団塊おんじ 人生100年時代を行く!

長く生きるかではなく、どう生きるかの試行錯誤録

若い人たちへのワクチン接種を急がねばなりません

 私は2回のワクチン接種を終えましたが、妻は今日2回目の接種を受けます。

 

 2回目の接種後に、熱が出るなどの症状が出るのを警戒して、接種後は、家事はできないと予め宣言しています。

 

 再び感染が急拡大していますが、感染者の中心は若い世代とのこと、彼らへのワクチン接種が急がれます。

 

 しかし若い人たちの中には、ワクチン接種に消極的な人が少なくないと聞きます。

 

 理由は「感染しても重症化する確率は少ない」逆に「接種してアレルギー反応が出るのが怖い」など様々です。

 

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       Josch13さんによるpixabayからの画像

 

 コロナの症状をめぐっては一般の人と医師との間に認識のズレがあるようです。

 

 一般のイメージは、軽症「全然平気・風邪程度」、中等症「息苦しさは出そう」、重症「入院は必要」。

 

 ところが医師の認識は軽症「酸素は要らない」、中等症「肺炎が広がり、多くの人にとって人生で一番苦しい」、重症「助からないかも」。

 

 軽症から中等症、重症へと変化する例は少なくないと医師たちは言います。

 

 軽症という言葉の響きに引きずられ、甘く考えないようにしないといけません。

 

 昨日、娘の接種券が届きました。

 

 娘の反応は、ちょっと様子を見る…です。

 

 感染は昨日まで4日連続の最多、今は自宅でリモートワークをしているのですが、自宅療養者にならないように、早く接種予約の行動を起こしてほしいと思っています。

 

新たに独立を果たした国への支援

 23日のオリンピック開会式を見ていて、自分の知らない国のあまりの多さに驚きました。

 

 私が無知であると言ってしまえばそれまでですが、独立国の数がいかに増えているかに気付かされます。

 

 かつて植民地支配もしくは信託統治取り決めのもとにあった100カ国近くの国々が、国連が1945年に創設されて以降、次々と独立を果たしてきました。

 

 国連は植民地主義を早急に終わらせたいとの目標のもと、独立を促してきた歴史があります。

 

 しかし独立を勝ち取ったまではいいものの、特に他国が望むような資源を持たない国は、国民の経済的自活を達成するのは容易ではありません。

 

 今回ウガンダから来日した選手の1人が宿泊先のホテルから行方不明になったニュースが話題になりました。

 

 彼は「貧しい母国に帰りたくない、日本で働きたい」とメモを残して名古屋に向かいました。

 

 その後、発見されてオリンピック開催前に、帰国することになります。

 

 先進国・後進国を問わず“貧困問題”はどこの国にもありますが、オリンピックを機に日本で働くことに活路を見出そうとしたジュリアス・セチトレコ選手(20)の思い切った行動には複雑な思いがします。

 

 ただお金を出すだけでは解決しない経済的自立支援ですが、日本人は予てからいくつもの国に、ソフト面で自立を手助けしてきました。

 

 モーリタニアに対する支援事例を紹介します。サンパウロ市在住の酒本恵三さんが寄稿したものです。

 

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   Bessiさんによるpixabayからの画像

 

【モーリタニアを貧困から救った日本人】

 

アフリカ北西部に位置するモーリタニアは、人口はおよそ300万人。国土の9割は砂漠で覆われており、砂漠と大西洋に沈む夕日を楽しめます。


平均月収はおよそ2万ウギア、円に換算すると7千円弱です。2011年のある日の事です。モーリタニアにある日本大使館に、ひとりの男性がやってきました。「日本に、これを…」。

 

彼が差し出したのは、お金。それは東日本大震災への寄付金でした。

 

全額は5千ウギア。日本円だと1700円。しかし、彼にとっては月収の4分の1にも当たる大金でした。職員が「あなたのお名前は?」と聞くと、「私は日本の友人です」というのです。


その後も多くの国民が寄付をするために日本大使館を訪れました。その誰しもが「日本人への恩返し」と口にしました。寄付金は総額4570万円にものぼりました。なぜ遠く離れた日本のために、彼らはそこまでしてくれたのでしょうか。

こには、モーリタニアと日本の深い絆が隠されています。


1960年、アフリカの植民地が相次いで独立、アフリカの年とも呼ばれています。他の国と同じくモーリタニアもフランスから独立を果たしましたが、国を支える主な産業がないため、国民は貧困に苦しんでいました。


この独立間もない国に救いの手を差し伸べたのが、当時の日本政府でした。

 

水産庁、外務省が全面的に協力して、モーリタニアの漁業を振興してほしいと、一命を受けたのが、中村正明さんでした。

 

「中村君、申し訳ないがモーリタニアに行ってくれないか?」「モーリタニア…ですか?」。JICA及び海外漁業協力財団から派遣されて、世界各地で漁業指導を行っていた中村がその国に足を踏み入れたのは26歳の時でした。


当時のモーリタニアは、大西洋に面しているのにも関わらず、漁業という産業が存在しませんでした。主食は羊やラクダなどの肉。魚介類を食べる習慣がなかったのです。人々の貧困生活を目のあたりにした中村は、日本の漁業技術を教え、国を豊かにしようと考えました。
 

しかし、本格的漁業を立ち上げるには、金もモノ(船)もヒト(漁師)もいません。それはたった一人でのプロジェクトでした。


「絶好の漁場があるじゃないか」――彼はさっそく、海の近くの住民を集め、自分の思いを伝えました。


「ここには良い漁場があるんです。だから明日の朝4時ここに集合してください」


しかし、翌朝、誰も来ませんでした。彼らには時間に合わせて行動するという習慣がありません。ましてや相手は得体の知れない日本人です。


しかも、まだ日が昇る前に暗がりを歩くのは治安の上でも危険です。

 

それでも中村は、あきらめませんでした。みんなで漁業をやろうと説得しましたが、住民らは「魚なんて売れるわけがないさ」と誰も彼の話を聞こうとはしませんでした。


「なんでわかってもらえないんだ…」。中村は嘆きました。ですが、あきらめるわけには行きません。

 

今度は住民一人ひとりに対して漁業の必要性を熱心に説きました。訴え続けること3カ月、なんとか3人集めることができました。


「ようやく前にすすめる!」。そう思った中村は、集まってくれた3人に一生懸命こう説明しました。


「この中に魚が入って、これを上手く獲れたら皆さんの生活が潤うんです。わかりますか」

 

中村の指導によってなんとか魚は獲れたものの、まだまだ漁の初心者。船も小さいものしか用意できず、思っていたほどの成果は上がりません。せっかく集まった人たちも一人、また一人とさっていきました。


「どうしたらいいんだ。こんないい漁場が広がっているというのに」。肩を落としたその時、何かが目に入ります。それは海岸に捨てられているタイヤでした。手に取って中を見た中村は、「これだ!」とひらめきました。


そこには生きたマダコがいたのです。モーリタニアの海には、上質なマダコが多数棲息していることに気づきました。国を救う一大産業になる可能性を見出した中村はワクワクしました。


「今日からタコ漁を始めましょう!」。しかし住民は思いがけない反応を示します。


「そんな気持ち悪いもの、獲ってどうするんだ?」


彼らはタコを食べないどころか、タコは「悪魔の使い」として触ることすら嫌がっていたのです。


「あなたたちが食べなくても、他の国に輸出できるんです!」
「そんなもの、どうやって獲るんだ?」
「いいものがあるんだす、日本に!」

 

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 中村は日本からタコ壺を取り寄せました。これならタコに傷がつかず、漁法も壺を沈めて引き上げるだけなので、素人でも漁をすることができます。


 タコ壺をためしに使ってみると、初日にもかかわらず、中村の予想通り、良質なマダコが20匹も水揚げされました。当時の相場だと、売値はおよそ2万7千円。モーリタニアでの平均月収4カ月分、米なら100キロ以上買える金額でした。


「こんなにもらっていいのか?」と住民たちは驚きをかくせません。
「もちろんだ。君たちが稼いだお金だからね」と中村はにこりと微笑みました。


その後、住民たちはやる気をだし、タコ漁師の収入は、公務員の5倍にも達し、漁をする人たちが続出しました。

 

さらに、現地でタコ壺製造工場が20カ所以上も誕生し、漁以外にも新しい産業が生まれました。

 

いまやモーリタニアの水産物輸出のおよそ86%がタコです。日本が輸入するタコの35%を占めており、堂々のシェア1位!!


スーパーマーケットではモーリタニア産のタコをよく見かけます。タコの売り上げによって入る外貨は、年間100億円以上になりました。タコ漁はモーリタニアの主要産業に成長し、今では国の収入の約半分を占めています。


中村さんは、当時のことを振り返ってこうはなします。


「本当に忘れられない国となりましたね。今、モーリタニアと日本との間で、絆がうまれ、日本の遠洋マグロ船団を、特別に自国の海域に入れてくれています。それもやはり、モーリタニア政府の日本に対するお礼だと思います」


中村さんは、モーリタニアに住んだ最初の日本人でもあります。2011年には、モーリタニアの大統領から、国家功労勲章というのを授与されました。モーリタニアで最も有名な日本人となり、人々は感謝を忘れることがありません。


子供に中村さんの名前を付ける人が増え、今でも「ナカムラ」「マサアキ」さんがモーリタニアには沢山いるのです。文化も習慣も違うモーリタニアと日本を結んだのは、ひとりの日本人でした。(インターネットより)

 

 同じ日本人として、このような支援をした中村正明さんに拍手を送りたいと思います。

 

 

57年前の東京オリンピックと何が違う

 今日、東京オリンピックの開会式が開かれます。

 

 せっかくプレミアムチケットを手に入れた人達は、無観客が決まり残念なことでしょう。

 

 昭和39(1964)年に開催された前回の東京オリンピックの映像をみると、超満員の国立競技場を、日本選手団が颯爽と行進する姿は、日本国民の高揚感の象徴のような印象を私に与えました。

 

 コロナ禍の今回のオリンピックは、問題山積の中の開催で、前回とは様変わりのような気がしますが、実は開催直前まで国民はオリンピックを冷めた目で見ていたようです。

 

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   Peter Dargatzさんによるpixabayからの画像

 

 昭和39年といえば終戦から19年がたった時、高度成長期といわれた時期ではありましたが、庶民はまだまだ貧しさから脱却しきれたとはいえない状況でした。

 

 開催するための見当もつかない経費とその財源。施設や道路などのインフラ整備、ホテルなどの受け入れ態勢。日本のスポーツの競技力。外国人に慣れていない国民性。

 

 不安材料には事欠かず、多くの国民には背伸びや他人事としてしか見えなかったといいます。

 

 当時はまだ東京都民の衛生認識も乏しく、街中はゴミだらけ、ゴミを平気で川に投げ捨てるといった感覚だったようです。

 

 開催にむけて街中にゴミ箱を設置したり、ゴミ収集体制の整備や都民への「街中をきれいに保つこと」への啓蒙活動を行い、開催時には見違えるようなきれいな街頭へと変貌させました。

 

 終わってみれば、国民の大半の意識が成功や大成功といった結果になり、日本・日本人の大きな自信とつながります。

 

 今回は、開催を1年先延ばしにして「コロナに打ち勝った証しとして、安心・安全な開催を目指す」としましたが、ワクチン接種の遅れも相俟って、第5波の感染拡大真っ只中という状況での開催を余儀なくされています。

 

 開催後、日本人は「オリンピックをやってよかった」と評することができるとよいですが…。

 

 

 

高齢になってからの田舎暮らし

 私の実家の隣は叔父の家です。

 

 叔父は長い間仕事の都合で全国を転々とし、最終的には東京近郊に家を構えて、主たる住まいにしています。

 

 定年を機に、何年か前から定期的に訪れるようになり、あちこち傷んでいる家を親戚の大工に頼み、補修をしたり、自らは荒れ放題になった庭の手入れをしたりしていました。

 

 定年間もない頃に、一度は返ってくる気になったようなのですが、何十年も住んでいない住居は、何かと住みにくいようで、温暖な気候の東京近郊の住まいを主な住居にするようにしたようです。

 

 以前、真冬の日に来て一晩過ごしたところ、あまりの寒さで顔面が凍りつくような状態になり、一泊して慌てて帰っていったと父が笑いながら言っていました。

 

 普段住まない家は、寒さがひとしおだったようです。

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  Lukas Jancickaさんによるpixabayからの画像

 

 以前、叔父が中学時代の同級生に会った時、「そろそろ帰ってきて、こちらで生活しようと思っている」と同級生に言ったところ、「若い人が戻ってくるのは大歓迎だが、年寄りに戻ってきてもらってもなぁ…」と言われ、おおいに気持ちが削がれてしまったといいます。

 

 年がいってから免許を取り、車で行き来していたのですが、ある時、高速道路で壁に車体をこすってしまい、それから怖くなって奥さんに運転を代わってもらっていました。

 

 しかしそれも難しくなって、ついに免許証を返納することを決断しました。

 

 それからというもの、電車とバスを乗り継いでやってくるようになりました。

 

 買い物も不便な地ですから、来るときには食料品などの荷物を別便で送っておくようで、タイミングが合わず不在時の際には、よく私の実家で届いた荷物を預かったりしています。

 

 久々に会った時、私に「やはり田舎暮らしは車がないと不便だよなぁ」としみじみ漏らしていました。

 

 父も来年には免許証の有効期限が終わります。

 

 その時には、免許証の更新は年齢的にも無理です。

 

 その時に備えて「車に頼らない生活様式」を作っていかなければなりません。

 

 

日本はいまや「安い国」になってしまった

 最低賃金が全国平均902円から930円に引き上げられるそうです。

 

 28円の引き上げは過去最高とのことです。

 

 28円だと、1日8時間で月20日とすれば、4、480円の増額になります。

 

 低賃金にあえぐ労働者からすれば、ささやかな報酬アップとなりますが、それでも時給労働者のなかには、手取り12万円くらいで働いている人が大勢いると聞きます。

 

 こんな現状をみると、「日本は本当に先進国なのか?」と疑ってしまいます。

 

 日本の物価は、今や欧米や一部のアジア諸国と比べて低水準になっています。

 

 コロナ禍で下火になっていますが、訪日外国人(インバウンド)がどっと増えた一因は「日本の安さ」にもあるのです。

 

 日本人にとって「世界でも指折りの経済大国」であることは当たり前の話でした。

 

 しかしその常識が崩れ始めているのです。

 

 バブル崩壊以降、日本経済はほぼ「ゼロ成長」の状態が続いてきて、賃金水準は上昇していません。

 

 この間、先進各国は国内総生産(GDP)を1.5倍から2倍に拡大させました。

 

 日本は相対的に貧しくなってしまったわけです。

 

「今はもう豊かな先進国ではない」というのが実情なのです。

 

 日本経済が成長を止めた理由の一つには、「ビジネスのIT化」にうまく対応できなかったことがあります。

 

 1980年代以降、パソコンが普及しました。

 

 先進諸国の多くの企業は、普及と同時並行で、ビジネスのIT化を積極的に進めました。

 

 ところが日本は「従来型の産業モデル」にしがみついて、改革を怠りました。

 

 その結果、業務の効率化が進まず、生産性も伸びていません。

 

 国際競争力も低下したままです。

 

 確かにエレクトロニクス製品など日本製が世界市場を席捲したこともありましたが、もはや昔の話なのです。

 

 全世界の輸出における日本のシェアは低く、今や日本は「輸出大国」などではなくなってしまいました。

 

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  Larisa Koshkinaさんによるpixabayからの画像

 

 日本は「終身雇用」「年功序列」が根強く残っています。

 

「腐っても鯛」ではありませんが、名の通った大企業ほど、仕事もないのに会社にしがみついている人が少なくありません。

 

 この社内失業者は日本全体で400万人もいると言われています。

 

 これらの人材を思い切って流動化させることができれば、多くの新たなサービスを創出できるのではないでしょうか。

 

 このコロナ禍にあって、幸か不幸かリモートワークが急ピッチで普及しています。キャッシュレス決済も一段と普及しています。

 

 現場ではリモートでの営業も盛んに行われています。

 

 AI化、情報システムのクラウド化も加速しています。

 

 日本企業はこの機を逸することなく業務のデジタル化を推進し、高い付加価値を提供するビジネスにシフトすべきでしょう。

 

 ポスト・コロナのこれからの10年間は、「戦後の焼け野原」から復興した時と同じ気持ちで経済に取り組むべきです。

 

 バブル以降の低迷期に、日本は「中国頼み」で何とか乗り行ってきました。

 

 しかし、今の世界情勢を見るにつけ、中国への依存を何とか脱却しなければなりません。

 

 結果、従来のような成長モデルは描けなくなるかもしれませんが、国内消費経済を主体とした「小国」にシフトするきっかけになるでしょう。

 

 日本が小国になるというと抵抗を覚える人もいるかもしれませんが、「小国」ながらも「豊かな社会」を実現すればよいのではないでしょうか。

 

 世界を見渡せば、オーストラリア、ニュージーランド、スイス、スェーデンなど人口は少ないが豊かな国がたくさんあります。

 

 

 

父親が携帯を買うことに

 前回実家に行った時に、私の帰り際に父がポツリと「やはり携帯電話を持っていないと不便なので、携帯が欲しいんだけど…」と言います。

 

 その後、コロナワクチン接種の件で電話をした時、再びそのことを言いだします。

 

 今度行った時に、実家の近くの販売店に行って手続きをしようということにしました。

 

 実は2年ほど前までは、私の名義で父に携帯を持たせていました。

 

 しかし実家の敷地内は電波状態がよくなく、携帯に電話をしても繋がらなかったり、敷地の外に出ないと電話できなかったりしたので、10年以上も持たせていたのですが、父が「別になくてもいいや」というので、電話機本体が古くなったのを機に解約してしまいました。

 

 しかし父は、日中ほとんど家の中にいることがなく、外で庭いじりばかりしています。

 

 母がデイサービスに行っている時などは、固定電話に電話をしても、出ることがありません。

 

 また最近では、健康面でも自信がなくなってきたせいか、外にいる時に体調に異変が起きたりすることも気になるのか、手元に携帯電話がないと不安なようです。

 

 通話さえできればよいとは思うのですが、加えてメールくらいはできた方が、こちらとしても便利ですので、山間地でもつながりやすく、料金もリーズナブルな機種を検討することにしました。

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   Lukas Jancickaさんによるpixabayからの画像

 

 また販売店に行った時に、長い間待たされるのもしんどいので、予め予約を入れることにしました。

 

 ついでに機種予約もして、何度も足を運ばずに済むようにしようと思い立ち、娘とも相談のうえ、機種を予約します。

 

 私が現役で働いている時には、私の名義で携帯料金を私が支払っていました。

 

 しかし私も年金生活に入り、預金も父の方が残高が多いので、今回は父の名義で手続きをすることにしました。

 

 そろそろ今後のことも考えて、私が負担することを控えていこうと考えるようになりました。

 

 昔気質の父は、これまでなるべくお金を使わないように生活をしていたようなのですが、あの世にお金はもっていけないことに気づいたようで、「値段のことは気にしなくていいよ」と言うようになりました。

 

 

 

森林の保水力強化に本腰を入れて取り組もう

 熱海で起きた大規模な土石流災害を、一般人の映像提供で目の当たりにした私たちは、恐ろしさを目に焼き付けることができました。

 

 流れた土石の大部分が「盛り土」だったこともわかり、宅地開発の際の経緯なども今後検証されることになります。

 

 天気予報で「線状降水帯発生」という言葉を聞く度に、不安が搔き立てられます。

 

 このところ毎年のように更新される最高気温や降水量、観測史上初という言葉はもはや日常的になりつつあります。

 

 豪雨による土砂災害も後を絶たず、さまざまな防災策が講じられる中、改めて見直されているのが森の持つ水源涵養機能です。

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  Free-Photosさんによるpixabayからの画像

 

 森林土壌はスポンジのように多孔質で高い保水力を持ちます。そのため、大雨のときにはある程度の貯水が可能であり、少々の日照りが続いても河川に流れ込む水量を一定に保ち、氾濫や渇水を防ぐことができるのです。

 

 しかし線状降水帯が発生すれば、その地域の森林のあちこちに綻びが生じ、土砂災害が発生します。

 

 そのような危険な箇所は、ある程度事前に分かっているはずですから、災害を防ぐ手立てを急ぐべきでしょう。

 

 また、今回の熱海の災害地域を含めて、上流付近にあったメガソーラー(大規模太陽光発電所)で森林の保水力が落ちたのが原因ではないかといわれ、静岡県は調査に乗り出しました。

 

 この因果関係は今のところ不明なのですが、危険な土地に建てられているメガソーラーは全国に多いようです。

 

 脱炭素社会にむけて、太陽光エネルギーの確保も大事なことですが、もしメガソーラー建設によって、森林保水力が下がるのだとすれば、見直しが必要です。

 

 保水力機能を向上させる最も有効な手段が植林です。

 

 1本の木を植えて育てることは容易ではありませんが、自治体や森林組合による支援もあり、多くの森林ボランティアが活動しています。

 

 また若い世代の人達が、森林保全にむけた活動に興味を示していることは救われる思いがします。

 

 NHKの朝ドラ「おかえりモネ」で、森林組合で仕事をする主人公モネに対し、祖父が「山は海と空につながっているんだよ」と話すシーンが印象的でした。