団塊おんじ 人生100年時代を行く!

長く生きるかではなく、どう生きるかの試行錯誤録

キッチンカーが存在感を増しています

 私が定年退職するまで勤めていた職場の背後に、地域では有名な神社がありました。

 

 その神社の前は、車通りも少ないこともあって、昼頃になるとキッチンカーがやってきて、付近のオフィスの人たちが列をなして昼食を買い求めていました。

 

 当時はキッチンカーがオフィス街で止まっているのは珍しい光景でした。

 

 しかしコロナ禍の外出自粛で街から人が消え、飲食店は「3密」を避けて対応客数を減らし、休業も急増しました。

 

 店舗の維持が厳しくなった飲食業者は、身軽なキッチンカーでの営業を模索し、住宅街にも進出しました。

 

 キッチンカーを含む移動販売車に対して、東京都の保健所が営業許可を与えた件数は、1989年度は約400件でしたが、2021年度には約5200件にまで増えました。

 

 開業資金は通常の飲食店の半分程度で済むこともあり、起業や副業などコロナ禍の業態転換で一気に広がりました。

                                         Bessiさんによるpixabayからの画像

 

 キッチンカーを「身近な場所までやって来て食べ物が購入できる」と定義すれば、その歴史は長いようです。

 

 日本の食文化に詳しい立命館大の鎌谷かおる教授は、「振り売り」が源流ではないかと指摘します。

 

 棒の両端にくくりつけた桶に魚などを入れ、肩に担いで売り歩く商人で、当時の文献から少なくとも室町時代の1465年頃には存在していたと考えられています。

 

 江戸時代に入ると、それまでの振り売りに加え、桶を木箱に変えて屋根のある「屋台」が登場しましたが、担いで売り歩く点は同じです。

 

 大きく変わったのは、食材のままではなく、そば、すし、天ぷらといった完成された料理の状態で販売された点です。

 

 江戸の街では火災が多発したため、屋内での火を使う調理は避けられる傾向があったといいます。

 

 また単身者が多かったこともあり、手軽な食事として外食が求められ、屋台の発展が進んだようです。

 

 屋台に車輪がつき、いわゆる「カー」になったのは、明治時代初期の1890年頃で、当時最先端のビフテキ、カツレツなど西洋料理も提供されました。

 

 調理設備のある車は、欧米では「フードトラック」と呼ばれますが、キッチンカーという和製英語は第2次世界大戦後の食糧難の時代に日本各地を駆け巡りました。

 

 現在のキッチンカーの役割は温かな料理だけにとどまりません。

 

 ATM(現金自動預け払い機)を搭載した車が過疎地を走り、買い物難民の家へ生鮮食品も届けます。

 

 また災害の多い日本、被災地で炊き出しの役割も担います。

 

 今後もキッチンカーは、ますます多様なサービスを提供していくことでしょう。