団塊おんじ 人生100年時代を行く!

長く生きるかではなく、どう生きるかの試行錯誤録

今年もオンライン花見になってしまいました

 長い間続いている“花見の会”が今年もオンライン形式になってしまいました。

 

 主催者さんは「今年こそ、皆で集まって花見をしたい」とおっしゃっていただけに、残念がっていました。

 

 この会はもう10年も続いている集まりです。

 

 メンバーは主催者さんの旧職場の仲間や英語を教えている先生、幼馴染(?)、以前住んでいたところでお世話になった方、今仕事でお付き合いをしている方、

そして私を含めて昔某研究会のメンバーだった人達など多彩です。

 

 主催者さんの住まいは、高級マンションの4階にあり、ベランダに出ると目の前に桜の木が連なっていて、桜が咲くと圧倒される景色です。

 

 ただ今年は先週の悪天候により、風でかなり花びらが散ってしまったようです。

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 開催時間になりZOOMにつなげると懐かしい顔が画面に現れました。

 

 挨拶を済ませた後、それぞれのメンバーの近況を報告し合います。

 

 私を含め、皆さん歳を重ねているだけに、病気の話が目立ちます。

 

 奥様が癌を患い、医者から悲観的な状況報告を受けながらも、がんセンターで治験の治療を始めたところ、癌が小さくなり一縷の望みを抱きながら、一人で病院に通院し続いているそうです。

 

 別の方は、以前奥様が大病を患ったのですが、今度は自分が次々と病にかかり、体の変調に悩まされているようです。

 

 また仕事と並行して音楽活動をしていて、桜の会では毎年楽器を持ち込んで、歌を披露してくれたり、メンバーが歌う際の伴奏をしてくれたりしていた方も、昨年から今年にかけて病気になり、今回のオンライン花見には参加できない代わりに“ビデオメッセージ”を送ってくれました。

 

 やはり高齢になると、皆さん何らかの体の不調を抱えているようです(私も例外ではないのですが…)。

 

 年を取ると“健康な状態で生活を送れる”ことが最も重要なことだと身に染みて感じます。

 

 また地域でのボランティア活動に精を出している方も何人かいます。

 

 先程紹介した奥様が癌と闘っている方も、現役で仕事をしながら、障害者の水泳の援助をしたり、マラソン活動の主催者のお手伝いをしたりと精力的に活動を続けています。

 

 そしてお住まいの地区の町会長を務めている方がいます。

 

 最近特に防災活動に熱心に取り組んでいるようで、地域に備蓄されている防災グッズを知ってもらうために、催しがあれば防災グッズを展示したり、学校をまわって子供たちへの啓蒙活動に取り組んでいるとのことです。

 

 年を重ねても、それぞれの持ち味を生かして、社会のために熱心に取り組んでいる皆さんの話に、頼もしく思いながら聞き入ってしまいました。

 

 その後、ゲームなどをしながら楽しく懇談しているうちに、あっという間に時間が過ぎてしまいました。

 

 私は普段オンラインでコミュニケーションをとることはないのですが、非接触で仕事をせざるを得ない場面は着実に増えているようです。

 

 上手にオンラインでのコミュニケーションを使いこなしている皆さんをみると、新しい時代が着実にやってきているのだなと実感しました。

 

 最後に主催者さんにお別れをする時、「来年こそはお会いしたいですね」と言っていただいた言葉が耳に残りました。

 

 

やはり野に置け野草花

 私が朝散策をするコースに、広い休耕田があり、そのあぜ道に小ぶりなスイセンが咲いていました。

 

 可愛らしく咲く姿に、思わずかがみこんで、しばし眺めながら清々しい時間を持つことができました。

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 そして翌日のこと。

 

 あのスイセンに出会うのを楽しみに、その場所にやってきました。

 

 するとスイセンの花がどこにもありません。

 

 驚いて咲いていた場所を調べると、根っこから掘り起こした土痕がくっきりと残っています。

 

 可愛らしく咲いているスイセンをみて、持ち帰ったものと思われます。

 

 咲き始めたばかりのスイセンに出会えるのを楽しみにしていただけに、軽いショックをうけました。

 

 畦道に咲く雑草の一部のようなものかも知れませんが、そこを通りかかる人の眼を楽しませる大事な存在であるだけに、家に持ち帰って“自分だけ楽しもう”という了見には腹立たしい思いがします。

 

 自然が少なくなった住宅地の一角に、農地のままにしている土地の畦道には、これからいろいろな花が咲き出します。

 

 この辺では貴重になってしまった“自然を感じられる狭いスポット”なだけに、野に咲く花は持ち帰らずに、皆で愛でたいものです。

 

 ダ・カーポの「野に咲く花のように」を思い出し、思わず口ずさんでしまいました。

 

  野に咲く花のように 風に吹かれて

 

 野に咲く花のように 人をさわやかにして

 

 そんな風に 僕たちも生きて行けたら すばらしい

 

 時には 暗い人生も トンネルぬければ夏の海

 

 そんな時こそ 野の花のけなげな心を知るのです

 

 野に咲く花のように 雨に打たれて

 

 野に咲く花のように 人をなごやかにして

 

 そんな風に 僕たちも生きてゆけたら すばらしい

 

 時には つらい人生も 雨のち曇りでまた晴れる

 

 そんな時こそ 野の花のけなげな心を知るのです

 

 ルルルル…ルルルル…

 

 (以上 ダ・カーポの“野に咲く花のように”の歌詞です)

 

 

 春の風に吹かれて、桜を愛でながら野草を見つけに、どこかに出かけようかな

娘の結婚・出産を前に妻が気を揉んでいます

 次女の結婚、そして妊娠と矢継ぎ早にうれしい知らせが続きます。

 

 しかし、こんな時に親として何をしてあげればよいのか、妻が気を揉んでいます。

 

 そこで同じ集合住宅に住む、子育ての先輩であるご夫婦に我が家に来てもらい、食事をしながら子供の結婚・出産時の親の対応の知恵を授かろうということになりました。

 

 招待したご夫婦の娘さんは我が家の娘のそれぞれ2歳先輩です。

 

 我が家と同じく、長女は未婚、次女が結婚して2児をもうけています。

 

 このご夫婦とは、コロナ感染が起きる前までは、時々外での食事会などを開いては交流を積みかさねてきた間柄です。

             Jill Wellingtonさんによるpixabayからの画像

 

 たいした料理を用意したわけでもないのですが、気を使って頂いてシャンパンとワイン、それに手作りのケーキを持って来てくれました。

 

 長引くコロナ感染による自粛のなかで、すっかり外に出ての交流が途絶えてしまっていましたので、久しぶりの食事会を楽しみにしていたようです。

 

 ご主人はリモートワークが続いたせいで、“コロナ太り”になってしまったと嘆きます。

 

 改めて考えてみると、朝晩の通勤はカロリーを消費するうえでは大事な行動だったのかもしれません。

 

 よもやま話に花を咲かせながら、次女の結婚の際に親としてどんなことをしてあげたのかを話してくれました。

 

 当人同士と親族だけで海外での結婚式を行い、その後当人たちの意思で、披露宴も行ったとの事、披露宴の費用などは当人たちが工面したといいます。

 

 海外での結婚式のときには、渡航滞在費はそれぞれが自己負担したようです。

 

 我が家の次女夫婦も、当初は海外で結婚式を挙げたいという希望を持っていたようですが、思いがけず早い出産を迎えることになった今、どのように計画を考え直しているのかなどと思い巡らせています。

 

 昔と違い、今の若い人達は堅実な考え方をする人が多いと聞きます。

 

 ご夫婦の経験談を聞きながら、ほぼ年金生活に入った親の身としては、今後の自分達の生活に支障が出ない範囲で、してあげられることをするしかないのだろうなどと、自分を納得させました。

 

 

ウォーターフロントでのひととき

 娘夫婦に誘われて、観光客船に乗ってきました。

 

 週末に横浜ふ頭から観光船に乗って、昼食をとりながら東京湾内を周航するというツアーです。

 

 娘夫婦は車でいくので一緒に乗せていくと誘ってくれたのですが、遠回りになるので我々は電車で向かうと断りました。

 

 当日の朝早めに家を出て、山下公園のあたりをのんびり散策しながら船着き場に向かうことにしました。

 

 天気がよかったせいか、山下公園付近は結構人が出ていて、思い思いの過ごし方をしています。

 

 この辺を訪れるのは本当に久しぶりで、周辺の“みなとみらい”と称される地域は、高いビルが立ち並びすっかり変わってしまっています。

 

 現役の頃、桜木町駅を降りて客先にむかっていた頃は、まだまだ空き地が多かったのですが、大変な変貌ぶりです。

 

 公園からながめると大きな船が2隻止まっていて、小さい方の船がどうやらこれから乗り込む船のようです。

 

 余裕をもって出たつもりなのですが、のんびり歩いていたせいか、約束の時間にぎりぎり間に合う時刻になっています。

 

 妻は膝が痛むので早くは歩けません。大きな対象物は目の前にあるようでいて、歩くと結構な距離があります。

 

 やっと到着しましたが、娘たちの車は予想よりも時間がかかっているようで、まだ着いていません。

 

 娘から連絡があり、乗船時間ギリギリになるが何とか間に合いそうだとのこと。

 

 出航予定時間に間に合って、船へのアプローチを歩いていると、先の方で女性スタッフが手を振っています。

 

「あれは歓迎の合図ではなく、早くしろと言っているんだね」と私たちは苦笑いしながら先を急ぎました。

 

 乗船するとスタッフの案内で指定の席に通され、バイキング形式の昼食の案内をされます。

 

 食事のプレートに好きな料理をのせて、席まで運び終えると、ドリンクメニューから飲み物を注文する頃には、船が動き出しました。

 

 食事をとりながら、窓の外の湾内の光景を楽しみます。

 

 娘の夫は、気遣いに余念がなく、しょっちゅう席を立っては追加の料理やデザートなどを運んでくれます。

 

 食事の後デッキにあがり、四方に広がる湾内の景色を楽しみます。

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 娘夫婦と妻は歓声を上げながら、写真撮りに余念がありません。

 

 何年か前に日本橋から川船に乗り、東京の河川を、桜を見ながらめぐるツアーに参加したことがありました。

 

 江戸時代にはじまる都内に張り巡らされた川からの眺めは、歴史を感じる情緒のあるものでしたが、船上からみる横浜の景色は、新しい街の活気を感じるもので、首都の中枢の変化を感じられる小旅行となりました。

 

 

笠地蔵の話に出てくる老夫婦のようになれたら

 2月に石原慎太郎氏の訃報に接して間もなく、3月8日に妻典子さんが亡くなったとの報道がありました。

 

 詳しいことは私にはわからないのですが、つれあいに先立たれて間もなく、後を追うように亡くなるというケースはよく聞く話です。

 

 データは承知していませんので定かではないのですが、石原氏とは逆に、妻に先立たれた夫がほどなく亡くなるというケースの方が多いような気がしています。

 

 妻に先立たれて、生活の支え、心の支えを失った夫は、生きる希望を失ってしまうことにより、死期を早めるということなのでしょうか。

 

 家庭のことを妻にまかせて、専ら仕事に打ち込んできた夫が、現役を離れ、妻と二人っきりの生活に入ると、何をして良いか分からず、地域では妻の方が顔の知れている中で、樋口恵子さんの名付けた「濡れ落ち葉族」(何をするにも妻の後をくっついてくる様子を、払っても払っても、ひっついて離れない濡れた落ち葉の状態に例えたもの)の状態になったりします。

 

 昨今、夫婦関係もひと昔前とは様変わりしているとはいえ、男の方が「弱い動物」なのではないかと、私は以前から思っています。

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 以前「濡れ落ち葉にはなりたくない」とブログに書いたような気がしますが、このところ我が家では、「父の入院騒ぎ」や「次女の結婚」といった出来事が立て続けにふりかかってきました。

 

 父の入院に際しては、母をショートステイに預ける段取りを、ケアマネジャーと交渉する役目を妻に任せてしまいました。

 

 次女の結婚についても、次女は専ら妻に相談しながら、事をすすめています。

 

 その辺の才は明らかに妻の方が長けています。

 

 両親の看取り、長女の結婚など、この先に待つ私たちの役目はまだまだ続きます。

 

 その先には落ち着いた平穏な二人の生活が待っているのでしょうか。

 

 そんな時、笠地蔵の昔話を思い出しました。

 

 笠を売りに出たおじいさんは雪の中、六人のお地蔵さんに笠をかぶせて帰る。

 

 おじいさんが帰ってその話をすると、おばあさんは「それはよいことをしました」と出迎えるという話です。

 

 雪降れば地蔵に笠をかぶせゆくそんなあなたとふたりの暮らし 馬渕のり子

                   (歌集『そっと置くもの』より)

 

 

ロシア人は今何を思っているのだろう

 同じ民族であるはずのウクライナを無謀にも攻撃し続けるプーチン率いるロシアの軍隊、イギリスの報道機関が入手したロシア軍内部の24時間にわたるやり取りが公表されたそうです。

 

 そこには、上層部からのウクライナへの発砲命令に対して、「市民に何故銃を向けるのか!市民を避難させてから攻撃すべきだ!」との前線からの反発のやりとりが克明に記録されていたようです。

 

 世界の批判にさらされているプーチン大統領、米欧日の先進諸国は結束し、対露制裁を強化しています。

 

 プーチン大統領は周到に準備してきたに違いありません。

 

国際的孤立は承知の上だったのでしょう。

 

 これが彼の唱える「偉大なロシア」の姿なのでしょうか。

 

 それにしてもウクライナ東部の親露派地域を奪うにとどまらず、キエフに攻め込み、軍関係の施設のみならず民間人への攻撃にまで及んでいる暴挙は理解に苦しみます。

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  Ronny Overhateさんによるpixabayからの画像

 

 モスクワ出身で国外で活動している露文学者(英オックスフォード大学教授)のアンドレイ・ゾリン氏は、「プーチン氏は『神話』に囚われている。私の言う神話は、都合の良い史実を選び出し、繰り返し称賛し、民族の誇りにすることです。史実の神話化ともいえる」といいます。

 

以下、アンドレイ・ゾリン氏が寄稿した【ウクライナ攻撃 プーチン氏の心理】と題した論文を紹介します(読売新聞2022年3月6日朝刊記事よりの抜粋)

 

 ロシアに二つ神話があります。

 

 一つは、屈辱的敗北の後に、強力な為政者が現れ、民族を導き、旧敵に大勝して雪辱を果たすという、国家再生の神話です。

 

 17世紀の対ポーランド戦争は緒戦に敗れ、モスクワ占領を経験します。

 

 その後、ロシア人は力を蓄え、18世紀にポーランドを打ち負かします。

 

 18世紀の対スェーデン戦争も当初は大敗し、ロシアはほぼ壊滅状態に陥ります。

 

 その後、ピョートル大帝が国を再建し、戦勝に導きます。

 

 19世紀には仏ナポレオン軍の侵攻を許し、モスクワを占領されます。

 

 しかしそれを押し返し、最後は露軍がパリ入城を果たしました。

 

 20世紀の第2次大戦の独ソ戦も初めは独ナチス軍に敗北します。

 

 その後形勢を挽回し、ソ連軍がベルリンに入城し、ドイツは降伏します。

 

 私(アンドレイ・ゾリン氏)は、プーチン氏は権力を掌握した2000年以降、この神話を生き直そうとしていると考えています。

 

 起点は1989年のソ連の東西冷戦敗北と91年のソ連解体です。

 

「ソ連解体は共産党独裁からの解放ではない。共産主義の服を着たロシア帝国が西側に喫した屈辱的敗北だ。国難を克服する強い指導者をロシアは求めている」と説いてきました。

 

 プーチン氏のソ連観は、17年のロシア革命は帝政を打倒し、共産主義は悪いイデオロギーだったが、帝国は事実上再生されたというものです。

 

 現代ロシアはソ連と決定的に断絶しているわけではなく、中核にあるのは同じロシア国家だと主張しているのです。

 

 神話を結実させるためには西側に雪辱する必要はある。プーチン氏が西側の自由民主主義を非難し対抗してきたのは、この文脈で解釈できます。

 

 米国を盟主とする西側の軍事機構、北大西洋条約機構(NATO)にも意趣返しをする必要がある。

 

 NATOは旧ソ連軍を構成していたバルト3国、勢力圏にあったポーランドなど東欧諸国を受け入れて拡大した。

 

 プーチン氏はこの東方拡大を脅威ととらえ、執拗に批判し、ウクライナの将来的なNATO加盟は断固阻む腹です。

 

 もう一つの神話はロシア人とウクライナ人とベラルーシ人を皆「ロシア人」とする同胞神話です。

 

 帝政ロシア時代の通念で、それぞれ「大ロシア人」「小ロシア人」「白ロシア人」と呼んでいた。

 

 よりどころは古代ロシアのキエフ大公国(9~13世紀)。ウラジーミル1世が10世紀末、ビザンチン帝国の皇女と結婚し、ギリシャ正教を国教にし、版図も広げた。

 

 ロシアの宗教と文化の源泉です。

 

 プーチン氏はソ連解体を西側によるロシア分割と断じ、同胞神話に基づくロシア国家再統一を自身の使命と任じているはずです。

 

 ベラルーシの独裁者アレクサンドル・ルカシェンコ大統領は恭順の意を示している。

 

「大ロシア」再生には西側になびくウクライナを従わせる必要があるというわけです。

 

 その一歩が2014年のウクライナ南部クリミアの併合です。プーチン氏はウラジーミル1世はクリミアで洗礼を受けたとも強調してみせた。2016年にはウラジーミル1世の立像をモスクワの大統領府に建てました。

 

 今回の侵略は二つの神話のおぞましい表れだと私は考えます。

 

 ウクライナにも神話はあります。17世紀に勢いのあった「軍事的民主制」ともいえる、ウクライナ・コサックによるザポリージャ共同体です。

 

 ロシア・ポーランド・オスマントルコ3大国に囲まれながら、巧みな外交で独立を保ちました。

 

 交易に長じ、共同体を軍事的に強化して自衛に努めつつ、コサックらは独立維持のために常に死を覚悟していたとされます。

 

 ウクライナ人は近代以降、ウクライナ民族意識を高めていきます。

 

 19世紀の帝政ロシア時代、ウクライナ出身の2人の文学者がいました。

 

 1人は小説「死せる魂」の作家ニコライ・ゴーゴリ。「ウクライナは独特だが、ロシアの一部」との立場でした。

 

 もう1人は詩人タラス・シェフチェンコ。ウクライナ・コサックを理想化しウクライナ語で詩作し、ウクライナ民族主義を理由に迫害を受けました。

 

 ウクライナは今日、前者を裏切者と批判、後者を国民詩人として高く評価しています。

 

 ウクライナは2014年、「マイダン革命」で親露派のビクトル・ヤヌコビッチ大統領を放逐します。

 

 首都キエフの広場に結集した人々はザポリージャの神話を持ち出し、自分たちを鼓舞していた。

 

 あの時、ウクライナはロシアではなく欧州を選択した。

 

 革命の端緒は欧州連合⁽EU⁾加盟方針を覆したヤヌコビッチ大統領に対する怒りでした。ただその選択はロシアをいらだたせ、クリミア併合を招くことになるのですが。

 

 プーチン氏は「世界で尊敬される偉大なロシアを実現する」と大見得を切ってきましたが、現実はその反対です。

 

 ロシアの二つの神話はプーチン氏を通じて21世紀の侵略戦争に至ったと私は考えます。

 

 神話は戦争の結末にかかわらず、早晩、消えてゆくでしょう。

 

 ロシアは「再生」でつまずき、「同胞」は既に実質がありません。

 

  (以上、アンドレイ・ゾリン氏の寄稿文からの抜粋です)

 

 ロシア軍はウクライナ全土にわたり、ますます進軍をすすめていて、ウクライナの抵抗がどこまで持つのか危惧される段階です。

 

 アンドレイ・ゾリン氏のいう「過ちの帰結」に至るには、まだ多くの犠牲と多くの時間がかかるのでしょうか。

 

回転焼き?今川焼き?それとも?

 今放映しているNHKの朝ドラでは、主人公の家が「回転焼き」なるものを焼いて生計をたてています。

 

 私も長い間生きてきて、今川焼きを「回転焼き」と呼ぶことを初めて知り、ビックリしました。

 

 読売新聞編集部が、何と呼ぶかをツイッターできいたところ、今川焼き45%、大判焼き36%、回転焼き11%、その他8%だったそうです。

 

 その他の8%には、どんな呼び方が入っているのでしょうか? 

 

 恥ずかしいので他人にはあまり言っていないのですが、私は子供の頃、今川焼きのことを「きんつば」と呼んでいました😊。

 

 子供の頃に勘違いして「きんつば」と呼んでいたのか、それとも周りの大人がそう呼んでいたので、そう教えられたのか、定かではありません。

 

 今川焼きと「きんつば」は全く違う食べ物だと分かった時には、とても恥ずかしい思いをしたものです。

 

 さて朝ドラの3代にわたる主人公たちは、祖父や親から受け継がれた、小豆をおいしい「あんこ」に作り上げる技術により、おいしいおはぎや回転焼きを作り上げて評判をとります。

 

 小豆を炊きながら「おいしゅうな~れ」とおまじないをかけて、見事なあんを完成させます。

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   Kangbchさんによるpixabayからの画像

 

 私も子どもの頃は、甘いものが大好きでした。小学校にあがる前にはご飯に砂糖を混ぜたきな粉をふりかけて食べていたことを思い出します。

 

 もちろん「あんこ」も大好きで、甘いあずきに餅をおとした「お汁粉」には目がありませんでした。

 

 母は畑のあぜ道に小豆を植えて、収穫した小豆を丹念にゆでてお汁粉を作ってくれたものでした。

 

 大人になると、いつの頃からか甘いものをほとんど口にしなくなりましたが、実家に娘たちを連れて行くと、母はよくぼた餅(おはぎ)を作っては孫たちに食べさせようとしていました。しかし娘たちはほとんど食べないので、母ががっかりしていたことを思い出します。

 

 日本人の食文化も時代とともに変化して、いまやおいしいスイーツやお菓子が氾濫していますので、小豆を食べる機会がめっきり減ったように感じます。

 

 私自身も小豆を食べる機会といえば、たまに粒あんの入った「アンパン」をかじることぐらいで、めったに小豆を口にいれません。

 

 甘いものはめったに口にしなくなったからです。

 

 しかし小豆を嫌いになったわけではないので、結婚してからお祝い事の時に、妻がつくるお赤飯は好きでした。

 

 甘く調理した小豆は食べなくても、甘くないお赤飯に入った小豆には、昔の思い出が詰まっているからなのでしょう。

 

 しかし結婚後の我が家のお赤飯に入っているのが小豆ではなく「ささげ」だという事は、後から知りました。

 

 赤飯には皮が厚い「ささげ」の方が適しているのだそうです。

 

 あまり食に執着しない私は、料理に関しては妻に教えてもらうことばかりでした😊。