団塊おんじ 人生100年時代を行く!

長く生きるかではなく、どう生きるかの試行錯誤録

施設に入る覚悟

【終末期と告げられ、施設探しに奔走】

 義母がデイサービスの利用、2ヶ月の入院生活を経て、いよいよ老人介護施設に入所することになりました。

 

 2か月前に入院した時には、肺に水が溜まっていることが分かり、緊急入院でした。

 

 その時は、顔は青ざめ、目もうつろな状態で、一週間ほどは自分で食事をとることもできず、点滴生活でしたが、肺から水が抜けるにつれ少しずつ回復していきます。

 

 その病院は拠点病院でしたので、施術後の回復がみられると、長く入院していることができず、担当医に紹介された病院に転院しました。

 

 院後、担当医の判断で身体への負担を軽くするため、投薬の種類を減らしていくと、みるみる元気になり、認知症ではありますが、頭もしっかりし、家族や看護師さんとの受け答えもしっかりしたものとなっていきました。

 

 ただ2つの病院の担当医には、心臓はだいぶ弱っており、終末期に入っていると言われています。

【家に帰りたい義母】

 妻と義妹はそれまでも義母を迎え入れてくれる施設を探していたのですが、いよいよ本腰を入れて、施設探しに奔走することになりました。

 

 回復した状態の時に、私が見舞いに訪れると、迎えに来てくれたものと勘違いし、「家に帰れるの?」と喜びます。

 

 やはり家に帰りたいのだな、と改めて思います。

 

 しかし、もはや家での生活はままならない状態だ、ということは分かっていますので、複雑な思いのまま返答に窮しました。

 

 いくつもの介護施設をまわりますが、条件にあった施設はなかなか見つかりません。

 

 残る候補がひとつになり、そこを訪ねたところ、とても感じの良い応対ぶりとこちらの条件ともほぼ合致した環境でしたので、早速、申し込み書を書いて施設を後にしましたが、妻も義妹も安堵したようです。

 

 その後、妻は2日を空けずに病院に行きますが、なかなか入所する施設が決まったことを言いだせません。

 

 そして退院して施設に入る2日前に、意を決して伝えたそうですが、予想に反して義母はすんなりと了解してくれたと、妻は病院から帰ってきて私に話してくれました。

【覚悟を決めた義母】

 退院の日、私の運転で病院から施設に向かいました。

 

 向かう途中の車内で、義母は固い表情で妻や義妹が話しかけても、一言もしゃべりません。

 

 到着すると、すぐに二人のスタッフが車椅子を運んできてくれ、瞬く間に義母を乗せ、館内に入っていきます。

 

 妻と義妹は手続きのために残り、時節柄、面会謝絶ですので、私は先に帰ってきました。

 

 どうなることかと心配していましたが、妻は帰ってくると、義母は施設長に「よろしくお願いします!」としっかり挨拶をし、スタッフとも円滑なコミュニケーションをしていたとのことでした。

 

 どこでどのように自分を納得させ、施設に入る覚悟をきめたのかなと、私は一人感慨にふけったものです。