団塊おんじ 人生100年時代を行く!

長く生きるかではなく、どう生きるかの試行錯誤録

春は好きな季節だったのに

 私は若い頃は花粉症とは全く無縁でした。

 

 職場の同僚に花粉症の人がいて、苦しそうに呼吸をしているのを見て、なぜ花粉ごときにそんなに反応するのかと不思議でした。

 

ある時、皆で旅行に行った時に、花粉症の同僚が「この先に杉林がある」と呟きました。

 

しばらく車を走らせると、はたして本当に杉林があった時には、こんなに敏感に感じるものなのか、などと妙に感心したことを思い出します。

 そんな私がこの年になって、スギ花粉に反応するようになりました。

 

 季節外れの温かさが続く昨日今日、気象予報の番組ではスギ花粉が本格的に飛散をはじめたと報じています。

 

 私の鼻は、すでにひと月ほど前から、敏感に花粉の飛散に反応して、朝起きると何度もくしゃみをしていました。

 

 これから大量の飛散がはじまるというのですから、どんな風になってしまうのかと脅威を感じています。

 

「雪解けと同時に積もる紙の山」……かつて協和発酵が募った花粉症川柳の一作品です。

 

 我が家も妻ともどもティッシュペーパーを朝から大量消費しています。

 

 妻は昔から花粉症に悩まされていましたから、早々と耳鼻科に行って薬を調達していますが、私は未だに「自分が花粉症であるはずがない」などと抵抗を続けていて、花粉症の薬は全く服用していません。

 

 ただ出かける時には、くしゃみに加えて鼻水が止まらなくなる時のために、いくつものポケットティッシュを用意するようにしています。

 

 いまや国民病ともいわれる花粉症ですので、私もようやく人並みの身体になってきたのでしょうか。

 

 様々な花々が芽吹き、春の気配を感じるこれからの時期は、私の大好きな季節なのですが、におい立つ花々の気配を受け止める本来の鼻の役割は、せめて維持したいものだと願うばかりです。

 

 昨日は“春一番”が吹きました、今朝も風が吹き荒れていますが、花粉をすべて吹き飛ばしてどこかに押しやってくれ~っと思っています。

 

 

妻の誕生日に娘たちが久々に全員集合

  この週末に妻の誕生日祝いに、長女と次女夫婦が我が家に集まりました。

 

 孫がいるので、次女夫婦とは頻繁に行ったり来たりしているのですが、長女は仕事が忙しいようで、なかなか顔を出しません。

 

 ただ気には留めてくれているようで、妻とは頻繁にラインで連絡を取り合っているようです。

 

 甥っ子(次女の子)とは、昨年6月の次女の結婚式以来会っていないので、久しぶりに会いたいといいます。

 

 妻も自分の誕生日なのに、皆が集まるということで妙に張り切っています。

 

 普段は長女の部屋だったところが物置代わりに使われているのですが、この間せっせとその部屋をきれいに片づけていました。

 

 孫は1歳と3か月になり、しっかり歩けるようになり、家中を歩き回ることになるので、危険なものは置けません。

 

 私も身の回りを片づけろと言われて、少しずつ整理しているのですが、なかなか進まず、孫が触りそうなものをきれいに拭き掃除をして、お茶を濁します。

 

 当日用意するものは、次女が仕切って分担を決めたようです。

 長女は以前から同棲生活を続けているのですが、何度か挨拶にきたいという話はあったものの双方のスケジュールが合わず実現していませんでした。

 

 今回の集まりが決まった後、長女のお相手の人が、妻の誕生会に是非参加したいと長女に言ってきたようです。

 

 妻とも話し合い、参加を歓迎する旨、妻から長女に伝えました。

 

 そうは言っても当日本当に来るのかどうか、妻は気を揉んでいたのですが、前日になって、長女から連れていくとの連絡があり、妻は料理や食器の追加に慌ただしく動き回ります。

 

 娘たちは、当日はそれぞれの分担の買い物を済ませ、近くの駅で待ち合わせて、夫さん(次女の夫)の車に同乗して、我が家にやってくる手筈になっています。

 

 当日になり、にぎやかに全員でやってきました。長女とお相手の男性は先に入って来て、挨拶をしてくれたのですが、続いて孫と次女夫婦が続いたので、あまり落ち着いて会話もできず、そのままなだれ込むように部屋に集まりました。

 

 狭いダイニングテーブル一杯に食事やお皿を並べ、和気あいあいと歓談し始める中で、長女のお相手も会話に入り、一生懸命溶け込もうとしています。

 

 我が家に来るまでの車の中で、ある程度次女夫婦といろいろな会話を交わしたらしく、どうやら夫さんと彼は同学年のようです。

 

 そのせいか次女夫婦が緩衝材の役割を果たしてくれて、うまく会話が弾みます。

 

 長女と彼だけが我が家にきていたら、こんなにスムーズに会話は進まなかったかもしれません。

 

 家中を駆けずり回る孫の相手をしようともしてくれています。

 

 彼とゆっくり会話はできませんでしたが、悪い人ではなさそうだなと一安心しました。

 

 

 

 

年明けに友の訃報が相次ぎました

  早いもので、年が明けて一か月が過ぎました。

 

 この1月は、二人の友の訃報を知ることになってしまいました。

 

 今はあまり出席していないのですが、いろいろな企業の人事部の関係者がメンバーになっている某研究会の幹事からメールが届きました。

 

 久し振りのメールなので、「何だろう?」と思って開けてみると、私が親しくしているAさんの訃報の知らせだったのです。

 

 ついこの間、年賀状のやりとりのなかで、「また一杯飲りましょう!」との力強い、手書きのメッセージーが添えられていたばかりです。

 

 あまり突然のことなので、さすがに衝撃を受けてしまいました。

 

 彼は昔、某自動車メーカーの人事部長だった方で、激務のため身体を壊し、しばらく療養した後、フリーに身を投じ、活躍していたのです。

 

 私が現役を引退した後は、年に2度ほど彼の行きつけの「おでん屋」で待ち合わせて、旧交を温める仲でした。

 

 最後に会ったのは昨年の春頃、いつも通り世間での出来事を、彼の持論に基づいて批評してくれました。

 

 偉ぶることのない、ざっくばらんな人柄で、一緒に飲んでいると時を忘れ過ごすことが出来ました。

 

 私がいずれそちらに行った時には、また一杯飲りましょう…合掌

           bessiさんによるpixabayからの画像

 そしてもう一人は、学生時代のゼミのマドンナ的存在だった友人です。

 

 先日、彼女のご主人の名前で葉書が届きました。

 

 今年は年賀状が届いていないな、などと思っていたところでした。

 

 胸騒ぎを覚えながら文面を覗くと、昨年5月に彼女が永眠したと書いてあります。

 

 この知らせにも大きなショックを覚えました。

 

 彼女は大学卒業後、数年間証券会社で働いていましたが、私の郷里に近いところに嫁いでいきました。

 

 その後、ゼミのOB会などで何度か会いましたが、専ら年賀状のやりとりだけでした。

 

 その文面には、必ず「ここはよい所なのだから、貴方も帰ってきたら」という一言が添えられていたものです。

 

 その地の自然がよほど気に入っていたのでしょう。

 

 花などを愛でるなどを表現した素敵な文章をいつも書き添えてくれました。

 

 彼女がこんなに早く逝くなんて、と以前もらった年賀状を見直しながら、しばし感傷に耽りました…合掌。

 

 

昔のテニス仲間が介護付き有料老人ホームに入る

  今回年賀状を送った昔のテニス仲間から電話が入りました。

 

 聞けば、昨年から介護付き有料老人ホームに入ったとのこと。

 

 あまりに突然のことなので、正直驚きました。

 

 彼に前回会ったのは数年前のことでした。

 

 その時も、年賀状を送ったあとの年明けに、返礼が出来なくて申し訳ないとの趣旨の電話が入り、実は今入院していると打ち明けてくれました。

 

 早速、同じテニス仲間だった学生時代からの友人を伴って、見舞いに行きました。

 

 内臓系の疾患で入院しているとのことでしたが、思ったより元気そうなので安心して帰ってきたのを思い出します。

 

 ただ気になったのは、奥さんとの関係がうまくいっていなくて、今は別居中だと知らされたことでした。

 

 そんな記憶を思い起こしながら、再び仲間と老人ホームを訪ねることにしました。

 再び、コロナウィルス感染が拡大していることもあって、事前にホームに連絡を入れ、面会の可否を確かめ、日時を伝えたうえでの訪問です。

 

 最寄りの駅で仲間と待ち合わせ、バスに乗り換えて老人ホームに向かいました。

 

 着くと入り口のガラス越しに友人が立って出迎えようとしている姿が見えました。

 

 思わずドアを開けて中に入ろうとしたのですが、開きません。

 

 受付のスタッフの方が、来訪者を確認したうえでドアの開閉を管理しているようです。

 

 友人は杖をついて出迎えてくれました。

 

 フロントの反対側に椅子が3脚置いてあり、そこに座るよう勧められます。

 

 外出許可を申請していて、部屋を見せてもらったあと、3人で外出する手筈になっています。

 

 金銭管理はすべて施設に任せられているようで、友人は出金の申請をしているようなので、おもわずそこまで足を運び、今日の出費はこちらで全部負担する旨を伝えます。

 

 友人の個室の部屋を見せてもらいました。

 

 こじんまりとした部屋は、衣装家具・テレビなど最低限のものしか置かれておらず、あとは本がぎっしりと並べられています。

 

 何もすることがないので、部屋では専ら読書にいそしんでいると、笑いながら話します。

 

 友人を連れ出して、近くの駅前まで移動し、昼食を一緒に摂るので大衆中華料理店を選んで入りました。

 

 普段供される食事は、病院食と同じで減塩を徹底しているので味気ないといいます。

 

 我々がビールを注文すると、自分も飲みたいといいます。

 

 昔はあれほどお酒を飲んでいたのですから、無理はありません。

 

 皆で野菜がたっぷり入った麺を食べ、店を出ましたが、まだ早いのでカラオケ店を見つけて、しばし時を過ごすことにしました。

 

 友人は全く選曲しようとはしませんでしたが、我々が懐かしい曲を選んで歌いながら、気分を盛り上げようとしました。

 

 昔のような元気はありませんでしたが、彼はそれなりに楽しかったようです。

 

 駅前からタクシーを拾い、施設まで送り、また会いにくることを告げて、その日は別れました。

 

 また時折訪ねて、元気づけようと思いました。

 

 

 

実家の風呂工事が始まります

  私の実家は、家を建てた時にお風呂場は作ったものの、近くに共同浴場があり、専らそこを利用しており、ほとんど家の風呂を利用したことがありませんでした。

 

 両親は“源泉かけ流し”のその共同浴場が気に入っていて、元気なうちは専ら共同浴場を利用していました。

 

 母は足が悪く、自力で歩いて共同浴場まで行けなくなってからも、父が車に乗せて連れて行き利用していました。

 

 デイサービスを利用するようになってからも、母はこの共同浴場を利用したがったものでした。

 

 しかしその母も昨年末に特養に入所しました。

 

 そして父も共同浴場を利用しなくなりました。

 元気だった父も共同浴場までの坂道を歩いて行くのが負担になったようなのです。

 

 もっと早く気づいてあげればよかったのですが、最近では専ら家の風呂場のシャワーで済ます生活をしていたのです。

 

 というのも、家の風呂は高齢の父親には深すぎて、足を上げて湯船に入ることができなかったようなのです。

 

 冬場になり、家でのシャワー生活は風邪をひく心配があります。

 

 そこで前回行った時に、業者を探して父でも入れる新しいユニットバスに交換してもらうことにしました。

 

 昨年末に自宅に来てもらい、現在の風呂場をみてもらいました、その後工事の見積りを出してもらい、年明けに工事着工という段取りを済ませておきました。

 

 最初は工事費用がもったいないなどと言っていた父も、完成図を見せると、はやく工事をしてほしいなどと、完成を待ち焦がれるようになりました。

 

 しかし年が明けてもなかなか連絡がこず、そろそろこちらから連絡をとってみようと思っていた矢先、昨日メールで連絡が入りました。

 

 1月最後の一週間で、完成までこぎ着ける予定とのこと、早速父に報告の電話を入れると、昨日のうちに挨拶を兼ねて訪問してくれたとのこと。

 

 シャワー生活から、ゆっくり湯船に浸かって身体を温める生活ができるよう、順調に工事がすすむことを願うばかりです。

 

 

年明けのこの一週間は、とても長く感じました

  今年の年明けの一週間は、いつになくとても長く感じた一週間でした。

 

 実家で新年を迎えた後、二人の子供達家族との新年の顔合わせ、仕事先への挨拶回りなど目まぐるしく動き回ったからかなとも思いましたが、やはり能登半島地震が起きたことが原因だと思っています。

 

 元日早々に、石川県能登半島を震源地とする大地震が発生し、それに伴う津波が各地に押し寄せるという大災害が発生してしまいました。

 

 その後も余震が頻発している様子がテレビで報じられるたびに、被災地の人達の不安な気持ちを想い、いたたまれない気持ちがこみ上げてきます。

           Bessiさんによるpixabayからの画像

 

 私は元日の日は実家におりましたが、地震発生時には、父を共同浴場まで車で送り、車を駐車場に入れようと運転席に座った時に、車が左右に揺れるのを感じ、何かあったなと直感しました。

 

 父を風呂に入れ、実家にもどると、妻が地震発生時に揺れとともに、家がミシミシと軋む音を聞き、慌てて家を飛び出したそうです。

 

 震源地から少し離れた地域にある私の実家でさえ、かなりの揺れを感じたのです。

 

 耐震補強工事をしていない実家は、いずれ大地震に襲われると倒壊してしまうかもしれないと不安を覚えました。

 

 そしてその後、日を追うごとに能登半島北部を中心に、深刻な被害の状況が明らかになりつつあります。

 

 しかし数日が過ぎた今も、崩れた家屋の下に埋もれた人が何人もいる可能性があります。

 

 そして今日からは寒波に襲われ、被災地もかなりの雪が降るとの予報が出ており益々心配が募ります。

 

 道路のほとんどが分断されて、被災地支援に支障が出ることもあり、一般の人達が支援のために近づくことを控えるように呼びかけられています。

 

 しかし必要な物資がいつまでも届かない地域に、歩いてでも物資を届けようとする若者たちが動き出しています。

 

 今年は東日本大震災や熊本地震の時を思い起こし、助け合いの動きを活発化させる動きが期待される年の始まりです。

 

 

 

 

おせち料理、作る?作らない?

 12月に入り、神社の煤払いのニュースなどがテレビから流れ、お正月を迎える準備が各地で着々と始まっているようです。

 

 我が家は母の特養への入所やらなりならで、慌ただしく時が流れるばかりで、お正月の準備等、何も手についていません。

 

 年賀状作成は、一昨年に“筆じまい”の案内を出しましたので、作業が随分楽になりました。

 

 おせち料理に関するアンケートの記事が、新聞紙面に載っていました。

 

 それによると、おせち料理を作らないと答えた人が、86%にのぼっています。

          RUSTU BOZKUSさんによるpixabayからの画像

 

 我が家は毎年暮れから年始にかけて、実家で過ごしているのですが、7~8年前から通販を利用した「おせち料理セット」を注文しています。

 

 どうせそんなに食べないだろうと思い、少人数用を注文していたのですが、昨年父が「もう少し豪華なおせち料理が食べたい」と言い出しました。

 

 仕方がないので、これまでより豪華なおせちを注文したのですが、母は固いものは食べられないといって、ほとんど手を付けず、豪華なおせちを希望した父も、それほど箸が進まず、結果、大量に余ってしまいました。

 

 今年はどうしようかと思案したのですが、老い先短い父の希望する正月イメージを壊したくないと思い、無駄を承知で、昨年同様のおせちを注文しています。

 

 余った分は、年明けに挨拶に来るであろう次女夫婦のために、持って帰ろうと思っています。

 

 食べても食べなくても、多少の華やかさを演出して、お正月気分を味合わせてあげようとの気持ちからです。

 

 実家の近くのホテルでは、この年末年始は予約でいっぱいのようです。

 

 手間暇かけておせち料理を作ったり、高いおせちセットを買い、家で正月を迎えるよりは、温泉に浸かり、ゆっくりと正月を迎えたいと思う人達が、この温泉地にも殺到するのでしょう。

 

 時代とともにお正月の過ごし方も、若い人達を中心に変化しています。