団塊おんじ 人生100年時代を行く!

長く生きるかではなく、どう生きるかの試行錯誤録

残された時間はごくわずかとなりました

「年をとるにつれて、われわれは、時間の価値について、感覚を鋭くする。実際、ほかの何ものも、重要でないと思われる。そしてわれわれは『時間のけちん坊』になる」

19世紀に活躍した英国の作家、ウィリアム・ヘイズリットが残した格言です。

 

 差しさわりなく日常生活を送れる健康寿命は現在、男性で73歳、女性で75歳だそうです。

 

 いままで考えもしなかったのですが、私の健康寿命はもうほんのわずかしか残されていないことに最近気づかされました。

 

 これからは、いままで出来て当然だったことが、成し遂げるまでにしんどい思いをすることがだんだん増えていくことでしょう。

                              Fote-Rabeさんによるpixabayからの画像

 

 ここ3~4年は、コロナによる行動制限によって、旅行などの遠出の外出は控えてきました。

 

 昔から旅好きだった私は、現役の頃には行きたくても時間が取れないまま先延ばししていた旅行プランがいくつもありました。

 

 定年を迎えると、それらの旅行プランを次々と実行に移してきました。

 

 当時妻は「私はどこにも行ったことがないので、どこに連れて行ってもらっても新鮮だわ」などと言っていましたが、今ではテレビの旅番組などを見ていても「あそこに行った時はこうだった」などといっぱしの旅行通のようなコメントをするまでになりました。

 

 コロナ自粛期間が終わり、旅行の再開をしようとしているのですが、以前のように身軽に腰を上げる気にはすぐにはなれません。

 

 先立つもの(旅行資金)の関係もありますが、コロナ禍の3年の間に気力が衰えてきているのかもなどと思ってしまいます。

 

 旅行だけでなく、死ぬまでにやりたかったことのどのくらいが実現するのでしょうか。

 

 そんなことを考えているうちに,最高の人生の見つけ方」という映画を思い出しました。

 

 最高の人生の見つけ仕事に人生をささげた大富豪エドワード(ジャック・ニコルソン)と、家族のために地道に働いてきたカーター(モーガン・フリーマン)は、入院先の病室で知り合います。共に余命は6か月。やりたいことをすべてやり尽くそうと決意し、無謀にも病院を脱出すると、“やりたいことリスト”を手に、さまざまなことに挑戦します…。

 

 この映画は何度もテレビなどでも放映されましたから、ご存知の方も多いと思いますが、金にものを言わしたとは言え、やりたいことに次々と挑んでいく二人を見ていると、最高の人生を見つけるには、やはり行動に移さないと見えてこないのだな、と感じたものでした。

 

 

人間関係の希薄化を食い止めよう

 人間関係が希薄になった時代といわれるようになって、随分時が経ったような気がします。

 

NHK放送文化研究所が1973年から5年ごとに実施している「日本人の意識」調査によれば、「親戚」や「職場」、「近隣」との付き合い方は、「全面的つきあい」が望ましいという人が減り、「形式的つきあい」がよいと考える人が増えているという結果が出ています。

 

 また、ここ3~4年のコロナ禍で、非接触型の人との関わり方を強いられたことが、その傾向を一層助長したのではないでしょうか。

 

 遡ること12年前、東日本大震災が起きた後には、身近な人との繋がりの大切さや、皆で助け合うことの重要性を、ほとんどの人達が強く感じた時期がありました。

 

 未曽有の危機に直面すると、肩よせあって身を守り、協力しあう必要性に迫られるからなのでしょう。

 

 しかし時が過ぎ、平穏な日常を取り戻すと、繋がりの大切さが忘れ去られてしまいがちです。

 

 孤立に至らなくても、人とのつながりにくさを感じる人は多いのではないでしょうか。

          Dim Houさんによるpixabayからの画像

 

 ここ数年、人と親しくなるハードルは上がっているなと感じます。コロナ禍で人と直接会うのを極端に減らしたあと、交流は完全には戻っていません。

 

 タイムパフォーマンス(時間対効果)という言葉を耳にするようになってからは、他人に時間を使わせることに以前より慎重になり、人を雑談やお茶に誘うのを躊躇うことがあります。

 

 先日、旧友から残暑見舞いを兼ねて近況を知らせるメールが届きましたが、こんな形でつながりを復活させるのもよい方法かもしれません。

 

 最近では、孤立する人への支援や助け合いの仕組みをつくることの重要性が叫ばれるようになりましたが、必要とするつながりを得られずに孤立する人に、周りはどうつながればよいのでしょうか。

 

 自分にできることはあるのだろうか、などと思い巡らせるのも、この時代のつながり方かもしれません。

 

 

 

きれいにするより“居心地優先”だったのですが…

次女が結婚する前、一緒に暮らしていた頃は、週末になると次女から、私の机の周りの書類や荷物を全部どかすよう指示が飛び、盛大な音を立てて掃除機をかけてくれたものです。

 

 次女は掃除機をかける前には、必ずゴミをきれいに取り除いて掃除機を動かし始めます。

 

 そしてかけ終わると、「今日はこんなにゴミがとれた」とわざわざ見せに来ます。

 

 たくさんのゴミが掃除機に吸い込まれたことに、快感を見出していたようです。

                                               Dim Houさんによるpixabayからの画像

 

  次女が結婚して家を出た後は、妻は私の居場所までは掃除機をかけることはしませんので、私の居場所はほったらかされています。

 

 私自らはめったに掃除機をかけることはありません。

 

 目立つゴミがあれば、手でつまんでゴミ箱に捨てています。

 

 ほどよく自分のものが回りに配置され、ほとんどのものが、手が届く距離にあるほうが落ち着くのです。

 

 妻は、10カ月になる孫が遊びに来た時に、これでは危ないから片付けろ、と再三忠告してきます。

 

 実際、次女夫婦が先日孫を連れてやってきましたが、私の砦には近づけさせず、別の部屋で遊ばせました。

 

 しかし、今は歩けるようになる一歩手前なので、大人たちが孫の移動をコントロールできていますが、もう少しして歩けるようになると、周りの目をかいくぐって、私の砦に歩いてやってくるに違いありません。

 

 そんな近い将来を見据えて、妻の言う通りに危ないものは棚などにしまい込んだり、孫が手にとっても問題ないように、きれいに拭いておいたりしておかなければならないでしょう。

 

 そして孫が帰った後には、再び使い勝手が良い配置にすぐに戻せるよう、工夫が必要です。

 

 さすがに埃が積もっているような状態はまずいので、ハンディ掃除機を近くに置き、こまめに埃を取り除くことを、習慣化しなければならないでしょう。

 

 しかし、目立つ・目立たないに関わらず、塵・埃は毎日静かに積もっていくものなのだなと、改めて思い知らされました。

 

 

 

実家の庭に咲く芙蓉の花

 母の怪我は、当初電話で父に聞いた様子より深刻なものでした。

 

 トイレには腕を擦りむいた時の出血の痕が残っていました、それより頭を打ってできた瘤が膨れ上がり、医者も後遺症を心配して一ヶ月から二か月程度、入院加療が必要と判断したようです。

 

 実家に到着後、面会して様子を見たいと思っていたのですが、コロナの再拡大の動きもあり、すぐの面会はかないません。

 

 仕方なく病院の相談員とやりとりをして、当面必要なものをリストアップしてもらいました。

 

 これまで何度も入院経験があるので、その際使用した備品が実家に残っているかと思いきや、父がどこかに仕舞ってしまい、直ぐには見つからないものが多く、それらを翌日買い揃えることにしました。

 

 父は書類のファイリングとか、荷物を分類して箱にラベルを貼ったりするのは好きなのですが、いざ必要な時に取り出そうとすると、どこに仕舞ったのか忘れて思い出せないことが多く、新たに買った方が早いのです。

 

 翌日買い物を済ませて病院に届け、父の4日後の面会予約を取ろうとしたのですが、入院病棟が担当だというので、家に戻って予約をとることにします。

 

 私たちはそれまでいられませんので、父一人での面会になります。

 

 面会の予約を私が取り、その際に洗濯物をまとめて袋に入れて持って帰るよう妻が父に説明します。

 

 病院とのやりとりの一部始終を、電話でケアマネジャーに報告をして、当面はこのまま様子をみることにしました。

                                                                  芙蓉の花

 庭には芙蓉の赤い花が咲き誇っています、春先から今年は絶えることなく何かの花が咲いていると父が自慢気に話していました。

 

 母がいない間も、父はせっせと家事をこなし、庭の手入れに勤しむことでしょう。

 

 そんな父に、当面は芙蓉の花が慰めになってほしいと思いながら実家を後にしました。

 

母がトイレで怪我、いよいよ家での生活は難しいのか

 今朝、父親から電話があり、母親がトイレで転んで、顔面に怪我をしてしまったとのことです。

 

 病院には連れて行ったようなのですが、入院するほどのケガではないと判断され、その日は返されたそうです。

 

 週明けに再び連れてくるようにいわれて、これから連れていくとのこと。

 

 普通のタクシーでは大変だから、福祉タクシーを頼んだ方がよいと促し、私が手配しました。

                        homecare119さんによるpixabayからの画像

 

 仕事の合間に、担当のケアマネジャーに連絡すると、先週の内に、病院からケアマネジャーに報告があがっていました。

 

 週末の2日ほど、父は母親の世話をしたようなのですが、このままでは共倒れになってしまうと危機感を抱いたようです。

 

 ケアマネジャーから病院にも相談しながら、対応を考えてくれるとの返事をもらい、まずは一安心です。

 

 ただ、時折しも旧盆を迎える時期でもあり、ショートステイ施設も予約で埋まっているようで、調整は難航しそうです。

 

 2年前、父がケガで入院した時には、病院側のはからいで父の病室(個室)に母も入院させてもらったことがあります。

 

 父の入院が長引きましたので、ひと月ほど経った後に、母はショートステイ施設の方に移ってもらいました。

 

 当時の母はまだ元気でしたので、父が退院し帰宅することを知るや、さっさとショートステイ施設を出てしまったものです。

 

 幸いにも父のケガは順調に回復しましたので、何とか二人での家での生活も成り立ってきました。

 

 しかし父は94歳、母も92歳ともなると、これ以上家での自立した生活も難しくなってきているのかもしれません。

 

 トイレに行くのが不自由になってくることが、施設にご厄介になる目安だと聞いた事があります。

 

 母親の意思とは別に、そろそろ決断しなければならない時期にさしかかったのかもしれません。

 

 正午前、ケアマネジャーから連絡があり、父が同意すれば受診の後、即入院できるとのことです。

 

 まずは胸をなでおろしました。

 

孫は保育所に行けているのだろうか

 

 次女の子(私の孫)は今月から保育所に通うことになっています。

 

 先月次女の家に行った時に、保育所を見に行ってきましたが、家から歩いても5~6分の所にあり、何かあってもすぐに駆け付けられるので、安心な立地です。

 

 孫は生まれてから9カ月が過ぎ、最近歯も生えてきて、離乳食も食べるようになりました。

 

 しかしながらずっと母親のそばを離れたことはありませんから、1歳にも満たない子が保育所などに通えるものでしょうか。

 

 次女がまもなく仕事に復帰するという都合もあるのですが、老婆心ならぬ老爺心ながら心配になってきます。

 

 いまではゼロ歳児保育は当たり前のように受け入れてくれるらしいのですが、娘たちを育てた時は、妻は専業主婦として4歳になるまで、家で一緒に過ごしていましたから、1歳にも満たない孫が、限られた時間とはいえ、母親のもとを離れて過ごすということが想像できません。

 

 ましてや次女は生まれつき強情なところがありましたから、その性格を受け継いでいるとすれば、いつまでも泣き止まず、保育士さんを困らせているのではなどと、つい気を揉んでしまいます。

 

 しばらくはお試し期間が設けられているようで、朝、夫さんが仕事に行く前に保育所に預け、一定時間を過ごしたのち、次女が迎えに行くという役割分担を決めているようです。

 

 妻も同じような気持ちらしく、今月に入ってから次女から何の連絡もないので気になっているようです。

 

 昨夜「連絡してみようかな?」というので、「落ち着いたら、向こうから連絡が来るから、やめておいたほうがいいよ」と制しました。

 

 夫婦共働きが当たり前の今は、生まれたばかりで、保育施設に預けなければならないという厳しい現実があります。

 

 

人類は「ゆでガエル症候群」に陥ったか

 

先日実家を訪ねたら、扇風機が1台増えていました。

 

 実家は海抜数百メートルの山間地で、夏でも朝晩は肌寒いくらいの日が多い地です。

 

 60年も前に買った1台の扇風機で夏の暑さを凌いできたのですが、今年は暑さが格別のようで、弟が見かねて新たに1台扇風機を買ってくれたとのことでした。

 

 連日気象庁が「危険な暑さ」と警告していますから、山間の地も昼間の暑さはこれまでとは違うようです。

                                     Lukas jancickaさんによるpixabayからの画像

 

 国連のグテーレス事務総長は 「地球温暖化の時代は終わりました。地球沸騰化の時代が到来したのです」と訴えています。

 

 世界気象機関などは、今月1日から23日までの世界の平均気温が16.95℃で、7月として最も暑かった4年前を大幅に上回るのは「ほぼ確実」と発表。“観測史上最高”となる見通しです。

 

 アメリカ バイデン大統領も「自然災害で最も命を奪っているのは熱波です。毎年600人が死亡しています」として、全米でも気温の高い日が続く中、バイデン政権は、熱波では初となる「危険警報」を出しました。

 

 ヨーロッパでも、ギリシャ中部で27日、山火事の炎が、空軍基地の弾薬庫の近くまで燃え広がり、大きな爆発が起きました。

 

 爆発による死傷者は確認されていませんが、近隣の住民は避難を余儀なくされたということです。

 

 スペインやイタリアなどでも、熱波による山火事が多発していて、市民生活に大きな影響が出ています。

 

 地球温暖化といわれて久しいのですが、我々が手をこまねいているうちに、予想を超える速さで、生活を脅かされようとしています。

 

 ふと昔、職場でよく議論した“ゆでガエル症候群”という言葉を思い出しました。

 

 カエルを熱湯の中に入れるとすぐに飛び跳ねて逃げ出しますが、水から徐々に温度を上げていくと水温の上昇を気づかず茹でられ死んでしまうという寓話(ぐうわ)が元になっていて、会社組織の一つの教訓として語られています。

 

 しかし、会社組織の教訓というばかりでなく、この地球に住む人類が危機感を持たずにいると、“ゆで人間”が出てきてしまい、人類が住めなくなる星となる日が、もうそこまで迫っているのかもしれません。