団塊おんじ 人生100年時代を行く!

長く生きるかではなく、どう生きるかの試行錯誤録

地声の大きな若者

 昨日、電車の乗り継ぎで、ホームを降りて下りのエスカレーターに乗っていると、頭の後ろから大きな声で携帯電話で話しをしている人がいました。

 

営業マンのようで、盛んに顧客訪問の結果を上司に報告しているようです。

 

 携帯電話によって「いつでも、どこでも」会話ができる時代なのですが、街中で急に大きな声で会話を始められると、ドキッとすることがあります。

 

 下りのエスカレーターなので、私のすぐ後ろに乗っている若者の頭は、私の頭のすぐ上です。

 

 もともと地声の大きそうな若者なのですが、一生懸命に報告しようとしているせいか、その声は私の耳にガンガンと響いてきます。

 

 比較的長いエスカレーターなので、しばらくその状態が続きそうです。

 

 しばらく我慢しているうちに、ハッと心配になります。

 

 もしかしてこの若者、マスクをつけていないのではないかと…。

 

 コロナ禍の今のご時世ですから、このポジションで後ろから大きな声で話されると、おおいに気になります。

 

 チラッと振り返ると、どうやらマスクはつけているようです。

 

 マスクを通しても、これだけの大きな声が出せるのですから、相当に元気のいい若者です。

 

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   Larisa KoshkinaさんによるPixabayからの画像

 

 本人は必死で報告しようとしていますから、無意識に声も大きくなるのでしょう。

 

 やっとエスカレーターを降りて、その若者から離れましたが、オフィスに着いて慌てて入念に手洗いとうがいをしたものです。

 

 街中には、コロナにもめげずに元気に動き回っている若者がたくさんいます。

 

 年寄りは彼らの迷惑にならないように、せいぜい予防をして、街中をウロウロしないようにしないといけません。

 

 彼らが日本経済を支えているのですから😊。

 

 夏が過ぎて日に日に気温が下がってきました。

 

 これから冬場にかけてコロナウィルスが再び活気づいてくることでしょう。

 

 ヨーロッパでは再び感染拡大が起きているようです。

 

 効果的ワクチンが開発されるまで、この半年間の経験をもとに、知恵を絞って何とか感染拡大を抑え込みたいものです。

 

 

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非正規労働者?好きになれない言葉です

 いつの頃からか正規労働者・非正規労働者という分け方で働く人たちを区分するようになりました。

 

 それ以前は、主婦などが家事の合間に働く「パートさん」がいて、それ以外は正社員という形で分けられていました。

 

 正社員のなかでもジェネラリスト・スペシャリストという分け方はありました。

 

 日本の企業は、ジェネラリストに社内業務全般を把握させ、組織の目指す方向をジェネラリストが中心になって、業務の責任を負わせ、頑張ってもらうというやり方で運営してきたのです。

 

 それがフルタイム従業員のなかでも、正規・非正規という分け方をとれるようになりました。

 

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   CouleurさんによるPixabayからの画像

 

 バブルが崩壊すると、企業を成長軌道に乗せるのは簡単ではなく、年功序列に基づいた人事制度は壁にぶち当たります。

 

人件費がますます企業の収益を圧迫し、競争力の低下を招いていったのです。

 

そうした問題を打破するために、従来の正社員とは賃金面で低いフルタイム労働者を認めることになりました。

 

 そして、またたく間に非正規と言われる労働者が増えていきます。

 

 人手不足の影響や政府の働きかけなどがあり、若干は比率が低くなったとはいうものの、2019年版の厚生労働省「国民生活基礎調査」によれば、男性正規率77.7%、女性43.6%という現状です。

 

その待遇格差是正に向け、「同一労働・同一賃金」を4月から大企業に適用しています。

 

 そんな中、正社員と非正規労働者の待遇改善を訴えた2件の訴訟の最高裁判決が下り、いずれも原告敗訴となりました。

 

 主な理由は、正規職員の業務内容は難易度が高く、人事異動もあるというものです。

 

企業は「責任の重み」といった理由をあげて、正社員と非正規労働者がたとえ同じ仕事をしていたとしても、待遇格差を正当化しようとするのでしょうが、それでは非正規労働者の不満は高まるばかりでしょう。

 

 不満を持つ非正規労働者と正社員が対立し、組織が分断されるとなれば、組織全体のパフォーマンスを大きく損なうことになりかねません。

 

 そもそも正規ではない労働者という意味の「非正規労働者」という言葉自体を抹殺すべきではないでしょうか。

 

 パートさんは別として、同じ組織で働く人たちを同じ呼び名で呼び、人事評価などを厳密に行うことで、結果として格差ができるという順序で社員を遇する流れに早く持って行ってほしいものです。

 

 

 

自然の中に一人身を置き、宇宙観を育む

 都市部に住んでいると、一日中、人工音が絶えず耳に入ってきます。

 

 唯一、家族が起きてくるまでの時間は、静寂に近い時間が持てますが、それでも外からは車の走る音(時に救急車)、人の話し声などが聞こえてきます。

 

 唯一、虫の鳴く音は安らぎを与えてくれますが…。

 

 ふと一人きりで、人気のない自然の中に身を置いて、自然と対話がしたいと思うことがあります。

 

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  Jose Antonio AlbaさんによるPixabayからの画像

 

 先日、NHKの朝ドラに「ちょい役」でピーター・フランクルさんが出演していました。

 

 彼は「数学者・大道芸人」という異例の肩書を持つ方で、タレント活動もしています。

 

一時期よくテレビにも出演していたのですが、朝ドラに彼が出演しているのを見て、懐かしく思いました。

 

 というのも、かなり昔の話なのですが、彼が数学者・大道芸人として、日本で売り出し中の頃、講演を頼んだことがありました。

 

 話しの合間には、大道芸の一旦も披露してくれたりして、楽しい講演でした。

 

 しかし私にとって,いまでも心に残っている内容があります。

 

 彼は当時、日本全国をまわって、大道芸を武器に講演や慰問活動を行っていたのですが、ある地方に出向いた時、一人の老人に出会い、しばらく親しく懇談を

する機会があったそうです。

 

 その老人は、生まれてこの方、村を一歩も出たことがないといいます。

 

 しかしピーター・フランクルさんは、話を聞く中で、その老人に備わる世界観・宇宙観の素晴らしさに驚かされたと言います。

 

「井の中の蛙大海を知らず」といいますが、一歩も外に出ず、この狭い村のなかで過ごしてきただけで、何故このような広く大きな視野を持つに至ったのか、最初は不思議に思ったそうです。

 

 しかしじっくり老人の話すことを聞いているうちに、気づかされます。

 

 長い間、仕事に励む合間に、日の光を浴び、満天の星を見、風にそよぐ森林からのささやきを聞きながら自然と対話をしてきたことにより、真理を究めることができたのではないか。

 

 私のように世界のあちこちを飛び回っている人間よりも、狭い地域で生まれ過ごしてきたこの老人のほうがよほど世界観・宇宙観を究めているのではないか。

 

 ピーター・フランクルさんが、このような経験談を講演の中で話していたのを、いまでも覚えています。

 

 私自身も齢を重ねるにつれ、ときに自然の中に身を置くことで、自然からの問いかけ、己の内からの問いかけを聞く必要があるなと実感している今日この頃です。

 

 

 

 

観光のあり方を見つめなおす時期なのでは

 コロナ禍の中、最も打撃を受けている産業の一つが観光業です。

 

G20(主要先進20ヶ国)の観光大臣が緊急会合を開き、打開策を話し合っているようですが、コロナ感染拡大が収束しないことには、決めてとなる有効な手立ては簡単には見いだせないでしょう。

 

またコロナ禍の影響は、後進国ほど大きいと言われています。

 

ほかに国を支える産業が育たず、観光収入に頼っている割合が大きいからです。

 

日本の国内観光もGOTOキャンペーンを行っている間は、何とか活気を取り戻しつつあるのでしょうが、キャンペーンが終わった後の状況も懸念されます。

 

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          PezibearさんによるPixabayからの画像

 

「おもてなし 」をキャッチコピーに五輪を誘致したまではよかったのですが、延期後の五輪は、大量のインバウンド需要など見込めるはずもありません。

 

振り返ってみれば、少子高齢化が進む日本を活性化させるために、政府は観光に力を入れてきた経緯があります。

 

少し前には、中国人観光客を中心とする「爆買い」がニュースで大きく取り上げられました。

 

 百貨店、ドラッグストア、電化製品量販店など爆買いの恩恵を受けた業種・店舗は、まるでバブルの再来のように思えたことでしょう。

 

 恩恵を受けたのは観光業も同じです。

 

 各地の観光地は、外国人観光客を受け入れるために様々な工夫をしたことで、バブル崩壊、リーマンショックなどで閑古鳥が鳴いていた観光地の宿泊施設も、一時息を吹き返すことができました。

 

 インバウンド需要がもたらす経済効果に着目し、政府は今年度の外国人観光客の受け入れ目標を4000万人としたこともありましたが、コロナ禍によりその夢は、あえなく潰えました。

 

 また有名な観光地は、どこに行っても中国人だらけといった状況を、快く思っていなかった日本人も少なくはなかったのではないでしょうか。

 

 経済効果ばかりに目が行って、やみくもに外国人観光客を増やそうとすれば、どこかに歪みが生まれます。

 

 ウィズコロナの時期に入った今、観光を目的にいろいろな人に来てもらいたいと願っている地域は、自分達の住む地域の特徴・魅力は何か、訪れてくれる観光旅行者はどこに魅かれているのか、足元を見つめ直し、観光のあり方を整理し直してみる時期なのではないかと思っています。

 

 

 

 

放っておいたジャスミンの木を手入れしました

 夏の間放っておいた観葉植物のジャスミンの木が、葉っぱが伸び放題になってしまいました。

 

 観葉植物ですから、室内においている家も多いと思いますが、我が家の場合は、室内に適当な置き場所がないので、玄関のドアの前に野ざらしで置いてあります。

 

 夏の間は、午後の2時から3時までは日陰ですが、その後夕暮れまでは西日にさらされます。

 

 室内よりは外において日に晒されますので、葉の伸びが早いようです。

 

手入れをしようとは前から思っていたのですが、伸ばし伸ばしになっていたのです。

 

この週末に、鉢植えの紫蘇の木を処分するついでに、伸び放題のジャスミンの葉を刈り込みました。最初に黄色く変色した葉の部分を落とします。

 

 黄色くなった葉の箇所は、手で触っただけで幹の部分もろともポロリと落ちてしまいます。

 

 上に伸びようとする部分は、大胆に躊躇なく切り落とします。

 

 これから秋が深まろうとするこの時期に、ここまで刈り込んでしまってよいものかどうかわからないのですが、鬱陶しいのですっかり丸坊主状態にしてしまいました。

 

 落とした葉や幹の部分は、小さなゴミ袋にいっぱいです。

 

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【この木にまつわる切ない思い出】

 このジャスミンの木は、我が家にとってある思い出が残る木なのです。

 

 一階下に、妻が懇意にしている奥さんがいました。

 

 しょっちゅう行き来しては交流していました。

 

パンが焼けたといっては届けてくれたりしましたので、我が家も旅行や外を出歩いたときには、必ずといっていいほどお土産を買ってきたものです。

 

そのご夫婦には子供がいませんでしたので、娘たちが小さい頃には、よく可愛がってもらったものでした。

 

 しかし数年前に、あれほど行き来していた奥さんから連絡が来なくなりました。

 

妻は何かあったなとは察したようですが、相手が何も言わないので、そっとしておいたようです。

 

それと前後して、毎朝犬を連れて散歩をしていたご主人の髪の毛が、私も驚くくらい、真っ白になってしまいました。合わせて夜などに、その家の前を通りかかると、ご主人の激しく咳き込む音が外まで聞こえてきます。

 

それから暫くしたある日、妻のスマホに奥さんから一通のメールが届きます。

 

「ジャスミンの木を貰ってくださらない?」という内容です。

 

察した妻は「いいですよ」と返答します。

 

それから一週間ほどしたある日、誰にも告げずご夫婦は引っ越していきます。

 

ただ最低限、誰かに頼んでおかなければならないことがあったようで、それを妻に託したこともあり、我が家だけが引越し日を知らされていました。

 

 さすがに見送りは遠慮したようですが、その直前にワンちゃんのドッグフードを、せめてもの餞別として奥さんに渡したようです。

 

 その後、お礼のメールが一回だけ届きましたが、まったく連絡が途絶えてしまいました。

 

「そろそろ落ち着いた頃なので、一度会いに行こうかな」と時折思い出しては、妻がつぶやきますが、まだ実現していません。

 

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100万人を上回る過去のパンデミックの歴史

 コロナウィルス感染による死者はついに100万人を突破し、収まる兆しはみられません。

 

 効果的ワクチンが開発され、沈静化するまで、おそらく死者の数はさらに増えていくものと思われます。

 

 100万人というのは、とてつもない死者の数なのですが、過去の歴史のなかで、多くの死者を出したパンデミック(世界流行)には、どんなものがあったのでしょうか。

 

 気になって調べてみました。

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  Ralf KunzeさんによるPixabayからの画像

 

 尾登雄平さんという「歴史キュレーター」を名乗る方が、世界史ネタを収集してブログにまとめられていましたので、抜粋・引用させていただきました。

 

【世界史のパンデミック死者数トップ10】

 1位黒死病 約7,500万~2億人死亡 (1346年~1353年)

 

「黒死病」は感染すると皮膚に黒い斑点がつくから英語で「Black Death」と呼ばれ、それが日本語に直訳された名称ですが、つまるところペストです。

1347年に黒海に面する商業都市カッファで発生し、またたくまにヨーロッパ全体を覆い尽くし、当時のヨーロッパの人口の1/3が死亡したとされ、死者数は全世界で7,500万人から2億人とまで言われています。

黒死病の流行の背景には、モンゴル帝国のユーラシア大陸制覇による物流革命があったとする説があります。モンゴル軍がペストが風土病となっていたミャンマーを攻めた時に感染して中央アジアに持ち帰り、そこから中国本土でペストが流行り、その後東西交易の中で中国から黒海へと渡って、それがヨーロッパ中に広まったというものです。

 

 2位アメリカ先住民疫病死 数千万人規模で死亡(16世紀半ば)

 

スペイン人が新大陸に上陸して後、原住民の多くがスペイン人が持ち込んだ疫病によって死亡したことはよく知られています。当時の新大陸の原住民の人口がよく分かっていないこともあり、どれくらいの人が死んだかあまりよく分かっていません。アステカ帝国の中央メキシコの人口は、1548年に603万人あったのが1608年には107万人に減ったと推定されています。コルテスらがやってきたのは1519年だったので、おそらく1519年から1548年の減少数はもっと多かったはずです。新大陸全体で、超ざっくり、数千万人は死んだであろう、とされています。

新大陸はいわゆる「疫病の処女地」であり、 人々にユーラシア大陸で史上猛威を振るってきた疫病に対する免疫がなく、天然痘、はしか、チフス、インフルエンザといった「ごく一般的」な疫病によって次々と倒れていきました。

原住民の人口が激減したことで、新大陸では労働力が足りなくなり、プランテーション農園や鉱山の資本家は西アフリカから奴隷を連れてきて働かせることになり、今度は大量の人々が連れ去られたアフリカの荒廃を起こすことになります。

 

 3位.明末大疫病 約4,000万~5,000万死亡 (1641年~1644年)

 

明帝国の息の根を止めたのは李自成の軍ですが、そのきっかけを作ったのはペストの大流行でした。

地球は小氷河期に突入し、中国では作物の不作が長年続き、いなごやネズミの大量発生が起き、人々は充分に食えなくなり、体が弱っている所にネズミが媒介するペストが発生しました。干ばつ、飢餓、ペストにより人々は餓死、病死、自殺していきます。さらには内乱などによって多くの人が殺され、当時の中国の人口は約1億人でしたが、この危機により約4,000万人が死亡したとされています。

 

 4位.スペインかぜ 約4,000万人死亡 (1918年~1920年)

 

史上流行したインフルエンザで最も甚大な被害を出したのが、通称「スペインかぜ」です。

第一次世界大戦中の1918年にアメリカから流行が始まり、患者数は世界人口の25〜30%で、致死率は2.5%以上、死亡者数は全世界で4,000万、一説には1億人ともいわれています。

1918年3月にアメリカから第一波が起こり、1919年はじめまでに三回の大流行が発生。通常は児童や老人に死亡が多いですが、この時は15~35歳の青年層が最も被害を受け、死亡者の99%が65歳以下でした。当時はインフルエンザウイルスの存在は知られておらず、当然ワクチンなど存在しないため、有効な手立てはなく、学級閉鎖や移動の禁止、マスク着用の義務化などで対応せざるを得ませんでした。

日本も例外でなく、約2,300万人の患者と約38万人の死亡者が出たと報告されています。

 

 5位.HIVウイルス 約3,000万人死亡 (20世紀~現在)

 

 HIVウイルスは1970年代後半に世界的に拡大し、1981年にエイズが発見されました。2015年段階で約3,670万人がHIVウイルスに感染しています。

95%の患者が発展途上国の人で、性交渉や親子感染、汚染された血液の注射によって感染します。先進国では主に、薬物の薬を打つ注射の使い回しや同性間での性交渉による感染が多くなっています。

HIVはもともと霊長類を宿主とするサル免疫不全ウイルスで、それが突然変異によってヒト免疫不全ウイルスに変異したと考えられています。どのような経緯で現れたかは様々な説がありますが、最も有力なものが1930年代のアフリカ中部で、サルを食べたチンパンジーがウイルスに感染して混種ウイルスが形成され、そのチンパンジーの肉を食べた人に伝染し広がったというもの。

HIVウイルスを完治させる治療法・治療薬はまだ見つかっておらず、治療によってウイルス量を抑え続けるしか方法はありません。

 

 6位.ユスティニアヌスのペスト 約2,500万人〜約5,000万人死亡(6世紀)

 

542年〜543年、ユスティニアヌス一世治下の東ローマ帝国で腺ペストが大流行しました。ペストは帝国の領土に広範囲に広がり、隣国のササン朝ペルシアやイタリア半島、北アフリカにも波及。60年にも渡って猛威を振るい続けたと言います。ユスティニアヌス自身も感染しますが、辛くも命は取り留めました。

しかし人口の大減少は経済に壊滅的な被害を与え、ユスティニアヌス以降の東ローマ帝国の衰退のきっかけになったと言われています。定説によると、ユスティニアヌスのペストによる死者数は2,500万〜5,000万と言われてきました。これは古代の人口からするととんでもない数です。

一方で最新の研究によると、ユスティニアヌスのペストは当時のヨーロッパ社会を揺がすほどの深刻なダメージはないらしく、過大評価だと見る向きもあります。

 

 7位.第三次ペスト流行 約1,200万人死亡 (1855年~1960年)

 

第三次ペスト流行は、過去世界で壊滅的な被害を与えてきた腺ペストの大流行で、1855年に清帝国の雲南地方から始まりました。当時の雲南では鉱山開発により漢人が大量に流入し回族との軋轢が生じており、物流の増加の中でネズミが媒介する腺ペストが流行。危機が高まり、回族が反漢・反清の反乱(パンゼーの乱)を引き起こしました。回族の反乱は太平天国の乱とも連動し、清帝国の支配を揺るがすことになります。

さらに腺ペストは広東、香港、そしてインドにもたらされ、インドだけで1,000万人が死亡しました。

 

 8位.アジアかぜ 約200万人死亡 (1957年~1958年)

 

1957年に始まったアジアかぜもインフルエンザで、2月下旬に中国から流行が始まり、4月に香港、5月にシンガポールと日本に上陸。10月には世界中で症例が確認されました。熱帯の国と日本では上陸と同時に一気に流行しましたが、欧米では侵入後潜伏期間があり6週間後に一気に広がりました。

スペインかぜよりは致死率は低くかったものの、児童と高齢者を中心に爆発的な感染が起こり、世界中で約200万人が死亡しました。ワクチンがアメリカで8月、イギリスで10月、日本では11月に利用可能になりましたが、生産量が非常に少なく、学級閉鎖が伝播を防止できる唯一の手段でした。

 

 9位.天平の疫病 約150万人死亡 (735年~737年)

 

天平9年(737年)、奈良時代の日本で天然痘が大流行しました。

おそらく中国か朝鮮の使節が持ち帰って広まったもので、当時は地震・凶作などが相次ぎ、多くの人の体力が弱っていたと考えられ、追い討ちをかけた疫病によって150万人が死亡したと考えられています。

猛威を振るう天然痘は、当時の権力者・藤原四兄弟(武智麻呂、房前、宇合、麻呂)を全員病死させ、その影響で政治機能が一時的に麻痺し、その後聖武天皇を中心に橘諸兄などによる皇親政治が始まり、その後、武智麻呂の子・仲麻呂の巻き返しが起こるなど政局が混迷していきます。奈良の大仏が建立されるのはこうした世の中の混迷の延長線上にありました。 

 

 10位.第三次コレラ流行 約100万人以上が死亡1846年~1860年)

 

コレラのパンデミックは史上七回発生しています。

第三次コレラ流行は19世紀半ばに発生したパンデミックで、発生源はインドのガンジス川デルタ地帯。世界的流行によりロシアでは約100万人が死亡、ロンドンでも約2万人が死亡しました。この流行による世界中での正確な人数はよくわかりません。おそらく100万人は確実に超えていると思います。

19世紀後半から20世紀前半は、世界的なヒトとモノの流通量が飛躍的に増大し、グローバル化が一段と進んだ時代でした。大英帝国との経済的な繋がりを深めたインドで、世界各地からヒトやモノ(特に家畜)が流入してきたことで大きな被害が出ることになったのでした。
 ロンドンで流行した1854年、疫学の父と言われるジョン・スノウ博士の貢献により、病気の媒介が汚染された井戸水によることが突き止められました。

 これがきっかけでロンドンでは大規模な上下水道システムの整備が進み、公衆衛生の安全性が高まりました。

 

(以上、歴ログ-世界史専門ブログから抜粋させていただきました。なお、資料によりかなりばらつきがあって、この順位が確実というわけではありませんので、ご承知おきください。という注釈がありました。)

 

【人の移動、人の接触が制限される時代】

 過去のパンデミックの歴史を振り返ると、100万人を一桁、二桁上回る規模のパンデミックが何度も起きていたことがわかります。

 

 当時と比べても、世界中の人の移動は比べものにならないくらい増えていますから、各国の移動解禁により、感染が増大することを阻止しなければならないでしょう。

 

 今日の医学・医療レベルからすれば、これ以上の感染爆発を止めることができると期待したいのですが、ワクチンを政争の道具にするような動きには注視していかなければなりません。

 

 ついに米国・トランプ大統領もコロナウィルスに感染したようです。

 

 英国のジョンソン首相、ブラジルのボルソナーロ大統領に次いで、ついに大国の大統領が感染、ジョンソン首相のように重症化しなければよいがと願うばかりです。

 

 

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久々に旅に出る

 めっきり秋めいてきました。

 

私は温泉が好きで、涼しくなってくると温泉が無性に恋しくなってきます。

 

今年に入ってからというもの、コロナ騒動で温泉はおろか、旅にも出ていないことに気づきました。

 

実家は温泉地なのですが、8月と9月に、父の入院の前後に2度行ったにもかかわらず、地元の人との接触を避けるため、温泉には入りませんでした。

 

世の中がやっと旅に出てもよい雰囲気になってきましたので、久々に温泉を求めて出かけることにしました。

 

旅先に選んだのは草津温泉、日本三代名湯の一つとしても有名です。

 

以前だと家族旅行の場合は、車で出かけたものですが、寄る年波で長時間の運転は億劫になってきましたので、電車を利用することにします。

 

当日は久々の気持ちのよい秋晴れです。

 

私は電車で旅に出る際には、車窓から移りゆく外の景色を眺めるのが好きです。秋晴れの中、畑仕事に精を出す人が見えたり、ススキが風になびく風景が次々と目に飛び込んできて、飽きることがありません。

 

車両内を見渡すとガラガラなので、本を読む妻の隣の席を離れ、反対側の空席に移動し、車窓の景色を堪能します。

 

電車からバスに乗り継ぎ、草津温泉駅に到着、荷物をコインロッカーに入れ街を散策します。

 

わずかな距離なのですが、湯畑のある街の中心までは急勾配の下り道、膝の悪い妻にとっては大きな負担です。

 

湧出量の豊富な温泉の流れが、硫黄のにおいと共に目の前に現れました。もうすぐこの良質な温泉に入れるのかと思うとワクワクします。

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私は生まれてから10数年間毎日温泉に浸かって育ちました。

 

 実家を離れてからは、その温泉の有りがたみも感じないままに時が経過しましたが、年を取ってくると、たまに実家に帰った時に入る温泉の良さを実感するようになりました。

 

 宿に入ると早速、風呂場に一目散に向かいます。

 

 草津の湯は幼いころから入っていた温泉の湯質と似ていて、体中を癒してくれます。

 

 風呂に使ったり、出て体を冷ましたりを繰り返しているうちに、あっという間に1時間程が経ってしまいましたので、湯あたりをしてはいけないと思い、あわてて風呂を出ました。

 

【徹底したコロナ対策】

 夕食会場に向かうと、消毒スプレーで手を消毒してテーブルに着くまでマスク着用です。

 

 一部の料理は、バイキング形式で各自で取りに行くのですが、その際はマスクと手袋着用です。

 

 バイキング形式の料理は一品一品小皿や小鉢に盛り付けられており、一つ一つにフタがしてあります。

 

 コロナ前に比べたら、調理・配膳スタッフの手間ひまは格段に大変だろうと思いながら、食事を堪能しました。

 

 GO TO トラベルがはじまり、各地の観光地は久し振りに活況を取り戻しつつあるようです。

 

 10月から東京が対象に加わり、観光業界は勢いづいているようですが、コロナ対策をどこまで徹底できるかが、経済と感染対策の両立をはかるうえでの決めてとなります。

 

 我々が泊まった宿の感染対策の徹底ぶりには感心させられるものがありました。

 

 このような努力を続けることにより、この宿が以前のような勢いが戻ってくることを願いながら宿を後にしました。