私は学生の頃、夜更かしをして深夜にFM東京の「ジェットストリーム」をよく聞いていました。城達也さんが低音で「夜間飛行のお供をするパイロットは城達也です」と語りかけるナレーションが好きでした。
日本航空がスポンサーの番組で、夜の上空を飛ぶジェット機の中にいるような気分を味わえたものでした。
深夜零時にはじまる番組ですから、イージーリスニング系の曲を中心に流されます。
中でも私はアルフレッド・ハウゼの「碧空(あおぞら)」が好きでした。
コンチネンタルタンゴの名曲ですが、最初にこの曲を聴いた時には感動すら覚えたものです。
先日「タンゴを聴く会」の案内をもらったので、出かけてみました。講師は昭和8年生まれといいますから85歳です。日本のタンゴ界の重鎮のようです。
タンゴというと高尚な部類の音楽とばかり思っていたのですが、アルゼンチンで生まれた最初の頃は実はそうではなかったようです。
タンゴは1870~80年ごろ、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで誕生しました。
当時のブエノスアイレスは、スペインを中心とするヨーロッパからの移民を盛んに受け入れるようになり、大いなる発展の時期を迎えていました。
そのような中で、港近くのラ・ボカ地区は船乗り、港湾労働者、移民などが夜になると集まる安酒場や娼婦館が立ち並び、やくざ者や職にあぶれた者たちがたむろする町になっていました。
彼らが世の中の憂さを晴らすために踊り歌っていた音楽が、タンゴの原型でした。
演奏されていたのは、ごった煮のような音楽でギターやフルート、クラリネット、バイオリンといった楽器を持った流しの楽団が集まり、歌や踊りの伴奏をしていました。
日本の江戸時代初期と同じで、極端な男だらけの社会でしたから、踊る際には男同士が手を組んで踊っていたようです😊。
そんな状況でしたから、一般市民からはタンゴは白い目で見られていたようです。
それから時が過ぎ、少しずつ洗練されていったアルゼンチンタンゴは、海を渡ってパリで披露されると、パリっ子から大人気となりました。
するとアルゼンチンの一般市民からも注目を集めだしたという歴史があるようです。
その後、ヨーロッパで発展していくのが「コンチネンタルタンゴ」です。
私の好きなアルフレッド・ハウゼ楽団はドイツの楽団です😊。