団塊おんじ 人生100年時代を行く!

長く生きるかではなく、どう生きるかの試行錯誤録

おみやげを買ってきてくれるということ

【職場の女性陣に感謝】

 

 今月は夏休みを利用して、旅行に出かけた人達も多いことでしょう。

  私が週2日ほどお手伝いに行っている職場でも、何人かの方が旅行に行ってきたと、土産をくれました。

 

 もらうたびに恐縮してしまいます。

 というのも、私は根っからの無精者で、どこかに出かけたとしても、滅多に土産は買って帰らないからです。

 

 私のいく職場は、女性ばかりの職場で、旅行に行った人達は必ずといっていいほど、律儀に土産を買ってきてくれるのです。

 

 私のようなたまにしか職場に顔をださない者にまでも…😊。

 

 やはり女性の方が、こういうことにはマメなのでしようか。しかも貰った方が負担に感じないよう、クッキーとか絶妙な品を選んで買ってくることに、さらに感心しきりです。

 

 やはり職場の旅行みやげは、人間関係の潤滑油のような役目があるのでしょう。

 

 

【旅先で何にお金を使えばよいのか】

 

  このような職場へのお土産はいいとしても、我が家の場合、私は勿論のこと、妻も職場の土産は別として、家族への土産はあまり買いません。

 

 なぜなら買って行っても娘などは、あまり喜ばないからです。お菓子類などは食べないでそのまま残ってしまうので、もったいないのです。

 

 またほとんどの旅行は「ケチケチ旅行」ですから、無駄な出費は抑えることにしています。

 

 一般的には、お土産に平均5千円から1万円くらい出費するというデータがあります。

 

 これも旅先の地域を活性化させるうえで、大事なことではあります。

 

 私も「ケチケチ旅行」とはいっても、珍しいもの、魅力的なものが発見できれば購入し、旅先の地元に些細な貢献をすることにやぶさかではありません。

 

 しかしどうしてもモノを買うより、「食いしん坊」の私は、その場で食する地元の食べ物のほうに食指が動いてしまうのです😊。

 

 そうはいっても貰ってばかりでは罰が当たるので、次回旅する時には、職場の女性陣に喜んでもらえるようなお土産をみつけて、恩返しをしなければと思っているところです。

 

 日本のお土産のやりとりの風習や、贈り物をするギフトの文化は奥が深く、外国の人からみると、なかなか理解できないことが多いといわれますが、こんな時に「私も日本人なんだな~」などと実感してしまいます😊。

 

 

 

 

働く高齢者の労働災害が増えている

 

【増える高齢労働者】

 

 

 働く高齢者の労働災害(労災)が増えているようです。

 

 

 

2018年に労災に遭った60歳以上の働き手は前年よりも10.7%増え、労災全体の4分の1を占めました。

 

 

 

政府は70歳までの雇用の確保を努力義務として企業に課す方針を打ち出していますが、高齢者が安心して働ける職場づくりが課題として浮かび上がっています。

 

 

 

 高齢者の就業状況についてみると、男性の場合、就業者の割合は、5559歳で90.3%60~64歳で77.1%、65~69歳で53.0%となっていて、多くの人が就業しています。

 

 

 

 65歳以上の働き手は10年前より309万人増えて875万人に達し、労働力人口全体(6830万人)の12.8%を占めているのです。

 

 

【身体と相談しながら仕事を続ける】

 いくら平均寿命が伸びたといっても、人間の身体がそれに応じて、健康体を長く保てるようになったわけではありません。

 

 60代70代になれば、誰でも持病の一つや二つは抱えながら生きているのです。この年代の集まりでの、話題の中心になるのは、病気や健康の話です。

 

 そんな中、60代になっても70を超えても働き続けるのが珍しくない世の中になっています。

 

 したがって仕事をしている最中のケガや、仕事で無理をしたことが引き金になって、病気になってしまうといった事が増えていくのは予想されることです。

 

 ただ仕事をし続けていた方が、社会との接点を持つことで、若さを保てたり、ボケ防止につながるという意見もあります。

 

 無理のない範囲で、働き続けるのはよしとして、肉体を酷使したり、神経を使う作業を長時間続けるような仕事は、災害につながりかねません。

 

 特に私が気になっているのは、いわゆる3Kの仕事に高齢者が多く就いていることです。

 

 消費税の値上げを前にして、我が家の周辺でも建物の建て替えやリニューアル工事がいくつも行われています。

 

 猛暑の中、ヘルメットを被り汗だくで交通整理をしている高齢作業員の姿を見るたびに、作業責任者は水分補給やこまめな休憩などをケアする配慮が必要だと傍を通るたびに心配しています。

 

 

 

ヒグラシの鳴き声を聞き、「はかなさ」を感じる

 

【しみいる鳴き声】

 

 旧盆の少し前でしたが、実家を訪れました。

 

 

 

 山峡の地といえども、今年の暑さは格別のようで両親ともに夏バテ気味の様子ですが、さすがに夕方になると涼しい風が流れ込みほっとします。

 

 

 

 盛夏の季節に実家を訪れた時の楽しみの一つが、ヒグラシ()の鳴き声を聞くことです。

 

 

 

 普段、我が家の周辺で鳴くミンミンゼミやアブラゼミとは違い、夕方近くの涼しくなる時間帯に泣き始める印象があります。

 

 

 

 セミというと、うだるような暑さの中でうるさく鳴くので、煩わしいイメージを持つ方も多いのではないかと思います。

 

 

 

 ヒグラシは「カナカナカナ」と森や林にしみいるような鳴き声で、その声を聴いていると、一日が終わり、これから夜が迫ってくる夕方の時間帯に、どこか「物悲しさ」を感じさせ、落ち着いたしんみりとした気分になります。

 

 

 

【はかなさの象徴】

セミの寿命は一週間とよくいわれます。

 

 ただまだはっきりしないことが多く、専門家の間ではそれ以上生きるセミも多くいるとの説が有力だそうです。

 

 いずれにしてもそう長く生きられるわけではありませんから、セミは「はかなさ」の象徴として昔から文学に登場しています。

 

 「はかない」とは「不確か」「むなしい」などの意味で、よく用いられるのは、セミや抜け殻を意味する「空●」という表現です。

 

 例えば平安時代に書かれた「源氏物語」には、まさに「空●」という巻があります。

 

 ある女性を好きになって家をこっそり訪ねた主人公の光源氏が、感づかれた女性に逃げられてしまいます。

 

 その時、部屋に残された薄い着物をセミの抜け殻になぞらえ、かなわない恋心を和歌に託しました。

 

 さて夏の暑さもピークを過ぎようとしています。この時期になると、夕方に我が家の近くの神社の森にも「ヒグラシ」が登場します。

 

 その時には私もヒグラシの鳴き声を聞きながら、「人の世のはかなさ」などを考えながら、もの思いにふけってみたいと思います😊。

 

 

 

 

サービスエリアが進化している

【人気のサービスエリアがリニューアルオープン】

 実家に帰省した帰りに、ときどき立ち寄るサービスエリアがあります。

 

そのサービスエリアは土産物などが充実していて、以前から人気があり、高速道路の休憩所(サービスエリア)の混雑状況を示す案内表示は、いつも「混雑」と案内されていました。

 

 5月のゴールデンウイークに帰省した際にも、「混雑」の表示をみて諦め、立ち寄らずに通り越して車を走らせていると、間もなく大規模な工事現場が見えてきました。

 

 最初は、大きな物流倉庫でも建設しているのかと思いましたが、そういえば人気のサービスエリアがリニューアル移転すると案内されたポスターを以前に見たのを思い出しました。

 

 場所を移転してのリニューアルオープンでしたので、多少混雑していてものぞいて見ることにしました。

 

  駐車スペースがこれまでの2倍と聞いていましたが、確かに広い!

 

 それでもほとんどの駐車スペースはうまっている状態でした。運良く出る車がありましたので、駐車に時間をかけずに、車を入れることが出来ました。

 

 左からトイレ、コンビニ、フードコート、土産ものコーナー、そしてデパ地下のような食品コーナーがあります。鮮魚や肉そして地元野菜も扱っている青物売り場まであります。こんなものまでサービスエリアで扱って売れるのだろうかと疑問に思いました。

 

 

 

【高速道路と地域を繋ぐ】

 調べてみると高速道路初出店が11店舗もあり、それを含む専門店が22も出店しています。

 

 先ほどの疑問が解けました、このサービスエリアのコンセプトが「高速道路と地域を繋ぐ」となっています。

 

 つまり高速道路の利用者だけでなく、周辺地域の住人も一般道路から専用駐車場に車をとめてサービスエリアに出入りできるのです。

 

 これであれば、サービスエリアの役割プラス、ちょっとしたショッピングセンター機能を兼ね備えた場所として、付近住民に買い物を楽しんでもらえるので、デパ地下のような気の利いた食品が並んでいても十分採算がとれるということなのでしょう。

 

 また高速道路利用者にとっても、これから家路につく人にとっては、ここで夕飯の買い物を済ませれば、他で買い物をせずにそのまま家に帰ることができます。

 

 これまでのサービスエリアとは一味違った場所として、興味深いリニューアルオープンです。

 

 今回は連休のお盆休みに当たっていましたので、大変に混雑していましたが、閑散期への対応など今後の展開が注目されます。

 

 サービスエリアを出発して、左側の一般道をチラッとみえましたが、一般道から専用駐車場に入る車で渋滞していました😊。

旧盆と新盆(しんぼん)

【旧盆の陰に隠れた新盆】

8月に入ると「今年もお盆がやってくる」と話題にのぼります。

 

  8月15日は正確には旧盆のことです。サラリーマンの大型夏休みが、この旧盆と時期が一緒の企業が非常に多いのは、夏休み=お盆休みという意味合いになるのです。

 

 しかし旧盆ではなく、新盆でお盆を迎える地域があるのを知らない人もいるのではないでしょうか。

 

 その年のカレンダーによっては、日にちがずれることがありますが、7月15日にお盆を迎えるのが新盆です。

 

 故人の四十九日の忌明け(きあけ)以降に初めて迎えるお盆のことを新盆(にいぼん)または初盆といいますが、7月に迎えるお盆は新盆(しんぼん)なのです。

 

 

【改暦によって二つに分かれる】

お盆の時期が異なる理由は、明治時代に行われた改暦が関係しているようです。

 

改暦は明治時代に暦の国際基準化を目的として行われました。

 

改暦に伴って日本の各行事は30日遅れとなり、もともと旧暦の7月15日に行われていたお盆も、改暦後には新暦の8月15日に行われるようになりました。

 

 現在、新盆は東京を中心とした一部の地域のみで、大多数の地域は旧盆です。


 東京は新盆、その他は旧盆と、お盆時期のずれが定着した理由は諸説あります。例えば、農業が盛んな地方の7月は農繁期で忙しいため、1ヶ月遅らせてお盆を行った説などです。


 なお、新盆と旧盆の内容自体にほとんど差はありません。新盆・旧盆だから行事や風習の内容が異なるのではなく、地域による差の方が大きいと考えられます。

【山奥なのに新盆で行われている地域】

私の実家は東京ではなく山奥にもかかわらず、新盆で行っています。


ひとつの町で7月の新盆で行う地域と、8月の旧盆で行う地域が混在していました。


 町は温泉観光地区と、農業地区に分かれているのですが、私の実家のある温泉観光地区は新盆、農業地区は旧盆で実施しています。


 私の小さい頃は、旧盆で実施していた記憶があるのですが、いつの頃からか新盆に切り替えられました。


 8月は私の実家のある温泉街は、ホテル・旅館・それに付随する仕事に従事している家がほとんどで、いわゆる「かきいれどき」ですから、前倒しで迎える新盆の方が、都合がよかったというのが理由のようです。


 私の毎年の夏季休暇は、8月の旧盆の時期でしたから、7月15日頃に休みを取るのは難しく、いつも実家の7月のお盆に顔を出せませんでした。


 いま振り返ると、私が帰省するお正月や8月の旧盆の時期は、いつも父親が朝早くから忙しく動き回っていたことが思い出されます。


 引退した今でも身に着いた習性なのか、絶えず狭い庭をいじって動き回っています😊。

 

ネットでの評価を検証してみる ~旅レポ その2~

【いよいよ宿に向かう】

 小布施で泊まる宿は、町の郊外の温泉宿です。

 

 郊外とは言っても、小さな町ですから中心部から車で10分もかからない距離です。

 

 この宿は、ネットで予め調べたところ、あまり評判が良くなかった宿です。

 

 この町は、宿の数が少なく希望していたところが満室で、仕方がなく予約した宿でした。その後、クレームを受けて改善しているのを期待しつつです。

 

 車から荷物を取り出し、恐る恐る身構えながらフロントに向かいます。

 

 フロントを入ると、いきなり地元の野菜がところ狭しと並んでいます。若い女性がやってきてチェックインの手続きを済ませました。

 

 雁田山という小高い山のすそ野に立地した宿で、案内されたのは最上階4階の部屋です。

 

 

【ホテルの自慢】

 ホテルの女性が山の写真を手渡してくれ、窓からは北信五岳(妙高山、斑尾山、黒姫山、戸隠山、飯綱山)が一望できますとのこと、この眺めがこのホテルの自慢のようです。

 

 冬場の晴れた日だと、もっとくっきりと山が眺められるのでしょうが、残念ながら晴れてはいますが、気温が高いせいか、霞がかかってぼんやりとしか見えません。

 

 ひと休みの後、お風呂に向かいました。風呂の入口に近づくとプ~ンと硫黄の匂いがしてきます。

 

 行くと地元の日帰り入浴できているご老人達でけっこう混んでいます。

 

 これまで色々な温泉に入った経験があり、実家も温泉地ですので、この温泉が質の良いなかなかいい泉質であることがわかります。

 

 夕食の時間は6時からということなので、まだお腹も空いていないのですが、会場に向かいます。

 

 メニューには、目玉になるような食欲をそそられる品はないのですが、限られた予算の中で、何とか満足してもらおうという努力が感じられるメニューです。

 

 風呂あがりのビールを飲んでいるうちに、食欲も出てきて、出された品を美味しく頂きましたが、ご飯にまでは手が出ませんでした。

 

 そこで手の付いていないご飯をオニギリにして、部屋に持っていくことが出来るかを聞いてみたところ、快く引き受けてくれました。しかもオニギリだけでなく、地元の野菜で漬けたお新香も添えてくれました。

 

妻もなかなか良い対応だと上機嫌の様子です。

 

【ネットでの評判を検証してみる】

 事前にネットでみた評判を検証してみることにします。

 

 まず、掃除が行き届いてなく、髪の毛が何本も落ちていたという指摘がありましたが、そんなことはなく、掃除は行き届いていました。

 

 様子から推測するに、閑散期に人手が少ない日に、掃除が細部にまで行き渡らなかったことがあったのかも知れません。

 

 そしてお風呂が汚れていたという指摘があったのですが、たしかに老朽化した設備で女性にとっては不潔な印象を持った方がおられたのかもしれません。

 

 しかし掃除が行き届いていないわけではありませんでした。必要な掃除は出来ています。

 

 なお温泉のことをよくご存じない方が、誤解されがちなことなのですが、いくらお風呂の湯を抜いてブラシで底をみがいたとしても、あらたに温泉湯を入れれば、温泉の成分の中には浮遊物のように温泉に混じるものがあります。

 

 これも温泉の有効な成分ですから、決して掃除をしないから浮いているものではありません。

 

 また入浴後に、シャワーを浴びてから上がる方も多いのですが、本当は温泉の入浴効果を考えれば、そのまま体を軽く拭くだけで浴衣を羽織って上がった方が、効果が持続するといわれます。

 

 総評すると、設備は老朽化していますが、それを補う手立てをあれこれ工夫していて、私達にとっては好ましく映りました。

 

 いきなり建て替えを検討するようなことは無理なのでしょうから、泉質のよい温泉に、これからも多くの人たちに浸かって頂くよう、これからもあれこれ工夫して頑張って頂きたいものです😊。

 

 

久々に旅に出る

【緊急避難の旅】

 住んでいる集合住宅の排水管補修で日中水が使えない日が何日か続くので、避難を兼ねて旅に出ることにしました。

 

 妻が兼ねてから行ってみたいと言っていた小布施を目指します。その前に健保組合の保養所のある軽井沢に一泊です。

 

 ショッピングには興味がないので、軽井沢に着いたのはよいのですが、どこに立ち寄ろうかとなりました。

 

 ネットで調べてみると、星野温泉にハルニレテラスという土産小物と食事処の店が並ぶ場所がありました。星野温泉はいま全国にリゾート開発・運営を展開する星野リゾートの本社があり、星野温泉の3代目が社長です。

 

 興味があったので、行ってみました。車を駐車場に入れるのに、ちょっと手間取りましたが、なかなか雰囲気の良い空間です。

 

 若いカップルは勿論、家族連れ、シニアカップル、いろんな人達が楽しんでいます。ここは川が流れていて、その流れに合わせた遊歩道がしつらえてあります。

 

 これも星野リゾートが仕掛けたものなのでしょうか。

 

 お店を覗いてみると、いまはやりの「映え」するメニューが並んでいます。

 

 私のようなものには、とても口に会いそうもないので、早々に中軽井沢に引き返し、昔からある「かぎもと屋」に入り、とろろそばを注文しました。

 

 久しぶりに食べましたが、相変わらず安心できる味に満足。

 

 食後に中軽井沢駅に行ってみると、駅舎がきれいになり、図書館や観光案内所なども併設された複合施設に生まれ変わっていてビックリしました。

 

 その後不穏な雲が空を覆い、雷が鳴りだしましたので、早々に宿にチェックインしました。

 

 しばらく夕立が降り、気温が下がりぐっと快適に、やはりこの地はあちこち動き回るよりも、部屋で静かに過ごすのが一番似合う所だ、などと思ってしまいます。

 

 

【北斎の作品を見に行く】

翌日は小布施町に向かって移動しました。

 

 高速道路を利用しようかと思ったのですが、調べてみると一般道路でも、さほど到着時間に差がないようなので、下道を走らせることにしました。

 

 高速道路は便利ではありますが、普通の道をのんびりと、まわりの風景や人の営みなどを眺めながら行くのは、旅の醍醐味です。

 

 小布施に到着して、真っ先に向かったのが「北斎館」、画狂人といわれた葛飾北斎のいろいろな作品が展示されています。

 

 なかでも目を引くのが、北斎筆の天井絵が描かれた二基の祭屋台です。

 

 東町祭屋台の「龍」「鳳凰」は北斎が85歳、上町祭屋台の「男浪」「女浪」の怒涛図は86歳の時の作品だそうです。

 

 こんな小さな町にこのような豪華絢爛な屋台が練り歩いたのかと、只々驚きです😊。

 

 次に向かったのは曹洞宗の「岩松院」というお寺です、ここも本堂の天井に北斎が描いた「八方睨み鳳凰図」があるので有名なお寺です。

 

 北斎館はガラス張りの保管状況の良い状態ですから分かりますが、岩松院は普通の状態で今日まで保ってきたにも関わらず、その色の鮮やかさが保たれているのには驚きです。

 

 聞けば染色の原料は、当時でも超高級なものが、ふんだんに使われたそうです。

 

 北斎は小布施の豪農商・高井鴻山の庇護のもとで、晩年になってからこの地に4度も訪れてこれらの作品を残したそうです。

 

 高井鴻山の記念館も近くにあったので、行ってみました。

 

 ここで発見したのが、「北斎は頼みもしないのに、ふらりとやってきて、私に挨拶もなしに、いつの間にか去っていきました。」という鴻山の言葉。

 

 いかにも北斎らしいと思わず笑ってしまいました😊。