eta name="google-site-verification" content="dD3822C_0uyBGlkT1t8KtxTBgX0Ki2EAdNiYO4a_DC0" />

団塊おんじ 人生100年時代を行く!

長く生きるかではなく、どう生きるかの試行錯誤録

被災地を支援できないもどかしさ

【ささやかな支援しかしてこれなかった】

8年を過ぎた東日本大震災の被災地をメディアが取り上げています。

肉親を津波で亡くした人達が健気に頑張っている姿が映し出される度に、胸が締め付けられます。

 

 私はこの8年間、被災地のために何ができたのだろう、と改めて振り返りました。

 

 せいぜい年に1度程度、東北を観光で訪れるとか、東北の物産フェアに出かけて買い物をしてくる事、くらいしかしてこなかったのではないかと…。

 

【あの夜の忌まわしい報道メッセージ】

 震災の発生した当日、定年退職を前にした私は、妻と義母を連れて富士山の裾野にある某地に遊びに出かけていました。

 

 観光を終え、早めに宿のリゾートマンションに到着しました。

 

部屋に案内され、お茶を飲んでくつろいでいる所へ突然の激しい揺れ、7階の部屋でしたから食器棚から皿やグラスが落ちて足の踏み場もない有様です。

 

場所が場所だけに、てっきり富士山が爆発したかと思いました。すぐに停電になり、何が起きているか知る術がありません。

 

少し間を置いてから、携帯が繋がり東北方面で大きな地震が発生したことを知ります。

 

 しばらく時間が経ってから、宿のスタッフが駆けつけ、停電になっていない近くの系列の宿に移るように言われます。

 

 日が暮れかかる中を車で移動しましたが、停電なので信号も機能不全で交差点を恐る恐る渡りました。コンビニも店を閉めてしまっています。こんな時こそ、店を開けておくべきなのに、と冷ややかな視線を投げながら車を走らせます。

 

 宿の近くまで行くと、家々の明かりがついていて、まずはホッとします。開いているコンビニを見つけ、少なくなっている在庫の中から、当座の食料を何とか確保して宿に入りました。

 

 その後、宿の部屋で食い入るようにテレビの報道を見続けました。

 

 そして22時半を過ぎたころ、あの忌まわしいヘリコプターからの一報、「仙台空港の沖合付近を飛んでいます。海上にたくさんの死体と思われる物体が確認されています。」。

 

とんでもないことが今起きている、その夜は寝つこうにも寝つかれません😢。

 

 翌朝は快晴、部屋から見える富士山は何事もなかったようにそびえています。

 

 取るものもとりあえずチェックアウトし、自衛隊の車両に混じって東名高速を車を走らせ、そそくさと家路についたことを思い出します。