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団塊おんじ 人生100年時代を行く!

長く生きるかではなく、どう生きるかの試行錯誤録

林真理子の「西郷どん」を読んでみた

   西郷隆盛はこれまでも林房雄、池波正太郎、海音寺潮五郎、小前亮の「西郷隆盛」、司馬遼太郎の「翔ぶが如く」、一色次郎の「実録西郷隆盛」、津本陽の「巨眼の男 西郷隆盛」、童門冬二の「西郷隆盛 天が愛した男」、葉室麟の「大獄 西郷青嵐賦」などなど数多の作家が取り上げてきました。

 

 林真理子の「西郷どん」は2017年11月1日初版発行ですから、出版とほぼ同時くらいのタイミングで、NHK大河ドラマ化が決まるという作品です。

 

 明治維新の立役者たちの中で、西郷隆盛という人物がなぜこれほどまでに日本人に人気があるのだろうと前々から思っていました。

 

 またこれまでは男性作家だけが取り上げた西郷を、女性作家の林真理子が描こうとしたことにも興味がわきました。

 年明けの1月7日にスタートした大河ドラマも半年が過ぎた7月になって、遅ればせながら原作を読んでみることにしました。

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   ドラマは幼少期の西郷を時間をかけて描いたり、林真理子原作らしく奄美大島に流された西郷が島の娘「愛加那(とぅま)」を愛し、2回目の結婚に至るラブストーリーを強調して描いたりと、見ていても飽きない展開です。

 

 私は以前に仕事で奄美大島に行ったことがあるのですが、滞在中に懇親のお酒の席で、奄美大島の人は薩摩(鹿児島)をよく思っていない、いや憎んでいるという話を聞いたことがありました。

 

  ドラマでも描かれた、当時の「黒糖地獄」といわれる圧政に苦しめられた事実を知り、改めて奄美大島の人々の忘れられない恨みの言葉を思い起こしました。

 

 西郷は薩摩藩の下級武士の清貧な家に育つのですが、薩摩斉彬に取り立てられ、歴史の前面に出てくるきっかけとなる様々な人との出会いを経験していきます。

 

 斉彬はその後急死し、弟の久光は我が子茂久(忠義)を藩主にし、自分は国父として実権を握ります。西郷は久光の意に背く行為で奄美大島への遠島や沖永良部島に島流しにあったりした後、復帰します。

 

 考えてみますと、斉彬は確かに名君ではありましたが、西郷が本格的に活躍したのは久光の時代でした。久光はドラマでは田舎者(地ごろ)として、やや滑稽に描かれているのですが、実際は先を見通す力のある戦略家だったようです。

 

 薩長連合を結んで、戊辰戦争の参謀を務め明治維新の立役者となった西郷の活躍の陰には、久光の後ろ盾があったのです。

 

 西郷はその後、明治政府の表舞台を離れ、故郷鹿児島に戻ります。そして私学校や吉野開墾社という農業組織を立ち上げ、勉学と農業の奨励に務めました。

 

 しかし西郷のまわりに集う若者達は、明治政府の方針に反発し、決起したことがきっかけで西南戦争へとつながっていきました。

 

 その間にも久光は、大久保達に「西郷の言い分も聞け」という趣旨の書簡を送っているようです。

 

 西郷は血気にはやる若者達を放っておくわけにもいかず、戦の前面に出ていくことになったのだろうと推測します。

 最後は勝てるはずのない戦に負け、非業の最後を遂げますが、それまでの無私無欲の西郷隆盛の行為が、一般庶民や若者達から尊敬され、圧倒的な支持を得たのは間違いのないところだと、改めて思った次第です。