団塊おんじ 人生100年時代を行く!

長く生きるかではなく、どう生きるかの試行錯誤録

よい出会いがもっと増えますように

 毎年、8月の最後の週末に実施されている日本テレビの「24時間テレビ」が今年も実施されました。

 

 今年は出かける用事もなかったので、家事をしながら番組を眺めていました。

 

 番組の目玉とも言えるチャリティマラソンに自ら志願し、見事走り切ったお笑いコンビEXITの兼近大樹さんの発言が印象に残りました。

 

 母子家庭に育った彼は、貧しさのため進学を諦め、新聞配達や建設現場の仕事などをしながら、母親を手助けしました。

 

 当時は、生まれながらに裕福な環境で育った友を恨み、世間を恨んでいたといいます。

 

 抗うことのできない環境を変えるきっかけが“お笑いの世界”との出会いでした。

 

 その後、持ち前の前向きな姿勢も手伝って、良い友・優しい先輩と出会うことで人生を切り開いていきました。

 

 自分のような境遇に置かれた若者たちは沢山いるはずなので、今度は自分が彼らと少しでも関わることで、役に立てることがあると、ボランティア活動にも参画しているといいます。

 

 Z世代(1996~2010年生まれ)といわれるお笑い芸人の新世代の代表格であるEXITですが、売れっ子になったことで、人生が大きく好転したことを“優しい人たちに恵まれたから”と振り返っているのです。

    Dim Houさんによるpixabayからの画像

 

 この30年日本は低成長の中、人々の所得水準を挙げられないまま、デフレ経済のなかをもがき続けてきました。

 

 さらにここにきて、資源の高騰や円安による影響が国民の生活を圧迫しています。

 

 次の時代を担う若い人達は、未来に希望をもてないまま「普通の生活ができればそれでよい」という意識の人達が大多数を占めているといわれます。

 

 EXITの兼近大樹さんのように、貧困をものともせずに、未来を切り開いてきた若者は少数派なのでしょう。

 

 しかし、できるだけ多くの若者が希望を持って、人生を切り開いていってもらわなければ、日本の将来は明るいものにはならないでしょう。

 

「貧困の連鎖」などという社会の仕組みを打破し、希望を抱いて努力し続ける若者達に、手を指し伸ばす大人がもっともっと増えてほしいものです。

 

人間の脳とは不思議なものだ

 齢をかさねてくると、すぐに体のあちこちに不具合が出てきます。

 

 先週は、持病の腰痛が再発して何とかだましながら過ごしましたが、今朝は左手の付け根の周辺が痛み出しました。

 

 朝、座った状態で新聞を読み終えて、左手をテーブルについて立ち上がろうとしたのですが、痛みが走り、力が入りませんので、体の向きを変えて、右手を使ってやっと立ち上がることができました。

 

 これからは、体の不調とうまく折り合いをつけながらの生活を続けていかざるをえないのでしょう。

 

 記憶力の衰えも心配ではありますが、これからは“都合の悪いことは忘れる”主義を貫いて生きていこうと考えています。

 

 そんな折、脳科学者の池谷裕二さんの「寝る脳は風邪をひかない」という書に出会いました。

   Joschさんによるpixabayからの画像

 

 池谷裕二さんよれば、脳は経年劣化しないのだそうです。

 

「記憶力の試験は高齢者の方が成績が悪い」と説明した上で試験を行ったら、実際にそのような結果になった一方で、何も触れずに同じ試験をしたら若者と年配者で点数に差が出なかったといいます。

(「寝る脳は風邪をひかない」扶桑社より)

 

 認知症になることに怯えながら生活している我が身にとっては、せめて脳だけでも衰えを防げるのかもしれないと思うと、勇気づけられる話ではあります。

 

 また自分にも心当たりのある不思議な脳の機能も、この書で紹介されています。

 

 昔、多忙を極めていた頃に、いろいろな案件が同時にわが身に振りかかってきたことがよくありました。

 

 池谷氏によれば、中途半端な状態にしておくと、その間に無意識で脳が作業してくれます。従って仕事を放置するにしても、全く手を付けないよりは、少しでも目を通しておくのがよいのだそうです。

 

 重圧に押しつぶされそうになっていた中間管理職時代を、何とか乗り切ってこられたのも、こんな脳の不思議な機能が手助けしてくれていたからなのでしょうか。

 

 これからも"歳だから”などと諦めずに、自分の脳と上手に付き合いながら過ごしていきたいと思っています。

 

平和に逆行する流れを止めよう

 プーチン・ロシアのウクライナ軍事侵攻が勃発して半年が過ぎました。

 

 領土をミサイルで破壊し続けている状況は、まさに消耗戦というに相応しいものがあります。

 

 プーチン氏は、ロシア人とウクライナ人の民族や宗教などの「歴史的一体性」を挙げて正当化しようし続けています。

 

 しかし「歴史」を「領土」保有の根拠とする考え方には疑問を呈する国々は多いのです。

 

 それをはっきり主張したのは、ケニアのマーチン・キマニ国連大使です。

 

 ロシアの侵略直前の2月21日、すでに緊迫していた国連安全保障理事会の緊急会合で次にように訴えました。

 

「大半のアフリカの国々の国境線は、かつての植民地時代の宗主国が引いたものです。我々の民族や人種、宗教をまたいだが、受け入れなければ、血みどろの戦争を続けていたでしょう。私たちは国連憲章などのルールに従うことを選びました。国境線に満足しているからではありません。平和が築かれる偉大な何かを求めたからです。」

 

 この演説は、世界中で反響を呼びました。

 

 アフリカの途上国が、プーチン氏の野望が引き起こすリスクの核心を見事に突いたからです。

   CouIeurさんによるpixabayからの画像

 

 さはさりながら、国連には侵略を止めさせる力はなく、この半年の動きを見ていても、あまりにも無力なことを痛感させられます。

 

 西側諸国に対抗するように、ロシアおよび中国は、民主主義とは別の価値観に基づく国際秩序の構築を加速させようとしています。

 

 この両国の動きをみれば、武力行使への抵抗感はほとんどないと思われます。

 

 国際ルールより覇権主義を重視していく可能性が大きいでしょう。

 

「領土」問題から見えるこうした潮流に対しては、世界の大小を問わぬ国々が結束して抗っていかなければなりません。

 

 この8月は広島・長崎の追悼、そして終戦記念日と、私たち日本人は、改めて「平和の尊さ」を強く再認識する時間を過ごしました。

 

 平和とは逆行する動きに対して、被爆国・日本はさらなる役割を率先して担っていく必要があります。

 

 

懐かしの線香花火

 上の娘が「おじいちゃんとおばあちゃんに会いに行きたい」と連絡してきました。

 

 コロナの発生以来、全く会いに行けなかったのです。

 

 ここにきて全国的に感染が急拡大してきましたので、本人も躊躇いはあったのですが、PCR検査を受けて、感染させないことを確認していけば大丈夫だろうということになりました。

 

 検査の結果「陰性」が確認されましたので、出かけることになりました。

 

 実家のある地域は、ひと月早い7月がお盆です。

 

 温泉地であることから、8月のお盆の時期には観光客で込み合うため、ひと月早く“ご先祖様のお迎え”を済ませておくようになったと以前聞いた事があります。

 

 前回来た時に墓参りも済ませてあります。

 

 今回は久々に催されることになった花火大会に合わせて、日程を決めました。

 

 小さな町ですので、花火大会といっても、打ち上げられる時間は約30分ほどです。

 

 ただ以前は200発ほどで終わっていたのが、今回は2000発打ち上げられるようです。

 

 夕食を済ませた後、花火が打ち上げられる時間まで街中を散策しました。

 

 花火大会にあわせてやってきた観光客で、通りは賑わいを見せています。特に若い人達が目立ちます。

 

 こんな光景は久々に目にしましたので、賑わっていた昔を思い出し、またこのように多くの観光客が訪れてくれることを願わずにはいられません。

 

 花火の打ち上げ開始は20時からですが、いつもなら既に床に就いている父母も、今日ばかりは起きていて、打ち上げを待っていました。

 

 実家の2階のベランダから打ち上げられた花火がよく見えます。

 

父が予め用意してくれた椅子に座り,しばし花火を堪能しました。

 

その後、父母は寝室に入ってしまいましたが、観光協会で貰って来た線香花火がありましたので、庭先に出て点火しようと娘が用意を始めます。

 

 娘はまるで童心に帰ったように、はしゃいでいます。

 

 このところ仕事でストレスを溜めていたようで、彼女にとっては、いい気分転換になっているようです。

 

 点火してみると、線香花火といっても、以前のような弱弱しい輝きではなく、とても明るい火花を発します。

 華々しく打ちあがる花火もよいのですが、暗い庭先で見る線香花火もなかなか味わいがあるものです。

 

 翌朝、娘と散歩に出ました。

 

 小学生の頃、夏休みになると長期滞在していた思い出があるだけに、娘は懐かしそうに周りを見渡しながら、自然との触れ合いを楽しんでいます。

 

 前夜雨が降ったせいか、山には靄が垂れ込めていますが、天気の回復を知らせるように、靄が上へ上へと這い上がっていきます。

 

 街中を歩いていると、民家の軒先に娘が「ツバメの巣」を発見しました。

 

 見ると狭い巣の中に、ヒナが四羽ひしめきあって親の帰りを待っています。

 ヒナはすでにかなり大きくなっていて、間もなく巣立ちの時期を迎えるのかもしれません。

 

 無事に巣立っていくことを願いつつ、その場を後にしました。

 

友達を作る機会

 夏の甲子園が始まり、連日熱戦が繰り広げられています。

 

コロナ禍で選手が感染してしまったチームが複数出てしまい、運営側は感染校の試合日程をずらすなど、異例の措置をとっての開催となりました。

 

 高校生活のほぼすべてを、練習に費やしてきた球児たちへの、運営側の配慮の跡が見て取れます。

 

 コロナウィルスとの闘いも足掛け3年となり、その間子供達は、貴重な体験を積む機会を奪われ続けてきました。

 

 高校球児たちもその例外ではなく、今回甲子園出場の切符を手にした選手たちのプレーぶりを見ていると、喜びが体全体からあふれ出しているように感じます。

 

 彼らにとって、チーム一丸となって勝利にまい進した時間は、今後の人生の中で貴重な財産となることでしょう。

 

 ウィズ・コロナの生活が日常となってしまった今、球児たちだけではなく、青春時代の出会いを奪ってしまうようなことのないよう、関係する大人たちは最大の配慮をする必要があるのでしょう。

 

 話は変わりますが、「ダンバー数」というものがあるそうです。

 

 これは一人が持つ友達の数の上限を表していて、親族も含めるとおよそ150人になるのだそうです。

 

 ただ現実には、そんなに多くの友人はいないという人もいるでしょうし、SNSでの友達は1,000人以上いるという人もいるでしょう。

 

 そもそも友達の定義が曖昧なのに、どうすればこのような結論に到達できるのか。

 

 提唱したのはロビン・ダンバーという進化生物学者です。

 

 もともと霊長類の研究をしていた彼は、集団のサイズが脳の大きさと関係していることを見出し、これは人への集団にも応用できるのではと着想しました。

 

 その後、人の大脳新皮質の大きさを調べ、また携帯電話の通話記録やSNSでの友人数など膨大なデータを分析し、この上限数を発見しました。

 

 社会での複雑な人間関係を保つためには、相応に脳が発達する必要があるため、脳のサイズと友達の数が関係してくるといいます。

 

 また人間関係を構築していくためには、相手と時間を共有する必要があり、その関係はかけた時間に比例して強くなると思われます。

 

 それゆえに、もしも友人数が多くなると、一人に割ける時間が減ってしまうため、関係の維持が難しくなります。

 

 こうした時間や脳の制約によって友達の数に上限が存在するのだといいます。

 

 今はコロナ禍でなかなか友達ができにくい状況が続いています。

 

 オンラインでは相手の身体性が感じられず、メールでは時間の共在性が無いため、オンライン環境では友達ができにくいこともロビン・ダンバーは指摘しています。

 

 若者や子供達が健全な環境下で、友人関係を作っていくためにも、コロナの収束が待たれます。

廃校が地域を盛り上げる

 実家からの帰りに、テレビドラマのロケに使われているという廃校の校舎を見に行ってきました。

 

 妻が実家で購読している地方紙を読んでいて、その廃校がロケに使われているという記事を見つけたのです。

 

 その校舎がある町までは、さほど遠くないはずなので、ちょっと寄り道をして行こうということになったのです。

 

 高校時代の同級生が、その町から通学していたはずなので、車でいけばそれほどの時間はかからないだろうなどと高を括って実家を出発しました。

 

 町の中心部までは難なく辿り着きましたが、ナビをみるとさらに20キロ以上の距離があるという表示になっていて驚きました。

 

 平成の市町村広域合併によって、廃校のある集落は近くの市に吸収されて、町名も変わっているようです。

 

 街中から畑ばかりの光景に代わるなかを、延々と車を走らせます。

 

 結局予想していたより倍近く時間がかかりましたが、ようやく目的地の集落に到着しました。

 

 少し離れた場所に車を止め校庭に入っていくと、校舎の前に同じような軽トラックがずらりと並んでいます。

 

 中で地域の人達が何かの集会を行っているようです。

 

 校舎を眺めながら校庭をブラブラしていると、しばらくして校舎の中からぞろぞろと地域の人達らしき方々が出てきて、軽トラックに乗り込んで帰っていきました。

 

 廃校とはいえ、人の出入りを見ていると、活気を感じます。

 

 ロケが行われている期間には、俳優、スタッフなどが大勢でやってきて、少し離れた宿泊施設から毎日通って撮影を行っていたようです。

 

 撮影期間中には、地域の人達が高い関心を持って見守っていたことでしょう。

 

 夏休みシーズンを迎え、廃校を活用した施設が家族連れなどで盛況のようです。

 

 毎年、全国で450校ほどの公立学校が廃校となる中、民間事業者が参入し、遊んだり、泊まったりできる観光施設としての開業が相次いでいます。

 

 地域のシンボルだった学校ににぎわいが戻り、地域再生への期待も高まっています。

 

以下、最近の廃校活用例です。

 

☆神戸市兵庫区の旧湊山小学校 

テーマは「自然と暮らしをつくる」。旧校舎1階の「みなとやま水族館」は、約200種類の魚や鳥などを展示しています。じっくり観察できるよう、かつて教室で使った椅子が並べられています。

体育館をリノベーションした2階のフードホールには、飲食店が並び、旧給食室で醸成されたクラフトビールも楽しめます。

校庭にはニジマス釣りができる池や森を作りました。

また、地域住民のニーズに根ざした学童保育や就労支援施設も設けました。

 

☆千葉県横芝光町の旧町立南条小学校 

 キャンプ場として整備、民間の運営会社の協力を得て2020年にオープン。

 休日には約20のテントが並び、保健室を活用した売店では、地元の農産物も販売しています。小学校でしたので、子供たちが遊べる遊具やトイレもあり、キャンプ初心者やお子様連れでも、安心して利用できます。

「小学校がそうであったように、コミュニティーの中心として地域住民と共に活性化してもらいたい」というのが町の願いです。

 

 他にも

○ドローン操縦士養成スクール、併設のキャンプ場でドローンの操縦体験もできる(茨城県高萩市)

 

○グランピング施設、温泉やサウナなども楽しめる(千葉県市原市)

 

○日本酒造りを体験できる施設、学校蔵の麹(こうじ)や酒かすを使った甘酒やアイスが楽しめるカフェも併設(新潟県佐渡市)

 

○廃校水族館、地元でウミガメの調査などを続けてきたNPO法人が運営し、室戸沖の生物を身近で観察できる(高知県室戸市)

 

○道の駅、地域の農産物を販売するほか、地元食材が味わえるレストランも併設(熊本県天草市) など

 

 小学校・中学校は、多くの地元の住民にとって母校であり、思い入れも強いので、廃校になったあとも、有効に活用され建物が残ることは歓迎すべき流れでしょう。

 

 さらに雇用や地域経済の活性化につながるようになれば、応援の輪が広がるのではないでしょうか。

 

 

魚の「あら」の思い出

 実家に行くと、毎朝皆が起き出す前に、散歩に出かけます。

 

 実家のある場所は温泉地です。

 

 今でこそ“ひなびた”佇まいの温泉地になってしまいましたが、私の小さい頃は、かなりの数の旅館がひしめきあって、隆盛を誇った時期の名残を残していたものでした。

 

 散歩のコースは家から川に降りる道を下り、川沿いの道を上流に向かって歩いていくのが、いつものコースなのですが、今回は目抜き通り(?)を辿って寺に向かう経路を歩いてみることにしました。

 

 普段実家にいく際には、山側にあるバイパスを使って行き来していますので、この道はあまり利用しません。

 

 通りの一軒一軒をのんびり眺めながら歩みを進めます、お土産ものを扱う物産店が何件もありますが、そのほとんどが店を閉じてしまっています。

 

 2,3軒ある食堂はしぶとく生き残っているようです。

 

 なかに魚屋を営んでいた店が、看板だけ残してひっそりと家屋が残っていました。

 

 ここは私が小学生の頃、母親に頼まれてよくお使いにきた店です。

 

 鍋を持たされて、魚の「あら」を買いにきたのです。

 

 毎回「あら」ばかりを買い求めることに、子どもながらも少し気恥ずかしい思いをした記憶があります。

     Bessiさんによるpixabayからの画像

 

 先日新聞に、「魚のあらばかり買ってくる妻をどう思いますか?」という投書が紹介されているのを思い出しました。

 

 その内容をめぐって、いくつもの意見が寄せられています。

 

 【安くておいしい派】

 lどちらかといえば、身は人にあげ、あらを食べたいくらいです。店に入ったらまずあら売り場に突進です(笑)

 

 lお若いのにあらを買って調理なさる奥さま、素敵ですし素晴らしいですよ

 

あらの調理は切り身よりもひと手間余計にかかります。手抜きが好きなら、あらなんて買いませんよね。

 

 あらを買う人は、魚をちゃんと料理できる人という認識しかなかったです。

 

 【毎回はつらい派、っていうか苦手派】

 肉でいえばホルモンを毎回食べさせられるのと同じでしょうか。そりゃあ、ロースやフィレを食べたくもなりますね。

 

 安かろうが、だしが出て栄養があろうが、苦手なものならば食事はつまらないし苦痛ですらある。たまには普通の魚も食べたいと交渉がんばってください。

 

 栄養士の大西綾子さんによれば「魚のあらはうまみ成分が多く、煮つけやあら汁などに向きます。コラーゲンやドコサヘキサエン酸(DHA)などの栄養も豊富で、骨や皮に近い身は、火がじっくり入るので焼いても硬くなりにくいです。

あらだけでは物足りない場合には、あらの旨味を生かして、切り身も一緒に料理すると良いでしょう」とのこと。

 

 私の母親は栄養価などの知識もなく、単に貧乏で「あら」ばかり私に買わせに行かせたのですが、今にして思えば「フードロス」問題に結構貢献していたのかな、などと思っています😊。