公民会が開催する講座に参加しました。
テーマは「古道について」です。
私の住んでいる所は、移ってきた30年前に比べても、道路が整備され、車の通行量もかなり増えてきました。
しかしその昔、この辺にはどんな道があり、どんな人たちが往来していたのか、興味がありましたので、いそいそと出かけて行きました。
古道というと熊野古道が有名ですが、古道とは先人が行き来した古くからある道のことです。我が家のまわりには、アスファルトで覆われた、整備された道路ばかりです。わが町は、昔はどこに道があって、どんな暮らしをしていたのか、以前から興味がありました。講師は郷土史家の先生で、もと役所に勤めていた方のようです。
古道に関するうん蓄の前に、川の話になりました。人は水辺に近いところに住みつくわけですから、川の位置は重要です。
そこで聞いて驚いたことですが、埼玉県の大宮を中心に、大宮台地と呼ばれる周りより高い地形になっているのですが、利根川はかつてその西側を流れていたというのです。
大雨で昔の荒川の水が、利根川に押し寄せ、大量の土砂が、それまでの流れをせき止め、大宮台地の北側で大きく東の方に、流れを変えて、現在の利根川の流れになったのだそうです。
自然の力とは、すごいものがありますね。
さて古道の話に移りますが、荒川から分かれて流れていた川が、私の住む地域に注いでいたようです。川の流れに沿って、集落が出来ていきますが、そこでは六斎市(ろくさいいち)という市が開かれたそうです。
仏教の思想に基づく六斎日という斎日があるのだそうですが、それに因んで月に6回の定期的な市が行われたのです。
室町時代頃から行われるようになり、江戸時代まで続いたようです。
市が開かれる場所を「斎く地(いつくち)」といい、斎には「清める」という意味があるそうです。市場では「市神」をまつり、開催に当たっては、修験者が祭文(さいもん)を読み上げました。市が開かれる場所とともに、そこで取引される品物も清めるとされました。
取引される品物はほとんどが古物で、それを清めると新品になるということなんだそうです😊。
あちこちの集落だった場所に、古墳があります。中世武士団の領主のもののようです。領主は市を盛んにし保護することで、税を徴収し兵糧を蓄える場にしました。一方、生産者も商品等を銭に換える場として、市を積極的に活用しました。
定期的に開催される市を中心に、方々から人が往来することにより道が整っていきます。
大いなる江戸の町であれば、寺社などを中心に史実が豊富に残っているでしょうし、歴史の研究者もよってたかって調べ上げますので、昔の道がどのように通っていたかは、かなり明らかになっていると思います。
しかし私の住む町では、土地の歴史的な記録はあまり残っていないようで、数少ない郷土史の研究家の方々も、調べるのに苦労をするようです。
大規模開発で、大型店舗や大きなマンションなどを建てる際に、土地を掘り起こしますが、その時は絶好のチャンスで、出土するものから新たに色々なことが分かってくるようです。
結局、区画整理などが行われ、古道そのものがそっくり残ってはいないようです。しかし、中世の領主の館がこの辺にあって、古道をなぞった現在の通りはこの通りだということが分かり、参考になりました。
講師の郷土史の先生も40年以上にわたり、研究しているそうですから、古道やその土地の昔の姿を調べることは、ロマンがあり、奥の深い仕事だなと感心しながら家路についた次第です。