団塊おんじ 人生100年時代を行く!

長く生きるかではなく、どう生きるかの試行錯誤録

義母が終末期を迎えようとしています

 特別養護老人ホームにお世話になっていた義母が入院しました。

 

 肺炎の疑いがあるということで病院に連れて行ったのですが、検査をした結果、股関節まわりの骨を骨折していることがわかりました。

 

 整形外科の先生は、手術を勧めてきます。

 

 しかし高齢の義母が大きな手術に耐えられるのか心配です。

 

 知り合いの医療関係者の何人かに状況を説明して意見を聴いてみたのですが、高齢で全身麻酔をしてまでの手術は負担が大きいとの意見が多かったのです。

 

 皆で熟慮を重ね、手術は断わることにしました。

 

 幸い肺炎の容態は落ち着いてきています、しかし骨折したままの状態では、肺炎が収まったとしても施設に戻れることはできなくなるかもしれません。

                                Bessiさんによるpixabayからの画像

 一縷の望みを持ちながら一週間ほど時が流れたある日、主治医でもある院長先生から話を聞く機会がおとずれました。

 

 義母の容態は落ち着いてはいるものの、完治をして再び施設に戻れる望みはないとの返答でした。

 

 義母の娘である妻と義妹の二人は、施設に戻るという選択肢を絶たれたことで、今後の方針が立てやすくなりスッキリしたようです。

 

 肺炎の症状が落ち着いてくると、療養病棟に移されます。

 

 ただ二か月を過ぎると、この病院から別の病院に移らなければならないという問題が生じます。

 

 紹介される病院によっては、義母のケアを満足にしてもらえないという心配がでてきます。

 

 妻は義母が顆粒性認知症を発症した際にお世話になった家の近くの精神神経センターがよいのではと考えているようですが、妹は反対します。

 

 重度の精神病患者が療養している病棟に入れられる可能性があるので心配だといいます。

 

 義母はいまでも鼻に差し込んでいる酸素吸入の管や点滴の針を手で外してしまうので、予防のために手を縛られています。

 

 そのため両腕がうっ血していて、痛々しい姿をみるとかわいそうです。

 

 日に日に反応も鈍くなり、妻が耳元で大きな声で呼びかけるのですが、徐々に何も答えないことが多くなってきています。

 

 

 

そろそろやめてもいいかな

 年を重ねるごとに、これまでずっと続けてきたことが億劫になることがあります。

 

 生活面では掃除や買い物は以前からなるべく減らすようにしてきました。

 

 お風呂の掃除は、一時2日に一度にして、風呂水を半分入れ替えることで凌ごうとしましたが、やはり雑菌が気になり、毎日掃除をするよう戻したことがあります。

 

 その他日常の営みのなかで億劫に思えることは、なるべく手抜きができないかと考えています。

 

 そんななかでも一番億劫に感じ始めたのは“人付き合い”でしょうか。

 

 誘ってもらえるうちがハナだと思い、人付き合い・友達付き合いもできるだけ続けてきましたが、そろそろいいかなと思い始めました。

 

 誘いにのって出かけていくと、それなりに気分転換にもなり、楽しく過ごせるのですが、帰り道でどっと疲れが出てしまいます。

 

 若い頃には、一日みっちり仕事をして、夕方から職場の仲間と飲みに出かけて気勢を上げた後、終電車で家路につき、翌朝は眠い目をこすりながら仕事に出かけるという生活を続けても平気なものでした。

 

 時の移ろいを身に染みて感じています。

 

 そんな折、家に帰る時にエレベーターに乗ろうとしたら隣の家のご主人と一緒になりました。

 

 彼は私より数歳年上で、60歳定年を機に仕事に就かずにこれまでを過ごしてきました。

 

 息子が小学校時代に野球をやっていて、その際にコーチをかって出て、以来今日まで毎週日曜日に野球に出かけているようです、

 

 日曜日の朝、玄関口で会うと「いい年をして、いつまでも野球を続けていて、皆の足手まといになっています」などと謙遜しながら出かけていきます。

 

 その日も野球の帰り道らしく野球の制服を着ていました。

 

 「最近では昔の職場の仲間との親睦のゴルフの誘いもめっきり減ってきて、寂しいかぎりです」とぽつりと話します。

 

 自分が意図しない中で、人付き合いが減っていくというのも、ちょっと寂しさを感じるのかもしれません。

 

ほどほどに人付き合いを残すのも必要なのでしょうか。

 

 

コロナウィルス感染はいまだに脅威です

 

 父がショートステイでお世話になっている施設から電話が入りました。

 

 今朝から微熱が出ているとのこと。

 

 現在は37度なので、もう少し様子をみて、さらに上がって37度5分を超えたら病院に連れていって欲しいとのことでした。

 

 それから1時間がすぎたころ再び電話が入ります、37度5分を超えているので迎えに来てくれと言います。

 

 時はすでに夕方の6時を回っていますが、私は離れた場所にいますので、こんな時は近くに住む弟に動いてもらうことになっていますが、仕事に出ているらしく連絡が取れないといいます。

 

 仕方がないので、一晩留め置いてもらい、弟の帰りを待って明日病院に連れて行ってくれるよう連絡することにします。

 

 翌日連絡があり、コロナの陽性反応が出たとのこと、そうなればショートステイの施設には戻れなくなります。

 

 弟と話し合い一週間ほど弟夫婦に実家に泊まり込んでもらい、父の面倒を見てもらうことになりました。

 

                       homecare119さんによるpixabayからの画像

 

 翌々日に連絡してみると、弟が熱を出してしまったとのこと、病院に行くとコロナ感染が確認されたと宣告されたようです。

 

 父に続いて弟までが感染してしまい、弟の奥さんに移らなければよいがと心配になります。

 

 その後、父は順調に回復に向かっていきましたが、弟は熱と咳に悩まされる状態が続いていると言います。

 

そんな状況の中、元気を取り戻した父は、時間を持て余し気味のようで、我が家に電話をかけてきて、いろいろ不満をぶつけてきます。

 

私達が行ったときには、妻が父の身の回りの世話を細々としてあげているのですが、弟は寝込んでいますし、弟の奥さんは買い物か何か用事があるらしく、出かけたきり戻ってこないと言うのです。

 

昔は温厚な性格で、滅多に感情を露わにすることがなかった父が、最近では細かいことでよく怒り出します。再びショートステイに戻れる日まで何とか無事に過ごしてほしいものです。

 

 いま若い人達は街中でほとんどマスクをつけていませんが、高齢者施設ではマスク着用は必須です。

 

 感染者が出ると、施設の中では緊張が走ります。

 

 まだまだコロナウィルスとの闘いは続きます。

 

2地域居住を勧められてもね~?

 新人議員15人に10万円を配ったとして、野党のみならず与党自民党内からも批判にさらされている石破総理、今後の政権運営に暗雲が立ち込めています。

 

 石破首相は、遅々として進まなかった地方創生への取り組みを率直に反省し、そのうえで「楽しい地方」を作り出すといいます。

 

 今年の年明けには「令和の日本列島改造」構想も打ち上げました。

 

 具体化に向けた看板政策の一つが「2地域居住」です。

 

 東京など都市部に住みながら地方にも生活拠点を置く暮らし方を指します。

 

 最近、“関係人口”などという言葉をよく聞くようになりましたが、2地域居住というのは、その範疇に入るのでしょう。

 

 私自身も定期的に実家を行き来していますから、もしかすると2地域居住という分類に属するのかもしれません。

                    andrea candrajaさんによるpixabayからの画像

 

 ショートステイ生活をしている父を、月に一度のペースで迎えに行き、1~2日実家で過ごしたのち、またショートステイの施設に送り届けるという生活を繰り返しているのです。

 

 実家の近辺には小中学校時代の同級生も何人もいますから、時には会って旧交を温めたいのですが、いつも父の世話や施設にお世話になっている母に面会するなどで時間が過ぎ、そそくさと帰って来てしまいます。

 

 同級生に会って、いま故郷でおきている様々な出来事を聞いたりすれば、より関心も深まるのかもしれません。

 

 十数年も前ですが、中学校の同窓会に出席したことがありました。

 

 当時は恩師もまだご存命で、何人かの恩師を招き、ホテルで宴会を開き、おおいに盛り上がりました。

 

 大半の同窓生は故郷を離れ、全国あちらこちらに職住を構えていましたが、三分の一程度は実家を継いで故郷に住んでいます。

 

 一時は山の好きな同級生に誘われて、あちこちの山に登ったことがあります。

 

 私はそのうち山登りに参加しなくなってしまいましたが、彼らはいまでも山登りを続けているようです。

 

 今は介護施設にお世話になっている、親に会いに行くのが専らの帰省の目的ですが、ゆくゆくは実家の管理のために、ちょくちょく通うことになるのでしょう。

 

 その頃には、同級生と旧交を温める機会が増えるでしょうから、2地域居住の目的を見出だしているかもしれません。

 

 

白内障の手術をうけました

 

 私は、生来視力はよい方でした。

 

 30代を迎えるころまで、目に関してはあまり不自由を感じませんでした。

 

 40代半ばになって、休みの日にショッピングがてら、大型商業施設を散策しているときに、ふと目に留まったメガネ屋さんで、メガネを手にとって試しにかけてみると、10メートルほど先の光景がはっきりと見えるのに驚きました。

 

 知らず知らずのうちに、目の衰えは進んでいたのです。

 

 その後、検眼をしてもらいメガネを作ったのが初メガネでした。

 

 今日に至るまで、何度かメガネは作り替えたものの、眼科に駆け込むようなことはありませんでした。

 

 しかしついに目の渇きを感じたことから、3~4年前に眼科を訪ねて“ドライアイ”と診断されました。

 

 「まばたきの回数が少ないことが原因です」とのこと。

 

 点眼薬を処方され、しばらくつけ続けましたが、眼科に行くのが面倒になり、市販の目薬でお茶を濁しながら今日に至っています。

 

 その後日常生活に支障を感じないこともあり、生活を続けてきましたが、私が運転をしている際に、妻から「まわりが見えてない」と再三注意を受けるようになりました。

 

 自分ではあまり自覚はないので、聞き流してきましたが、今年は免許の更新があり、視力検査にチェックが入ってはまずいと思い、眼科に相談に行きました。

 

 「年齢的にもそろそろ白内障の手術を受けた方がよいのかもしれませんね、その気があるのなら、紹介状を書きます」との眼科医の話があり、思い切って手術を受ける決断をしました。

 近くにある総合病院を紹介され、様々な検査をした後、一か月後に手術となりました。

 

 右の目を手術して、その一週間後に左目の手術を受けましたが、2~3日すると遠くの景色がはっきり、そしてくっきり見えるようになりました。

 

 いまは日に4回の点眼を義務付けられた生活ですが、運転には全く支障はないようです。

 

 そんな折、以前に白内障の手術を受けたことのある友人から電話がありました、友人曰く「よく見えるようになると、家の中のあちこちの汚れや塵が見えるようになり、自分はこんな汚い所に住んでいたんだと、愕然とした覚えがあるよ」

 

 なるほど、何でもよく見えるのも、考えものなのかもしれません。

 

お寺から請求書が届きました

 

 父がショートステイ生活を始めるようになり、実家の様々な事務処理を肩代わりせざるを得なくなりました。

 

 地域の自治会とのお付き合いは、近所の方に事情を話してストップさせてもらっています。

 

 税金や光熱費の支払いは、ほとんどが父の口座からの引き落としになっているので、時々通帳をチェックするだけで済むので助かります。

 

 先日、実家のお墓のあるお寺の住職から電話がきました。

 

 父が施設にお世話になっているのを聞きつけて、近所のお寺関係のとりまとめをしている方から連絡先を聞いて連絡してきたのです。

                bessiさんによるpixabayからの画像

 毎年、年の初めにお墓の管理費とお花代を各家から徴収していて、その支払いをどうするかと持ち掛けられました。

 

 父に代わって私が支払いをするので、振り込みでよいかと尋ねると、後ほど書類を送るとのこと。

 

 私の実家同様、空き家状態の家が増えているようです。

 

 私はこれまでお寺さんとの付き合いが、全くと言っていいほどありませんでしたから、住職の顔もわかりません。

 

 しかしそう遠くない先に、頻繁にお世話になることが出てくるのでしょう。

 

 しばらくして、お寺からお札と振込先が記された書類が届きました。

 

 お寺の1年間の様々な行事予定の記されたパンフレットも入っています。

 

 涅槃会(ねはんえ)2月15日 …お釈迦様が亡くなられた聖日

 彼岸会(ひがんえ)春秋2回

 灌仏会(かんぶつえ)4月8日 …花まつり、お釈迦様の御誕生を祝う祝日

 盂蘭盆会(うらぼんえ)7月13日~16日 …お盆、先祖の霊を迎え、

その冥福を祈る行事

 成道会(じょうどうえ)12月8日 …お釈迦様が正覚(さとり)を得られた日

 

 このような、仏教の主要行事が記されています。

 

 実家のお墓は、両親がまだ若い頃にきれいに整備された場所に移されました。

 

最近では、節目節目に墓掃除に行くようにはしていますが、夏場などは雑草が生えて、取り除くのに一苦労です。

 

 ただお墓の裏山から引かれた山水が豊富に湧き出ていますので、墓石を洗ったりするのに水の不便はありません。

 

 そういえば、昨年のお盆の時にお墓の手入れをして以来、しばらくお墓の様子を見に行っていません。

 

 このところの寒波により、お墓も雪に埋もれてしまっていることでしょう。

 

 春になったら、お墓を訪れようと思っています。

 

人は500歳まで生きられる!?

 先日外出から帰って、ついていたテレビの画面をみると、報道番組に山中伸弥さんがゲストで出ていました。

 

 もう終わりかけの時刻で、最後に山中さんが「もしかしたら人間は500歳まで生きられるのかもしれません」という言葉を発していて、まわりの番組スタッフが驚きの声をあげています。

 

 500歳はともかくとして、山中教授らによる「山中因子」の発見をきっかけとして、老化した身体の「若返り」を追及する試みが世界中でなされているといいます。

 

 15,6年前、京都大学の研究チームが驚くべき発見をしました。

 皮膚細胞にわずか4種類のタンパク質を加えて2週間ほど置くと、細胞の一部が予想もしなかった驚くべき変化を遂げました。

 

 若返ったのです。

 

これらの細胞は、生命の旅を歩み始めたばかりの数日齢の胚と同一に近い、幹細胞へと変化したのです。

 

 研究者たちはこの手法を用いることで、少なくともシャーレ内では、101歳の老人から採取した枯れ果てた皮膚細胞を、全く老化していなかったかのように若返らせることができたのです。

 

 その後、この細胞リプログラミングの研究や実験が10年以上にわたり繰り返されてきました。

 

 いくつかのバイオテック企業や研究機関は、このプロセスこそ若返りへの画期的な新テクノロジーを切り開く糸口になるものだと主張しています。

 

 科学者たちが言うには、実験動物に一定量のリプログラム化タンパク質を投与することによって、その動物、あるいは少なくとも臓器の一部が若返るという証拠が得られつつあるといいます。

 

 同じ画面を見ていた妻がポツリと「私はそんなに長く生きたくないなぁ…」と漏らします。

 

 確かに健康を損なった状態で長生きをしても、本人は勿論のこと、周囲がたまったものではありません。

 

 妻のつぶやきを察してか(?)、山中教授は番組最後に「私たちは、寿命をやみくもに伸ばすことを目指すのではなく、健康寿命に着目して研究を続けていきます」と一言添えていました。