最近「お坊さんのいないお葬式」というCMをよく見かけるようになりました。
お坊さんのいないお葬式とは、宗教儀式を行わない葬儀のことで、「想送式」というそうです。
故人をそれぞれの想いで送る葬儀で、参列した代表者数名に「想送証明書」にサインをしてもらい、“みんなで故人を送り出した”という証をつくる『想送の儀』、故人や故人にまつわる思い出の写真データなどから制作したムービーで、参列者みんなで故人の在りし日を回想する『メモリアルムービー』といった、遺族の心に区切りをつける儀式を行います。
故人を冥土に送り出すのに、お坊さんのお経はなくてはならないものと思っていたのですが、無宗教の人にとっては、お坊さんを呼ぶ必要はもともとないのかもしれません。
Capri23autoさんによるPixabayからの画像
私の両親は、かなりの高齢になったとはいえ、まだ生きています。故郷のお寺のお坊さんとは付き合いが長く、お盆になるとお経をあげに家まで来てくれます。
そんな関係ですから、父母が亡くなった時には、お坊さんを呼ばないお葬式などできるわけがありません。
しかし時代が大きく変わった今、樹木葬や海洋散骨、音楽葬など、故人や家族の希望を考慮したスタイルの葬儀が重視されるようになってきました。
「お坊さんのいないお葬式」というのも、現代のニーズに合致したスタイルなのかもしれません。
先回、「神社の危機」をブログに書いたのですが、「お坊さんのいないお葬式」というスタイルが増えていくことになると、今度は「お寺やお坊さんの危機」を心配しなければなりませんね。
「坊主丸儲け」という言葉があります。
坊主は読経のみで仕入れ(必要経費)がなく、お布施がそのまま利益になるじゃないかということを揶揄的に表現したものです。
お盆に帰省した時、バイクに乗って次々と檀家の家を訪問して、読経をした後、お布施を巻き上げて(?)いくお坊さんをみていると、まさに「坊主丸儲け」だなと密かに思ったものでした😊。
しかしお寺によっては懐事情が苦しいところも少なくないようです。
人口減少や地域の過疎化によって、檀家の数は減少していますし、一般の法人と異なる点として、寺院運営のための公的支援は受けられません。
また重要文化財に対する支援は別として、国や自治体からの補助金は基本的にありません。
加えて、「お坊さんのいないお葬式」などが増えていくと、存続の危機を迎えるお寺やお坊さんの失職なども出てくるかもしれません。