新一万円札が出回りだして、一万円札にあまり縁のない私も、最近やっとお目にかかる機会が増えてきました。
新一万円札の顔は渋沢栄一翁です。
いうまでもなく明治以降の近代日本の経済の礎を築くうえで大きな貢献をした実業家です。
著者に「論語と算盤」があります。
今メジャーリーグで大活躍の大谷翔平選手は、この「論語と算盤」の読者だったことを知り、興味を持ちました。
彼は高校時代からマンダラートという目標を達成するための発想を図式化した表をつくっていました。
9×9のマスで構成されているマンダラートの真ん中に目標を置きますが、高校一年生の大谷翔平は「ドラフト1位8球団」と書いています。
それから、その目標を達成するための8つの要素が囲んでいます。例えば「スピード160キロを出す」です。そして、その要素が目標となり、それを達成するために必要な8つの要素で囲みます。例えば「腰回りを鍛える」です。
大谷選手は日ハムに入団した後もマンダラートを使用していました。
すでにプロの野球選手になっていましたので、マンダラートの真ん中の目標が変わっていました。
「大リーグを目指す」です。
そして、その目標を達成する8つの要素の一つであった「人間性」を達成する要素のマスの中に書いていたのが「論語と算盤を読む」だったそうです。
論語は儒教を、算盤は商売を意味しています。
この両者は、元来相性が悪いとされてきました。
金儲けを目的とする商売は、卑しい行為であると儒教は批判してきました。
かのマックス・ウェーバーは、プロテスタントの倫理と倹約の精神が資本主義の発展の原動力であると主張し、儒教の国が経済発展することなど有り得ないと言い切っていました。
儒教の思想が足かせとなって停滞を続けた中国や韓国を尻目に、この学説をあっさりと覆したのが日本だったのです。
そしてその反証に貢献し、日本の経済思想に大きく影響したのがこの「論語と算盤」でした。
渋沢は、論語を辿りながら、孔子は富を追い求めるべきではないと言っているわけではなく、道理に基づかない方法での富の追及はいけないと言っているに過ぎず、道理に基づく富の追及は、むしろ正当化されるという論法を使って儒教を経済に引き寄せていきました。
渋沢は孔子の唱える「仁」を強調し、仁を商売人に求めました。
仁とは、現代的に言えば、社会的共通善、ないしは公共的な意思といった言葉に置き換えられます。
商売人に道徳心があってこそ、金儲けが社会の発展や繁栄に貢献できると強調したのです。
今の日本経済に目を移すと、大企業は過去最高の利益を上げつつ内部留保を溜め、従業員や投資家に十分に分配していません。
これは渋沢流に解釈すれば、稼いだ利益を社会に還流させる公共的な意思、つまり仁に欠けているということになります。
現下の状況を渋沢翁は雲の上で何と言っているのでしょうか。