団塊おんじ 人生100年時代を行く!

長く生きるかではなく、どう生きるかの試行錯誤録

再び保険の見直しが必要になりそうです

 結婚をした娘から一昨日妻のところに連絡がありました。

 

 妊娠をしていて、暮れには子どもが生まれる予定になっています。

 

 このところ週末ごとに“保険の相談”に行っているようで、私たちがどんな保険に入っているのかを聞きたいようです。

 

 これから家庭を築き上げていく娘たちと、そろそろ終活を迫られる我々とでは、保険に対する必要な要件は異なるので、参考にはならないのですが、妻はいろいろと聞かれたようです。

 

 妻から確認を促されて、保険証券類の入っているファイルを引っ張り出してみると、ついこの間“保険の見直し”をしたばかりだと思っていましたが、もう5年も経っていました。

    Larisa Koshkinaさんによるpixabayからの画像

 

 最近何かとテレビCMなどでも注意喚起をされている「古いままの保険内容では、いざという時に保険金が下りない」と知り合いから言われて、見直しをしたのでした。

 

 確かに以前の保険内容をみると、がん保険・医療保険は、入院時に保険が下りる内容だったのですが、現状は入院しての治療から通院中心になっていて、そのままにしておくと、いざという時に保険金が下りない事態になりかねないので、

妻の友達から紹介された保険外交員の方に、相談したのです。

 

 特に医療保険の内容を見てもらい、入院・通院を問わず、いざ病気になった時にかかる費用を賄える内容のものに変えました。

 

 近年、医療の進展はめざましいものがあり、どんどん新しい治療法も導入されています。

 

 ある程度の先進医療も受けられる内容にしておかないと、驚くほどの高額な医療費を請求されることになります。

 

 妻と私の医療保険を、それらに対応する内容に見直してみると、これまでの保険料に比べて高くなります。

 

 死亡保険は、県民共済の安い保険に入っていたのですが、私が65歳になったのを機に、保険適用から外されたままになっていたので、「死亡保険はどうしますか?」と尋ねられたのですが、さらに保険料金がかさむのを恐れて、見合わせました。

 

 妻はその時のやりとりを覚えていて、「やはり葬儀費用程度は賄える保険に入っておいた方がいいんじゃないの?」といいます。

 

 娘たちの、万が一に備えた行動をみていて、自分達の今後に備える準備を万全にしたいと思ったのでしょう。

 

 私は自分が死んだ後のことには、あまり関心がないのですが、新たに家族が増え、残された人たちのことを考える必要に迫られそうです。

 

父の免許証返納に付き添ってきました

 父は6月30日に93歳の誕生日を迎えます。

 

 昨年末に手に怪我をし、2ヶ月間入院してからというもの、車は全く運転していませんでした。

 

 私や妻から、危ないから運転はしないようにと、再三注意していましたし、本人も運転に自信がなくなっていたようです。

 

 次回の免許更新の時期までに、免許証を返納しようという、私たちとの約束になっていました。

 

 いよいよ誕生日が近づいてきましたので、先週実家に行き、警察署に手続きをしに行ってきました。

                                 ガクアジサイ

 

 窓口で目的を告げると、担当の女性の警察官が対応してくれました。

 

 担当の警察官は、「今回返納をしたいと思った理由はなんですか?」と尋ねてきます。

 

 すると父は返答の前にしばし考え込んでしまいました。

 

「例えば、ご家族からの勧めがあったからとか、ご自身の意思で運転するのをやめようと思ったからとか…」と促します。

 

 父は意を決したように、「年齢を考えて、自分で決めました」と返答します。

 

 聞き取りが終わり、書類に署名するように促され、父は不自由な手で書き始めました。

 

 2月の退院直後には、自分の名前を書くことさえおぼつかなかったのですが、随分しっかりと書くことができるようになっていました。

 

 一連の事務処理が終わった後、担当の警察官は「長い間運転お疲れ様でした」と父を労ったあと、「免許返納をしに来られた方の最高齢は100歳の方でした」などと世間話的な話を始めます。

 

「免許の更新は4年ごとですから、96歳のときには高齢者技能実習も受けて、免許の更新をしていたことになりますね」などと感慨深げに話します。

 

 そのやりとりを傍で聞きながら、父の決意が揺るがなければいいが、とハラハラしながら見守りました。

 

 免許証は、写真付きの身分証明書という機能も持ちますから、返納をした後は、身分証明の際に不自由になります。

 

 そこで警察署では、返納をした人のために、免許証代わりになる写真入りの証明書を発行してくれます。

 

 父は担当官の方に連れられて、証明書発行用の写真を撮りに向かいました。

 

 一連の手続きを終え、警察署を出る時には、父の顔は晴れ晴れとしていたような気がします。

 

長い間続いたデフレからインフレへ ~年金生活者はどうなる~

 このところ毎日のように商品値上げのニュースが報じられています。

 

 生活者の身としては、誰にとっても辛い状況には違いないのですが、とりわけ年金を頼りに生きている人達には、不安ばかりの時代がやってきそうです。

 

 デフレの状態が長く続いたせいか、経済全体の低迷は別にして、年金生活者は物価の安い状況で“つましい生活”をすれば何とか生きていくことが出来ました。

 

 しかしインフレ基調の社会は、高齢者にとって脅威となります。

 

 ただ、日本のインフレ率は直近の統計数字では2.4%程度という数字なのですが、今後もっと上昇することでしょう。

 

 欧米では8%台、トルコに至っては36%以上で今後40~50%で推移するだろうと言われていますので、資産半減といった事態が現実味を帯びてきています。

     Mabel Amberさんによるpixabayからの画像

 

 そういえば1973年の第一次オイルショック当時、私はこれから社会人になろうという矢先のことでした。

 

 物価高騰が渦巻く中で、学生生活の最後を迎えていましたので、毎日インスタントラーメンとキャベツをかじりながら、何とかその日その日を凌いでいました。

 

 翌年の春闘では狂乱物価の状況を受けて、32.9%という賃上げが決まり、

私もその恩恵に預り、初任給が当初聞いていたより、大幅にアップしたことを覚えています。

 

 あの当時に年金で生活をしていた方々は、狂乱物価が渦巻く中を、どのように乗り切ったのでしょうか。

 

 調べてみると、1973(昭和48)年には、物価が変動すれば年金もそれに連動して上げるという“物価スライド制”が導入された年でした。

 

 そしてその後の2年間で物価は41%も上がる狂乱的な物価上昇が起こり、年金額も相応に上がったようです。

 

 今回の物価は狂乱とはならないでしょうが、それでも2~3%の物価上昇が続くことは、年金生活者にとっては“真綿で首を締められる”ように、ジワリジワリと生活が苦しくなり、追い詰められる懸念があります。

 

 

 

 

“声をかける”こと、心がけたいと思います

 一昨日、近所での用事を済ませて帰宅する際、宅急便のお兄さんが沢山の荷物を抱えてエレベーターホールに立っていました。

 

 エレベーターが降りてきて、ドアが開くと、遠慮がちに私の方を見ました。

 

 コロナ禍以来、他の人とエレベーターに同乗することを避ける人が時々いるようなのです。

 

「どうぞ先に乗って下さい」と私が促すと、申し訳なさそうに先に乗り込みました。

 

「何階で降りますか?」と聞いて、希望階のボタンを押してあげました。

 

 まだ5月だというのに、午後には30度を超える予報です。

 

「今日はこれから熱くなりそうなので、大変ですね」と声を掛けると、「そうなんですよ、今日は特にお届け物が多くて、朝から汗だくです。これからさらに暑くなると思うと、気が重いです」と元気そうな声で応えます。

 

 私の方が上の階でしたので、宅急便のお兄さんは先に降りましたが、エレベーターを降りるやいなや、たくさんの荷物をエレベーター前のスペースに置き、一つの荷物だけ持って走り出しました。

 

 私の家でも、荷物を届けてもらうことが多いですが、不在の時の再配達をしてもらう際には、「何度も申し訳ありません、お疲れ様です」と労をねぎらう言葉を掛けるようにしています。

 

 一言声をかけることで、疲れも少しは軽減するのでは、と思うからです。

                 プリンセスチチブ

 

 最近、私の住む集合住宅には、最近移り住んだ人が増えてきたせいか、顔なじみではない人と廊下ですれ違うことが多くなりました。

 

 なかには挨拶を交わすことをしない人もいます。

 

 特にコロナ禍で、マスク生活が常態化してからというもの、とみに挨拶を交わすことをしなくなった人が増えたような気がしています。

 

 一方で、昔から住んでいる人達は、私も含めて高齢化が進んできましたから、災害のときなどに助け合う仕組みを強化しなければなりません。

 

 昨年の管理組合の役員は、住人の安否確認のために、災害時などに、「今どんな状況か」を記したマグネットボードを、玄関ドアの前に張り出すことを考案しました。

 

 一人暮らしの住人も増えてきました。

 

 いざと言う時の安否確認にとどまらず、日ごろの“声掛け”を意識してするようにしなければ、と改めて思っています。

 

 

観光に改めて力を入れよう

 このゴールデンウイーク中に、ひなびてはいますが、温泉地でもある実家に滞在していて、コロナ自粛期間とは違う変化に気づきました。

 

 感染者の数が落ち着いている状況をみて、政府・各自治体が観光振興策を打ち出しました。

 

 最初に打ち出された県民割、そして近隣割、続いて地域(ブロック)内で割引が適用になるブロック割と、対象が広がるごとに旅館・ホテルの宿泊客が増えていきました。

 

 ゴールデンウイーク中に、妻と日帰り湯のサービスを利用して、近くのホテルの温泉を使わせてもらいました。

 

 自粛期間中には閑古鳥が鳴いていましたが、久し振りに行くと、フロントはチェックインを待つ宿泊客でごった返していてビックリ!

 

 従業員の顔も、以前は沈みがちな印象でしたが、様子を見ていると、接客の様子が喜びに溢れているように見えました。

 

 やはり観光地に客が戻ってきたのを見ていると、自分も嬉しくなります。

      Dim Houさんによるpixabayからの画像

 

【観光地としての魅力 日本が初の世界1位】

 

 そんな折、朗報が飛び込んできました。

 

観光地としてどれだけ魅力的か、各国の競争力を比較した世界的な調査結果が発表され、日本は交通インフラの利便性や自然や文化の豊かさなどが評価され、調査の開始以来、初めて世界1位になったというニュースです。

 

 この調査は、スイスのダボス会議の主催団体として知られる「世界経済フォーラム」が、2年に1度をメドに各国の観光資源や交通インフラ、それに治安などを比較して、観光産業の競争力をランク付けしているものです。

 

 24日発表された今年の調査結果では、評価の手法が見直され、117の国と地域を対象に行われ、日本は世界1位に評価されました。

 

日本が1位になったのは、2007年の調査開始以来、初めてのことで、2位のアメリカや3位のスペイン、4位のフランスなどを上回りました。

 

具体的には、交通インフラの利便性や、自然や文化など観光資源の豊かさ、それに治安のよさなどが高く評価されたようです。

 

世界経済フォーラムの調査の報告書は「新型コロナウイルスの感染拡大は、世界経済にとって観光産業がいかに重要かを改めて示した。観光産業の持続的な成長のために、各国は衛生や安全確保の強化に優先して取り組むべきだ」と提言しています。

 

 ちなみにトップ10は、以下の通りです。

 

 (1位)日本 (2位)アメリカ(3位)スペイン (4位)フランス (5位)ドイツ (6位)スイス (7位)オーストラリア (8位)イギリス

(9位)シンガポール (10位)イタリア 

 

 コロナ前のインバウンドブーム以来、来日経験のある外国人を中心に、訪日を熱望する需要は高いといいます。

 

 円安を追い風に、“安い日本”を売り物に、外国人観光客を受け入れることで、景気のV字回復に向けての、起爆剤になることを期待したいものです。

 

国によって、人の命の重さは違うのだなぁ…

 北朝鮮で新型コロナの感染者が急増しているようです。

 

 医療体制が脆弱なうえに、新型コロナウィルスへの対処法を持たない国ですから、このままにしておくと大きな悲劇を招きかねません。

 

 人道上の立場から、韓国ユン新政権は、コロナワクチンの提供を申し出たようですが、それを断ったといいます。

 

 その後、国民がパニックに陥ることを恐れ、慌てて中国から大量の医薬品を買い求めたようです。

 

 一方で相変わらず、金正恩は、ミサイル開発には余念がないようです。

     Bessiさんによるpixabayからの画像

 

 また、プーチン・ロシアの軍事侵攻後、ウクライナ軍と人民の勇敢な国を守る戦いぶりに比べ、ロシア軍の前線部隊の士気の低下が著しいといいます。

 

 前線の兵士に食料も装備品も行き渡らず、投降や脱走する者も多く出ているようです。

 

 たった一人の独裁者のために、命を軽んじられる国民はたまったものではないと、傍から見ていて、つくづく思ってしまいます。

 

 また、長引くロシア侵攻によるウクライナでの戦闘により、小麦などの穀物の輸出が滞り、世界的な食糧危機が深刻化しています。

 

 はやく手を打たないと、食糧不足が引き金になり、命を落とす人々が出てくることも懸念されます。

 

 国の事情や世界情勢によって、一般市民が命の危険にさらされる懸念がこれまでになく高まっていることを感じます。

 

 時の宰相によって、国民の命が“吹けば飛ぶような”軽んじられた扱いをされてはならないでしょう。

 

 そういえば、“一人の人間の命は、地球より重い”と言った日本のリーダーがいたのを、思い出しました。

 

 日本赤軍ハイジャック事件の時に、時の首相、福田赳夫氏が言った言葉でした。

 

 世界で唯一、原子爆弾を投下された日本が、平和を希求するメッセージを、これまで以上に、世界に発信し続けなければならない状況が訪れています。

 

捨てない生き方

 前回、私の父がモノを捨てられないという主旨のことを書きましたが、断捨離ブームが続く今、本当に断捨離に突き進んでいっていいのだろうかと、ふと考えました。

 

 実は、私自身も捨てることが苦手な方ではないのかと思いいたったのです。

 

 最近、父の行動を見るにつけ、私も父に似たところがあるのかなと密かに思っていたのですが、妻にそのことをズバリ指摘されました。

 

 父も勿論ですが、私も貧しい環境で育ちました。

 

 衣類にしても靴にしても、古くなったものを妻には捨てろと言われるのですが、まだ着れたり、履けたりするものを捨てたくありません。

 

 大事な場があるときなどに、妻はせっせと私の衣類・シャツなどを買ってくるのですが、捨てないので、家では私が一番“モノ持ち”になってしまいます。

 

  五木寛之さん

 そんなとき、本屋の店頭で「捨てない生き方」というタイトルが目に留まりました。

 

 五木寛之さんの新著です。

 

 五木さんは、あえて世の中の風潮の流れの中で、マイナスとされるものに新たな光を当てる名人です。

 

「捨てない」ことに力を見出す。何年も着ていない服や古い靴、レコード、本などは、他人から見れば不要不急のガラクタであっても、本人の人生では宝物なのだといいます。

 

 夢を求め、モノを買い求めた人生の登頂期を終え、下山の道を進む生の後半には、記憶の詰まった愛着品は孤独の友になるともいっています。

 

 そういえば、私もモノを詰め込んだロッカーや棚の整理をする際に、出てきた写真や若い時に読んだ書物などに出会うと、ふと手が止まって、しばし写真に見入ったり、本をめくって、当時大事な部分にマーカーを引っ張ったりした箇所を見ながら、当時のことを思い出したりしてしまいします。

 

 そういえば若い頃、手狭なアパートで生活していて、手を焼いた音響機器と大量のレコードなどを、実家に持っていき、2階の使っていない部屋に押し込めたままになっていることを思い出しました。

 

 あの頃聞いていたレコードを取り出して、懐かしい曲を聴いてみたいと思うことが時々あります。

 

 しかし保存状態がよくないので、レコードが歪んでしまい聞くことができないかもしれません😢