

 

 技術や知識を蓄えた年長者(シニア)は、生殖機能を失っても、集団にとって不可欠な役割を与えられ、ヒトはシニアの助力によって生存してきたのです。

 

 私も孫の世代に、自分なりに何かしてあげられることを探してみようかと思っています😊。

 

 

パーキングエリアも地道な努力をしているようです

 実家を頻繁に行き来するようになって、車を運転する機会が増えました。

 

 事故を起こさないよう、一定時間運転すると休憩をとるようにしています。

 

 高速道路に乗った時には、サービスエリア(SA)やパーキングエリア(PA)を選んで休憩をとります。

 

 サービスエリアが進化している話は以前もブログで書きましたが、パーキングエリア(PA)も地道な努力をしているところがあるようです。

        パーキングエリア

 

 先日普段はあまり立ち寄らないPAに車を入れて、ひと休みすることになりました。

 

 PAですからSAほど大きくなく、コンパクトにまとまった施設です。

 

 私がトイレを済ませている間に、妻は小さな土産物コーナーをのぞいていました。

 

 なかなか戻ってこないので行ってみると、熱心に品物を見ています。

 

 土産物コーナーといえば、SAやPAのある地域の特産品や定番みやげが中心の品ぞろえと思っていたのですが、そのPAは東京や他の地域で話題になっている商品が数多く置いてありました。

 

 妻はその商品のなかから、前から興味があった品をいくつか手に持っていて、買う気満々です。

 

 私は苦笑いしながらその光景を眺めていました。

 

 小さなパーキングエリア(PA)なだけに、近くの大きなサービスエリア(SA)と似たような品ぞろえでは、売り上げに繋がらないと考え、工夫を凝らしているのでしょう。

 

 これまでPAはトイレに行きたかったときくらいしか立ち寄りませんでしたが、これからはこまめに休息を取りながらの運転を心がけようと思っていますので、立ち寄ったことのないPAに立ち寄ってみようと思っています。

 

 

もうすぐ初孫の1歳の誕生日です

 孫の誕生日11月5日が迫ってきました。

 

 生まれた頃の写真を眺め返していて、活発に動き回る最近の様子を見ていると、1年間の時の移ろいを感じます。

 

 10カ月を迎えた8月から、次女の仕事復帰に合わせて保育施設に預けられています。

 

 最初は1歳にも満たない孫を預けて大丈夫なのか、などと老爺心ながら心配しましたが、先日娘が夕方引き取りに行くのに同行してみると、思いのほか保育所に馴染んできた様子で、胸をなでおろす思いがしました。

 

 その後の時間に、娘がオンライン会議を予定しているということで、その間みていてほしいと頼まれて、妻と私が呼び出されたのです。

                                                   Carole LRさんによるpixabayからの画像

 

 保育士さんの話だと、孫はその日はあまりお昼寝をしなかったとのこと、ベビーカーに乗せて家路につく途中でコックリコックリと寝始めてしまいました。

 

 娘は家に戻り仕事を再開しなければならないので、ベビーカーで眠りにつく孫をつれて、付近の散歩に出ることにします。

 

 その日は比較的温暖な気候でしたので、少しの間なら薄着の孫も寒くはないだろうと、車通りの少ない道を選びながら、ゆっくりとベビーカーを動かしていきます。

 

 以前もそうだったのですが、孫はベビーカーの上で居眠りを始まるのはよいのですが、背にもたれかかって眠らず、前のめりで寝てしまうので、顔の辺りをぶつけなければよいがと、ハラハラしながら車を動かしていきます。

 

 20~30分は眠ってくれた頃、娘から連絡があり、そろそろ寒くなるから帰ってこいと言います。

 

 家に帰り、しばし遊ばせた後、離乳食を作ってもらって食べさせます。

 

 お腹が空いていたのか、よく食べてくれるので助かります。

 

 その後、しばし遊んでいると、娘が仕事が終わったようなのでバトンタッチ、私たちは家路につくことにしました。

 

 しばしの時間ではありましたが、幼い子の相手をするのは疲れるものです。

 

 この週末、次女と夫さんは、誕生日プレゼントは何が良いかを相談したらしく、希望の品の写真が送られてきました。

 

 品物は彼らが買って、あとで請求書がこちらに送られてくることになっています。

 

いよいよ特養ホームに入所するしかないのか

 母が世話になっているケアマネジャーから妻のところに連絡がありました。

 

 入院して2ヶ月以上が経過していますので、そろそろ動きがあるだろうとは思っていました。

 

 母の入院している病院の担当スタッフから、こまめにケアマネジャーに連絡があるようです。

 

 いつまでも病院にはいられないので、退院後の身のふりかたを決めておかなければなりません。

 

 母は家に戻りたいというのでしょうが、もはや家での生活は無理な状況になってしまっているのです。

 

 父ももはや状況はある程度は理解しているようです。

                                        Bessiさんによるpixabayからの画像

 

 ケアマネジャーは、父の了解が得られれば、特養への入所申込みを書いてもらいたいといいます。

 

 退院してしまった後だと、特養への入所はよりハードルが高くなるといいます。

 

 冬は寒い地域ですので、晩秋になると入所の希望が殺到するそうです。

 

 早速、妻から父に電話をしてもらい、事情を話します。

 

 その後、ケアマネジャーと自治体の担当者が、父の所を訪れてくれることになりました。

 

 訪問日が、この週末の土曜日に決まっていましたので、夕方父に電話をすると、入所申込書を書いて渡したとのこと、その後自治体側が入所条件に照らし合わせて、審査をするようです。

 

 母は要介護5の認定を受けていますので、審査は通りやすいのではないかとケアマネジャーも言ってはくれていますが、どうなるのかは結果待ちです。

 

 母が要介護の認定を受けた後も、両親は支援を受けながら長い間、家での生活を送ることができてきました。

 

 しかし今回の入院を通じ、病院からの状況報告を聞くと、さすがに家に戻っての生活は無理な段階にきているようです。

 

 先日、実家に行った際、母の部屋を前を通りかかると、扉は開きっぱなしになっていて、ベッドと車椅子が静かに佇んでいました。