団塊おんじ 人生100年時代を行く!

長く生きるかではなく、どう生きるかの試行錯誤録

記憶の定着は、やはり紙の方が優位

 教育分野のデジタル化をすすめる必要性が叫ばれています。

 

しかし小中学校の教科書のデジタル化をめぐっては、極端にデジタル偏重を急ぐべきでないと、多くの識者が警鐘を鳴らしています。

 

 私も勉強は、紙ベースで読み、書き、まとめるという学習環境で育ってきましたから、「デジタル教科書で学ぶ」ことで何が起きるんだろうと素朴な疑問を持っていました。

 

 この度、東京大学などの研究チームが、「紙の手帳にスケデュールを書き留めると、タブレットを使うときよりも短時間で記憶でき、記憶を思い出す時には脳の活動が高まっていることがわかった」とする論文を発表しました。

 

 紙の教科書やノートを使った学習の効果を示す成果だといいます。

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  Jose Antonio Albaさんによるpixabayからの画像

 

 研究チームは、18歳から29歳の男女48人に、ある文章の中から14のイベントの日程を抜き出して、記録するという課題に取り組んでもらいました。

 

 記録の方法は、⓵紙の手帳にペンで書き込む、②タブレット型端末に専用ペンで書き込む、③スマートフォンに入力する、の3パターンで、各16人ずつで実験しました。

 

 その結果、紙の手帳を使ったグループは、電子機器を使ったグループよりも、すべての日程を書き終える時間が25%短かったそうです。

 

 1時間後にイベントの日付や内容を思い出してもらうテストをすると、正答率は3グループとも差がなく、紙の手帳を使ったグループが短時間で記憶を定着させたと推測できたのです。

 

 また、テスト中の脳を観察すると、紙の手帳を使ったグループは、言語や視覚、記憶に関わる領域の血流がより多くなり、活発に働いている様子がうかがえたといいます。

 

 研究チームは、スマホやタブレットの操作性の違いは、実験結果に影響を与えるレベルではないとしています。

 

 チームの酒井邦嘉・東大教授(言語脳科学)は「教育現場で電子機器が多様されているが、紙媒体による学習の方が、記憶がより定着しやすいことが示された。脳で扱える情報がより多くなることで、豊かな創造性にもつながるはずだ」と話しています。

 

 同論文は3月19日、スイスの行動神経学専門誌に掲載されました。

 

 私も手書きの手帳や、自分で書き殴ったメモの「自分の文字」を見ることで、「書いた時の自分の脳の状態」を思い出したということがよくありました。

 

 

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将来なりたい職業に「会社員」が1位 !!

 いや~、子どもたちが「大人になったらなりたいもの」調査で、30年ぶりに「会社員」が第一位に返り咲きました。

 

 30年前といえば、日本中がバブル景気にわいて、会社員の多くもその恩恵にあずかり贅沢な暮らしを享受していた時です。

 

 株が高騰し、理工系の学生までが、就職先に金融機関を目指していました。

 

 あの時の「会社員になりたい」と今回のなりたいとは意味が異なっており、私にとっては感慨深いものがある調査結果でした。

 

 この調査は、第一生命保険が1989年から毎年実施している調査です。

 

 同社は「会社員」が1位を占めたことについて、「コロナ禍でリモートワークの導入が進む中、自宅で仕事をするお父さん・お母さんの姿を目の当たりにし、『会社員』という職業を身近に感じた子供が多かったのかもしれません」と分析しています。

 

 近年、「ユーチューバー」が1位という状況が続いていました。

 

 ユーチューバーだらけになったら、この国はいったいどうなってしまうのだろうと思っていた私にとっては、ホッとさせられる調査結果でした。

 

【お父さんの働く姿を初めて見た子の反応】

 

 コロナ禍前のお父さんは、家で仕事をすることなど、ほとんどありませんでしたから、お父さんが仕事をしている姿など見る機会がありませんでした。

 

 休日に家にいるお父さんは、疲れて横になってゴロゴロ過ごしているカッコ悪い姿でしたから、尊敬の対象とはなかなか思えない状況でした。

 

 しかし今回のテレワーク・リモートワークで、家で一生懸命に仕事をしている様子を目の当たりにした子供たちには、「カッコイイ」「頑張っている」と写ったようです。

 

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   Stokpicさんによるpixabayからの画像

 

【医療現場で働く医師・看護師の重要性を知った子供たち】

 

 阪神淡路大震災・東日本大震災や、度重なる水害の度に自衛隊員の活躍が注目されました。

 

 また子供たちの住む地域が災害に見舞われ、実際に自衛隊員に助けられた経験から、「自分も災害時に、人の役に立ちたい」と自衛隊に入隊したという例を度々聞いたことがあります。

 

 同様に、今回のコロナ禍で第一線で奮闘している医師・看護師の姿は、子どもたちにとって強く印象に残っているのでしょう。

 

小学生・女子では、なりたい職業の6位に「看護師」、9位に「医師」、

中学生・男子では7位に「医師」、中学生・女子では3位に「看護師」7位に「医師」がランクインしています。

 

 大人たちの、頑張って「人のために役に立つ仕事」に取り組んでいる姿を見せることは、子供たちに多大な影響を与えるものなのですね😊。

 

 

 

 

リモートワークやオンライン授業によるストレス

 コロナ禍のなかで、すっかり定着しつつある感のあるリモートワーク、緊急事態宣言下のなかで、国や地方自治体はさらなるリモートワークの徹底を求めています。

 

 一方、大学ではオンライン授業が広く行われており、せっかく入学したのにキャンパスに足を運ばず、もっぱら自宅でオンライン授業を受けていることから、友達をつくる機会もなく、寂しい思いをしていたり、不満をためたりしている一年生も多いと聞きます。

 

 ところで会社と大学では、リモートの活用の仕方が結構違うようです。

 

 仕事でのリモートは、朝の就業開始時間には、朝礼などもあり、カメラをオンにするよう求められるのが通常です。

 

 なかには、これに反発し、カメラをオンにするのを強要されるのはハラスメントではないか、などと言う人もいるようですが、大半は、これは当然のことと受け止める人が多いようです。

 

 知り合いの大学教授に聞いたところ、大学のオンライン講義では、ほとんどの学生がカメラはオフにしていて、教員の間でも「顔を出しなさい」などと強制するのはやめよう、と申し合わせているといいます。

 

「発表する時は顔を見せてよ」と頼むこともありますが、「今日はスッピンなので見せたくない」「カメラは嫌いなんです」と返ってくると、それ以上は言えなくなるそうです。

 

 私はオンライン授業は勿論のこと、リモートワークも行っていません。

 

 ただ桜の開花の時期となって、「オンライン花見」のお誘いを受けましたので、準備のため初めてパソコンのウェブカメラを駆動してみました。

 

 自分の顔が大写しになった画面を見て、こんな風貌を皆さんに見せるのかと思うと、思わず腰が引けてしまいました。

 

 オンライン授業やリモートワークを実施している方々のなかには、私と同じように、自分の顔を見ながらのやりとりに独特のストレスを感じている人もいるのだろうと感じました。

 

 ただ逆にリアルに面と向かって話をするより、モニター越しならスムーズに話せるという人もいるのかも知れません。

 

 学生さんは嫌なら顔を写さずオンライン授業を受けられるのでしょうが、仕事でのオンライン会議などとなると、そうはいかないでしょう。

 

 コロナ禍のなかで始まったオンライン会議においては、リアルな会議とは違った心理的ストレスがあるのかもしれないな、などとウェブカメラをいじくりながら思っています。

 

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      Larisa Koshkinaさんによるpixabayからの画像

 

【リモートワークにより20代のストレスが増加】

 

 企業などで実施されているストレスチェック(SC)で、人材活用支援会社「ヒューマネージ」(東京)が昨年1年間に請け負った70万人分のデータを分析したところ、医師による面接が必要な「高ストレス者」と判定された受検者の割合が20歳代で増加していたことが明らかになりました。

 

 同社は、働く若手が孤立し、コロナ禍で心理的負担を強めているとみています。

 

 ストレスの原因は、「働きがいのなさ」「職場環境」が目立ったようです。

 

 在宅勤務になり、上司らの支援が受けられずに負担を感じているといいます。

 

 リモートワークの社員の不調は、会社に気づきにくく、産業医とのオンライン面談などの対策を講じる必要があるようです。

 

 リモートワークもオンライン授業もリアルなやりとりとの組み合わせが大事になります。

 

 

 

高齢者のスマホ利用増を目指し、料金値下げを加速せよ

 街中で、高齢者がスマホを持って通話をしたり、検索をしたりする姿を以前より多く見かけるようになりました。

 

 通話はともかくとして、心もとない指の操作をしているのを見ていると、間違えなければよいがとハラハラすることがあります。

 

 もっとも私も立派な高齢者ですから、人のことをとやかく言える立場ではないのですが…(笑)。

 

 NTTドコモのモバイル社会研究所が2018年に発表したデータでは、60代のスマホ保有率が56パーセントになり、初めてガラケーの保有率を上回ったようです。

 

2017年まではガラケーとスマホの保有率は半々といった割合でしたが、1年の間にガラケーからスマホに買い替えた人が増加しているということになります。

 

さらに前年の2016年では、60代のスマホの保有率は33パーセントしかありませんでしたので、ここ3年程度の間に60代以上のスマホの普及が広まり、今後もスマホの普及率は増大していくものと思われます。

 

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      Mabel Amberさんによるpixabayからの画像

 

各キャリアは高齢者でもスマホが簡単に使えるように「らくらくスマホ」や「簡単スマホ」といった高齢者向けのスマホを発売するようになりました。

 

また、簡単スマホだけでなく、若者にも人気のiPhoneは操作が単純で、iPhoneを使い続けている限りメニュー画面がずっと同じだということや、高齢者の家族が操作を教えやすいからといった理由でiPhoneを使っているという人も少なくありません。

 

行政サービスのデジタル化が進む中で、高齢者も行政手続きや防災情報を取得する際等に、パソコンやスマホを活用することが求められる時代になってきました。

 

 今や国民に欠かせないインフラ(社会基盤)ともいえる無料通信アプリLINEは、2011年の東日本大震災をきっかけに誕生したもので、月間利用者数は国民の約3分の2に当たる8600万人に上っていて、その浸透度を活かし、災害に対する手段としても日々機能を向上させています。

 

 またコロナ禍の中、感染したり、濃厚接触者の対象になった場合、行動の足取りを追う意味でも、高齢者のスマホ所有は有用になってきます。

 

 高齢者層がスマホを一定程度使いこなせるようになることは、デジタル化社会を実現するうえで、必須の要件ではないでしょうか。

 

 いま総務省がNTT幹部の接待問題で揺れていますが、菅政権はそれに臆することなく、「スマホの利用料金を下げる」政策の手綱を緩めないで欲しいと思います。

 

 

 

不条理感と折り合いをつける日々

 東日本大震災から10年の歳月が流れます。

 

 毎年3.11が近づくと、思い出したように、メディアがこぞって被災地の復興の様子を取り上げます。

 

 今回10年を迎えるにあたって気になるのは、あの震災が徐々に記憶から忘れ去られようとしているのではないか、という被災者の危機感や焦燥感が目立つことです。

 

 NPO法人福島ダイアログ理事長の安東量子さんは、福島県いわき市で田舎暮らしを楽しんできましたが、福島第一原発事故で生活は一変しました。

 

 安東さんは2019年に福島第一原発事故から8年の日々を描いた『海を撃つ』を出版、話題になりました。

 

 彼女の問題意識の根底にあるのは、福島の人たちが直面してきた出来事や葛藤を“無かったことにされたくない”という強い思いです。

 

 著書『海を撃つ』(みすず書房)の中に「私は忘れまい。今日見た景色を、聞いた話を、忘却の向こう側へ押しやられようとしていることたちを、あなたが忘れるのなら、消し去ろうとするならば、私は、記憶に、記録にとどめよう。」

とあります。

 

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     Jill WellingtonさんによるPixabayからの画像

 

 安東さんは、今日まで原発事故の被災者に寄り添い「福島ダイアログ」など、対話型の運営集会を行ってきました。

 

 以下は、安東さんの文章からの抜粋です。

 

 一年ちょっと前、タナカさんという方に、無理を言って人前で喋ってもらった時のこと、時間が終わりに近づき、最後に言いたいことを、と尋ねたとき、彼は「忘れないでほしい」と言った。

 

 除染廃棄物の入ったフレコンバッグは、2年後にはすべて中間貯蔵施設に搬入し終える。

 

皆さんの視界からそれは消える。

 

そうすると、皆さんはきっと忘れてしまう。そのフレコンバッグがどこへ行ったのか、行った先でどうなるのか、忘れてしまう。

 

でも、覚えていてほしい。フレコンバッグがどこへ行ったのか、フレコンバッグの行き場を作るために土地を提供した人間が、自分たちのような思いをしている人間がいるのだということを、覚えていてほしい。

 

まったくそのとおりだ、と思いながら、彼の言葉を聞いていた。

私たちは、忘れる。フレコンバッグがあったことも、それがどこへ行ったのかも、その場所になにがあったのかも、最初にわずかに同情を示し、しかし、やがてそれも忘却してしまう。

30年後に廃棄物を運び出すという政府の空手形も守られないだろう。

言い訳にもならない言辞を政府は右に左に繰り返し、その軽薄さは怒りに油を注ぐことになる。

 

約束を破られたと人びとはますます憤り、不信の淵に沈む。

だが、そうは言っても、圧倒的な大多数の無関心と冷淡さのうちに、それは諍いにもならない。

 

忘却と、嘆きと、言葉にならない憤りを覆い隠す空虚な無関心と、あの場所がこの先、佇み続けるのはきっとそんな世界だ。

 

「忘れないでほしい」、彼の言葉は、私たちがこれから目撃するだろう惨めな未来図を克明に写しだしていた。
そのことを思って、泣いた。

         ( 以上、安東さんの文章より )

 

 地元の人たちと対話を繰り返す中で、暮らしの中で見つけた“立場の違う他者と生きていく上で大切なこと”を模索し続けてきた今、安東さんは見えてきたものがあるといいます。

 

それは“不条理感との折り合い”。

 

この言葉が私には強く印象に残りました。

 

 

 

習近平とヒットラーがダブって見える

 中国共産党・習近平政権の強権的な行動が止まりません。

 

 対立する者を威圧し、時に力も行使する。

 

 自らの非は認めない。

 

 そんな今の中国・習近平政権をみていると、私はナチスドイツのヒットラーとダブらせて見てしまいます。

 

 1940年、ヒットラーのドイツはイギリス以外の欧州をほとんど征服しつくしました。

 

 そして1941年6月、ソ連に攻め込み、独ソ戦が開始されます。

 

 わざわざ独ソ不可侵条約を破っての侵攻でした。

 

 もう一つ、1941年12月、真珠湾攻撃の結果として、米独戦もはじまります。

 

 この時、チャーチルは「これでイギリスは救われた!」と絶叫したと伝えられています。

 

 1941年、ナチスドイツは、アメリカ、ソ連を敵にまわしたのです。

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    Hermann TraubさんによるPixabayからの画像

 

 79年後の2020年、現代のナチスドイツである中国は、インドと欧州を敵にまわしました。

 

 2020年6月から中印の国境紛争が再燃し、双方に死者がでています。

 

 それまでインドは、「非同盟外交」が基本だったものが、アメリカにつくことになります。

 

 インドは2030年に、世界第3の経済軍事大国になることが確実な国です。

 

 中国は、アメリカとの覇権争いの最中に、インドを敵にまわしたのです。

 

 もう一つは、欧州(英仏独)を敵にまわしたことです。

 

 これは、英独戦中にソ連に攻め込んだヒットラーと同じ失敗ということになるのでしょうか。

 

 もう一つは、欧州(英仏独)を敵にまわしたことです。

 

 それまで欧州諸国は、チャイナマネーが目当てで、基本親中のスタンスをとってきましたが、香港問題で旧宗主国のイギリスが激怒、またウイグル人100万人を強制収容し、不妊手術を強要していることが暴露され、フランス、ドイツを敵にまわします。

 

「歴史は繰り返される」とはいいますが、79年前のナチスドイツ・ヒットラーの足跡と、現代の中国・習近平政権は同じ道を辿っているのかと思ってしまいます。

 

 これだけの世界の主要国を敵にまわしてでも「世界の1強」を目指し、孤高の道を歩む中国・習近平政権の行く末はどうなるのでしょうか。

 

 

 

胸にしみる常套句

 SNSを介して、あふれるような量の言葉が瞬時に届けられる時代になりました。

 

 私は頻繁にメールなどでやりとりするのが億劫で、あまり利用してはいませんが、妻は職場の仲間などとよくやりとりしています。

 

 そのやりとりを傍で見ていて、情報ネットワークの広さは女性には敵わないとつくづく実感しています。

 

 妻の職場は、日・時間帯により働く人の出入りが多く、一週間に一度くらいしか顔を合わせない人もいるようです。

 

 先日、妻から相談されました。

 

 しばらく会っていない職場仲間が、体調を崩して休みが続いていて、気になっていました。

 

 そこに情報通の仲間から「経過がどうも芳しくないようだ」と知らされたそうです。

 

 それを知らされた妻は、「知った以上、連絡してみた方がいいのかな?」と迷っています。

 

 どの程度親しい関係なのかも分からないし、その方が今どんな心情でいるのかもわかりませんから、連絡するのは慎重にした方がいいと答えました。

 

 心配してくれるのは有難いが、場合によっては、今はそっとしておいて欲しいという気持ちでいるかもしれないからです。

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    Couleur5さんによるPixabayからの画像

 

 先日、ノンフィクション作家・与那原恵さんが、「胸にしみる常套句」と題してコラムに書いておられたのを読んで、考えさせられました。

 

「一昨年秋、私は27年来の親友を亡くした。仕事も遊びも一緒に楽しんだ彼は、急性白血病と診断され2年闘病した。

 

 その最後の日々、私は病室で彼の妻子とともに奇跡的な回復を祈ることしかできず、悪化する病状を周囲に知らせる気力もなかった。

 

 彼や私の友人の大半は状況を推し量ってくれ、メールやLINEを送るのを控え、ただ静かに見守ってくれたことがありがたかった。

 

 親友が世を去ったことを受け入れられないまま、葬儀を終えた。

 

 ほどなく、知人から「前に向かって進みましょう」というメールがあった。

 

 私には、この文面が残酷に感じてならなかった。

 

 亡き親友と私との歳月をよく知るその人は、私をよく知るその人は、私を励ましたかったのだと思う。

 

 けれど、こんな時には慎重に言葉を選んでほしかったし、気持ちをうまく伝えられないのなら、ふさわしい言葉が見つかるまで待ってほしかった。

 

 しばらくして別の人から封書が届き、「ご心痛お察しするばかりです」とあった。

 

 常套句(じょうとうく)ではあるけれど、手書きの文字が胸にしみ、いま私は心が痛い、そうつぶやきながら文字をなぞった。」

                  (以上、与那原恵さんのコラムより)

 

 今は、手紙を書くまでもなく、SNSで簡単に文字を送ることができますが、時には言葉の重みを再認識する必要があるなと思っている次第です。