団塊おんじ 人生100年時代を行く!

長く生きるかではなく、どう生きるかの試行錯誤録

胸にしみる常套句

 SNSを介して、あふれるような量の言葉が瞬時に届けられる時代になりました。

 

 私は頻繁にメールなどでやりとりするのが億劫で、あまり利用してはいませんが、妻は職場の仲間などとよくやりとりしています。

 

 そのやりとりを傍で見ていて、情報ネットワークの広さは女性には敵わないとつくづく実感しています。

 

 妻の職場は、日・時間帯により働く人の出入りが多く、一週間に一度くらいしか顔を合わせない人もいるようです。

 

 先日、妻から相談されました。

 

 しばらく会っていない職場仲間が、体調を崩して休みが続いていて、気になっていました。

 

 そこに情報通の仲間から「経過がどうも芳しくないようだ」と知らされたそうです。

 

 それを知らされた妻は、「知った以上、連絡してみた方がいいのかな?」と迷っています。

 

 どの程度親しい関係なのかも分からないし、その方が今どんな心情でいるのかもわかりませんから、連絡するのは慎重にした方がいいと答えました。

 

 心配してくれるのは有難いが、場合によっては、今はそっとしておいて欲しいという気持ちでいるかもしれないからです。

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    Couleur5さんによるPixabayからの画像

 

 先日、ノンフィクション作家・与那原恵さんが、「胸にしみる常套句」と題してコラムに書いておられたのを読んで、考えさせられました。

 

「一昨年秋、私は27年来の親友を亡くした。仕事も遊びも一緒に楽しんだ彼は、急性白血病と診断され2年闘病した。

 

 その最後の日々、私は病室で彼の妻子とともに奇跡的な回復を祈ることしかできず、悪化する病状を周囲に知らせる気力もなかった。

 

 彼や私の友人の大半は状況を推し量ってくれ、メールやLINEを送るのを控え、ただ静かに見守ってくれたことがありがたかった。

 

 親友が世を去ったことを受け入れられないまま、葬儀を終えた。

 

 ほどなく、知人から「前に向かって進みましょう」というメールがあった。

 

 私には、この文面が残酷に感じてならなかった。

 

 亡き親友と私との歳月をよく知るその人は、私をよく知るその人は、私を励ましたかったのだと思う。

 

 けれど、こんな時には慎重に言葉を選んでほしかったし、気持ちをうまく伝えられないのなら、ふさわしい言葉が見つかるまで待ってほしかった。

 

 しばらくして別の人から封書が届き、「ご心痛お察しするばかりです」とあった。

 

 常套句(じょうとうく)ではあるけれど、手書きの文字が胸にしみ、いま私は心が痛い、そうつぶやきながら文字をなぞった。」

                  (以上、与那原恵さんのコラムより)

 

 今は、手紙を書くまでもなく、SNSで簡単に文字を送ることができますが、時には言葉の重みを再認識する必要があるなと思っている次第です。