団塊おんじ 人生100年時代を行く!

長く生きるかではなく、どう生きるかの試行錯誤録

孫が誕生しました

 真夜中の入院の翌日、次女の夫が我が家に駆けつけました。

 

 夫婦はお互いに連絡を取り合っているので、昨夜のてん末も承知していました。

 

 破水が確認されていますので、いよいよ今日中には赤ちゃん誕生となりそうです。

 

 彼は病院から呼び出しの連絡があるまで、我が家で待機をすることになっています。

 

 しかし次女の身に陣痛の兆候がなかなか見られません。

 

 医者の判断で陣痛促進剤が投与されたようです。

 

 にもかかわらず、なかなか陣痛が起こる兆候が見られないまま時間が過ぎていきます。

 

 我が家で待つ彼は、落ち着かない様子でしたので、病院から連絡があったらすぐに駆け付けられるように、我が家から病院までの最短距離の道順を彼に教えてあげることにします。

 

 というのも、広い幹線道路を行くと、大きな駅の周辺が込み合い時間がかかってしまうのです。

 

 彼に運転をさせて、最短距離のアプローチを進みます。

 

 ものの10分もかからず病院に着きました。

 

 病院の前から次女に連絡を入れると、点滴が終り、昨夜は入浴ができませんでしたので、足湯に浸かりマッサージをしてもらっている最中だといいます。

 

 この医院は、ソフロロジー式分娩という方法を取り入れています。

 

 ソフロロジーとは、精神の安定と調和を得る方法を学ぶという意味だそうで、これを分娩に取り入れたのがソフロロジー式分娩法(ソフロロジー出産)です。

 

 出産に際して、恐怖や不安をなるべく取り除き、安定した精神状態で分娩に臨むということなのでしょう。

 

 病院の前で待機していても仕方がないので、途中で買い物を済ませて、再び我が家に戻ってきました。

 

 昼食を済ませた後、すぐには連絡が入りそうにないので、待機している間、昼寝(仮眠)をするよう促しました。

 

 昨夜は仕事が終わってから、我が家にやってきたのですが、その後家に戻っても心配で、ほとんど眠れなかったと聞いていたのです。

 

 次女の部屋で彼が仮眠をしている間、私も居間でうとうとしてしまいました。

 

 夕方になり外が暗くなりだした頃、彼に起こされました。

 

 「病院から連絡があったので、これから病院に向かいます」とのこと。

 

 激励の言葉をかけて、彼を送り出しました。

    Dim Houさんによるpixabayからの画像

 それから1時間半後、妻のところに連絡が入りました。

 

 「無事に産まれました」という報告です。

 

 ただ医者と相談して、娘は帝王切開を選択したといいます。

 

 彼は待合室で、よほど不安な時間を過ごしたのでしょう。

 

 次女と赤ちゃんに対面して、涙が止まらなかったと漏らします。

 

 母子ともに無事だと聞いて、私たちもホッと肩をなでおろしました。

 

夜中に次女の身に異変が

 昨夕、いつものように散歩を終え、帰ろうとしていたところに妻から携帯に電話が入りました.

 

 次女がこれから産婦人科医院に行くので、送ってほしいとの電話です。

 

 すぐに帰って、次女を車に乗せて病院に向かいます。

 

 幸いにも10分ほどで行けるので助かります。

 

 検査は1時間ほどかかるというので、病院で娘を降ろして、一旦家に戻ることにします。

 

 1時間後に娘から連絡が来て、検査の結果まだすぐには生まれそうにないので、一旦家に戻れとのことです。

 

 再び病院に向かい、娘を乗せ自宅に戻りました。

 

 すぐ入院の可能性もありましたので、入院中に必要な荷物をスーツケースに入れて、持っていきましたので、それも持ち帰りました。

 私たちも娘も夕食をとっていませんでしたので、21時過ぎからの遅い夕食をとっていると、娘の夫が仕事を終え、駆けつけてきました。

 

 娘夫婦は夕食を娘の部屋に運び込んで、話し込んでいました。

 

 妻は彼に「もう晩いから泊まっていけば?」と提案しましたが、明日の仕事の都合で一旦家に帰らなければならないとかで、23時過ぎに帰っていきます。

 

 その後私はいつものように、布団に潜り込んで本を読んでいるうちに、いつの間にか眠りについていました。

 

 丑三つ時、突然妻に起こされます。

 

 娘に破水の兆候が見られているので、病院に連れていくとのこと。

 

 既に娘も妻も支度を済ませています。

 

 寝ぼけまなこで起き上がり、支度を済ませ、一杯の水を飲んで、車に向かいます。

 

 真夜中の町は車通りも少なく、あっという間に病院に着き、入院支度を入れたスーツケースを入り口まで運ぶと、出てきた助産師さんに荷物を託します。

 

 検査が済むまで小一時間かかるとのことで、車中で仮眠をして待とうかとも考えたのですが、家まで直ぐなので、一旦家に戻ることにします。

 

 帰宅の途中で、娘からメールが入り、入院することになったとのこと。

 

 いよいよ孫の誕生がそこまで迫ってきました。

 

 まずは無事に生まれてくることを祈るのみです。

 

 私の健康寿命はいつまで持ち堪えられるのだろう

 毎朝散歩をする生活を、かれこれ10年続けています。

 

 散歩からの帰りに、下の階に住む奥さんと時々出会うことがあります。

 

 会うたびにその奥さんは、「今日もお散歩ですか、偉いですね」と褒めてくれます。

 

 別に褒められるようなことではないのですが、「もう、習慣になってしまいましたから…」などと返答します。

 

 その奥さんのご主人は、定年後も再就職をし、朝7時前には出かけていきます。

 

 私も現役生活のときには、遅刻をしないように、家を飛び出していく毎日でしたから、とても散歩をする余裕などありませんでした。

 

 今も週2日ほど仕事でオフィスに向かいますが、それでも年を取って早起きになりましたから、出勤時間までは十分な時間がとれますので、出勤日も散歩はするようにしています。

 

 定年後の半年間は、“毎日が日曜日”でしたので、片道1時間ほどかけて散歩をしたものでした。

 

 当時はまだ歩数計を付けずに歩いていましたが、恐らく朝の散歩だけで1万数千歩は歩いていたでしょう。

            Hermann Traubさんによるpixabayからの画像

 

 その後、またフルタイム勤務で仕事をすることになり、朝の散歩は時間が限られるようになりました。

 

 それでも朝の散歩がすっかり習慣化されましたので、出勤前に欠かさず近場を歩いてきました。

 

 しかし定年後すぐの頃の、朝1万数千歩というウォーキングは、さすがにできなくなりました。

 

 せいぜい3千歩ちょっとくらいで家に戻ってしまいます。

 

 1年1年齢を重ねるごとに、歩く歩数をとってみても少しずつ減ってきているような気がします。

 

 健康寿命という言葉がありますが、ある程度元気に自活した生活は、私の場合、あと何年くらいできるのだろうと思うことがあります。

 

 医学の進歩や健康をサポートする栄養の取り方の研究成果など、健康寿命を伸ばすための支援策を上手に取り込みながら、寿命を全うするギリギリまで、自力で生活し続けたいものです。

 

 私の父は、昨年入院して以来、すっかり体力が落ち、認知機能も徐々に低下しつつあるのですが、それでも毎日庭に出て花や植木の手入れに余念がありません。

 

 そんな父を見るにつけ、私もまだまだ頑張らねばと思います。

 

 

PCR検査で陽性だと、出産を断られる!?

 次女の出産予定日が近づいてきました。

 

 予定日の2週間前の診察の際に、PCR検査を実施するとのことです。

 

 そして、その検査で陽性になると「当方の医院では出産分娩の処置ができなくなります」と通告されたそうです。

 

 その際は至急分娩の処置を受け入れてくれる病院を探さねばなりません。

 

 おそらく対応できるのは、総合病院だろうと思います。

 

 いずれにしても本人をコロナに感染させないのが一番です。

     Joschさんによるpixabayからの画像

 

 それからというもの、家族ぐるみでこれまで以上に感染対策に取り組まなければなりません。

 

 なるべく本人を外出させたくないのですが、医者からは出産の準備として「1日2時間歩きなさい」と指導されているそうです。

 

 妻は出産前後仕事を休んでいますから、妻が付き添って人込みをさけたルートを考えて毎日歩いています。

 

 私はといえば、週2日は仕事で外出せざるをえません。

 

 今まで以上に帰宅時の手洗いとうがいを徹底させられます。

 

 帰宅すると娘から体中に除菌スプレーを吹きかけられる始末です。

 

家には次女が持ってきた高性能の空気清浄機が備え付けられています。

 

 これまで一人暮らしをしていた長女が、半年ほど前から家に戻って来ているのですが、この話を聞いてからというもの、検査が終わるまで、家には戻らず友人のアパートに転がり込んでいるようです。

 

 そして一昨日、健診の日がやってきました。

 

 私の運転で次女を病院まで送って、その後自宅に戻り待機することにしました。

 

 すぐに終わるのかとおもえば、急遽分娩処置が入ったらしく、長引いています。

 

 終わったとの連絡を受けて、娘を迎えにいくと、大きなお腹を抱えて次女が病院の外で待っていました。

 

 医者からは「順調に推移している」と言われたようで、一安心です。

 

 その足で、散歩を兼ねて赤ちゃん用品を売っている店に行き、生まれた後に必要な品を買い揃えると、店内を見て回りますが、私には知識を持ち合わせていませんので、次女と妻の後ろをついて歩きます。

 

 心配なPCR検査の結果は2、3日後に出てメールで連絡がくるとのことです。

 

 無事に結果をクリアして、出産を迎えてほしいと願うことしか私にはできません。

 

 昨日、仕事帰りの電車の中で、ライン通知をふと覗くと次女から「PCR検査結果は陰性でした」とのこと、よかった~!

 

 これで出産までのハードル,1つクリアです。

 

 

賃金を上げていく決め手は「リスキリング」

 1991年から2019年の日本の賃金上昇率は1.05倍です。

 

 この間、イギリスは1.48倍、アメリカは1.41倍でしたから、かなり低いといえます。

 

 ただ、この間日本は長くデフレ経済でしたので、給料が上がらなくてもなんとか生活していけたのです。

 

 しかし、いよいよそうはいかなくなってしまいました。

 

 このところ、全てのものの物価が跳ね上がっています。

 

 1ドル150円が続けば、家計負担は年8.6万円(平均値)の増となる模様です。

 

 しかし、それに準じて賃金があがるという話は聞こえてきません。

 

 そしてインフレは、年金生活者にとっては死活問題なのですが、将来の年金危機に備えて、増額はおろか受給額の減額という有り様です。

 

 賃金の上昇によって、日本経済の復活を目指さなければなりません。

                    Jose Antonio Albaさんによるpixabayからの画像

 そのためには、成長産業を育てる(これが難しいことなのですが)ことにより、その産業を担う人達から成果に応じて高い賃金を得られるようにしていく必要があります。

 

 一方でAIの普及によって、近い将来49%の仕事がAIに取って代わられると言われています。

 

 AIをうまく活用しながら、生産性を上げることができれば、関わる労働者の賃金を上げ、生活の質も確保できるのです。

 

 いまの仕事にしがみつづけるのではなく、将来必要とされる仕事をイメージしながら、自分のスキルを磨いていくことが必要のなるのでしょう。

 

 最近、“リスキリング”という言葉を耳にするようになりました。

 

 リスキリング(Reskilling)とは、職業能力の再開発、再教育のことを意味します。

 

 近年では、企業のDX(デジタルトランスフォーメーション)戦略において、新たに必要となる業務・職種に順応できるように、従業員がスキルや知識を再習得するという意味で使われることが増えています。

 

 ドイツでは官民を挙げて、リスキリングに力をいれて、成果に繋がる例が増えているといいます。

 

 日本政府もリスキリング支援に、5年間で1兆円を投じる方針を打ち出しています。

 

 デジタル革命に乗り遅れてきたことが、日本の衰退に繋がってしまったとすれば、国も自治体も企業も、そして個人も、リスキリングに本気で向き合うことが迫られているように思えます。

 

 

母の脚力が弱ってきました

 長女と二人で実家に行って来ました。私の運転が心配だと、付いてきてくれたのです。

 

 長女の仕事の都合もあり、今回は1泊だけの予定です。

 

 出かける時は雨模様の天気でしたが、高速に乗る頃には雨も上がり、一部晴れ間も見えてきました。

 

 その日は母がデイサービスに行かずに家にいる日でした。 現在母は週3日のデイサービスの日に入浴をさせてもらっています。それ以外の日は入浴はしていません。

 

 長い間、家の近くの共同浴場で入浴する生活をしてきました。家にも浴槽はあるのですが、深い作りになっており、自宅の浴槽は使っていません。

 

 私が行く時には、慣れ親しんだ共同浴場に行きたがります。

 

 父はすでに運転免許を返納していますので、普段、車に乗せての共同浴場での入浴はしてあげられないのです。

             yamachinさんによるpixabayからの画像

 

 その日も共同浴場に連れていこうとして、車に移動させるのに車椅子をセットします、そして母を車椅子に座らせようとすると、いつもなら玄関の手摺につかまりながら自分で座れたのが、立ち上がることが出来ません。

 

 直ぐに手を貸さずに、何度も立ち上がろうとする様子を観察します。

 

 何度か挑戦しているうちに疲れてしまった様子でしたので、思わず抱きかかえるようにして、車椅子に乗せました。

 

 車まで移動して、扉を開けて車に乗る動作を見守ります。

 

 ここでは何とか自力で車のシートまで移動することができました。

 

 長女は近くの温泉ホテルに“もらい湯”に行きますので、車で長女を送った後、父母を連れ共同浴場に向かいます。

 

 共同浴場で入浴を済ませ、母は立ち上がろうとするのですが、再び立ち上がることが出来ません。

 

 腰を完全に落としてしまった姿勢からの立ち上がりは容易ではないようです。

 

 手を貸して脱衣場まで移動させると、母が「もう湯にくることは無理かね~」とつぶやきました。

 

 できるだけ慣れ親しんだ家での生活を続けさせたいと色々な工夫をしてきたのですが、あとどれだけ今の生活が送れるやら…。

 

 幸いにも、父は足腰はまだ元気を保っています。

 

 引き続きケアマネジャーと連絡を取り合いながら、家での老夫婦の生活を注視していきます。

 

椅子の修理に四苦八苦

30年前も前に購入したダイニングの椅子が、最近グラグラするようになり、座り心地がよくありません。

 

 以前にも同様の不具合があり、ネジを締め直して、何とか使い続けてきたのですが、その時よりさらに調子が悪くなり、いよいよ買い直さないとダメか、などと妻と話していました。

 

 近くのホームセンターに、食料品の買い物ついでに立ち寄り、家具のコーナーを眺めてみました。

 

 年金生活者の世帯にとっては、なかなか手の出せない価格の椅子が並んでいます。

 

 昨年から今年にかけて、キッチンの蛇口回りの器具の交換や食洗器の買い直し、そしてボロボロになったリビングのカーテンの新調と、立て続けに大きな出費が続きました。

 

 月々の収入だけでは、とてもやりくりが出来ませんので、仕方なくなけなしの貯蓄を取り崩す状態が続きます。

 

 年金生活に入ってからの、こういった出費は、予め想定をしておかないと、生活設計に大きなダメージを与えかねません。

    Dim Houさんによるpixabayからの画像

 そこに追い打ちをかけるように、次女が出産予定日が近くなったため、戻ってきました。

 

 妻は次女とともに、出産準備に必要なものを買いに、連日のように出かけていきます。

 

 そんな状況ですので、ダイニングの椅子の買い替えは諦めて、私が修理して乗り切ることにしました。

 

 重い椅子をひっくり返して、座る部分と脚を繋いでいる接続部分の金具とネジを点検しながら、緩んでいる箇所を締め直したりしてみます。

 

 しかし一部の箇所は、ネジがバカになってしまっていて、新たなネジでしっかり固定しなければならなかったり、一脚の椅子は、ネジが取れてしまっていて、部品が見当たらないような状況です。

 

 正常に締まっているネジを一本はずして、同型のネジ穴のネジを探しに、業者が出入りする専門店を訪ねます。

 

 サービスコーナーの店員に相談すると、様々なネジが並ぶコーナーに案内されました。

 

 店員さんは、持って行ったネジをいくつものネジ穴が並ぶところで、ネジを差し込みながら、サイズを確認してくれます。

 

 同型のネジで長さの近いものを探し出してくれました、有り難い!

 

 家に戻って、ネジ穴に差し込んでみると、うまい具合にネジが入っていきます。

 

 バカになったネジの箇所は、少し長めのネジを用意し、今までより深いところまでネジをまわし、しっかりと締め付けます。

 

 不器用な私でも何とかグラグラしていた不具合を解消することができました。

 

 これでしばらくは椅子を買い直さずに済みそうです。