団塊おんじ 人生100年時代を行く!

長く生きるかではなく、どう生きるかの試行錯誤録

あと何回桜を見ることができるのだろう

「梅は咲いたか、桜はまだかいな」という江戸端唄・小唄の有名な一節がありますが、今はまさにそんな桜の開花が待ち遠しい時期になりました。

 

 桜の開花を待ち焦がれるこの季節は、1年のなかでも最も好きな季節です。

 

10年以上も前から、毎年花見に自宅に呼んでくれている友人がいます。

 

この時期になると、張り切ってパーティーの企画を考えてくれて、何やかや連絡をくれます。

 

しかし、昨年から様相が一変、昨年の今頃は「いったい何が起きているのだろう?」と事態を理解できぬまま、友人は開花にあわせたパーティーの開催にこだわっていました。

 

 そして事態の深刻さを受け入れ、やむなく断念。

 

 しかし年に一度の集まりにこだわり、新緑の季節に集まろうとなったのですが、緊急事態宣言に入り、それも諦めざるを得ませんでした。

 

 今年も花見パーティーの開催は無理な状況となり、友人からの連絡も途絶えてしまいました。

 

 来年、コロナが収束した後、桜を見ながら、2年間の積もり積もった話をしたいものだと思っています。

f:id:dslownin:20210223100837j:plain

  CouleurさんによるPixabayからの画像

 

【あと何回桜を見ることができるのだろう】

 

 数年前、友人とトレッキングを兼ねて桜を見に行った時のこと、足下を見ながら山を登っていると、突然、大きなヤマザクラの木に出会いました。

 

 青空を背景に真っ白に咲き誇っているヤマザクラの姿に、友人と私は言葉を忘れて、しばし見とれていました。

 

 しばらくして、友人が桜を見ながら、「死ぬまでにあと何回、桜をみることができるのかなぁ…」とつぶやきました。

 

 その友人は、病み上がりの身だったのですが、健康を取り戻したのを機に、私が誘い出したトレッキングだったのです。

 

 若い時、あれほど元気だった友人でしたが、病の最中、齢を重ねてしまったことをつくづく感じたのだろうと思います。

 

 その友人とも、それ以来会っていないのですが、毎年桜が咲く時期になると、あの時の友人のつぶやきを思い出しながら、桜を見上げています。