妻の口癖に「私は目の前に人参をぶら下げられないと頑張れないのよ」があります。
私の定年後、時間だけは余るようになってからというもの、あちこちの“おいしいもの屋さん”を見つけてきては、行こうと誘ってきます。
最近ではコロナが収束した後、観光振興を目的とした“地域割り・県民割”が始まると、新聞や折込みチラシの“日帰りバスツアー”を見つけて、行こう行こう!と大騒ぎします。
先々月と先月に相次いでバスツアーに参加してきましたが、行った後で、もともと余裕のない家計がたちまち大ピンチとなり、「調子に乗ってしまった~」と財布を覗きながら青ざめていました😊。
このところ物価が上がり、家計を圧迫し始めてきましたから、無理をした楽しみ方をするよりも、身の丈に合った“ささやかな楽しみ”を見出す生活に、切り替えていこうと反省しているところです。
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「たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見る時」
~橘曙覧「独楽吟」より~
これは江戸時代末期、福井藩の歌人、橘曙覧(たちばな・あけみ)がよんだ歌です。
平成6年、天皇皇后両陛下がアメリカご訪問の時、クリントン大統領が歓迎式典のスピーチで引用して有名になりました。
独楽吟は「たのしみは~」ではじまり、「~とき」で終わる形式の短歌です。
ほかにも
たのしみは 妻子むつまじく うちつどひ かしら並べて 物をくふ時
たのしみは 心をおかぬ 友どちと 笑ひかたりて 腹をよるとき
たのしみは そぞろ読みゆく 書の中に 我とひとしき 人をみし時
など、身近な日常生活の中の、小さな喜び、心温まるときの風景を描いています。
なかには
たのしみは いやなる人の 来たりしが 長くもをらで かへりけるとき
など、ユーモラスな、本音がぽろっと出た歌もあります。
「たのしみは~」といいながら、生活の中を見回してみると、いつもとは違う風景が見えてきます。
「たのしみは~」といいながら、小さくささやかな「たのしみ」を発見して、物価高の厳しい状況を乗り切っていければと思っています。