朝晩ぐっと過ごしやすく気持ちの良い季節になりました。
何も出かける用事のない日には、朝起きると、パソコンにしばし向かった後、ストレッチをしてから散歩に出かけます。
朝食を済ませてソファに身を預けているうちに、居眠りをしていることがしばしばあります。
最近、日中のちょっとした合間の居眠りを、愛おしいひと時と感じるようになりました。
Jose Antonio Albaさんによるpixabayからの画像
【達人たちの居眠り】
昔、いろいろな企業のトップ経営者に某リゾート地に集まってもらい、泊まり込みのセミナーを開いていたことがありました。
当時私は主催者側の責任者として、セミナーの進行に気を配っていました。
初日は緊張感もあるせいか、皆ゲストスピーカーの話に聞き入っています。
ところが、2日目、3日目になるにつれ、疲れも手伝って、講演中にあちこちで居眠りが始まるのです。
そんな様子に主催者側の私達はハラハラしながら状況を見守るしかありませんでした。
ところが講演も佳境に入って、「ここ大事!」というポイントに差し掛かると、ガバッと目を見開き、食い入るように熱心に聞き出します。
そんな様子をみて、眠っているように見えて、講演の展開を読みながら体を休めているのだろうと感心することしきりだったことを思い出します。
人生の達人ともいえる有能な経営者ともなれば、忙しい合間を縫って脳と身体を休める術も心得ているのでしょう。
【春眠暁を覚えず】
春の眠りに関して「春眠暁を覚えず」という漢詩の有名な一節があります。
「春はぐっすり眠れるものだから、夜が明けたのに気付かず寝坊してしまう」といった意味です。
『春暁(しゅんぎょう)』という題のついた漢詩の冒頭の句で、原文は「春眠不覚暁」です。
「春はぐっすり眠れるものだから、夜が明けたのに気づかず寝過ごしてしまった。あちらこちらから鳥の鳴き声が聞こえる。昨晩は、風や雨の音がしていたが、花はどれくらい落ちてしまっただろう」という現代語訳になります。
作者は「孟浩然(もう こうねん)」という中国唐代の詩人です。
出世欲がなく、各地を放浪しながら歌を詠んだ人のようです。
彼の生きた古代中国の役人は朝が早く、厳しい規律に縛られていました。
そのような世俗の生活を揶揄して詠んだ歌なのかもしれません。
そういえば私の父は、私が子供の頃に「世の中に寝るほど楽はなかりけり、浮世のバカは起きて働く」などとうそぶきながら寝室に向かったのを思い出しました。
居眠りや良質な睡眠時間をとり、適度に脳をリフレッシュさせながら生活したいものです。