私が朝散策をするコースに、広い休耕田があり、そのあぜ道に小ぶりなスイセンが咲いていました。
可愛らしく咲く姿に、思わずかがみこんで、しばし眺めながら清々しい時間を持つことができました。
そして翌日のこと。
あのスイセンに出会うのを楽しみに、その場所にやってきました。
するとスイセンの花がどこにもありません。
驚いて咲いていた場所を調べると、根っこから掘り起こした土痕がくっきりと残っています。
可愛らしく咲いているスイセンをみて、持ち帰ったものと思われます。
咲き始めたばかりのスイセンに出会えるのを楽しみにしていただけに、軽いショックをうけました。
畦道に咲く雑草の一部のようなものかも知れませんが、そこを通りかかる人の眼を楽しませる大事な存在であるだけに、家に持ち帰って“自分だけ楽しもう”という了見には腹立たしい思いがします。
自然が少なくなった住宅地の一角に、農地のままにしている土地の畦道には、これからいろいろな花が咲き出します。
この辺では貴重になってしまった“自然を感じられる狭いスポット”なだけに、野に咲く花は持ち帰らずに、皆で愛でたいものです。
ダ・カーポの「野に咲く花のように」を思い出し、思わず口ずさんでしまいました。
野に咲く花のように 風に吹かれて
野に咲く花のように 人をさわやかにして
そんな風に 僕たちも生きて行けたら すばらしい
時には 暗い人生も トンネルぬければ夏の海
そんな時こそ 野の花のけなげな心を知るのです
野に咲く花のように 雨に打たれて
野に咲く花のように 人をなごやかにして
そんな風に 僕たちも生きてゆけたら すばらしい
時には つらい人生も 雨のち曇りでまた晴れる
そんな時こそ 野の花のけなげな心を知るのです
ルルルル…ルルルル…
(以上 ダ・カーポの“野に咲く花のように”の歌詞です)
春の風に吹かれて、桜を愛でながら野草を見つけに、どこかに出かけようかな