都市部に住んでいると、一日中、人工音が絶えず耳に入ってきます。
唯一、家族が起きてくるまでの時間は、静寂に近い時間が持てますが、それでも外からは車の走る音(時に救急車)、人の話し声などが聞こえてきます。
唯一、虫の鳴く音は安らぎを与えてくれますが…。
ふと一人きりで、人気のない自然の中に身を置いて、自然と対話がしたいと思うことがあります。
Jose Antonio AlbaさんによるPixabayからの画像
先日、NHKの朝ドラに「ちょい役」でピーター・フランクルさんが出演していました。
彼は「数学者・大道芸人」という異例の肩書を持つ方で、タレント活動もしています。
一時期よくテレビにも出演していたのですが、朝ドラに彼が出演しているのを見て、懐かしく思いました。
というのも、かなり昔の話なのですが、彼が数学者・大道芸人として、日本で売り出し中の頃、講演を頼んだことがありました。
話しの合間には、大道芸の一旦も披露してくれたりして、楽しい講演でした。
しかし私にとって,いまでも心に残っている内容があります。
彼は当時、日本全国をまわって、大道芸を武器に講演や慰問活動を行っていたのですが、ある地方に出向いた時、一人の老人に出会い、しばらく親しく懇談を
する機会があったそうです。
その老人は、生まれてこの方、村を一歩も出たことがないといいます。
しかしピーター・フランクルさんは、話を聞く中で、その老人に備わる世界観・宇宙観の素晴らしさに驚かされたと言います。
「井の中の蛙大海を知らず」といいますが、一歩も外に出ず、この狭い村のなかで過ごしてきただけで、何故このような広く大きな視野を持つに至ったのか、最初は不思議に思ったそうです。
しかしじっくり老人の話すことを聞いているうちに、気づかされます。
長い間、仕事に励む合間に、日の光を浴び、満天の星を見、風にそよぐ森林からのささやきを聞きながら自然と対話をしてきたことにより、真理を究めることができたのではないか。
私のように世界のあちこちを飛び回っている人間よりも、狭い地域で生まれ過ごしてきたこの老人のほうがよほど世界観・宇宙観を究めているのではないか。
ピーター・フランクルさんが、このような経験談を講演の中で話していたのを、いまでも覚えています。
私自身も齢を重ねるにつれ、ときに自然の中に身を置くことで、自然からの問いかけ、己の内からの問いかけを聞く必要があるなと実感している今日この頃です。