団塊おんじ 人生100年時代を行く!

長く生きるかではなく、どう生きるかの試行錯誤録

母の入院生活は長引くのか

  母が入院してまもなく二か月になろうとしています。

 

 当初の病院側の話では、頭を打っているので二ヶ月程度、様子を見ましょうとのことでした。

 

 父が面会に行くたび、「いつ退院できるのか」と何度も聞いてきて、その度返答に窮して言葉を濁しているようです。

 

 またコロナ感染が広がっていることで、面会は厳しい制限が設けられており、面会を希望する際は、4日前までに申し込まなければなりません。

 

 そして面会できる時間もわずか15分ほどで、時間が来ると看護師さんが容赦なく退去勧告を告げに来ます。

                                                   彼岸花

 

 私はまだ一度しか面会できていませんが、父は面会のたびに次回の面会予約をとって、せっせと会いに行っているようです。

 

 というのも、下着などの洗濯物を持ち帰り、洗って次回の面会の際に届けているのです。

 

 数年前に入院したときには、リハビリのスタッフが、日に何度かやってきてマッサージをしてくれたり、歩行訓練などをしてくれたのですが、今回はそういう処置は全くなされていないようなのです。

 

 面会した際に、ベッドにばかり寝ていては退屈なせいもあり、車椅子にのって院内を散策したいとの母の希望もあり、車椅子へ移動させようとしたのですが、手足に全く力が入らず、重い体を持ち上げて椅子に乗せるのに往生しました。

 

 このような状況が続くと、退院できても、家での生活はかなり厳しいのではと思ってしまいます。

 

 入院して一ヶ月が過ぎた頃に、病院から父に連絡が入り、病棟を3階から4階に移動させるとのこと、私が面会に行った時には、既に4階に病室が変わっていました。

 

 移動した理由は、病院側から何も説明がなかったようです。

 

 私の感触からすれば、4階病棟は長期入院者が多いのではないかという気がしています。

 

 入院した当初、私と妻がケアマネジャーと話をした時には、退院後は特養の枠を用意しますといってくれたのですが、身体は動かなくても頭だけはしっかりしている母のことですから、特養への入所はかなり抵抗をするような気がします。

 

トランプ支持と差別感情

「オバマ元大統領は、どこで生まれた?」

 

 読売新聞アメリカ総局長の今井隆氏は、7月以降、トランプ前大統領の選挙集会などを取材した際、支持者計20人にこの質問をぶつけてみました。

 

 返ってきた答えは、14人が「ケニア」あるいは米国外、5人が「分からない」などと言葉を濁し、正解の「米国ハワイ州」は1人だけだったそうです。

 

 歴史家のアン・アプルボーム氏は著書「権威主義の誘惑 民主政治の黄昏」の日本語版序文に、米国人のほぼ3人に1人がオバマ氏は米国生まれではないという陰謀論を信じ、トランプ氏の「支持基盤になった」と書いています。

 

 支持基盤となった白人層支持者が抱くのは差別感情です。

 

 奴隷制に始まる歴史的要因や異人種への優越意識など、理由は様々あろうと思われますが、注目すべきは彼ら白人が抱く「被害者意識」であり、そこから生じる異人種への攻撃的態度です。

                          Free-Photosさんによるpixabayからの画像

 

  人種差別に抗議する「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命は大切だ)」運動は、差別的な白人警察官を糾弾しました。

 

 大学の入学審査時に黒人らを優遇する「アファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)」では、白人がしわ寄せを受けてきました。

 

「なぜ白人が攻撃されたり、損をしたりしなければならないのか。逆差別だ!」と抗議の声をあげる白人も多くみられました。

 

 トランプ氏は今回4つの事件で起訴されていますが、主導した黒人検事長らを「人種差別主義者」と決めつけ、呼応した支持者は彼らを強迫までしているといいます。

 

 多様性やマイノリティー(人種的少数派)を重視するバイデン政権は、敵も同然です。

 

 そんなトランプ氏は、大統領選の共和党指名候補争いにおいて、5割を超える支持率を保ち続けていて独走状態なのです。

 

 自国第一主義(アメリカファースト)を主張するトランプ氏は、パックスアメリカーナ(アメリカの覇権)を復活させたいと願う白人のアメリカ国民から熱烈に支持されているようです。

 

 その支持するエネルギーは、彼が法の秩序を無視しようとも揺るがないものなのでしょうか。

 

 

 

お客様は神様か?

 最近飲食店などで、大きな声で店員をしかりつけている客を目にすることが度々あります。

 

 仲介しようと割って入る勇気はないので、遠目で見ているだけですから、何が原因でそうなっているかはわかりません。気になりつつも、そのまま店を出てしまいました。

 

 私の遭遇した場面がそうだったかはともかく、最近、顧客が理不尽な要求を突きつける「カスタマーハラスメント(カスハラ)」が横行し、社会問題になっているようです。

                                  Yamashinさんによるpixabayからの画像

 

 消費者心理に詳しい関西大学の池内裕美教授(社会心理学)によると、00年代に食品や産地の偽装事件が多発し、企業に対する消費者の不信が高まりました。社会的な格差や高齢化などを背景に、不安や孤独感が強まり、他人への寛容さも薄まりました。

 

 生活のなかで唯一、他人に強く出られるのは「客」の立場となった時で、不満のはけ口が店員に向けられやすくなっているのではないかとみています。

 

 カスハラを研究する東洋大学の桐生正幸教授(犯罪心理学)は、「企業による過剰なおもてなし合戦も一因だ」と分析しています。

 

 経済の低迷で企業間の競争が激化するなか、客離れやSNSへの悪評の書き込みを過度に恐れ「客を神様のように扱い、店側とのパワーバランスが崩れた」といいます。

 

 窓口に権限のない非正規労働者が配置され、クレームに謝罪するしかない状況が事態を悪化させているとも。

 

 桐生教授は「カスハラは、同じ相手に何度も嫌がらせをするという点でストーカー行為と共通する。悪質な場合は犯罪と捉えるべきだ」と断言します。

 

 土下座の要求や脅迫的な言動などは刑事責任を問われる可能性があるとも。

 

 国も対策に乗り出し、クレーム対応には複数人での対応をとることを促したり、今月には、労災の認定基準に、カスハラを新たな類型として追加し、救済の強化を図ろうとしています。

 

 カスハラは労働者の人権に関わる問題ですから、各職場でカスハラの実態を把握したり、対応方法を共有したりして対策を講じ、労働者の安心につなげていってほしいものです。

 

 

残された時間はごくわずかとなりました

「年をとるにつれて、われわれは、時間の価値について、感覚を鋭くする。実際、ほかの何ものも、重要でないと思われる。そしてわれわれは『時間のけちん坊』になる」

19世紀に活躍した英国の作家、ウィリアム・ヘイズリットが残した格言です。

 

 差しさわりなく日常生活を送れる健康寿命は現在、男性で73歳、女性で75歳だそうです。

 

 いままで考えもしなかったのですが、私の健康寿命はもうほんのわずかしか残されていないことに最近気づかされました。

 

 これからは、いままで出来て当然だったことが、成し遂げるまでにしんどい思いをすることがだんだん増えていくことでしょう。

                              Fote-Rabeさんによるpixabayからの画像

 

 ここ3~4年は、コロナによる行動制限によって、旅行などの遠出の外出は控えてきました。

 

 昔から旅好きだった私は、現役の頃には行きたくても時間が取れないまま先延ばししていた旅行プランがいくつもありました。

 

 定年を迎えると、それらの旅行プランを次々と実行に移してきました。

 

 当時妻は「私はどこにも行ったことがないので、どこに連れて行ってもらっても新鮮だわ」などと言っていましたが、今ではテレビの旅番組などを見ていても「あそこに行った時はこうだった」などといっぱしの旅行通のようなコメントをするまでになりました。

 

 コロナ自粛期間が終わり、旅行の再開をしようとしているのですが、以前のように身軽に腰を上げる気にはすぐにはなれません。

 

 先立つもの(旅行資金)の関係もありますが、コロナ禍の3年の間に気力が衰えてきているのかもなどと思ってしまいます。

 

 旅行だけでなく、死ぬまでにやりたかったことのどのくらいが実現するのでしょうか。

 

 そんなことを考えているうちに,最高の人生の見つけ方」という映画を思い出しました。

 

 最高の人生の見つけ仕事に人生をささげた大富豪エドワード(ジャック・ニコルソン)と、家族のために地道に働いてきたカーター(モーガン・フリーマン)は、入院先の病室で知り合います。共に余命は6か月。やりたいことをすべてやり尽くそうと決意し、無謀にも病院を脱出すると、“やりたいことリスト”を手に、さまざまなことに挑戦します…。

 

 この映画は何度もテレビなどでも放映されましたから、ご存知の方も多いと思いますが、金にものを言わしたとは言え、やりたいことに次々と挑んでいく二人を見ていると、最高の人生を見つけるには、やはり行動に移さないと見えてこないのだな、と感じたものでした。

 

 

人間関係の希薄化を食い止めよう

 人間関係が希薄になった時代といわれるようになって、随分時が経ったような気がします。

 

NHK放送文化研究所が1973年から5年ごとに実施している「日本人の意識」調査によれば、「親戚」や「職場」、「近隣」との付き合い方は、「全面的つきあい」が望ましいという人が減り、「形式的つきあい」がよいと考える人が増えているという結果が出ています。

 

 また、ここ3~4年のコロナ禍で、非接触型の人との関わり方を強いられたことが、その傾向を一層助長したのではないでしょうか。

 

 遡ること12年前、東日本大震災が起きた後には、身近な人との繋がりの大切さや、皆で助け合うことの重要性を、ほとんどの人達が強く感じた時期がありました。

 

 未曽有の危機に直面すると、肩よせあって身を守り、協力しあう必要性に迫られるからなのでしょう。

 

 しかし時が過ぎ、平穏な日常を取り戻すと、繋がりの大切さが忘れ去られてしまいがちです。

 

 孤立に至らなくても、人とのつながりにくさを感じる人は多いのではないでしょうか。

          Dim Houさんによるpixabayからの画像

 

 ここ数年、人と親しくなるハードルは上がっているなと感じます。コロナ禍で人と直接会うのを極端に減らしたあと、交流は完全には戻っていません。

 

 タイムパフォーマンス(時間対効果)という言葉を耳にするようになってからは、他人に時間を使わせることに以前より慎重になり、人を雑談やお茶に誘うのを躊躇うことがあります。

 

 先日、旧友から残暑見舞いを兼ねて近況を知らせるメールが届きましたが、こんな形でつながりを復活させるのもよい方法かもしれません。

 

 最近では、孤立する人への支援や助け合いの仕組みをつくることの重要性が叫ばれるようになりましたが、必要とするつながりを得られずに孤立する人に、周りはどうつながればよいのでしょうか。

 

 自分にできることはあるのだろうか、などと思い巡らせるのも、この時代のつながり方かもしれません。

 

 

 

きれいにするより“居心地優先”だったのですが…

次女が結婚する前、一緒に暮らしていた頃は、週末になると次女から、私の机の周りの書類や荷物を全部どかすよう指示が飛び、盛大な音を立てて掃除機をかけてくれたものです。

 

 次女は掃除機をかける前には、必ずゴミをきれいに取り除いて掃除機を動かし始めます。

 

 そしてかけ終わると、「今日はこんなにゴミがとれた」とわざわざ見せに来ます。

 

 たくさんのゴミが掃除機に吸い込まれたことに、快感を見出していたようです。

                                               Dim Houさんによるpixabayからの画像

 

  次女が結婚して家を出た後は、妻は私の居場所までは掃除機をかけることはしませんので、私の居場所はほったらかされています。

 

 私自らはめったに掃除機をかけることはありません。

 

 目立つゴミがあれば、手でつまんでゴミ箱に捨てています。

 

 ほどよく自分のものが回りに配置され、ほとんどのものが、手が届く距離にあるほうが落ち着くのです。

 

 妻は、10カ月になる孫が遊びに来た時に、これでは危ないから片付けろ、と再三忠告してきます。

 

 実際、次女夫婦が先日孫を連れてやってきましたが、私の砦には近づけさせず、別の部屋で遊ばせました。

 

 しかし、今は歩けるようになる一歩手前なので、大人たちが孫の移動をコントロールできていますが、もう少しして歩けるようになると、周りの目をかいくぐって、私の砦に歩いてやってくるに違いありません。

 

 そんな近い将来を見据えて、妻の言う通りに危ないものは棚などにしまい込んだり、孫が手にとっても問題ないように、きれいに拭いておいたりしておかなければならないでしょう。

 

 そして孫が帰った後には、再び使い勝手が良い配置にすぐに戻せるよう、工夫が必要です。

 

 さすがに埃が積もっているような状態はまずいので、ハンディ掃除機を近くに置き、こまめに埃を取り除くことを、習慣化しなければならないでしょう。

 

 しかし、目立つ・目立たないに関わらず、塵・埃は毎日静かに積もっていくものなのだなと、改めて思い知らされました。

 

 

 

実家の庭に咲く芙蓉の花

 母の怪我は、当初電話で父に聞いた様子より深刻なものでした。

 

 トイレには腕を擦りむいた時の出血の痕が残っていました、それより頭を打ってできた瘤が膨れ上がり、医者も後遺症を心配して一ヶ月から二か月程度、入院加療が必要と判断したようです。

 

 実家に到着後、面会して様子を見たいと思っていたのですが、コロナの再拡大の動きもあり、すぐの面会はかないません。

 

 仕方なく病院の相談員とやりとりをして、当面必要なものをリストアップしてもらいました。

 

 これまで何度も入院経験があるので、その際使用した備品が実家に残っているかと思いきや、父がどこかに仕舞ってしまい、直ぐには見つからないものが多く、それらを翌日買い揃えることにしました。

 

 父は書類のファイリングとか、荷物を分類して箱にラベルを貼ったりするのは好きなのですが、いざ必要な時に取り出そうとすると、どこに仕舞ったのか忘れて思い出せないことが多く、新たに買った方が早いのです。

 

 翌日買い物を済ませて病院に届け、父の4日後の面会予約を取ろうとしたのですが、入院病棟が担当だというので、家に戻って予約をとることにします。

 

 私たちはそれまでいられませんので、父一人での面会になります。

 

 面会の予約を私が取り、その際に洗濯物をまとめて袋に入れて持って帰るよう妻が父に説明します。

 

 病院とのやりとりの一部始終を、電話でケアマネジャーに報告をして、当面はこのまま様子をみることにしました。

                                                                  芙蓉の花

 庭には芙蓉の赤い花が咲き誇っています、春先から今年は絶えることなく何かの花が咲いていると父が自慢気に話していました。

 

 母がいない間も、父はせっせと家事をこなし、庭の手入れに勤しむことでしょう。

 

 そんな父に、当面は芙蓉の花が慰めになってほしいと思いながら実家を後にしました。