団塊おんじ 人生100年時代を行く!

長く生きるかではなく、どう生きるかの試行錯誤録

良い医者との出会い

義母の認知症がこのところすっかり落ち着いています。

  一時期は些細なことで激高し、デイサービスの施設でも他の利用者さんを怒鳴りつけたり、外に食事に行けば、周りの人の挙動を見てブツブツと文句を言ったりといった状態で、これからどうしたものかと途方に暮れていました。

 

 そんな折、これまでかかっていた脳神経内科の先生から、精神科の受診を勧められ早速受診することにしました。

 

 同じ病院の2階に精神科はあり、朝から受診を待っていると、1階の脳神経内科の先生は早くから受診を始めているようです。

 聞いていると2~3分おきに次の受診者の呼び出しをしています。
どうやら1~2分で受診を終えているようで、こちらの受診が始まるまでに10人近くの受診を捌いてしまいました。

 

 精神科の先生は若い先生で、とてもソフトな応対をしてくれます。微に入り細に入り現在の状況などを聞いてくれた後、ご自身の考えを丁寧に説明してくれました。

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[嗜銀顆粒性認知症(しぎんかりゅうせいにんちしょう)]

嗜銀顆粒性認知症の疑いがあるというのです。


  脳に蓄積した特殊なたんぱく質が嗜銀顆粒という物質になって引き起こすタイプの認知症で、記憶障害が起きたり怒りっぽくなったりするなどの症状が特徴で、現在根本的な治療法はないとされています。

 

 これまで処方されていたアルツハイマー型認知症の薬は飲むのをやめ、別の薬を処方されました。

 

 薬の効果を見るため、一週間後に再受診するパターンが一ヶ月続き、その度にこまめに処方する薬の量が調整されていきます。

 

 それから3か月が過ぎましたが、いまでは驚くほど穏やかに過ごしています。
激高することもなくなりましたので、ケアマネジャーやデイサービス施設のスタッフも驚いているといいます。

 

 義母も高齢ですので、今後このままの良い状態がどこまで続くかは分かりませんが、精神科の若い先生が治療法の確立していないこの病気に、果敢に挑んでいる姿に頭が下がります。

 

〔触診で見立てることのできる名医〕

 

 私は37歳の時に、甲状腺を半分以上切除する手術をしたことがあります。

 

 声がかすれる状態がしばらく続いたのですが、仕事の忙しさにかまけてやり過ごしていました。しかし周りの人たちが気にして、病院にいくことを勧めるものですから、家の近くの総合病院を受診しました。

 

 レントゲン検査の結果をみながら、医者は「食道の壁に腫瘍ができているようなので、その部分を切除する手術をしなければならない」と言うのです。

 

 それを聞いて私は目の前が真っ暗になってしまいました。肩を落として家に帰り、今後どうするか家内と話し合ったことを記憶しています。

 

 翌日職場に行き、上司に報告をしたのですが、某大学病院に甲状腺などの内分泌専門の良い先生がいて、運の良いことに知り合いがいるので、紹介状を書いてもらい、受診してみようということになったのです。

 

 家内を伴って緊張しながら病院に行き、かなり待たされた後に、診療が始まりました。

 

 先生はにこやかな顔で、いくつかの質問をした後に、患部の触診を始めます。

 

  そして「あ、これは大丈夫です。カルシウムの塊ができているだけです。良性のものは触るとコロコロ動きます、悪性腫瘍の場合は壁に張り付いて一体化しているので、触っただけで分かります」とおっしゃるのです。

 

 それを聞いて、全身から力が抜けていきました。

 

   そこは女子医大病院でしたので、女子のインターン生が二人ほど控えていましたが、先生が「勉強のために、彼女たちにも触らせてもらってよいですか?」と聞かれました。

 その時にはもう余裕ができていましたので、「どうぞ、どうぞ😊」と笑顔で答えたのを思い出します。

 

 その後、同病院でカルシウム切除のため、甲状腺を半分ほど取り除く手術を受けました。

 無事手術を終え、その後毎月経過を見るために通院しましたが、一年後には「もう大丈夫ですから、来なくてよいですよ」といわれ、今日まで無事に過ごすことができています。

 

 こういう医者を名医というのだなと、しみじみ思い、感謝しています。

 

電気料金の請求が怖い😢

  今月の電気料の請求がまもなく届きます。

 おそらく前月に比べて2倍かそれ以上の請求額になるだろうと思います。

 

「今日は命にかかわる危険な暑さです、ためらわずに冷房を使って下さい!」とニュースで連呼されると、思わず一日中エアコンをフル稼働状態にしてしまいます。

 

 例年だと朝起床時にエアコンを切って、10時頃までは使わずに過ごせましたが、確かに今年の場合は、8時過ぎには再びエアコンをつけないと、全身汗まみれ状態なのです。

 また我が家は、中層マンションの最上階なのですが、屋根に籠った熱が夜になっても放出されず、毎晩「灼熱地獄状態」になります😢。

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こんな時には、どこか涼しいところにでも逃げ出したくなります。

 

 お金持ちであれば、避暑地の別荘でひと夏を過ごすといったことができるのでしょうが…。

 

 避暑地といえば、東日本だと軽井沢が思い浮かびますが、避暑地ランキングでここ2年間連続1位は「奥日光」です。
8月の平均気温は約18℃だそうですから、なんとも羨ましいかぎりです。最も今年はもう少し平均気温が高くなるはずです。

 

 ちなみにランキングは、2位「奥入瀬」3位「草津温泉」4位「那須高原」で軽井沢は5位です。

 軽井沢には万平ホテルという有名な老舗ホテルがありますが、昔はこのホテルにはエアコンが設置されていませんでした。エアコンがなくても心地よい風が通り抜けて、心地よく過ごすことができる工夫がされていたようです。

 

 これら避暑地は、日中こそほどほど暑くなりますが、朝晩はぐっと気温が下がり、肌寒いくらいの時もあります。

 

 私の実家は山の中の温泉地なのですが、エアコンなどなく1台の扇風機で今でも夏を乗り切っています。いまごろ扇風機が大活躍していることでしょう。熱中症になどなっていなければいいと高齢の両親を心配しています。

 

 避暑地に縁のない私は、今日も命にかかわる危険な暑さと戦うべく、エアコンをフル回転させています。電気料金の請求額に怯えながら…。

 

 加えて娘が職場の飲み会で終電に乗り遅れたとかで朝帰りし、エアコンをガンガンかけて部屋で寝ています😢。

 

 

林真理子の「西郷どん」を読んでみた

   西郷隆盛はこれまでも林房雄、池波正太郎、海音寺潮五郎、小前亮の「西郷隆盛」、司馬遼太郎の「翔ぶが如く」、一色次郎の「実録西郷隆盛」、津本陽の「巨眼の男 西郷隆盛」、童門冬二の「西郷隆盛 天が愛した男」、葉室麟の「大獄 西郷青嵐賦」などなど数多の作家が取り上げてきました。

 

 林真理子の「西郷どん」は2017年11月1日初版発行ですから、出版とほぼ同時くらいのタイミングで、NHK大河ドラマ化が決まるという作品です。

 

 明治維新の立役者たちの中で、西郷隆盛という人物がなぜこれほどまでに日本人に人気があるのだろうと前々から思っていました。

 

 またこれまでは男性作家だけが取り上げた西郷を、女性作家の林真理子が描こうとしたことにも興味がわきました。

 年明けの1月7日にスタートした大河ドラマも半年が過ぎた7月になって、遅ればせながら原作を読んでみることにしました。

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   ドラマは幼少期の西郷を時間をかけて描いたり、林真理子原作らしく奄美大島に流された西郷が島の娘「愛加那(とぅま)」を愛し、2回目の結婚に至るラブストーリーを強調して描いたりと、見ていても飽きない展開です。

 

 私は以前に仕事で奄美大島に行ったことがあるのですが、滞在中に懇親のお酒の席で、奄美大島の人は薩摩(鹿児島)をよく思っていない、いや憎んでいるという話を聞いたことがありました。

 

  ドラマでも描かれた、当時の「黒糖地獄」といわれる圧政に苦しめられた事実を知り、改めて奄美大島の人々の忘れられない恨みの言葉を思い起こしました。

 

 西郷は薩摩藩の下級武士の清貧な家に育つのですが、薩摩斉彬に取り立てられ、歴史の前面に出てくるきっかけとなる様々な人との出会いを経験していきます。

 

 斉彬はその後急死し、弟の久光は我が子茂久(忠義)を藩主にし、自分は国父として実権を握ります。西郷は久光の意に背く行為で奄美大島への遠島や沖永良部島に島流しにあったりした後、復帰します。

 

 考えてみますと、斉彬は確かに名君ではありましたが、西郷が本格的に活躍したのは久光の時代でした。久光はドラマでは田舎者(地ごろ)として、やや滑稽に描かれているのですが、実際は先を見通す力のある戦略家だったようです。

 

 薩長連合を結んで、戊辰戦争の参謀を務め明治維新の立役者となった西郷の活躍の陰には、久光の後ろ盾があったのです。

 

 西郷はその後、明治政府の表舞台を離れ、故郷鹿児島に戻ります。そして私学校や吉野開墾社という農業組織を立ち上げ、勉学と農業の奨励に務めました。

 

 しかし西郷のまわりに集う若者達は、明治政府の方針に反発し、決起したことがきっかけで西南戦争へとつながっていきました。

 

 その間にも久光は、大久保達に「西郷の言い分も聞け」という趣旨の書簡を送っているようです。

 

 西郷は血気にはやる若者達を放っておくわけにもいかず、戦の前面に出ていくことになったのだろうと推測します。

 最後は勝てるはずのない戦に負け、非業の最後を遂げますが、それまでの無私無欲の西郷隆盛の行為が、一般庶民や若者達から尊敬され、圧倒的な支持を得たのは間違いのないところだと、改めて思った次第です。

 

ちびた石鹸

  我が家の洗面所の隅っこに、ちびた石鹸があります。

 

家族の女性陣はこの石鹸には見向きもせず、液体ソープを使っています。
私だけが、日に何度か黙々とこの石鹸を使い続けていますが、なかなか減りません。

 

女性は化粧落としや洗顔をするのに、この石鹸を使うのは嫌なのでしょう。

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  思い起こせば、石鹸の発明は衛生管理のうえで画期的なものだったのでしょう。いまでも最貧国の庶民は、石鹸が手に入らず病原菌を十分に洗い流すことができないことにより、様々な病気にかかってしまうケースがあるとききます。

 

  日本はなんと恵まれた国なのだろうと、こんなことからも思ってしまいます。

 

 いまでは用途別に様々なリキッドソープやボディソープが出回っており、昔ながらの固形石鹼を使う機会が減ってしまいました。

 しかし聞くところによると、固形石鹸の人気が戻りつつあるらしいです。
マーケティングリサーチ会社のMintelの調査によると、2011年の固形石鹼の売り上げは4.7%増加しており、これはリキッドソープとボディソープの売り上げの伸びの約2倍に相当するものだったといいます。

 

 多くのリキッドソープには殺菌成分トリクロサンが使用されていますが、これはアメリカ食品医薬品局が人体への有害性を確認中としている成分です。このような成分は、使いすぎると抗生物質に対する耐性が下がるおそれがあるとも言われています。

 そもそも石鹼自体が自然の殺菌作用をもつものであり、トリクロサンは石鹸の原料として使う必要のないものであることが科学的に証明されているらしいのです。

 

 まあ私の顔や肌はもともと上等なものではありませんから、高額のリキッドソープなど使う必要はなく、普通の固形石鹸で十分なのです。

 

 近年日本では、清潔さを過度に意識する傾向があり、やたらと色々なソープを使いすぎて、人間が本来もっている皮膚を守る機能が損なわれることが懸念されます。

 

 我が家の女性陣にこんなことを言っても、すぐに聞き入れようとはしないでしょうから、とりあえず私だけ黙々とこの「ちびた石鹸」を使い続けていくことにします😊。

 

ミニトマト「ピンキー」に挑戦したのですが…

   今年ははじめてミニトマトを育てようとしました。薄皮で口に残らない「ピンキー」という新品種です。

 

   通販で苗屋さんから購入したところ、おまけの苗もついてきましたので、10号の鉢で2本とも一緒に植えました。

 

  最初は順調に育っているように見えたのですが、本来の苗木の方が、様子が変です。虫にやられたのか、暑さのせいなのかは分かりませんが、育ちが悪く、ついには成長が止まってしまいました。

おまけの苗木の方はほぼ順調に育って行きました😊。

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   晴天で気温の高い日が続いたせいか、やたらと沢山の花が咲くようになりました。咲き過ぎた場合は、少し間引きをしてあげた方が良いと聞いていましたので、密集して花を付けている箇所の間引きをしました。

 

 トマトの水やりは、ある程度育ったら少なくて良いと聞いていましたので、途中から水やりは控えました。

しかし、このところの連日の猛暑で葉が枯れだしたのです。

 

 やはり猛暑のせいなのでしょうか。それからというもの、毎日水やりは欠かさず行っています。

 このところ猛暑の影響で、野菜が急に値上がりしていますが、うちのミニトマトやキュウリをみても影響を受けていますから、農家の方は大変だろうと思います。

 

 半分ほど葉が枯れてしまったものの、二週間ほど前から実が付き始め、ここにきて色付きはじめました。ピンクがかった色と聞いていたのですが、ちょっと違う気がします。

 

 現在、12~13粒の実がついていますが、その半分はまだ小さい状態で色づくのはもう少し先になりそうです。

 

 一番出来のよさそうな粒をとって、冷蔵庫で冷やして食べてみます。

 

 口に入れると、一瞬青臭い味を感じましたが、トマトのしっかりした手応えを感じます。皮も薄く、ふつうのミニトマトより皮が口の中に残らず、やはりピンキーだと実感しました。

 

 枯れずに残った部分を激励しながら、もう少し実をつけてもらいたいと毎日話しかけようと思います😊。

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常田富士男さんと日本昔ばなし

 7月18日に俳優の常田富士男さんが亡くなりました。

 常田さんは黒澤明監督の「赤ひげ」や今村昌平監督の「楢山節考」「うなぎ」などの作品に出演した個性派俳優です。

 しかし我が家にとっては『まんが日本昔ばなし』の語り手として市原悦子さんと活躍した常田さんの存在が記憶に残っています。

「むかし、むか~し、あるところに、おじいさんとおばあさんが仲良く暮らしておりました…」で始まる昔ばなしは、何とも味わいのあるものでした。

 

 当時は毎日忙しく仕事に追われる日々を過ごしておりましたので、常田さんと市原さんの語りつぐむこのアニメ番組は本当に癒されるものでした。

 

 1975年に始まったこの番組は約20年間続いた番組でしたが、番組が終了すると聞いた時には、とても残念だったのを記憶しています。

 娘達が小さい頃でしたので、毎週一緒にテレビの前で番組の主題歌を歌ったのを懐かしく思い出します。

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 当時の記憶媒体はVHSでした、せっせと撮り溜めたVHSが膨大な量になってしまい、家内から処分するように言われてしまいました。
捨てるのも忍びないので、こっそり実家に運び、物置の隅にしまってあります。

 

 いまやVHS再生のビデオデッキも使えなくなってしまいましたが、VHSをCDに落とし込むサービスもあるようです。量的に全部というわけにはいきませんが、一部を引っ張り出してCD化してみようかとも考えています。

 

 常田さんはこの『まんが日本昔ばなし』の仕事が好きだったようで、市原さんに「入れ歯になるまで、やろうね」と話していたそうです。

 市原悦子さんは現在でも、朗読者としても活躍していますが、常田さんの少ししわがれた語りの声が私はとても好きでした。

 

 日本各地に、昔から語り継がれてきた民話があります。これらは語り部の長老たちが代々受け継いできたもので、記録として文字化されたり、音声として残されたりしていないものも、まだまだあると聞きます。

 これらを掘り出して、常田さんにもっと語りかけて頂きたかったと思うだけに残念です😢。 合掌

 

人はどれだけの暑さに耐えられるのか?

  ことしは早々に梅雨が明けて、夏休み前だというのに連日猛烈な暑さです。

  西日本豪雨の被災地では、ボランティアの皆さんが復旧作業に奮闘していますが、熱中症にならないようくれぐれも気を付けて頂きたいと思います。

 日中気温の高い時間帯の作業ですから、こまめに休憩を取るルールを徹底し、予想以上に気温が上昇した場合には、早めに作業を終了するなどの措置が講じられているようです。

 

【人はどれだけの暑さに耐えられるのか?】

  それにしても、今年の日本の猛暑は異常だと思いますが、世界を見渡せば、さらに酷暑の地はあるようです。

 世界で最も暑い国は、アフリカの北東部にあるジブチ共和国で、最高気温が71.5度を記録したことがあるそうです。夏場の平均気温が50度、年間平均気温は30度といいますから、日本の夏の気温を大きく上回っています。

 

 ジブチ共和国では、夏はプールの使用が禁止されているそうです、なぜなら放っておけば50度の気温に近い水温になり、人が入れば火傷してしまう危険な状態になるからです。

 日中は暑いので、夕方から仕事をするとか、家の中より外の方が涼しいので外で寝る人も多いのだそうです。

 朝の天気予報で気温が30度と予測される日には、お天気キャスターが「今日は肌寒い1日となるでしょう」と言うそうです😊。

 

 ただ一年中ほぼ晴天で、空気が乾燥しているので高温多湿の日本に比べれば、30度くらいの日は快適なのかも知れません。
 ジブチ共和国ほど気温が高くならないアフリカの国の人が、来日すると「東京はわが国よりずっと暑いです」と答えたという話は何度か聞いたことがあります。

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【高温多湿が不快の原因?】
 むかしマレーシア南部の赤道に近いジョホールバルに仕事で行ったことがあります。

 ここは年間を通して気温は30度前後で、湿気の多い高温多湿の地です。

  仕事の合間に植物園に行った時の事、その日も晴天で気温は30度を超えていました。昼食を取ろうと園内のレストランに入りました。

 注文して待つ間、若いウェイターが忙しく動き回っているのに気が付き、しばし彼を見ていました。汗だくで動いていますが、笑顔は絶やしません。

 彼が私の注文したものを運んでくれた時、お礼を言った後に「毎日これくらいの気温だと思うけど、いつも汗をかいてるの?」と聞いてしまいました。

 すると彼は「そうです、このくらいの気温になり、動き回っていると汗をかいてしまいます。」と笑って答えました。

 一年中30度の気温ならば、このくらいの気温は平気なのかと思い、つい聞いてしまったのです。

 暑さに慣れれば、汗はあまり出ないのかと思ったのですが、そうではないと実感した出来事でしたので、いまでもよく覚えています。

 

【日本人の暑さを和らげる知恵】

 電気のない江戸時代の人は、夜明けとともに起き、日が沈むと同時に活動をやめ、眠る体制に入るというのが一般的だったようです。
いまも、このスタイルでいけるといいのですが…😊

 

 夏を快適に過ごす知恵もいろいろありました。
  我が家でも取り入れていますが、朝晩家の周りに「打ち水」をすると、家の中に涼しい風が入ってきます。

 「すだれ」をするのも直射日光をさけ、家の中に入ってくる日差しを和らげてくれます。

 

 昔の私の実家は、川の近くにありましたが、午後になると川から涼しい風が吹いてきて、快適な昼寝ができたことを覚えています。
水辺に出かけて行って涼をとるのもよい方法だと思います。

 また森林に入ると、涼しく感じます。森林で散策するなどもよい方法かと思います。

 

 とにかくこのところ連日天気予報で、「今日は危険な暑さです」と警告しています。それぞれの都合に合った方法で、なんとか生き延びましょう!