団塊おんじ 人生100年時代を行く!

長く生きるかではなく、どう生きるかの試行錯誤録

子ども食堂という意義ある活動

 以前の勤務先の先輩だった人から電話がありました。

 

 子ども食堂を運営する団体でボランティア活動をしていることは聞いていました。

 

 電話の主旨は、いま活動をしている組織を「公益団体」として申請登録したいので、協力してほしいというものでした。

 

 子ども食堂とは、地域の子ども達や保護者などを対象に食事を提供するコミュニティのことです。

 

 NPO法人や地域住民によって運営されています。

 

 子ども食堂の目的としては、「地域交流の拠点」と「子どもの貧困対策」の二つがあります。

 

 地域住民のコミュニティとして幅広い年齢層の人を受け入れながら、経済的理由や家庭の事情によって、栄養のある食事をとることができない子どもたちを支援する、という社会的な役割を担っています。

 

 NPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえの調査によりますと、2018年時点で全国に2286箇所、2019年6月では3718箇所の子ども食堂があるということです。

 

 1年間で1.6倍にもなっていて、急速に全国へ拡大しています。

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           Stokpicさんによるpixabayからの画像

 

 協力するといっても、私が何の役に立つのかと思ったのですが、とりあえず公益団体を申請・立ち上げるのに際して、賛同者に名を連ねて欲しいということでしたので、快く了承しました。

 

 私も以前「子ども食堂」が注目され始めたころに、取材に出かけたことがあり、子ども食堂の何たるかは予備知識を持っていましたので、実際にその先輩が活動を始めたことに敬意を表し、さらに何かお手伝いできることがあれば、協力しますと伝えました。

 

 貧困に直面している子どもの存在が社会的に広く認知されつつあります。

 

日本では、7人に1人の子どもが「相対的貧困」の状態にあるといわれてます。

 

「相対的貧困」とは、その国の生活・文化水準と比較して困窮した状態のことを指します。

 

政府が初めて相対的貧困率(世帯所得が標準的な所得の半分以下の世帯の割合)を公表したのは2009年です。そこから、今まで見えていなかった貧困家庭の存在が広く認知されました。

 

また、政府も「子どもの貧困対策推進法」の改正を進めており、子どもの貧困問題を支援する動きが活発になっています。

 

食事を子どもに提供するという活動のわかりやすさがあります。

 

もうひとつは、“活動を通して得られる結果の身近さ”があるでしょう。

 

一般的に、子どもの貧困は見えにくいとされています。子ども自身が貧困状態にあることを表に出せない、情報が手に入らず社会的に孤立しがちで必要な支援が得られない、などの背景があります。

 

ニュースでこうした子どもの貧困問題を見聞きして心を痛めている人はたくさんいるでしょう。

 

ただ、その社会的な問題に対して具体的にどういうアクションができるのかと考えるとなかなか難しいのも事実です。

 

その点、子ども食堂には、“お腹を空かせた子どもに温かい食事を提供する”という活動のわかりやすさがあります。

 

最近では、子ども食堂を開設したい人を対象にしたセミナーなども開催されており、自分にできることから社会の問題と積極的にかかわっていく人が増えていることがうかがえます。

 

 困っている子もそうでない子も一人で安心して行けて、年齢が異なる子たちで遊び、親も立ち寄り、大人やお年寄りとの「多世代交流の地域拠点」でもある子ども食堂。

 

 子どもの貧困対策や高齢者の諸問題の解決策として「つながりの提供」の必要性がありますが、子ども食堂はその活動の象徴的な場となることでしょう。

 

 聞けば、その先輩は長年住んでいた街から隣接する街に引っ越したとのこと。

 

 引っ越した理由は、おそらく子ども食堂を開設する場所と関係するのでしょう。

 

 先輩の行動力に只々敬意を表するばかりです。

 

 

出された料理に“ダメ出し”をしない

 長年の経験から、私は出された料理には絶対ケチをつけないようにしています。

 

 妻が勇んで新しい料理に挑戦した時など、「どう?」と聞いてきますが、ここでダメ出しをしようものなら、「これはもう二度と作らない」などと落胆したり、怒りをあらわにしたりします。

 

「おいしいよ」と言っておけば間違いありません。

 

 たとえおいしくなくても、彼女がすぐ後に食しますから、自分で「思ったほどおいしくないわね」などと自分で評価しますから、私が評価をくださなくてもよいわけです。

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         Dim Houさんによるpixabayからの画像

 

 若い頃には、仕事上や職場の食通などに連れて行ってもらった「一流の料理」に出会った経験から、知ったかぶりで「こんなふうに作るといいんじゃない?」などと言ってしまったものです。

 

 すると必ず「そんなおいしい店に、連れて行ってもらったことがないから分かんない」と返ってきたものです。

 

 最近では妻は、「毎日夕飯の献立を考えるのが面倒くさい」というのが口癖になってしまっています。

 

 そして娘に「今晩何が食べたい?」と投げるのですが、「おいしいもの」とそっけない返事が返って来て、がっかりしています。

 

 今ではお金さえ出せば、「一流レストラン監修の○○」などという商品・食材が手に入ります。

 

 しかし、毎日のようにそんな贅沢をするわけにはいきません。

 

 そして年齢がかさんできますと、塩分控えめ、カロリー控えめ、低脂肪高タンパクなどの条件がつきますから、よけい面倒なことになってしまっています。

 

 ときには「久しぶりに○○が食べたい」などと頭に浮かんでくることがあります。

 

 また食品スーパーやデパ地下などに、散歩がてらふらりと立ち寄った際に、食指をそそられる食材に出会うことがあります。

 

 そんな時は、清水の舞台から飛び降りるつもりで、身銭を切って買うことにしています。

 

 そして家に帰って、食卓に出される状態まで、責任を持って自ら料理をすれば、文句は言いません。

 

 しかしそんな非日常の食事はともかくとして、通常の日のメニューを考えて、私たちに供してくれるのですから、本人を前にしては言えませんが、感謝しかありません。

 

 決して“ダメ出し”などは出来ないのです。

 

 

やはり“手書き”の味わいは捨てがたい

 元職場の先輩の逝去で、当時の職場仲間と話し合い、お花券とお線香を、手紙を添えて送りました。

 

 早いもので、七七日忌をお済ませになられたと、返礼の品が届きました。

 

 そして手書きの「お例文」が添えられています。

 

 事情は分かりませんが、お嬢様が奥様の代筆をされているようです。

 

 お嬢様の文字は、いわゆる“丸文字”です。

 

 思い起こせば、私の次の世代ぐらいから、丸みのある文字を書く人が増えました。

 

 昔ある文化人類学者が、「丸文字を書く人は、周りに気を配り、好意的に受け取ってもらうことを気にかける傾向がある」といっていたことを、ふと思い出しました。

 

 文字には、その人の“人柄”が滲み出ているような気がします。

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  Ralf Kunzeさんによるpixabayからの画像

 

 いまでは会う機会が減ってしまった学生時代の友人の、年賀状に添えられている“手書きの文字”をみると、「あ~、アイツの文字だ」などと懐かしくなることがよくあります。

 

 うまいとか下手ではなく、その人の人柄や個性が、文字には表れているような気がするのです。

 

 最近は、私も“手書きの手紙”を書く機会が、本当に少なくなってしまいました。

 

 何を書くにも、パソコンに向き合ってしまいます。

 

 手書きで文字を書くことは、漢字を思い出すという訓練にもなりますし、手書きのメモは、書いた時の事情を思い出すことにもなり、記憶の定着という意味でも大切なようです。

 

 手書きの習慣は、残していきたいものだと、改めて自分に言い聞かせているところです。

 

 

デジタル化の遅れを取り戻せるか

 自粛宣言の解除にともなって、各飲食店はこれまでの売上の大幅減少から抜け出そうと、祈るような気持ちで奮闘しているようです。

 

 ただ、ピーク時に混雑したりすると、順番待ちの長い行列が「密」を招きかねません。

 

 山梨県・河口湖近くにある」ほうとう専門店「ほうとう蔵 歩成」は、週末には100組待ちとなることもある人気店です。

 

 昨年導入したシステムで、待合室の様相は一変しました。

 

 客は入り口のタブレットに入力すれば、店を離れて観光していても順番をスマートフォン上で確認できます。

 

 順番が近づくと「ご来店ください」と画面上で案内されるのです。

 

 待合室の混雑はほぼ解消されたといいます。

 

 以前は、客は順番待ちの用紙に記入して待つのみでしたから、待合室は常時すし詰め状態でした。

 

「お客の満足度は、料理を出す前にマイナスからスタートしていた」、と榎原誠専務(41)は振り返ります。

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      Gennaro Leonardiさんによるpixabayからの画像

 

 スマホのように手軽で高度なIT機器の普及は、デジタル化するビジネスの裾野を一気に広げました。

 

 小さな商店も巨大企業と同じような仕組みをわずかな出費で実現できるからです。

 

 東京・高円寺で1933年から続く銭湯「小杉湯」は、以前は番台の箱に現金を入れてもらうだけの「どんぶり勘定」でした。

 

 2019年に入れたシステムで、時間帯ごとの客数や商品の売れ行きを把握できるようになりました。

 

 混み具合を定期的にツイッターに投稿し、混雑を避けたい常連客から好評を得ているといいます。

 

 経営企画担当の菅原理之(40)さんは、「長年の勘に頼っていたビジネスを変え、100年を超えて続く銭湯にしていきたい」と語ります。

 

 日本の産業の生産性は2000年頃から停滞し、多くの国に後れを取っています。

 

 デジタル化の遅れが原因と指摘されてきましたが、大企業も変わり始めたようです。

 

 アサヒグループホールディングスは昨年、イタリアのローマ工場で主力ビール「スーパードライ」の生産を始めました。

 

 しかしコロナ禍で技術者は現地に渡れませんでした。

 

 そこで現地スタッフがカメラ付きメガネを通じて作業の様子を映像と音で日本に送り、東京の技術者が画面越しにアドバイスを重ねました。

 

 総務省は日本企業のデジタル化が米国並みに進んだ場合、売上高が約68兆円押し上げられると試算しています。

 

 ワクチン接種でも、当初接種開始が大きく遅れましたが、現在は米国を追い抜くまでに接種が進みました。

 

 それと同様、デジタル化の遅れを一気に挽回できるのか、9月1日のデジタル庁発足を機に、官民挙げて集中して取り組んでいってもらいたいものだと思っています。

 

 

 

コロナ禍の変化で良かったこと

 2年にもなろうとするコロナウィルスとの闘い、第5波の感染が落ち着きつつあるということで、今日から自粛宣言が解除されるようです。

 

 近所の飲食店では、早速「ビール半額」などの表示を店頭に張り出しています。

 

 ワクチン接種が行き届いた米国などの様子を見ていても、長い間の自粛期間から開放されると、喜びのあまり羽目を外す人達が急増するのではないかと心配になります。

 

 コロナ禍の2年を振り返ると、これで安心などとはとても思えず、またリバウンドや新たなウィルス株の登場で感染拡大がきっと起きるに違いありません。

 

 顔の半分をマスクで覆い、手洗い・うがい、ソーシャルディスタンス励行の生活は当分続くのでしょう。

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   Pezibearさんによるpixabayからの画像

 

 ある調査によれば、コロナ禍で「生活にプラスの変化が出た」と感じている人は3割を超え、感じない人より多かったことが分かったそうです。

 

 この調査は、レシピサービス大手「クックパッド」と住宅ローン大手「アルヒ」との共同調査です。

 

 調査は今年6月、全国の男女4095人にオンラインで実施しました。

 

 コロナ禍でプラスの変化があったと感じる人は33%で、プラスと感じなかった人の30%をわずかに上回りました。

 

 現在の暮らしの満足度を「家族・人間関係」「住まい」「経済面」などの5分野で尋ねたところ、家族・人間関係で54%、住まいで50%が満足と答えていますが、経済面では不満が42%で、満足の30%を上回りました。

 

 主な意見では、「夫がテレワークのため親子のコミュニケーションが増えた」「睡眠時間が増え、疲れが残らなくなった」などがプラスの変化として挙がっています。

 

 また「無駄遣いをやめ、資産運用の勉強を始めた」「給与減で節約し、ポイントをためるようにしている」など、節約志向が強まったとする声もありました。

 

 一昔前の「亭主元気で留守がいい」といった世代からすると、テレワークで夫が四六時中家にいられるのは、ストレスがたまる元になるのかもしれません。

 

 しかし現在子育て中の若い世代は、「家庭・家族を大事にする」意識が高く、コロナ禍で、家で仕事をしながら、子供とのふれあい時間が増えることは、満足度が高まる要因なのかもしれません。

 

 

遊びを仕事にする若者たち

 今回の東京オリンピックでは、スケートボードがはじめて競技に採用されました。

 

 そして日本の代表選手が、めざましい活躍をしたのは、皆さまご存知のことと思います。

 

 彼らの活躍をみた若い人たちの中には、これからスケートボードを始めてみようとする人達が急増しているようです。

 

 競技人口が増えて、優れたパフォーマンスを発揮できるボーダーが次々と現れることは好ましいことですが、彼らの練習場所はあるのかな?とふと疑問を持ってしまいました。

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   Bessiさんによるpixabayからの画像

 

 そんな折、いま全国各地にスケートボードパークを建設している専門家集団がいることを知りました。

 

 仕事柄そこで働く人は皆さんスケーターです。

 

 なので依頼者さんの気持ちも分かり、スケボーなど「見たことも聞いたこともない」職人さんでは、細やかな部分の調整などはできませんが、自らプレーする彼らには、それを汲み取ることができるのだといいます。

 

 そして仕事が終われば、そこでプレーが楽しめるという、彼らにとっては、まさに天国のような最高の場所なのです。

 

 働く人の中には元サラリーマンの方もいて、以前の働き場所と「今の会社」どちらが良いですか?と聞かれると「もちろん、ここですよ」と返事が返ってきます。

 

 このスケートボードビルダーの会社「MBM parkbuilders」は、アメリカに物を輸入しに行った際に、現地でパークを見せつけられたマサケン社長・木村將人さんが、ハマってしまい、儲かるなんて考えず、とにかく作りたいと始めたのが切っ掛けなのだそうです。

 

 そして作ってみたら面白かったので、どんどんはまってしまったとのこと。

 

 東京オリンピックでの日本人選手の活躍で、関心が高まるなかで、当分はパーク建設の需要は高まるばかりなのでしょう。

 

 本来人間は、「遊びと労働」の区別は現在ほどハッキリと分かれていたわけではありませんでした。

 

 それが現在では「仕事をする時間」と「遊ぶ時間」がくっきりと分かれていることがほとんどです。

 

 したがって仕事をしている時間は、一定程度の苦痛を伴う時間となり、ストレスや疲労を伴うことに耐えなければなりません。

 

 このスケートボードビルダーの若者達は、大好きな「遊び場」をつくることを仕事にしているのですから、羨ましい限りです。

 

 

睡眠時間と生産性

日本人の睡眠時間は他国と比較して非常に短いようです。

 

 日本人の平均睡眠時間は7時間22分と、OECD加盟国27カ国中でワースト1位で、日本人の睡眠不足による経済損失は年間約15兆円という莫大な金額におよぶと試算されています。

 

 日本の生産性が先進7か国のなかでも最下位であることと、日本人の睡眠時間が短いことは、何か因果関係があるのか?とふと思いました。

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  manseok kimさんによるpixabayからの画像

 

「寝る間も惜しんで」何かに打ち込む…、人生の中ではこんな時期があってもいいのでしょうが、四六時中短い睡眠時間で働き続けるといった生活では、無理が高じて体を壊すのがオチです。

 

 これまで日本では「寝ること自体がさぼっている、無駄な時間」と考えられる風潮があったような気がします。

 

 いまは随分意識が変わってきたと思いますが、机にしがみついて夜遅くまで働く(働いているふりをする?)のが美徳であり、管理者もそんな社員に高い評価を与えることがまかり通っていた時代が長く続きました。

 

 深夜に帰宅し、朝は定時に家を出る生活ですから、睡眠時間は少なく、その分休日に「寝だめ」をするといった人は少なくなかったのです。

 

 しかしそんな働き方を続けていても、会社の業績が上向くことはなく、生産性が低迷したままでした。

 

「睡眠負債」という言葉があります。

 

 毎日少しずつ睡眠不足が借金のように積み重なっていくことで、積もり積もると生活習慣病やうつなどの心身の不調となって返済を迫られるのです。

 

 日本人が寝る間も惜しんでコツコツと、少ないアウトプットのために、懸命に頑張ってきました。

 

その間に、世界はデジタル化の波に乗って、プラットフォームを中心に据えた「新たなビジネスモデル」に果敢に挑み、GAFAに代表されるような巨大なハイパフォーマー組織が出現しました。

 

 従来の延長線上で頑張り続けた日本は、ジリ貧状態に甘んじることになってしまったのです。

 

 良質な睡眠をたっぷり取るようにすることで、集中力が持続する状態を保ち、決まった時間で成果を出す習慣を作らなければ、生産性をあげることはできないのでしょう。