団塊おんじ 人生100年時代を行く!

長く生きるかではなく、どう生きるかの試行錯誤録

ゼロ歳児を保育施設に預けることの不安

 私の孫(次女の長男)もすくすくと成長しているようです。

 

 定期的に次女から日頃の孫の様子が動画や写真で送られてきますので、成長具合がよくわかります。

 

 先日次女夫婦と一緒に食事をする機会が設けられ、直接孫と会うことができました。

 

 会うたびに表情が豊かになってきて、抱くとずっしりと重くなっています。

 

 7か月を過ぎて前歯が2本顔を出していました。

 

 夫さんは長男とよくじゃれ合って、指を口に入れられるのですが、歯がはえてきてからというもの、指を噛まれると悲鳴をあげそうになるほど痛いと苦笑していました。

 

 その孫も来月から保育所に預けられることになりそうです。

 

 次女が、出産育児休暇があけて、職場復帰をするからです。

 

 そんな折に、保育施設に預けられた7か月の乳児が、リンゴを喉に詰まらせて志望するというニュースが飛び込んできました。

 

 また某認定保育園では、しつけと称して4時間もの間、食事を食べきることを強要され、トイレに行けずに失禁してしまうという虐待行為も発生しました。

 

 立て続けにこんなニュースが流れると不安になります。

       Carole LRさんによるpixabayからの画像

 

  生後7か月間、親や私たちの眼差しのなかで見守られてきた環境から、同じような乳幼児がたくさんいる環境のなかで、一定時間を過ごすのですから、いろいろなことが起きそうです。

 

 小さいながらもストレスを感じることもあるでしょうし、友達ができて逞しく成長していくのかもしれません。

 

 街を歩いていると、よちよち歩きの園児の列に出くわすことがあります。

 

 保育士さんが前後左右について、しっかり守られながらの行進です。

 

 ゼロ歳児の一部の子は、保育士さんに抱かれています。

 

 一日一日新たな体験を通じて、健やかに育ってほしいものです。

 

スマホはどこまで子供達の脳に悪影響をもたらすのだろうか

 スウェーデンの精神科医アンデシュ・ハンセンが著した「スマホ脳」では、スマホの便利さに溺れているうちに、あなたの脳が確実に蝕まれていくという恐ろしい現実が提起され、話題を呼びました。

 

 しかし相変わらず若者を中心に、「だらだらスマホ」や「ながらスマホ」といった“スマホ依存”に陥っている人が少なくありません。

 

 さらにスマホを子供に持たせている世帯が増えている状況を考えれば、未発達もしくは発達途上にある子供達の脳への影響が心配されるところです。

 

 ワープロを使い出すと漢字が書けなくなるように、スマホを使い続けると一体どうなるのでしょうか。

 

 数万人の小中学生を10年以上にわたって追跡調査し、脳科学の立場で分析した最新の知見が明らかにされています。

                                               White77さんによるpixabayからの画像

 

  東北大学の川島隆太教授が率いる研究所チームが発表したものです。

 

 膨大なデータから導かれた結論の数々は、そのあまりの恐ろしさに言葉を失います。

 

 特にスマホが学力低下を引き起こす明確な因果関係が示されており、例えば毎日3時間以上使用している人は、どれだけ勉強しても学力が伸びないそうです。

 

 しかも将来の認知症のリスクも高める可能性があるといいます。

 

 その原因としては、要するにスマホは便利すぎるし、様々な機能があって気が散ることが大きいのだと指摘しています。

 

 このため子供が長時間使うと脳の発達が阻害されてしまうのです。

 

 今やスマホの世帯保有率は約9割になっており、毎日それを使うことが当たり前になっている現状を思えば、子どものいる世帯では、子供達のスマホへの接し方を、家族で真剣に考えなければならないのでしょう。

 

 

人生後半をどう生きるか

 私は人生の後半戦に入ってから随分月日が流れています。

 

 定年退職した後、しばし有り余る自由時間を謳歌はしましたが、再び社会復帰して、はや10年以上が経ちました。

 

 いまでは定年まで働いた後の勤務延長制度が当たり前のように普及して、65歳あるいはそれ以上の期間を、それまで働いていた組織、またはその関連組織に身を置くサラリーマンが増えているようです。

 

 私の場合は、勤務延長をせずにすっぱりと長い間お世話になった組織を離れてしまいました。

 

 後輩が成長して組織の中核で活躍しようとする中、煙たがられる存在で、その中に身を置くことが嫌だったからです。

                                            Hermann Traubさんによるpixabayからの画像

 

 いま「人生後半の戦略書」という著書が全米でベストセラーになっています。

 

 著者はアーサー・C・ブルックスというハーバード大学の教授です。

 

 若い時にがむしゃらに働いて、気が付けば50代となったサラリーマンが、さてこれからの人生をどう送ろうかと、はたと立ち止まって考え込む、そういった迷える中高年に、発想の転換を促すことを勧めています。

 

 冒頭から「ストライバー(成功者)の呪い」というオヤッと目を引く言葉が出てきます。

 

 大なり小なり成功体験を持つ人が抱える苦悩のことのようです。

 

 高いスキルを必要とする職業は、ほぼ例外なく30代後半から50代前半にキャリアの落ち込みが始まるといいます。

 

 金融業のピークは36歳から40歳、医者や音楽家は30代、整備士や事務員も35歳から44歳。

 

なのに業界では高齢のベテランが主要な座を独占しています。

 

「潮時と認めるのは難しい」のでしょうが、不可避なキャリアの落ち込みに怯え、成功するほど不安を感じ、宴が終わらぬよう現実から目を背け、ますます仕事に依存し、身近な人間関係を犠牲にすると指摘しています。

 

 昔の栄光を求め続けるのは「止まらないランニングマシーンに乗っているようなもの」と厳しい指摘が続きます。

 

 そもそも成功の快感は長続きせず、あとで必ず落ち込みが訪れます。

 

 これは一定の状態を維持しようとする人間の本能で説明できるといいます。

 

 進化学的には、生き残るため突出した感情を均衡させる仕組みなのだそうです。

 

 死ぬ前に「もっと仕事すればよかった」と言い残す人はいません。

 

「幸福」になるより「特別」になろうとする生き方を変え、人生「第2の曲線」

に入ろうと本書は呼びかけています。

 

 著者の提案は過去の栄光を忘れろというのでなく、捨てるべきは「仕事と成功への依存心」や「世俗的な見返りへの執着」です。

 

 そして深めたいのは、恋愛や友情など安定した関係での相互理解(恋に落ちるより愛し続ける営みが大事)だといいます。

 

「他者との比較」や「望まぬ孤独」は危険で、足りないのは「一歩を踏み出す口実だけ」とも。

 

 戦略という言葉が出てくると、身構えてしまいそうですが、残された自分の人生を見据えて、「自分にとって幸せとはなんだろう」と自問してみるのもいいですね😊。

 

 

 

最近何かと気になる国、インド

 最近何かと話題になるインド。

 

 人口が近く中国を上回り、世界最多となることや、今年の主要20カ国・地域いわゆるG20の議長国としても世界の秩序の再建をはかるうえで期待されています。

 

 そしてモディ首相は、グローバル・サウス諸国をとりまとめようとして次のようなメッセージを発しています。

 

「皆さん(グローバル・サウス諸国)の声はインドの声であり、皆さんの優先事項がインドの優先になる」と。

                                        Dim Houさんによるpixabayからの画像

 

 またインドの軍事費は既に、米中に次ぐ世界3位となっていて、今後の外交・安全保障政策の動向は、国際秩序を大きく左右することにもなります。

 

 今回の広島G7サミットの後に開催される、自由で開かれたインド太平洋に関する日米豪印の協力枠組み(クアッド)に加わっており、対立する中国の抑止を図ろうとしています。

 

 しかし一方で、ロシアとも、兵器の購入やエネルギーの調達で良好な関係を維が持しており、ウクライナ侵略に関しては、ロシアへ直接の非難を控える立場を取ってきました。

 

 このような外交戦略は、私たちには分かりにくい面があります。

 

 専門家に言わせると、インドは自国の国益を最大限追及するという“リアリズム外交”という戦略をとっているのだそうです。

 

 インドのこのような戦略や考え方は、グローバル・サウス諸国にも浸透していくような気がします。

 

 日本をはじめG7主要各国は、インドが影響力を強めようとしている、グローバル・サウス諸国への今後の関わり方を、今回の広島サミットで大いに議論してほしいものです。

 

 

車の維持費は大変です

 先日、駐車場が隣の住人の方が「前輪のタイヤの空気がかなり抜けていますよ」とわざわざ言いに来てくれました。

 

 すぐに行ってみると、確かに助手席側のタイヤの空気が抜けて半分ほど沈み込んでいます。

 

 これまでほとんど利用したことのないJAFのロードサービスに電話をいれ、状況の説明をしたところ、30分ほどで駆けつけてくれました。

 

 石鹸水をタイヤに塗り付けて、空気の抜けている箇所を調べてみると、果たして“小さなクギ”が刺さっていました。

 

 JAFの担当者によると、時間をかけて少しずつ空気が漏れだしたのではないかとのこと。

 

 さらに空気が抜ける前に、気付くことができてほっとしました。

 

 長年JAFの会員を続けてきて、これまでほとんどお世話になったことがありませんでした。

 

 妻は以前、会費が大変だからやめてしまえば、などと言っていましたが、このような事態になると、やはり会員を継続しておいてよかったと思います。

 

 これだけ迅速に処置をしてくれても、会員は無料だといいます。

                                                          ツツジ

 

  処置が終わった頃に、駐車場が隣の方が戻ってきましたので、お礼を言うことができました、すると「いや~、お互いさまですから」との返答です。

 

 この方の車は、以前車の後方ガラスが大きな石をぶつけられて大きく破損したことがありました。

 

 その時には、私が気付き、お宅まで告げに行ったものでした。

 

 その時のことを覚えていてくれたのかもしれません。

 

 今回のタイヤのトラブルは、幸い大きな出費はせずに済みましたが、車を持ち続けていると、時折何らかの破損やトラブルに遭遇します。

 

 また古くなった車は、13年目から自動車税が跳ね上がります。

 

 いっそのこと、車を手放してしまいたいと思うこともありますが、実家の両親を定期的に見に行くうえでは、やはり車は必要になります。

 

 そしていつかは訪れるであろう、車の致命的な故障の際に、買い替えるか否か、年金生活者の身としては、頭の痛い問題です。

 

 しばらくは、古い車とどう折り合って付き合っていくか、もうしばらく機嫌よく動き続けてくれることを願うばかりです。

 

 

お粗末なマイナ保険証のひも付けミス

 マイナンバーカードと一体化した健康保険証(マイナ保険証)に、誤って別人の情報がひも付けされたケースが2021年10月~22年11月に7312件確認されたことが公表されました。

 

 そしてこのうち5件で閲覧されていたといいます。

 

 ひも付けミスの被害者の一人は、病院に行って保険証を忘れたので、ひも付けされているマイナカードで代用しようとしたところ、別人情報がのっていることを病院側から指摘されたといいます。

 

 指摘された当人が慌てて役所に連絡したところ、どこでミスが起こったのかを分からず、総務省、デジタル庁、厚生労働省とたらいまわしにされたようです。

 

 相変わらずのお粗末な対応ぶりです。

                             Dim Houさんによるpixabayからの画像

 

 縦割り行政で、それぞれ独自のシステムを作り上げてきたものが、マイナンバーカードでの一元管理の構想のもと、マイナンバーに「ひも付け」しようとしているわけですから、ややこしい問題が起こることは無理もないような気がします。

 

 一元管理の司令塔であるデジタル庁の河野大臣は、他人事のようなコメントをしています。

 

 これだけミスが多いと、このままでは個人情報が駄々洩れになる危険がありますから、使用を一旦ストップして総点検したほうがいいのではないでしょうか。

 

 人間のやることですからミスはつきものです、大事なことは入力ミスを二重三重にチェックする体制や、AIを使ったチェックシステムなどを導入することです。

 

 コロナ禍で国の役割が増し、ワクチン接種をはじめとする様々な施策を進める中で、世界中から注目を集めたのが台湾のシステムです。

 

 それを主導したのが、デジタル担当大臣であるオードリー・タン氏でした。

 

 真にマイナンバー制度を機能させようとするならば、日本にもオードリー・タン氏のような人材が必要です。

 

 行政のデジタル化の司令塔であるデジタル庁のトップを、今の政治家の中から選ぶのではなく、民間から人材を発掘する思い切った決断が求められるような気がします。

 

 今の政権与党には、少なくてもそのような人材は見当たらないようと思っているのは私だけでしょうか。

 

愛国心とはなんだろう

 自分を含めて、日本の戦後世代は愛国心が希薄だといいます。

 

 第二次世界大戦で敗戦国となった日本の為政者たちは、教育の方向性を見失い、義務教育における歴史教育にいたっては、近代史にほとんど時間をかけず、走り抜けるように教科書をなぞってお茶を濁してきました。

 

 そうした教育の姿勢が影響してか、この国に誇りを持ち、国を愛するといった気持ちを、子供たちが育む土壌は作られないまま、今日に至ってきたような気がします。

                                Gennaro Leonardiさんによるpixabayからの画像

 

 またグローバル化が進む中で、一つの国のことに止まらず、世界全体のことを見据えた視点のほうが重要だと思う若者が増えてきたように思います。

 

 先日亡くなった音楽家の坂本龍一さんは、若い頃から「私は日本人であることを意識したことはあまりなく、世界のどこにいても、その地を愛しそこに住む人達と一体化することを心がけ、コスモポリタンであろうと心がけています」と言っていたそうです。

 

 国を愛するとは、そもそもどういうことなのでしょうか。

 

 そんなことを思いめぐらせているうちに、昔読んだ内田康夫さんの「はちまん」の一節を思い出しました。

 

 第二次大戦時、上級軍人として戦い、いまは高知の神社の宮司に身を置き、日本の行く末に強い関心を持つ老人が、文部省のキャリアとして赴任してきた若者とのやりとりの中で、「国を愛するということの原点にあるもの」について、次のように話します。

 

 おのれを存在させてくれるこの場所、そこから広がる大地、草原、森、山、川、海、空……そこに生きとし生けるものや同胞(はらから)たち。これらのすべてがわが祖国じゃと思うところから、国への愛情が湧いてくるがと違いますか。

 

 太古、人間は自然の営みに不思議を思い、万物に神を感じた。大地にも樹木にも山にも海にも……感謝と尊厳と畏怖の思いがそこにはあった。それこそがじつは国を愛する初めの姿じゃったと、わしは思うちょります。

   (以上 内田康夫著「はちまん 上巻」より)

 

 自分が生まれ、自分を育ててくれた地のすべてに感謝をし、生きていくこと。

 

 それが愛国心の原点にあるのかもしれません。