毎日が日曜日生活は、定年後の4月から始まり、10月末で終わりを迎えます。計7か月間の夢のような月日でした。
朝夕計2時間のウォーキング、読書のための図書館通い、船旅による北海道縦断旅行など、それまで出来なかったことの一部を実現できたことは、私の人生の中で大きな意味を持つ経験だったと思っています。
「そんなに夢のような時間なら、もっと続ければいいだろう」って? いえいえこの辺が限界なのです。これ以上続けていこうとすると、いくつかの問題が発生します。
ひとつはもうお分かりかと思いますが、経済的な問題です。何とかこの7か月間、失業給付とわずかの年金(報酬比例部分で、現在は65歳になってからでないと支給されません。)で凌ぎ、旅行費用などは、退職金の取り崩しで賄ってきました。しかし失業給付が切れた後、わずかの年金ではやっていけません。
二つめの問題として(これは恐ろしい問題です)、これまでの日曜日生活を大目にみてきてくれた妻が、これまでは沈黙のプレッシャーで済んでいたのが、あからさまな強烈なプレッシャーをかけてくることは、目に見えていることです(笑)。
三つ目として、社会的な関わりの無さに対する危機感が芽生えてきたことです。当初は「毎日が日曜日生活」に憧れ、「晴耕雨読」に憧れて、この生活に入ったわけですが、先にも述べたように概ね満足できたものの、晴耕雨読とは広辞苑によれば、田園に閑居する自適の生活という意味があります。
つまり、この生活に入るということは「社会的な関わりを絶つ」という覚悟がいるということになります。
この覚悟が自分にはあったかというと、そこまでは考えてもいませんでした。時おり妻と近所に出かけた時など、道行く擦れ違う人が挨拶をしてくるのは妻の知り合いばかり、自分の知り合いは一人もいません😢
ふと寂しくなって、昔の知人・友人に連絡をすると、皆忙しい人ばかり😢
そのようなわけで、以前からの知人の運営する団体で11月から働かせてもらうことになりました。一か月前の10月は、生活のリズムをもとに戻すのに必死でした(笑)。