少子高齢化社会のなかで、何かと高齢者ばかりが優遇されすぎて、若い人たちが割を食っているとの不満の声を時折耳にします。
ここにきて少子化に歯止めがかからないことへの危機感か、子ども家庭庁などをつくり子育て世帯への応援施策も少しずつ動き始めました。
そのための財源に苦慮する政府は、高齢者にもこれまで以上の負担をしてもらおうとしているようです。
日本の人口の一大勢力である団塊の世代が、全員後期高齢者を迎える2025年がすぐそこに迫ってきた現在、巷では「老害」などという言葉があちこちで囁かれています。
高齢者の一員である私は、60歳定年当時、職場の後輩たちに迷惑をかけるのが嫌で、自由の身となることを選び、今日に至っています。
そして職場だけでなく、世間にも迷惑をかけているのだとすれば、さっさとこの世を引退してもよいと思うこともあります。
Hermann Traubさんによるpixabayからの画像
最近、生命科学の進展にあわせ、「老い」をテーマとする研究が増えています。
東京大学定量生命科学研究所の小林武彦教授は、「なぜヒトだけが老いるのか」との著書のなかで、シニアの存在について以下のように述べられています。
多くの動物たちが、生殖機能を失うと同時に寿命を迎えます。
つまり老いる前に死んでしまうのです。
ではなぜヒトはその後も生き続け、老いる(長寿化した)のでしょうか?
死は、生物の進化に欠かせない重要な要素です。要するに、「なぜ死ぬか」ではなく、「死んだもの(種)だけが生き残ってきた」のです。
そして老いは、ヒトの進化のプロセスにおいて、生き残るのに有利に働いたと小林教授は言います。
それを教授は「シニア」という概念で説明しています。
ヒトは家族を基本単位とした集団(コミュニティ、共同体)の中で進化し、その結束力を武器として、生き残ってきました。
また、ヒトのように日々進歩・発展する社会性の生き物には、本能だけで子育てはできません。
教育内容も常にバージョンアップが必要だからです。
そこでシニアによる教育が登場するのです。
技術や知識を蓄えた年長者(シニア)は、生殖機能を失っても、集団にとって不可欠な役割を与えられ、ヒトはシニアの助力によって生存してきたのです。
私も孫の世代に、自分なりに何かしてあげられることを探してみようかと思っています😊。