団塊おんじ 人生100年時代を行く!

長く生きるかではなく、どう生きるかの試行錯誤録

嫌われることは恐いことなのか

 アメリカプロ野球大リーグで偉大な足跡を残したイチローさんは、昔なりたかった職業は、学校の先生だったそうです。

 

 いまイチローさんが教壇にたって、幅広い年代の人たちの悩みにこたえる「教えてイチロー先生」という企画が話題になっています。。

 

 その授業のなかで、若い男性が「イチロー先生は、他人から嫌われるのは怖くないですか?」という質問をぶつけます。

 

 すると「僕は人から嫌われるのは大好きです」とイチロー先生が答えて、生徒側から驚きの声があがります。

 

 続けて答えます「その人たちが僕を嫌っているということは、その人達の僕に対しぶつけるエネルギーが半端ないでしょ」

 

「興味がないことが、僕にとっては一番つらい、無関心というのももっとつらい」

 

「だから、大嫌いと言われたらゾクゾクします」

 

 このやりとりをみて、自分を厳しく磨き上げてきたイチロー先生ならではの答えだと考えさせられました。

 

 私のような年齢になれば、もはや人に嫌われていようがいまいが、そんなことには関心がなく、どうでもよいとおもってしまうのですが…😊。

 

しかし質問をした若い男性のように、嫌われているかどうかということに、過度に敏感になってしまう日本人は多いのだろうと思います。

 

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   CouleurさんによるPixabayからの画像

 

 もう30年以上も前ですが、「まる文字」という言葉が話題になりました。

 

 当時の若者は、角のない丸いやさしい文字を書く傾向があったのです。

 

 これは今でもその傾向があるようなのですが…。

 

 当時ある文化人類学者が、丸文字を書くのは、「誰にも嫌われたくない」という気持ちが、この丸文字に表れているといったのを記憶しています。

 

「角をたてたくない」という気持ちが、書く文字に表れるということなのでしょうか。

 

 嫌われず、好きになってもらいたいのは誰もが願望することかもしれません。

 

 第61代から63代の3期にわたって内閣総理大臣を務め、1974年にノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作氏は、その鉄面皮の顔つきから近寄りがたい存在と思われているのを気にしていたらしく、晩年の総理時代に「私も栄ちゃんと呼ばれたい」とマスコミに漏らしたことは有名な話です。

 

 今回の自粛の期間中に、星野源のステイホーム動画に、家で寛いでいる動画を投稿したのはよいのですが、評判は冷ややかだったようです。

 

 権力を握った宰相であっても、好かれたいという本音が時折垣間見えてきます。

 

 心理学者のアドラーは、「人から嫌われたとしても、それは自分ではコントロールできないことなのだから、あるがままに認めましょう」といっています。

 

みんなに好かれている、というのは幻想です。

 

同じように、みんなから嫌われているというのも妄想にすぎません。

 

だから、好かれることに執着しなくても大丈夫です。

 

自分に好意を持ってくれる人もいれば、嫌う人もいるというだけのことなのです。

 

 冒頭で例に挙げたイチローさんのように、一つの道を究めていくことのできる人たちは、人に好かれる・嫌われるという物差しには関心がない人が多いのかもしれません。