団塊おんじ 人生100年時代を行く!

長く生きるかではなく、どう生きるかの試行錯誤録

人は500歳まで生きられる!?

 先日外出から帰って、ついていたテレビの画面をみると、報道番組に山中伸弥さんがゲストで出ていました。

 

 もう終わりかけの時刻で、最後に山中さんが「もしかしたら人間は500歳まで生きられるのかもしれません」という言葉を発していて、まわりの番組スタッフが驚きの声をあげています。

 

 500歳はともかくとして、山中教授らによる「山中因子」の発見をきっかけとして、老化した身体の「若返り」を追及する試みが世界中でなされているといいます。

 

 15,6年前、京都大学の研究チームが驚くべき発見をしました。

 皮膚細胞にわずか4種類のタンパク質を加えて2週間ほど置くと、細胞の一部が予想もしなかった驚くべき変化を遂げました。

 

 若返ったのです。

 

これらの細胞は、生命の旅を歩み始めたばかりの数日齢の胚と同一に近い、幹細胞へと変化したのです。

 

 研究者たちはこの手法を用いることで、少なくともシャーレ内では、101歳の老人から採取した枯れ果てた皮膚細胞を、全く老化していなかったかのように若返らせることができたのです。

 

 その後、この細胞リプログラミングの研究や実験が10年以上にわたり繰り返されてきました。

 

 いくつかのバイオテック企業や研究機関は、このプロセスこそ若返りへの画期的な新テクノロジーを切り開く糸口になるものだと主張しています。

 

 科学者たちが言うには、実験動物に一定量のリプログラム化タンパク質を投与することによって、その動物、あるいは少なくとも臓器の一部が若返るという証拠が得られつつあるといいます。

 

 同じ画面を見ていた妻がポツリと「私はそんなに長く生きたくないなぁ…」と漏らします。

 

 確かに健康を損なった状態で長生きをしても、本人は勿論のこと、周囲がたまったものではありません。

 

 妻のつぶやきを察してか(?)、山中教授は番組最後に「私たちは、寿命をやみくもに伸ばすことを目指すのではなく、健康寿命に着目して研究を続けていきます」と一言添えていました。

 

父に振り回されたお正月でした

 今年はカレンダーの関係もあって長いお正月休みでした。

 

 昨年暮れには早めに実家に向かい、父をショートステイをしている施設から引き取り、実家に連れて帰りました。

 

 ショートステイ生活も慣れてきたようで、施設を離れるときには「またすぐ帰ってくるから」などと挨拶をしていました。

 

 しかし実家に戻って2日後のこと、早朝に激しいめまいが起きてベットから起き上がれなくなってしまったのです。

 

 大晦日と元旦の2日間、食事もほとんど摂れずに寝込んでしまいました。

 正月2日になって少しめまいも落ち着いてようなので、雑炊を食べさせたのですが、相変わらずベットから少し起き上がっていただけでもめまいが襲ってくるようです。

 

 ただ何とかベットから起き上がれる状態になったようなので、かかりつけの病院に相談の電話をいれました。

 

 まだ先生は休んでいますが、点滴をうつことはできますとのこと、父を起こして車に乗せ病院に向かいます。

 

 静まり返った病院に着くと、車椅子を借りて父を載せ、夜間受付口から院内に入りました。

 

 しばらく待ち、看護師さんがやってきて点滴用のベットのある部屋に通されます。

 

 父がベットに寝かされ点滴が始まると、2時間近く続くようなので、私たちは一旦実家に戻りました。

 

 やはり病院内にいて、看護師さんがそばにいてくれるというのは、気持ち的に安心するものです。

 

 当初は2日に父を施設に戻し、家に戻って3日には次女夫婦が孫を連れてやってくる予定でした。

 

 こんな状況ですので、その予定は延期してもらいました。

 

 その他にも用事があったのですが、すべてキャンセルです。

 

 3日になって、実家を出て父をいったん施設に戻し、施設近くの総合病院が4日に診察を始めるので、朝一番で父を連れていくために、3日はその病院近くの宿を取りました。

 

 3日夜から予報では天候が悪化し、雪模様になることが実家を3日のうちに離れる理由でもありました。

 

 はたして3日の朝になると、雪がうっすらと積もっていて、路面の凍結も危ぶまれる状況です。

 

 それでも天気は回復し快晴ですので、気温が上がるのを祈るばかりです。

 

 病院の受付開始時間に間に合うように、宿を引き払い、注意深く安全運転で病院に向かいます。

 

 初診ですので問診票を書いたりの手続きを終え、9時の診察開始時間に間に合うよう父の施設に戻ると、スタッフの従弟が父を車椅子に乗せ、入り口付近で待ち構えていてくれました。

 

 いくつかの検査を経て、医者の見立ては「メニエール病」、漢方薬とめまいの薬を処方してくれました。

 

 医者に診てもらい、父も安心したようです。

 

 再び施設に預け、家路につく頃には、こちらもどっと疲れが出てきました。

 

 

山の麓のお蕎麦屋さん

 父の通っているショートステイ施設は、町の中心からかなり離れていて、民家がポツポツとあるだけの場所にあります。

 

 山の麓というロケーションで、山を上がっていくとツツジが群生する春先には観光客で賑わう広い公園があります。

 

 しかしツツジの季節を除けば、ほとんど車の往来はありません。

 

 そんな施設の隣に、土日祝日のみ営業をしているお蕎麦屋さんがあります。

 

 こんな場所にお店を開いているのかと最初は驚きました。

 

 しかも土日祝日のみ開いていて、11時半から14時までの営業だといいます。

 

 10割蕎麦と銘打っているのに興味を惹かれ、施設に行った帰りに立ち寄ってみました。

 

 中に入るとテーブル席が3組と3人が座れるカウンター席しかありません。

 

 メニューは十割そば単品か野菜天ぷらとのセットの2種類のみです。

 

 値段をみると、普段食べているお蕎麦屋さんと比べても、かなり安い価格で提供されています。

 

 せっかくなので、野菜天ぷらとのセットを注文してみました。

 

 注文してからほどほど時間が経過した後、十割そばと野菜天ぷらがテーブルに運ばれてきました、これまで食べたことのある十割そばに比べると、色が白っぽく十割とは思えないような見た目です。

 蕎麦を一本箸ですくい上げ、口にしてみると、そばの風味が口いっぱいに広がります。

 

 十割蕎麦ならではの噛み応えがあります。

 

 野菜天ぷらといえば、大葉、カボチャ、ジャガイモ、ピーマン、エリンギと盛りだくさんです。

 

 お蕎麦屋さんの周辺は、畑が広がっていますから、おそらく自分の持ち物の畑で収穫してきた野菜たちなのでしょう。

 

 厨房の中を覗くと、かなり高齢のおばあさんが一心不乱に蕎麦を打っています。

 

 隣の席のご夫婦らしき二人が会計をしようとレジに向かい、会計の合間におばあさんに声をかけました。

 

 どうやらお孫さん夫婦が接客をして、おばあさんと三人で切り盛りしているようです。

 

 こちらも食べ終わってレジに向かいがてら、「美味しかったです」とお孫さんに声をかけがてら、二言三言やりとりをしましたが、店を出る時に外まで見送りがてらついてきてくれました。

 

 別れがてら今月(11月)いっぱいで店を閉めるとのこと、驚いていると、冬になると前の道を行きかう車もめっきり少なくなり、客足が遠のくので、冬場の3か月間は店を閉め、来年3月から再開するとのこと。

 

 理由を聞いて一安心しました。

 

 また来春店が開いたら伺いますと返答し、店を後にします。

 

 なんとも長閑で心豊かな時間を過ごさせていただきました。

 

 

均質化する街

 かつて勤め先があった渋谷を久しぶりに訪れてみました。

 

 昔は渋谷駅周辺は隅々まで把握していたつもりでしたが、改札を出ると目的地までのルートが全くわかりません。

 

 まるでお上りさん状態のなか、人に聞くのも癪なので、自分が知っている目印を何とか探そうと右往左往しながら、かなりの時間をかけて何とかたどり着くことができました。

 

 帰りしなに、駅周辺にそびえ立つ高層ビル群を眺めてみると、昔の光景とのあまりの違いに圧倒されるとともに、感慨深いものがこみ上げてきました。

 渋谷だけでなく、この数年相次いで品川、新宿駅西口、東京駅八重洲口などの再開発が手掛けられました。

 

 日本一地価の高い東京の主要駅周辺を、再開発により価値を高めようとすれば、できるだけまとまった土地を集約し、上へ上へと伸ばしていくのは、やむを得ないことなのかもしれません。

 

 しかし、かつて地方都市の駅を下りたつと、駅前の商店街がどこも似たような光景であると感じていたものが、規模こそ違え、東京の主要駅が高層ビル群になり、均質化されてしまっていくような気がします。

 

 再開発がなった場所を歩いてみると、きれいな店舗が立ち並び、それはそれで快適な時間を過ごすことができるのですが、何か違和感を覚える自分がいます。

 

 そんなとき、先頃見た映画「パーフェクトデイズ」の1シーンを思い出しました。

 

 役所広司扮する主人公が、仕事が終わり、浅草の古い地下街にある馴染みの店に立ち寄って、一杯飲みながら軽い食事をする光景です。

 

 ○○横丁、雑居ビル、高架下の飲み屋街、低層密集地域などに迷い込むと、何かほっとする気分になるのは私だけでしょうか。

 

 防災対策のために、危険度の高い密集地域に手を加えることは必要なのでしょうが、昭和レトロを感じさせられるような、味わいのある古い飲み屋街、商店街などを、何とか残していってほしいものです。

 

穏やかにボケていく

 ショートステイでの滞在を終える父を迎えに行きました。

 

 2日間家で過ごし、再びショートステイの施設に戻ることになっています。

 

 家に戻ると施設から持ってきた荷物を広げ、何かガサガサと探し始めました。

 

「どうしたの?」と問うと「保険証がない」といいます。

 

 妻が「施設に置いてきたんじゃない?」というのですが「もう一つのバックに入っているはずなんだが、バックはどこにいった?」と言い出します。

 

 父は小さなバックをいくつも持ち歩いています、妻は「今日持ち帰ったバックは2つだけだから、施設の方に置いてきたバックの中にあるんじゃないですか?」と諭します。

 

 父は家にいると一日中探し物をしています。私はなくなる筈はないと思っていますから、そんなときは放っておきます。

 

 妻が言うように「施設に置いてきたのかもしれない」と納得すればいいのですが、それからも自分の部屋に入って捜し続けます。

        andrea candrajaさんによるpixabayからの画像

 

 以前元気だった頃の父は、雨の日以外は庭に出て庭の手入れに余念がなかったのですが、現在は庭のことは気にしていないように見えます。

 

 実家に滞在している間の限りある時間の中で、私が門の外側の雑草取りや、長く伸びすぎた枝葉を剪定したりしているのですが、庭全体の手入れをするまでにはいきません。

 

 外から荒れ放題の家と見られないように、せめて目に付く箇所だけでも、きれいにしておかなければと思っているのです。

 

 妻はといえば、台所の錆びついたフライパンや賞味期限の過ぎた調味料類などを処分しようとしています。

 

 袋に詰めた処分品は、車に積んで私の家の方で処分するつもりで、私たちの住む自治体専用のごみ袋を持って来ています。

 

 ショートステイに戻る日の朝、父は早朝から起き出して、書斎に入って何かをしています。

 

 ファイリングが好きで、書類をファイルに納めて整理していますが、必要なときにどこにあるかが分からなくなってしまうことがしょっちゅうあります。

 

 ショートステイで再び施設にもどり、保険証を施設のスタッフにも手伝ってもらい捜しました。

 

 はたして持って言ったファイルに保険証が入っていました。

 

 妻が「こんなところにファイルしてしまったら、必要なときに出て来なくなるから、保険証は別に保管するように」と諭しますが、父は無反応でやり過ごそうとしています。

 

 

住宅設備の劣化に年金生活者はどう対応している?

 今年の夏は記録的な暑さでした。

 

 気象予報士は、毎日のように熱中症にならないよう、不要不急の外出を避け、エアコンをつけて適度な室温で過ごすよう呼び掛けていました。

 

 いまや夏の暑さを乗り切るために、エアコンは必需品になっています。

 

 我が家のリビングのエアコンは、かれこれ10数年活躍してくれたのですが、今年買い替えをしました。

 

 そのきっかけになったのが、地元の自治体のエコ・キャンペーンで、今買い替えることにより、7万円ほどの補助がでるといいます。

 

 そのことを知って妻は乗り気になり、早速行きつけの家電量販店に足を運ぶはめになりました。

                 Josch13さんによるpixabayからの画像

 よく話を聞くと、どんなエアコンでも補助の対象になるわけでなく、節電に優れた環境にもやさしい最新鋭機種がその対象とのこと。

 

 いろいろ話を聞くうち、あまりの性能の違いに妻は大乗り気になってしまいました。

 

 かなり高額ではありますが、7万円の自治体の補助が背中を押した格好です。

 

 本格的な夏になる前に、手続きを済ませて取り付けを終えましたので、今年の夏は快適なエアコン生活を享受できました。

 

 ただ支払い後に残った家計のやりくりが大変です。

 

 そんな矢先に、今度はトイレが不具合を起こしてしまいました。

 

 トイレの設備はエアコンを上回り、かれこれ20数年を経過しています。

 

 こちらは少し前から土台と便座をつなぐ部分が外れてしまっているようで、利用するたびに便座がグラグラする状態です。

 

 仕方がないので、再び家電店を訪れて相談することにしました。

 

 最近のトイレは節水機能に優れているようで、こちらは国が推進するエコ・キャンペーンの対象になっているといいます。

 

 ただし、対象となる住宅設備を3箇所手を入れることが条件だとのことで、補助金をもらえることは魅力ではありますが、これ以上の出費は我が家にとって大きな痛手となります。

 

 どこの家でも住宅設備のメンテナンスや買い替えは避けられないことだと思いますが、年金生活者は貯蓄を取り崩さなければならないことになります。

 

 物価高が続く中で、他の年金生活者世帯は、この問題にどう対処しているのでしょうか。

 

渋沢栄一は今の日本経済をどう見るのだろう

 

 新一万円札が出回りだして、一万円札にあまり縁のない私も、最近やっとお目にかかる機会が増えてきました。

 

新一万円札の顔は渋沢栄一翁です。

 

 いうまでもなく明治以降の近代日本の経済の礎を築くうえで大きな貢献をした実業家です。

 

 著者に「論語と算盤」があります。

 

 今メジャーリーグで大活躍の大谷翔平選手は、この「論語と算盤」の読者だったことを知り、興味を持ちました。

 

 彼は高校時代からマンダラートという目標を達成するための発想を図式化した表をつくっていました。

 

 9×9のマスで構成されているマンダラートの真ん中に目標を置きますが、高校一年生の大谷翔平は「ドラフト1位8球団」と書いています。

 

 それから、その目標を達成するための8つの要素が囲んでいます。例えば「スピード160キロを出す」です。そして、その要素が目標となり、それを達成するために必要な8つの要素で囲みます。例えば「腰回りを鍛える」です。

 

 大谷選手は日ハムに入団した後もマンダラートを使用していました。

 

 すでにプロの野球選手になっていましたので、マンダラートの真ん中の目標が変わっていました。

 

「大リーグを目指す」です。

 

 そして、その目標を達成する8つの要素の一つであった「人間性」を達成する要素のマスの中に書いていたのが「論語と算盤を読む」だったそうです。

 論語は儒教を、算盤は商売を意味しています。

 

 この両者は、元来相性が悪いとされてきました。

 

 金儲けを目的とする商売は、卑しい行為であると儒教は批判してきました。

 

 かのマックス・ウェーバーは、プロテスタントの倫理と倹約の精神が資本主義の発展の原動力であると主張し、儒教の国が経済発展することなど有り得ないと言い切っていました。

 

 儒教の思想が足かせとなって停滞を続けた中国や韓国を尻目に、この学説をあっさりと覆したのが日本だったのです。

 

 そしてその反証に貢献し、日本の経済思想に大きく影響したのがこの「論語と算盤」でした。

 

 渋沢は、論語を辿りながら、孔子は富を追い求めるべきではないと言っているわけではなく、道理に基づかない方法での富の追及はいけないと言っているに過ぎず、道理に基づく富の追及は、むしろ正当化されるという論法を使って儒教を経済に引き寄せていきました。

 

 渋沢は孔子の唱える「仁」を強調し、仁を商売人に求めました。

 

 仁とは、現代的に言えば、社会的共通善、ないしは公共的な意思といった言葉に置き換えられます。

 

 商売人に道徳心があってこそ、金儲けが社会の発展や繁栄に貢献できると強調したのです。

 

 今の日本経済に目を移すと、大企業は過去最高の利益を上げつつ内部留保を溜め、従業員や投資家に十分に分配していません。

 

 これは渋沢流に解釈すれば、稼いだ利益を社会に還流させる公共的な意思、つまり仁に欠けているということになります。

 

 現下の状況を渋沢翁は雲の上で何と言っているのでしょうか。