団塊おんじ 人生100年時代を行く!

長く生きるかではなく、どう生きるかの試行錯誤録

地球を熱波が覆う時代になりました

 先月、異例の早さで“梅雨明け”をした日本では、数日間各地で40度に迫る気温の日々が続きました。

 

 湿気を伴う日本の夏は、世界的にも“暑い国”として、もはや有名になっています。

 

 しかしここにきて世界の各地では、連日40度に達する気温を記録しています。

 

 ポルトガルでは46度を記録し、熱中症で1000人以上が死亡したといいます。

 

 また各地で山火事が発生していて、消失面積はかなりの広さに及んでいるようです。

 

 国連の世界気象機関(WMO)は、現在西欧で猛威を振るっているような熱波の頻度は、今後増え続けていくだろうと警告しています。

          Lukas Jancickaさんによるpixabayからの画像

 

 熱波とは、日中の最高気温が平均最高気温を5度以上上回る日が、5日間以上連続した場合のことをいいます。

 

 世界気象機関のペッタリ・ターラス事務局長は、「今後は熱波が当たり前になり、異常気象もさらに強まるでしょう。すでに大量の二酸化炭素を排出してきたため、今後、数十年、悪化傾向が続くでしょう。これまで、世界全体で排出量を減らせていません」とも述べています。

 

 中国では駐車していた車が、暑さで車内が爆発し炎上、道路は変形しています。

 

 アメリカでは、観測史上、最高気温を記録、6000万人以上が熱波の影響を受けており、西海岸のカリフォルニア州では22日に山火事が発生し、すでに69平方キロメートルを焼いた山火事は、手が付けられない状態になっています。

 

 そしてアメリカ最大の貯水湖・ミード湖は、ダムが完成した1930年代以降、最低の水位計になっています。これはロッキー山脈で降雪が減った気候変動のせいです。

 

 アメリカ政府は、気候変動に伴う災害対策として、インフラの整備に約3200億円を投じると発表しています。

 

 各国の二酸化炭素の排出は抑制されるどころか、ロシア侵攻の影響を受けて、石炭火力発電を復活せざるを得ない状況。

 

 熱波で焼け死ぬ前に、はやく戦争などはやめさせなければなりません。

 

 

直前に中止になった夏祭り

 コロナの発生以来2年間中止が続いた地元の夏祭り、今年は開催することが決まり、早々に盛り上がっていました。

 

 祭りの二週間ほど前から、神社の会館を通りかかると、神輿が鎮座して関係者が準備に追われていました。

 

 祭りの当日は、我が家は実家の両親の様子見に行く予定が決まっていましたので、久々の祭りのにぎやかさを味わうことは諦めていました。

 

 子供たちが小さい頃、祭りの時期は仕事で一週間ほど出張をしていることが多く、出張明けの土曜日に戻ってくると、子供神輿を引く子供たちの様子を見に、ワッショイの掛け声の音を頼りに駆けつけたことを思い出させます。

 

 自分の担当する大きな仕事が終わったこともあり、子供たちの夏休みが始まる前の時期でしたので、夏祭りは華やいだ気分にさせたものでした。

 

 さて、実家から戻った日は祭りの最終日、昼下がりの時刻にわが町に戻ってみると、祭りを行っている形跡はどこにもありません。

 

「おや?」と思いましたが、祭りは昨日で終了したのかなどと思いながら自宅に車を進めます。

 

 旅の疲れもあり、祭りのことはそれ以上思い起こすこともなく、家で休息をとりました。

 

 翌朝、散歩のときに神社を通りかかると、いつもなら祭りの後始末に追われて、人が行きかっているはずなのですが、会館は扉を閉ざしたまま静まり返っています。

 

 再び「?」と思い、もしや中止になったのかと初めて気付きました。

 

 会館の掲示板で確認しようとしましたが、中止の告示などは何も書かれていません。

 

 家に戻って妻に話すと、妻は早速スマホを取り出し、検索します。

 

「やはり中止になったようよ」と返答を返されました。

 

 何事もなかったかのように粛々と中止されたようです。

 

 夏祭りを楽しみにしていた子供達は、さぞガッカリしたことでしょう。

 

 夏休みに入ると同時に、新型コロナウィルスの感染者は、これまでの最多を更新し、「第7波」の急拡大は止まらない状況になってきました。

 

 政府ももはや「緊急事態宣言」などを打ち出すことはないでしょうが、夏休みを迎えた子供達には、何とか“ひと夏の思い出”を作れるような過ごし方をしてもらいたいものです。

 

 

 

次にこの国を率いるリーダーに何を求める?

 参議院選挙が終わり、与党自民公明は衆参両院ともに、過半数を超える安定基盤を作り上げました。

 

 しかし安部元総理が選挙応援の最中に凶弾に倒れるという、前代未聞の事件が起き、今後の政権運営にも混乱の種を残した再スタートとなりそうです。

 

 海外の安倍氏の訃報への反響の高さに驚いて、国葬を実施することになったようです。

 

 国内の山積した課題もさることながら、世界に向けた情報発信力という点で、不安の残る点は否めません。

 

 保守勢力を束ねる求心性が欠けてしまったことにより、政権運営にも微妙な影を落としていると懸念されています。

 

 精力的に海外に出向き、日本の立場を示しながら、各国のリーダーと人間関係を築いてきた安部氏とは対照的に、岸田さんは、外相経験があるとはいえ、世界に民主主義の原則と自由貿易体制の意義を示して、覇権的な力を抑え込むだけの力量があるかといえば、行動力には一抹の不安があります。

 

 また現在の急激な円安により物価高が起きていることは、企業と生活者にとって脅威ではありますが、これを是正しようとして、金融引き締めに走ろうものなら、未曾有の大不況を招き兼ねません。円安のメリット面を引き出すことで、難局を乗り切る策を講じるべきでしょう。

   Hermann Traubさんによるpixabayからの画像

 

 世界は「冷戦後」が終り、転換期にあります。

 

 岸田首相には今後、1年くらいの時間をかけて、世界のあり方や日本のあり方を考えてもらいたいものです。

 

 そのために専門知を結集し、諮問機関などを作ることも検討するべきでしょう。

 

 転換期においての国家戦略を考える時にきています。

 

 加えて、安全保障や新型コロナウィルス対策、人口減少、自然災害対策は喫緊に取り組まなければならない課題です。

 

 そして「アベノミクス」を微修正したうえでの経済政策なのか、それともそれに代わる経済政策を打ち出すのか。

 

 日本を率いるリーダー・岸田首相にはこうした問題に方向性を出してもらいたいものです。

 

 

不要不急は本当に“不要”なの?

 またしてもコロナ感染者が急速に増えだしました。

 

 さらに感染力が強いとされるBA.5への置き換わりが進んでいるようです。

 

 またしても人々の感染への警戒は強まり、夏休みを前にして、旅行・観光関係者は気が気でないことと思います。

 

 このまま感染者数が増大し続ければ、国や自治体からは「不要不急の外出は控えてください」という要請のメッセージが発せられそうです。

 

 すでにこの2年間、コロナ禍のなかで修学旅行をはじめ様々な行事・イベントが中止され、何の思い出も作れないまま卒業を迎えた学生・生徒さんたちの悲痛な声を幾度となく聞きました。

 

 また文化・芸能分野の関係者も大きな影響を受けています。

 

 自分たちの活動を“不要不急”なものの方に整理されることに、やるせない思いを抱いている方も多いことと思います。

 

 どうやらコロナウィルスとの闘いは、簡単に終わりを迎えることはないと覚悟しないといけないような気がします。

 

 であるとすれば、私たちの人生を豊かにする活動を、ウィズ・コロナの生活のなかにどう取り込んでいけるのかを真剣に考える必要があるのかもしれません。

     Joschさんによるpixabayからの画像

 

 チェコの作家カレル・チャペック1890-1938)は、第一次世界大戦下で最も人気の高かった国民的作家です。

 

 ヒットラーと彼が率いるナチス・ドイツを痛烈に批判し続け、同じく作家の兄ヨゼフ・チャペックは、強制収容所で亡くなっています。

 

 そしてカレル・チャペックは園芸家でもありました。

 

 趣味の園芸を通じて「未来は私達の前にあるのではなく、もうここにあるのだ。未来は芽の姿で、わたしたちといっしょにいる」として、観賞用の植物を育て、次の年さらには数十年後の様子を夢見て、草木の手入れや土づくりにいそしみました。

 

 1939年にはナチス・ドイツがプラハを占領します。その3月に、ゲシュタポがチャペック邸を襲撃しますが、踏み込んできた一同に、妻オルガは夫カレルが4か月前に没したことを、皮肉を込めて伝えたといいます。

 

 チャペックが厳しい政治状況の中でも園芸の素晴らしさを書いたように、私たちは傍目から見れば不要なことに夢中になることによって、今を充実させ、逆に未来に向けて生きていくことができます。

 

 コロナ禍や戦争など困難な時期でも、「不要不急」なことを切り捨てず、大事にしていくことが、結果として私たちの人生と社会を豊かにしていくことになるのではないでしょうか。

 

 

資源の乏しい日本を、政治はどう再生できる?

 今度の週末は参議院議員選挙です。

 

 早くもマスコミは、自民・公明の政権与党の過半数確保は確実、と伝えています。

 

 こんな報道が先走って伝えられると、結果が分かっているのなら選挙に行かずともいいか、などと白けた雰囲気になってしまうのは私だけでしょうか。

 

 第二次世界大戦の敗戦後、米国GHQの管理下で焼け跡から這い上がってきた日本ですが、自由貿易の恩恵に与りながら「資源小国」というハンデを克服して、一時は「経済大国」と呼ばれるまでに成長を遂げることができました。

 

 それは勤勉な国民性のなせる業、と世界から驚きと称賛の目でみられた時期もあったのです。

 

 しかし、バブルの崩壊を機に、不良債権処理に追われるばかりで、新機軸を打ち出せないまま30有余年を過ごしてしまいました。

             Lukas Jancickaさんによるpixabayからの画像

 その間、中国経済の膨張のおこぼれに与るばかりで、高度成長期の成功体験の延長線上でしか経済運営がなされてきませんでした。

 

 そして産業構造は、1次産業の衰退や2次産業がIT化の遅れなども相俟って、生産性が上がらない状態に陥り、相対的に3次産業が7割を占める“サービス化経済”に変容しました。

 

 もともと生産性が上がりにくいサービス産業が主流となり、非正規労働者と言われる低賃金労働者に頼って経営が成り立つという歪んだ状態が続いてきてしまったのです。

 

 デフレスパイラルに陥った状況のなかでは、製造業も比較的安いコストで原材料を調達できましたから、何とか生き残ってくることができました。

 

 しかしプーチン・ロシアの軍事侵攻が起きたことにより、エネルギー資源を他国に頼り続けてきた国は、“持たざる者”の弱さを痛感せざるをえなくなったのです。

 

 中国、ロシア、北朝鮮に囲まれた我が国の安全保障をどう強化していくか、日本の強みを活かした次の時代の産業育成に、国を挙げてどう注力していくか、政治の手腕が問われる今。

 

 やはり投票所に足を向けねばならないかな。

 

 

 

灼熱の日本列島、今年の夏を乗り越えられるか

 毎日暑い日が続きます。

 

 年齢を重ねると、暑さは本当に身に応えます。

 

 少し出歩いただけでも、家に戻るとぐったりしてしまい、しばし頭が回りません。

 

 日本は、湿気が高いこともあって、海外の人からも敬遠されるほど“暑い国”とみなされているようです。

 

 海外では異常気象のせいか、50度近くを記録する地域もあるようですが、一体人間は、何度までの高温に耐えることができるのでしょう。

               JuanManuel Guisadoさんによるpixabayからの画像

 

 いま世界の観測史上で最高気温の記録は、米国のデスバレーで1913年7月10日の56.7度が1位と言われています。

 

 しかしこの数値は、以前から正確な観測方法に基づいたものではないという指摘がなされており、世界気象機関(WMO)が検証を続けています。

 

 とはいえ、デスバレーでは2021年7月9日に54.4度まで達したという報告がなされていますから、世界で最も気温が高い場所には違いないようです。

 

 気温の計測は、地表から1.5mの高さの温度を計測しています。

 

 地表の気温でいうとさらに高くなります。

 

 夏の砂浜で、ビーチサンダルを脱ぎ捨て砂浜を走りだした途端、あっちっち。そんな経験がある方も多いのでは。

 

 太陽のエネルギーを吸収した砂は、かなりの高温になります。さらに、これが砂漠の砂なら、それ以上の熱さです。

 

 昨年5月10日アメリカ気象学会誌に掲載された論文によると、2か所の砂漠で地表面が80.8度(摂氏)に達していたことが分かりました。

 

 この記録は、カリフォルニア大学アーバイン校の教授らが2002年から2019年の気象衛星のデータを解析して判明しました。これまでの地表面温度の世界記録であった70.7度(2005年)を抜き、一位の記録です。

 

 80.8度となった2か所の砂漠、一つが、中東イランに位置する「ルート砂漠」です。テヘランから南東に800キロの場所に位置し、ユネスコ世界遺産に登録されています。暑すぎて生物の姿はないといわれています。

 

 もう一つがアメリカ・カリフォルニア州からメキシコ北部にまたがる「ソノラ砂漠」です。

 

北アメリカでもっとも暑い砂漠の一つとされてきましたが、ここではコヨーテなどが生息しているようです。メキシコからアメリカに渡ろうとする不法移民が、この砂漠にある国境を越える際、酷暑で命を落とす例も少なくないそうです。

 

 このように、世界には想像を絶する灼熱地獄地帯がありますから、40度程度では、何とか乗り切らねばならない暑さというべきなのでしょう。

 

 そのうちに台風がやってきて、状況が一変するかもしれません。

 

 

 小さな楽しみを見つけながら生きる

 妻の口癖に「私は目の前に人参をぶら下げられないと頑張れないのよ」があります。

 

 私の定年後、時間だけは余るようになってからというもの、あちこちの“おいしいもの屋さん”を見つけてきては、行こうと誘ってきます。

 

 最近ではコロナが収束した後、観光振興を目的とした“地域割り・県民割”が始まると、新聞や折込みチラシの“日帰りバスツアー”を見つけて、行こう行こう!と大騒ぎします。

 

 先々月と先月に相次いでバスツアーに参加してきましたが、行った後で、もともと余裕のない家計がたちまち大ピンチとなり、「調子に乗ってしまった~」と財布を覗きながら青ざめていました😊。

 

 このところ物価が上がり、家計を圧迫し始めてきましたから、無理をした楽しみ方をするよりも、身の丈に合った“ささやかな楽しみ”を見出す生活に、切り替えていこうと反省しているところです。

                  Nickypeさんによるpixabayからの画像

 

「たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見る時」

           ~橘曙覧「独楽吟」より~ 

 

 これは江戸時代末期、福井藩の歌人、橘曙覧(たちばな・あけみ)がよんだ歌です。

 

 平成6年、天皇皇后両陛下がアメリカご訪問の時、クリントン大統領が歓迎式典のスピーチで引用して有名になりました。

 

 独楽吟は「たのしみは~」ではじまり、「~とき」で終わる形式の短歌です。

ほかにも

 

 たのしみは 妻子むつまじく うちつどひ かしら並べて 物をくふ時

 

 たのしみは 心をおかぬ 友どちと 笑ひかたりて 腹をよるとき

 

 たのしみは そぞろ読みゆく 書の中に 我とひとしき 人をみし時 

 

など、身近な日常生活の中の、小さな喜び、心温まるときの風景を描いています。

 

なかには

 たのしみは いやなる人の 来たりしが 長くもをらで かへりけるとき

 

など、ユーモラスな、本音がぽろっと出た歌もあります。

 

「たのしみは~」といいながら、生活の中を見回してみると、いつもとは違う風景が見えてきます。

 

 「たのしみは~」といいながら、小さくささやかな「たのしみ」を発見して、物価高の厳しい状況を乗り切っていければと思っています。