団塊おんじ 人生100年時代を行く!

長く生きるかではなく、どう生きるかの試行錯誤録

ウィルスと人類との闘い

 新型コロナウイルスが猛威をふるっています。

 

 もはや日本中どこで感染してもおかしくないというステージに入っているとニュースで報じています。

 

「うがい手洗い・マスク着用の励行」と連呼され、実行に移している人が多いせいで、今年はインフルエンザにかかる患者が激減しているようです😊。

 

 うがい手洗い・マスク着用の励行が、いかに有効かが証明された格好です。

 

 いま日本を訪れている欧米人に「中国に近い国である日本にいて、新型コロナウイルスへの感染は心配ではありませんか?」という取材をしている報道番組をみていたところ、「日本は安全な国ですから、心配していません」と多くの人達が応えていました。

 

 安全に対する日本への信頼は相当なものだな、と改めて感じています。

 

 昔、イザヤ・べンダサン(著述家・山本七平氏)が、その著「日本人とユダヤ人」(1971.9.30発刊)の中で、「日本人は水と安全はタダだと思っている。」と述べていたことを、思い出します。

 

 安全を確保するための先達の努力も、寄与したのかもしれません。

 

 日本に対する安全神話は、まだまだ健在のようです。

 

 しかし毎年訪日外国人が増え続けている現在、ウィルス感染も含めて、安全の確保がどんどん難しくなってきている気がします。

 

 温暖化の影響での自然災害をみれば、日本は世界でも突出して増えている国でもあります。

 かつてウィルスが人類を滅ぼすという内容のSF小説を読んだ記憶がありますが、フィクションだったことが、現実のものになりつつあるのかも知れません。

 

 クルーズ船でまた新たに41人の感染が確認されたようです。

 

 船内で部屋に14日間留め置かれる人たちの苦痛は大変なものだと思いますが、人類とウィルスの闘いという見地からすると、我慢してもらうより仕方がないのでしょう。

 

 安全な国・日本という信頼を維持するためにも。

 

 

 

 我が家の「名前のない家事」

【家事をし続けることの大変さ】

 昨夜、風呂に入る前に下着の着替えを取りだそうとすると、アンダーシャツがありません。

 

 妻に聞くと、洗濯していないとのこと。

 

 仕方がないので、長袖の下着で凌ぐことにしました。

 

 妻はこのところ入院している義母のところに通っています。

 

 午前中は家で家事をこなし、午後病院に向かうという毎日です。

 

 ただケアマネージャーとの電話でのやりとりなどが入ると、家事時間は削られてしまいます。

 

 私も時間がある時には、家事を手伝ったり、病院の送り迎えで車を出したりしているのですが、仕事がある日などは、それはできません。

 

 また退院後に義母をどこに受け入れてもらうかというのも重くのしかかっている課題です。

 

 そのため合間を縫って、施設見学に義妹と一緒に出掛けたりもしています。

 

 時間があれば、私も一緒に車で行くこともあります。

 

 そんな日々ですので、つい家事も疎かになりがちです。

 

 

【名前のない家事】

 最近「名前のない家事」という言葉をよく耳にします。

 

 掃除、洗濯、料理などは「名前のある家事」です。

 

 たとえば“掃除”といってもその家事はたくさんの小さな家事たちの集合体なのです。

 

 掃除なら「掃除機のフィルター清掃」、「紙パックや床拭き用シートの交換」など、洗濯なら「衣類をネットに分けていれる」、「洗濯した衣類を畳んで家族ごとに分類する」さらに「家族それぞれの収納場所へ片付ける」「洗剤や柔軟剤を買いに行く」など、料理なら「必要な材料や調味料の買出しに行く」「栄養のバランスをみながら献立を考える」「賞味期限を管理する」などなどです。

【せめて名前のない家事は引き受ける】

 我が家の場合で考えると、掃除、洗濯分野の「名前のない家事」はこれまでも私と娘が結構引き受けてきたような気がします。

 

 ただ普段使いの柔軟剤を違う商品を買ってきてしまったり、開封済の調味料がまだ残っているのに、新しい調味料を開封してしまったりとちょくちょく失敗することも多いのですが…😢。

 

 当面、義母の受け入れ先の施設が決まるまでは、今まで以上に名前のない家事ばかりでなく、名前のある家事も積極的に手伝っていかなければいけないと娘と決めました。

 

 

今月は時が経つのが長く感じています

 いつもだと一ヶ月があっという間に過ぎる感覚なのですが、年明けからのこの1月は長く感じています。

 なぜかな?と思い、考えてみました。

 

 年末から帰省し両親の無事を確認したことに始まり、その後義母が体調を崩し、緊急入院した後、転院し、その間に医者から自宅にはもう戻るのは難しいと告げられ、受け入れて貰える介護施設探しに奔走(といっても妻が中心です)。

 

 そして叔父が突然亡くなり、高齢の父を連れて葬儀に参列。

 

 目まぐるしく色々なことに対応しなければならない日々を送りました。

 

 主に暗い気持ちになる出来事が続き、一日一日が重い日々だったのかと思い至りました。

 

 心に突き付けられる、自分にとってのつらい情報を理解し、咀嚼(そしゃく)する時間は、重く長い時間に感じられたのかもしれません。

 

 そんな中、昨夜は旧職場でお世話になった先輩と久しぶりに会いました。

 

 共通した仲間の近況や、お互いの今の生活ぶりなどの話に花が咲き、3時間以上の飲み屋での時間があっという間に過ぎ去りました。

 

 久しぶりに痛飲をしてしまい、今は体調がすっきりしていませんが、気分は少し晴れやかになった気がします。

 

 ふと鴨長明の「方丈記」の冒頭の一節が頭に浮かんできました。

 

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。」

 

 現代語でいえば、

 流れ過ぎていく河の流れは途絶えることがなく、それでいてそこを流れる水は、もとの水ではない。

 

 河の流れの「よどみ」に浮かんでいる水の泡は、一方では形が消えてなくなり一方では形ができたりして、長い間そのままの状態でとどまっている例はない。

 

 この世に生きている人と、その人たちが住む場所とは、またこの流れと泡のようである。

 

 これからは私の身の回りに「無常」を感じる出来事が、次々に降りかかってくるような気がしています😢。

 

 そうした中で、気分を晴れやかにしてくれる出来事が、時折織り交ぜられてくれることを願うばかりです。

 

 

 

 

 

米国の若者が社会主義に共感(その2)

【前オバマ大統領が社会主義者?】

 米国の若者の間に社会主義への共感が広まったのは「格差の拡大」であることは前回のブログで触れたとおりですが、オバマ前大統領が保守派から「社会主義者」と呼ばれていたことも関係しているのではないかといいます。

 

 オバマ政権が導入した医療保険制度「オバマケア」は、民間保険への加入を促す補助が柱でしたが、「社会主義的な政策」と評されました。

 

 オバマ氏のことを好感する若者の多くは「オバマ氏が社会主義者なら、社会主義も悪くはない」と感じたのではないか…。

 

 

【高齢者と若者の間に温度差】

「高齢者と温度差がある」というのは米国の左派に関する著書が多数ある、米ジョージタウン大学のマイケル・カジン教授です。

 

 冷戦が終結して30年が経ち、格差が拡大するばかりの米国資本主義社会に、若者は嫌気が指しているのではないかといいます。

 

 社会主義体制は言論の自由もない暴政や一党独裁を意味します、トランプ大統領をはじめ与党・共和党はそのあたりを分かっているから、野党民主党を「急進的な社会主義政党」と呼んで攻撃しています。

 

 社会主義への共感は、民主党の左派に勢いを与えていますが、若者よりも高齢者の方が、投票に行く傾向が強いことを考えると、民主党にとって有利にも不利にも働き得るのではないかとカジン教授は分析しています。

 

 米国で社会主義と言えば「民主社会主義」を指すのが一般的です。民主社会主義者を名乗るバーニー・サンダース上院議員は、社会福祉政策を拡大し、国民皆保険の実現や労働組合の強化を訴えています。

 

 富裕層への課税強化を訴えていますが、人々が裕福になることを否定しているわけではなく、企業の国有化も望んではいません。

 

 基本的には日本や欧州のような社会保障制度を実現すべきだと訴えているのです。

 

 カジン教授は、このような主張は米国民にとっては新鮮な内容だと言っています。

 

 民主党大統領選は混戦状態ですが、ここにきてサンダース上院議員がトップの指示を集めています。

 私も、現在の米国の状況を良しとしない若者たちが、今後どう動くのか注目してウォッチしたいと思っています。

 

 

 

米国の若者が社会主義に共感

【格差への不満が沸点に近づこうとしている】

 自由の国アメリカで、社会主義に共感する若者が増えているようです。

 

 米大統領選の民主党指名争いで大企業を敵視する急進左派の勢いが目立っているというのです。

 

 その背景には「格差への不満」があります。

 

 そんな中、昨日、世界の富裕層のトップ2100人の資産額が、世界の6割を占める46億人の資産額を上回るというNGO調べの結果が公表されました。

 

「格差ここに極まれり」といった報道内容です。

 

 なかでも米国の格差は、日本や欧州と比べて突出しています。

 

 OECDの統計では、上位5%の富裕層が保有する資産の割合は、米国の68.1%に対し、ドイツが46.3%、フランスが37.3%、日本が27.7%です。

 

 

【アメリカン・ドリームは昔話に】

 米国の若者は「今の社会ではアメリカン・ドリームが遠い昔の話になった」と考えています。

 

 家と車を持ち、子供二人を大学に通わせる―。かつてそれは米国の典型的な中流家庭の姿でしたが、家賃や医療費、教育費の高騰で、そんな将来像も見通せない状況なのです。

 

 また、学生ローンによる債務の増加も社会問題化しており、人口のほぼ7分の1にあたる約4500万人が学生ローンの返済に追われています。

 

 学生ローンの負債総額は、2006年からリーマンショックを経て3倍以上に急増し、クレジットカード負債を上回り、住宅ローンに次ぐ大きな負債になっているといいます。

 

 学生ローンの緩和策は、大統領選の民主党指名争いで主要争点の一つになっています。

 

 大企業や富裕層を敵視する急進左派の候補が「金持ちから集めた資金を分配し、学生ローンに苦しむ人々の負担を減免する」との主張を掲げ、若者らの指示を集めているようです。

 

 民主党指名争いでは、バーニー・サンダース氏やエリザベス・ウォーレン上院議員が格差問題を正面に掲げる「急進左派」が高い支持を集めています。

 

 とはいっても、両氏のどちらかが民主党大統領選候補になれるかも分かりませんし、なったとしても共和党トランプ氏を倒せるだけの勢いには、今のところならない気がします。

 

 ただ、学生ローンや格差の問題を放置し、手をこまねいていると、若者が社会主義に共感するうねりが益々広っていくような気がします。

 

 2019年11月のギャラップ社調査によれば、18歳~34歳の社会主義を肯定的にとらえる若者は、52%と否定的にとらえる47%を上回っているのです。

 

 このような意識の変化を「馬鹿げている」などと侮っていると、近い将来、予期しなかったような変革が起きないとも限りませんね😢

 

 

感情を整理しコントロールすることの難しさ

【感情に振り回され続けてきた私の人生】

 感情をコントロールする、これは本当に難しいことだと思っています。

 

 若い頃はこみ上げてくる様々な感情に振り回される日々を送ってきました。

 

 齢を重ねていくうちに、最近では妻と議論をしなくなりました。

 

 感情的になって議論を始めても、何も生産的なものは生まれないと骨身にしみて実感してきたからです。

 

 最近では妻がいいがかり(?)を吹っかけてきても、どこ吹く風で受け流せるようになりました😊。

 

 

【ひふみんの感情整理の考え方】

 先日、天才棋士といわれた加藤一二三さんの『感情の整理術123』という著書に出会いました。

 

 勝つために常に精神を穏やかに保ってきた加藤一二三さん。

 

 不本意な状況や不快な思いをさせられると、ついカッとしてしまったり、不満を抱いたり、我慢してしまうものです。

 

「怒ったら損だから絶対に怒らない」そう決めて、長い将棋人生を過ごしてきたそうです。

 

 加藤一二三さんは「ひふみん」の愛称で親しまれています。

 

 その「ひふみん」のインタビュー記事に、独特の「感情のコントロール論」が集約されています。

 

 以下、興味ある「“ひふみん”の持論」を抜粋して、ご紹介します。


【ひふみん】
 僕はですね、議論というのは、あんまりしないほうがいいと思ってます。

 あ、えっと、議論を続けても平行線になるだけで、答えが出ないんですよ。だから理性を保つことが大事です。その、理性は、人間でいうと“目”ですよね。

 

 あ、あのですね、目というものがしっかり見えないで道を歩くと、つまずきます。でも、しっかり見えていると、道をまっすぐ歩けます。それに該当するのが、理性です。

 

 だから、その、理性っていうものを、しっかり使って歩んでいくと、脱線はしませんよ。

 

【インタビュアー】
よく「喧嘩するほど仲がいい」とか「議論できるのがいいカップル」と言われるけど、必ずしもそうとは限らないんですね。

 

【ひふみん】
 あ、はい、えっとね、我々が幸せに人生を送っていくために必要なのは、やっぱり、理性ですからね。

 

 相手の欠点が気になる人には、“丸太”のような欠点がある。

 

【インタビュアー】
 さっきの理性の話につながりますが、ひふみんさんは、どんなに敗戦を経験しても悔しさを見せないですし、感情のコントロールがうまいなと思います。

 

【ひふみん】
 あ、ああ、はい、ありがとうございます。

 

【インタビュアー】
 わたしは仕事でも恋愛でも、何か嫌なことがあるとすぐに感情を爆発させちゃうんですが、理性で抑えるのってどうすればいいんでしょう?

 

【ひふみん】
 そうですね。あの、こういう考え方もあるんですよね。たとえば、相手に嫌なことを言われたとする。その人の欠点は、おがくずのような、小さな欠点。おがくずっていうのは、あの、木のなんか、ちっちゃいもんです。

 

 それは相手の欠点だから、なんとか、直してほしいと思う。おがくずを取り除きたいと思う。でしょ?

 

【インタビュアー】
  めちゃくちゃ思います。なんだったらおがくず思いっきり引き剥がす勢いで、ストレートに指摘する。

 

【ひふみん】
 でもね、そのおがくずのような欠点を取りたいと思っているあなたにはね、あの、丸太のような欠点があると。こんなね、目には入りきらないような、大きな欠点があるんですよ。

 

 だからね、欠点は誰にでもあるということを、覚えておかなきゃいけない。あ、つまり、自分にはもしかすると、相手より大きな欠点があるかもしれないのに、他人を裁いてはいけないんです。

 

【インタビュアー】
 グサーっときました。今までの所業を反省しました……。まさにおっしゃる通りだと思います。

 

【ひふみん】
  あ、あとは「人間の行動にはすべて根拠がある」と、思うようにする。

 

【インタビュアー】
 根拠?ですか。

 

【ひふみん】
  たとえば、仕事で、行き当たりばったりの対応をしてくる人がいるとするでしょ。

 

【インタビュアー】
 行き当たりばったり……無計画で猪突猛進して最終的に迷惑かけてくるタイプの人かな。そういうの絶対許せないと思ってしまいます。

 

【ひふみん】
 こちらからすると「なんてひどい。こんな、なんの考えもなく行き当たりばったりで接してくるなんて」と思うことも、多いんだよね。でも“行き当たりばったり”は、その人にとってひとつの成功法で、あえてやっていることも多い。

 

【インタビュアー】
 た、たしかに……。その行き当たりばったり感が、結果的に誰よりも早く成果につながったりしますもんね。

 

【ひふみん】
 そういう相手の行動における根拠を考えると、冷静になれるでしょ。だからね、これも知恵としてね、持っておくといいですよ。
                  (以上)

 

 長い間、勝負の世界で培ってきた「ひふみん」の持論は、含蓄ある示唆に富んだ「感情の整理論」です😊。

 

 

 

医者も生身の人間なんですね

 1月11日のNHKスペシャルで放送された「認知症の第一人者が認知症に」葛藤と希望一年間の感動密着記録~人生百年時代のヒント~、を興味をもって見ました。

 というのもこの医者の認知症のタイプが義母と同じ「嗜銀顆粒性認知症(しぎんかりゅうせいにんちしょう)」であることと、認知症医療の第一人者、長谷川和夫さん(90)であるということでした。

 

 嗜銀顆粒性認知症は、比較的ゆっくりと進行する認知症だと聞いています。

 

「長谷川式」と呼ばれる早期発見の検査指標を開発し、またそれまで「痴呆」と呼ばれていた呼称を「認知症」に変えることを提唱するなど、人生を認知症医療に捧げてきた先生なのです。

 

 いま認知症診断に使われている、「今日は何日ですか?」「100から3を引くといくつですか?」「では、97から3を引くといくつになりますか?」など、どこでもポピュラーに使われている診断ツールはあまりにも有名です。

 

 長谷川さんは2017年に自ら認知症になったことを公表しました。

 

 番組はこの1年、長谷川さんとその家族の姿を記録し続けてきましたが、認知症専門医が認知症になったという現実をどう受け入れ、何に気付くのかを追っています。

 

 

 

 

 長谷川さんは、認知症になった後も講演活動を続け、自らの口で認知症になった自分の状態などを伝えています。

 

 私が印象に残ったエピソードがあります。

 

 ある日の講演でのこと、家族との打ち合わせでは講演の最後に歌を歌うことになっていましたが、長谷川さんは冒頭で突然歌いだしてしまうのです。

 

 壁際に控えていた家族は、慌てて参加者に歌詞カードを配ります。

 

 講演後に、家族は最初に歌いだしたことを咎めます、しかし長谷川さんには理由がありました。

 

 講演会場の雰囲気があまりにも固いので、アイスブレーク(固い雰囲気を和らげる)のつもりで、手順を変えて最初に歌うことにしたのです。

 

 順を間違えたのではなく、そこにはきちんとした理由がありました。

 

 認知症になったら、不確かな状態がずっと続くと思っていたが、正常な状態も確かに存在するということ。

 

 言葉が分からくなって話せないのではなく、「自分の言葉」に自信がなくなり、殻に閉じこもってしまうということ。

 

 そして確かさを取り戻すためには、他者との絆が重要であること…。

 

“君自身が認知症になって初めて君の研究は完成する”長谷川さんは、かつて先輩医師にこう言われたそうです。

 

 自分の戦場だという書斎にもどり、その後も戦い続けている長谷川さん、続く限りメッセージを発信し続けてほしいものだと思いました。