団塊おんじ 人生100年時代を行く!

長く生きるかではなく、どう生きるかの試行錯誤録

きれいにするより“居心地優先”だったのですが…

次女が結婚する前、一緒に暮らしていた頃は、週末になると次女から、私の机の周りの書類や荷物を全部どかすよう指示が飛び、盛大な音を立てて掃除機をかけてくれたものです。

 

 次女は掃除機をかける前には、必ずゴミをきれいに取り除いて掃除機を動かし始めます。

 

 そしてかけ終わると、「今日はこんなにゴミがとれた」とわざわざ見せに来ます。

 

 たくさんのゴミが掃除機に吸い込まれたことに、快感を見出していたようです。

                                               Dim Houさんによるpixabayからの画像

 

  次女が結婚して家を出た後は、妻は私の居場所までは掃除機をかけることはしませんので、私の居場所はほったらかされています。

 

 私自らはめったに掃除機をかけることはありません。

 

 目立つゴミがあれば、手でつまんでゴミ箱に捨てています。

 

 ほどよく自分のものが回りに配置され、ほとんどのものが、手が届く距離にあるほうが落ち着くのです。

 

 妻は、10カ月になる孫が遊びに来た時に、これでは危ないから片付けろ、と再三忠告してきます。

 

 実際、次女夫婦が先日孫を連れてやってきましたが、私の砦には近づけさせず、別の部屋で遊ばせました。

 

 しかし、今は歩けるようになる一歩手前なので、大人たちが孫の移動をコントロールできていますが、もう少しして歩けるようになると、周りの目をかいくぐって、私の砦に歩いてやってくるに違いありません。

 

 そんな近い将来を見据えて、妻の言う通りに危ないものは棚などにしまい込んだり、孫が手にとっても問題ないように、きれいに拭いておいたりしておかなければならないでしょう。

 

 そして孫が帰った後には、再び使い勝手が良い配置にすぐに戻せるよう、工夫が必要です。

 

 さすがに埃が積もっているような状態はまずいので、ハンディ掃除機を近くに置き、こまめに埃を取り除くことを、習慣化しなければならないでしょう。

 

 しかし、目立つ・目立たないに関わらず、塵・埃は毎日静かに積もっていくものなのだなと、改めて思い知らされました。