団塊おんじ 人生100年時代を行く!

長く生きるかではなく、どう生きるかの試行錯誤録

ネットで何にでも繋がれるわけではない

 コロナ禍のなかで、食料品や日用品は以前と変わらず買い物に出かけますが、それ以外の買い物はほとんど出かけなくなりました。

 

 どうしても必要なものがあれば、ほとんどネットを使って検索し、注文しています。

 

 そんな生活を続けているうちに、最近気が付いたことがあります。

 

買う気はないけれど、ちょっと関心を持って検索しようものなら、そのあとからネット検索をする度に、前に検索した商品が頼みもしないのに、画面に表示されるようになります。

 

 また、商品を購入しようとすると、「この商品に関心のある方は、別のこんな商品にもアクセスしています」などと別の商品が表示されたりします。

 

 ネット検索をしていると、勝手に傾向を分析して「これがあなたの好み」と他の商品を薦めてきます。

 

 またSNSでも「この人は友達ではないですか?」などと次々と人を紹介してきたりします。

 

 これはこれで便利なのかもしれませんが、「おせっかいじゃない」と感じることが度々あります。

 

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      Couleur5さんによるpixabayからの画像

 

 そんなことを感じていたら、昔読んだ『インターネットはからっぽの洞窟』(クリフォード ストール著・草思社、1997年)という本があったことを思い出しました。

 

 コンピュータやインターネットの可能性を過信して、実生活とのつながりを喪失することに対して警鐘を鳴らしている本です。

 

 著者は天文学者であるとともに、ネットワークに侵入したハッカーをとらえた経験を持つコンピュータやネットワークの専門家でもあります。

 

 当時の私はインターネットの「イの字」も知らない人間でしたが、これからは想像もつかないような時代が到来するのかと思ったと同時に、リアルな世界でつながっていた我々が、異次元の世界で交流するようになるということが実感できませんでした。

 

 著者は本の中で、インターネットで色々な情報が入手できるようになった結果、

研究者たちの間では、インターネットで入手できる情報だけで満足する傾向が出てきたと述べています。

 

 そして現存する人類文化のすべてを電子化することができない以上、これは危険なことだとも指摘しています。

 

 本書は短文を積み重ねたくだけた文体で書かれ、具体例がたくさん含まれていて、読みやすい本だった記憶があります。

 

 ただちょっと感情的で論理的な説得力には、若干欠けるような気もしましたが…。

 

 いま振り返れば日本にインターネットが紹介された頃には、「世界の人々とつながる手段」と宣伝されていました。

 

 それが現に正しかったのでしょうが、同時に、ネットの世界にばかり目が行き、近くの人々への関心が希薄化したり、リアル世界の関係性が閉ざされてしまうといった副作用も生じるとは、誰も想像していなかったことなのかもしれません。