松尾芭蕉と随行者の曽良は出羽三山(月山、湯殿山、羽黒山)を一昼夜で踏破してしまったと何かの講演で聞いた記憶がありました。
その後私は月山に登る機会があり、その大変さを身に染みて感じたものでした。その体験から、芭蕉達の三山の短時間踏破の話は、本当かなと疑問に思っていました。
先日近くの公民館の「歴史講座」が開かれ、「奥の細道」がテーマに取り上げられることを知り、早速申し込みました。
当日になり講師の先生は「このテーマは本来1年かけて講義するテーマなのに、1時間や2時間で話すのは無理だ」と主催者側に不満を述べました。それでも講義に入ると丁寧に説明してくれました。
しかし時間がなく江戸を出発してから白河の関までの説明で終わってしまいました。そこで終了後に講師に直接訊いてみることにしました。
講師曰く「芭蕉と曽良の二人は、まず月山に登り、頂上で笹の葉を布団がわりにして野宿をしました。翌朝月山を下りると、湯殿山を踏破し、その後羽黒山に着いて宿坊に泊まったそうです。羽黒山に登った後、酒田方面に向かうのですが、途中で芭蕉は疲労で倒れてしまいます。何とか酒田に着いたのですが、地元で開かれる予定だった句会は中止になってしまったのです。」とのことでした。
いくら健脚だったとはいえ、出羽三山を一気に踏破するというのは無理があったのでしょう😊。
昔の旅のスタイルは、宿にその日の昼の握り飯を作ってもらい、七つ立ちで(季節によって違うが午前四時頃)出発します。ひたすら歩くわけですから、出で立ちは軽装、最低限の荷物にします。
一日の平均歩行距離は10里(約40km)くらいだったようです。雨が降ると宿や茶店で蓑と笠を借りて歩きます。雨が上がると次の宿、茶店で返すのですが、借り賃の7~8割が戻ってくるというシステムだったようです。
昔は遠方への旅をするということは、様々なリスクを負いながらの旅であることを認識する必要があったのでしょう。旅の途中で命が果てることもありえ、二度と戻ってこられないということも覚悟する必要があったと思います。
今は徒歩の旅をするといっても、そのような覚悟を持つ必要はありませんが、大変な思いをすることは確かです。
現代での長い徒歩の旅というと、四国八十八か所のお遍路旅を思い浮かべます。全行程約1,200㎞、50日前後はかかる旅です。
知人が定年後、何回かに分けてお遍路旅を完遂しました。お祝いと報告会の会合があったので、出席しました。久しぶりに会ったその知人は、以前に比べ身が引き締まり、日焼けした笑顔が眩しく映ったのを思い出します。
一方高校時代の友人は、教師を定年退職後東海道五十三次の旅にチャレンジしました。日本橋を出発して5日ほどかけて三島宿までたどり着いたそうですが、そこで断念して帰ってきてしまったとのことでした😊。
私などはそのようなことにチャレンジする気にもなれません😢。