昔はこの暑い時期に、仕事が終わると、職場の仲間と街をそぞろ歩きながら、飲み屋を覗き込んでは暖簾を分け入って、冷たいビールを注文するという時間が一日の予定に組み込まれていました。
気が付けば、終電間際の時間になっていて、慌てて駅に向かうという日々を送っていたものです。
飲んでいた時間は、5時間を超えるというのも普通のことで、今にして思えば、よくあんなに長い時間飲んでいられたものだ、とあきれるばかりです。
安給料でしたからグレードの高い店などには行けません。ガード下にあるような安い値段で飲める店に、ひたすら通い詰めました。
薄利多売をモットーにする店側は、来るもの拒まずで、来た客はどんどん押し込めますから、カウンターの長椅子はぎゅうぎゅう詰めになります。
それにもめげずに、額を寄せ合うようにして、杯を酌み交わしながら話に夢中になっていました。
いまにして思えば、密閉・密集・密接の3密すべてに引っかかる環境のなかで、延々と時を過ごしていたのです。
Tomoyuki MizutaさんによるPixabayからの画像
当時は、ノミニケーシヨンは大事とばかりに暴飲生活を正当化して憚りませんでした。
あんな生活を続けていて、よく体を壊さなかったと思うのですが、仕事のうえでのプレッシャーやストレスに抗するための必要悪でもあり、知恵でもあったのでしょうか。
今となっては、そんな生活を送ることは、できるはずもなく、今どきのサラリーマンは、もっとスマートな形でストレスを解消しているのでしょう。
新型コロナウィルスと共生を図らなければならない状況となってしまった今、妙にあの頃の密な時間が懐かしくなっています。
リモートワークが行われている組織では、互いの情報交換を兼ねて「オンライン飲み会」が行われているようです。
コロナ禍がノミュニケーションの世界にも革命をもたらしたのでしょうか。
我が娘は最近、職場が変わったようなのですが、昨晩は帰宅するなり、自室に閉じこもり「オンライン飲み会」を実施していました。
妻が気を遣って、会話の最中でもつまめるようにと、何品かつまみを用意したのですが、新しい職場の上司・先輩ばかりを相手にしてのオンライン飲み会で、緊張しっぱなしだったようで、終わるまでほとんど何も口にせず、用意したものがほとんど残っていました。
飲むほどに酔うほどにといった雰囲気の中での、はずんだ会話のやりとりとはいかなかったようです。
はやくリアルな場で、ある程度、密集しても密接な距離感でも、密な会話・コミュニケーションができるようになってほしいものです。