団塊おんじ 人生100年時代を行く!

長く生きるかではなく、どう生きるかの試行錯誤録

国によって、人の命の重さは違うのだなぁ…

 北朝鮮で新型コロナの感染者が急増しているようです。

 

 医療体制が脆弱なうえに、新型コロナウィルスへの対処法を持たない国ですから、このままにしておくと大きな悲劇を招きかねません。

 

 人道上の立場から、韓国ユン新政権は、コロナワクチンの提供を申し出たようですが、それを断ったといいます。

 

 その後、国民がパニックに陥ることを恐れ、慌てて中国から大量の医薬品を買い求めたようです。

 

 一方で相変わらず、金正恩は、ミサイル開発には余念がないようです。

     Bessiさんによるpixabayからの画像

 

 また、プーチン・ロシアの軍事侵攻後、ウクライナ軍と人民の勇敢な国を守る戦いぶりに比べ、ロシア軍の前線部隊の士気の低下が著しいといいます。

 

 前線の兵士に食料も装備品も行き渡らず、投降や脱走する者も多く出ているようです。

 

 たった一人の独裁者のために、命を軽んじられる国民はたまったものではないと、傍から見ていて、つくづく思ってしまいます。

 

 また、長引くロシア侵攻によるウクライナでの戦闘により、小麦などの穀物の輸出が滞り、世界的な食糧危機が深刻化しています。

 

 はやく手を打たないと、食糧不足が引き金になり、命を落とす人々が出てくることも懸念されます。

 

 国の事情や世界情勢によって、一般市民が命の危険にさらされる懸念がこれまでになく高まっていることを感じます。

 

 時の宰相によって、国民の命が“吹けば飛ぶような”軽んじられた扱いをされてはならないでしょう。

 

 そういえば、“一人の人間の命は、地球より重い”と言った日本のリーダーがいたのを、思い出しました。

 

 日本赤軍ハイジャック事件の時に、時の首相、福田赳夫氏が言った言葉でした。

 

 世界で唯一、原子爆弾を投下された日本が、平和を希求するメッセージを、これまで以上に、世界に発信し続けなければならない状況が訪れています。

 

捨てない生き方

 前回、私の父がモノを捨てられないという主旨のことを書きましたが、断捨離ブームが続く今、本当に断捨離に突き進んでいっていいのだろうかと、ふと考えました。

 

 実は、私自身も捨てることが苦手な方ではないのかと思いいたったのです。

 

 最近、父の行動を見るにつけ、私も父に似たところがあるのかなと密かに思っていたのですが、妻にそのことをズバリ指摘されました。

 

 父も勿論ですが、私も貧しい環境で育ちました。

 

 衣類にしても靴にしても、古くなったものを妻には捨てろと言われるのですが、まだ着れたり、履けたりするものを捨てたくありません。

 

 大事な場があるときなどに、妻はせっせと私の衣類・シャツなどを買ってくるのですが、捨てないので、家では私が一番“モノ持ち”になってしまいます。

 

  五木寛之さん

 そんなとき、本屋の店頭で「捨てない生き方」というタイトルが目に留まりました。

 

 五木寛之さんの新著です。

 

 五木さんは、あえて世の中の風潮の流れの中で、マイナスとされるものに新たな光を当てる名人です。

 

「捨てない」ことに力を見出す。何年も着ていない服や古い靴、レコード、本などは、他人から見れば不要不急のガラクタであっても、本人の人生では宝物なのだといいます。

 

 夢を求め、モノを買い求めた人生の登頂期を終え、下山の道を進む生の後半には、記憶の詰まった愛着品は孤独の友になるともいっています。

 

 そういえば、私もモノを詰め込んだロッカーや棚の整理をする際に、出てきた写真や若い時に読んだ書物などに出会うと、ふと手が止まって、しばし写真に見入ったり、本をめくって、当時大事な部分にマーカーを引っ張ったりした箇所を見ながら、当時のことを思い出したりしてしまいします。

 

 そういえば若い頃、手狭なアパートで生活していて、手を焼いた音響機器と大量のレコードなどを、実家に持っていき、2階の使っていない部屋に押し込めたままになっていることを思い出しました。

 

 あの頃聞いていたレコードを取り出して、懐かしい曲を聴いてみたいと思うことが時々あります。

 

 しかし保存状態がよくないので、レコードが歪んでしまい聞くことができないかもしれません😢

 

 

 

モノを捨てられない父

 この連休に実家を訪れた際、妻は台所の食器を置くワゴンと、スポンジ・タワシ置きを購入して持っていきました。

 

 父が洗った食器を置いているワゴンやスポンジ置きが、水切りが悪く、カビの温床になっていることが気になっていたようです。

 

 以前にも、そのことを父に指摘して、水切りに優れた食器置きに買い替えることを提案していたのですが、慣れ親しんだものを、なかなか捨てようとしません。

 

 妻が捨てようとしてまとめてゴミ袋に入れておくと、いつの間にか、もとに戻っていたことも度々でした。

 

 他のものならともかく、カビなどが付着した食器を使うのは、健康を損ねかねませんから、妻はずっと気にかけていたようです。

          Dim Houさんによるpixabayからの画像

 

 また台所のシンクの周りには、普段あまり使わない食器・コップ・鍋などが並んでいて、調理をする際、不便な思いをしていました。

 

 そこで、あまり使わない鍋・コップなどを別の場所に移して、スッキリした状態にしたいと父に提案しました。

 

 もはや足の悪い母は台所に入ってくることはありませんから、父さえ納得させれば、使い勝手の良い台所にすることができます。

 

 父が承諾したので、妻は張り切ってシンク周りの整理に取り掛かりました。

 

 作業が終った後、スッキリした状態をみて、父も納得したようです。

 

 昭和4年生まれの父は、物のない時代に育ったせいか、なんでも取り敢えずは取って置こうとします。

 

 あとで何かの役に立つかもしれないと思い、捨てるのをためらう生活をずっと続けてきたのです。

 

 若い人たちは、“断捨離”と称してモノを処分することをためらわない方も多いと思いますが、どんどんモノを処分しようとする妻の提案には、父はすぐには首を縦にはふりません。

 

 台所回りの整理は、健康を害する危険につながりますので、妻の意見を尊重してもらいたいと思いますが、衣類や書籍書類その他のモノの断捨離は、父の思いの詰まったものもあると思いますので、ゴミ屋敷にならない限りは、父の判断に任せるしかないなと思いました。

 

 

 

食料の自給率を高めることが急務となってきた

 ロシアのウクライナへの軍事侵攻を機に、小麦の生産量6位のウクライナの生産減の影響を受けて食糧危機に陥っている国がいくつか出てきました。

 

 のみならず、穀物、肉類、乳製品などすべての品目で騰勢が収まる気配はありません。

 

 中国の需要急増や新型コロナウィルスの感染拡大、気候変動や脱炭素化といった要因が複合的に影響しているといわれています。

 

 冷戦終結後、食糧確保は経済合理性だけをみて判断すればよくなりました。

 

 生産性の一番高い所で大量生産し、安い原油を使って大型船で運んでくればよい。

 

 海外での農業生産の拡大に協力し、輸入を安定させれば、食料の安全保障が担保されるという考え方でずっとやってこれたわけです。

 

 ところが、中国を中心に需要が拡大する一方、気候変動で供給が不安定になり、ロシアのウクライナ侵攻という地政学的リスクが加わりました。

 

 日本の食料供給システムの脆弱性が浮き彫りになっています。

       ツツジ

 

 付加価値が高く、空輸でも利益が出る半導体のような工業製品に比べ、農産物は基本的に腐りやすいうえにかさばるので、輸送に高いコストをかけられません。

 

 改めて食料は極めて地域限定的な資源であることを痛感させられています。

 

 日本の農地、水、人、森林などをフル活用して、多少コストが高くても、国内の食料増産に注力すべき時がきているのではないでしょうか。

 

 特に水田は生産性が高く、究極の食料生産装置とも言えますが、水田面積は減り続ける一方でした。

 

 日本全体で農業を大事にしていかないと、大変な事態に陥るのではないでしょうか。

 

 農業の目的を食料の増産に集中させれば、付随して水源の涵養や国土の保全、良好な景観の形成といった農業の多面的機能が発揮されるようになりますし、農業に力を入れる国・自治体の施策によって儲かる農業に転換できる可能性も高まることでしょう。

 

 それがひいては食料安全保障につながるのではないかと思います。

 

山間地にも春がきた

 週末に実家に行ってきました。

 

 5月の連休前で、一般道も高速道路も比較的空いていました。

 

 少し前まで異例の暖かい日が続いたせいか、4月の中旬にもかかわらず沿道にはハナミズキやツツジが花を咲かせています。

 

 これからしばらくは、綺麗な花々や新緑が目に飛び込んできて、車を走らせていても気持ちの良い季節です。

 

 実家のある山あいに入っていくと、沿道は桜が満開です。

 

 東京近辺に比べると約1か月遅れで満開を迎えて、我が家の近くではとっくに散ってしまった桜を再び見ることができ、何か得した気分になります。

 

 利き手が不自由になった父と、歩くことがままならない母とが暮らす実家を、今年に入ってからは月2回のペースで訪ねています。

 

 例年だと5月の連休に行っていたのですが、4月中旬に訪ねるのは初めてかも知れません。

 

 実家の前には地区の集会所があり、駐車場を兼ねた広場があり、桜の木が数本植わっています。

 

 5月の連休頃は、さすがに散ってしまっている桜ですが、はたして満開を迎え咲き誇っていました。

 

 デイサービスが休みの日は、居間のコタツに足を入れ、日がな時を過ごす母ですが、満開の桜を窓越しに眺めることができ喜んでいます。

 

 季候がよくなり、父は不自由な右手を庇いながら、庭仕事に勤しんでいました。

 

 冬の寒さが厳しい地域の人達は、長い冬が終わり、春を迎えて桜が咲くと、気分が高揚すると聞いた事がありますが、父の体の動きもひと月前と比べると、軽やかに映って見えます。

 

 通話さえできればよいので、父にはガラケーの携帯を持たせていたのですが、昨年思い切ってスマホに変えました。

 

 昨年11月からの入院中、コロナの影響で面会もままならなかったのですが、スマホを携帯していましたので、やりとりができたので、とても役立ちました。

 

 そしてその間、暇に飽かしていじくっていたおかげで、スマホの操作も少しはできるようになったようです。

 

 しかし写真を撮ることまでは未経験なようで、家の前の満開の桜を写真に収めてくれと私にいいます。

 私達が帰る日爽やかに晴れ渡っています。父を連れて家の前の公園を回り込み、スマホで満開の桜を写真に収めました。

 

 父は昨日まで体調が思わしくなかったようですが、気持ちの良い朝を迎えたせいか、今日は足取りが軽やかになりました。

 

 徐々に陽気が良くなりますから、より元気になってほしいと、父の後ろ姿をみながら願いました。

 

 

 

年相応ってなんだろう?

 先週、昔の仕事上でお世話になった方と会食することになりました。

 

 共通の知人のお葬式で久しぶりに再会したのがきっかけです。

 

 彼は今年73歳になります。

 

 先日今は亡き宇野重吉さんの映画をみていて、宇野さんが亡くなった73歳に自分もなったのだと思い至ったそうです。

 

宇野さんの重厚ないぶし銀のような演技・佇まいをみていて、「宇野さんの73歳時の味わい深い表情をみていて、私はなんと軽いのかと思い、愕然とした」といいます。

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 宇野重吉さんは1988年1月9日に「肺がん」で亡くなりました。

 

 宇野さんと同じ73歳を迎えたというのに、自分はあまりに未成熟だという彼の言葉を受けて、(自分のことは棚に上げて)慰めがてら「宇野重吉さんの生きた時代と今とでは、栄養摂取の状態が全く違います。外見が宇野さんに比べ若々しいのは当然ですよ」と笑って返しました。

 

 彼は現在ジムに通って体力維持に努めているようで、身のこなしも見た目も若々しく映ります。

 

 一般的には、年齢より若く見えるということは、本人にとってはうれしいのではないでしょうか。

 

 私の妻などは、妹と一緒にいる時に、自分の方が妹に見えると他の人に言われたといって、嬉しそうに私に自慢します😊。

 

 今回会食をした知人は、外見が若く見られたとしても、内面が伴っていないのではと嘆いたのでしょう。

 

 私も人のことを言えた立場にはなく、年齢に相応しい内面を備えているだろうかと言うと、穴にでも入りたい気持ちになります。

 

 “年相応”と言いますが、年齢に相応しい言動とか生き方をするのは、自然なことなのかも知れません。

 

 しかし、年を重ねたからといって人の内面はだんだんと成熟して、ついには老成するとは限りません。

 

 宇野重吉さんや笠智衆さんの演技を見ていると、あんなふうに歳を重ねた佇まいを表現できることに憧れを覚えることはありますが、とても私には無理でしょう。

 

 まあ、私は私なりに人様に迷惑をかけず、私でも何か役に立つことがあれば、できるだけのことはやって生きていければいいのかななどと自分を納得させました😊。

 

 

4割以上の若者が孤独感を感じている

 新型コロナウィルスの感染拡大が長期化しています。

 

 非接触型の生活様式も一部定着しているように見えますが、それは“接触を避ける”という生活時間が増えるということでもありますから、そんな中で孤独感を感じてしまったり、孤立しているという認識を持つ人も多くなっているのでしょうか。

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       Hermann Traubさんによるpixabayからの画像

 

 政府は3月8日、孤独・孤立に関する初の全国実態調査の結果を公表しました。

 

 ほぼ3人に1人が何らかの形で「孤独感がある」と回答し、その割合は20~30歳代で高い傾向がありました。

 

 新型コロナウィルスの感染拡大の影響で、日常生活の悪化を感じている人は約4割にのぼっているという結果が出ています。

 

 調査は昨年12月、全国の16歳以上の約2万人を対象に行われ、有効回答は59.3%。

 

「どの程度、孤独であると感じることがあるか」を質問したところ、「しばしばある・常にある」が4.5%、「時々ある」が14.5%、「たまにある」が17.4%で、計36.4%が孤独感を訴えていました。

 

 年代別では、孤独感があるとの回答は20~29歳の計44.4%が最も高く、30~39歳の計42.2%が続いています。

 

 コロナ禍で日常生活が「悪くなった」「やや悪くなった」との回答は計39.9%。

 

 人と直接会ってコミュニケーションをとることが減った人が67.6%にのぼるなど、影響が見られています。

 

 同居していない家族や友人たちと直接会って話す頻度は、11.2%が「全くない」、15.2%が「月1回未満」と回答しています。

 

 これまで孤独といえば、「孤独老人」に焦点が当たりがちでした。

 

 しかし今回の調査で、長期のコロナ禍が20~30歳の若年層で孤独を感じている割合が高かったのです。

 

 政府は関係省庁や自治体、NPOが協力して対策を進めるための「孤独・孤立対策官民連携プラットフォーム」を2月に設立させました。

 

 重点計画では、孤独・孤立を「人生のあらゆる場面において誰にでも起こり得るもので、個人の問題ではなく、社会環境の変化により当事者が孤独・孤立を感じざるを得ない状況に至ったものだ」などとし、社会全体で対応すべき問題と位置付けています。

 

 はやくコロナ感染が落ち着き、接触型の生活を取り戻さなければ、自殺率の増加などの深刻な社会問題につながる恐れがあります。

 新型コロナウィルスの感染拡大が長期化しています。

 

 非接触型の生活様式も一部定着しているように見えますが、それは“接触を避ける”という生活時間が増えるということでもありますから、そんな中で孤独感を感じてしまったり、孤立しているという認識を持つ人も多くなっているのでしょうか。

 

 政府は3月8日、孤独・孤立に関する初の全国実態調査の結果を公表しました。

 

 ほぼ3人に1人が何らかの形で「孤独感がある」と回答し、その割合は20~30歳代で高い傾向がありました。

 

 新型コロナウィルスの感染拡大の影響で、日常生活の悪化を感じている人は約4割にのぼっているという結果が出ています。

 

 調査は昨年12月、全国の16歳以上の約2万人を対象に行われ、有効回答は59.3%。

 

「どの程度、孤独であると感じることがあるか」を質問したところ、「しばしばある・常にある」が4.5%、「時々ある」が14.5%、「たまにある」が17.4%で、計36.4%が孤独感を訴えていました。

 

 年代別では、孤独感があるとの回答は20~29歳の計44.4%が最も高く、30~39歳の計42.2%が続いています。

 

 コロナ禍で日常生活が「悪くなった」「やや悪くなった」との回答は計39.9%。

 

 人と直接会ってコミュニケーションをとることが減った人が67.6%にのぼるなど、影響が見られています。

 

 同居していない家族や友人たちと直接会って話す頻度は、11.2%が「全くない」、15.2%が「月1回未満」と回答しています。

 

 これまで孤独といえば、「孤独老人」に焦点が当たりがちでした。

 

 しかし今回の調査で、長期のコロナ禍が20~30歳の若年層で孤独を感じている割合が高かったのです。

 

 政府は関係省庁や自治体、NPOが協力して対策を進めるための「孤独・孤立対策官民連携プラットフォーム」を2月に設立させました。

 

 重点計画では、孤独・孤立を「人生のあらゆる場面において誰にでも起こり得るもので、個人の問題ではなく、社会環境の変化により当事者が孤独・孤立を感じざるを得ない状況に至ったものだ」などとし、社会全体で対応すべき問題と位置付けています。

 

 はやくコロナ感染が落ち着き、接触型の生活を取り戻さなければ、自殺率の増加などの深刻な社会問題につながる恐れがあります。