団塊おんじ 人生100年時代を行く!

長く生きるかではなく、どう生きるかの試行錯誤録

飲食店に客が戻らない

 今年も残すところ二か月を切る時期になりました。

 

 街中は早くもクリスマス・年末商戦に突入しようとしています。

 

 コロナ感染者も落ち着いて今、飲食店さんはさぞやホッとしているのかと思いきや、浮かない顔をした飲食店さんが多いといいます。

 

 規制は解除されていますから、客足が戻ってきてもいいはずなのが、以前の3割程度の売り上げになってしまった店が多いようなのです。

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   bridgeswardさんによるpixabayからの画像

 

 私も今年亡くなった元職場の上司を偲んで、以前の職場仲間と年内には集まる場を持つ計画なのですが、人数が6人います。

 

 そろそろ集まる段取りを計画しなければいけないのですが、人数の多い集まりをちょっとためらってしまっています。

 

 私と同じような気持ちで様子を見ている人も少なくないのかもしれません。

 

 また長い間の自粛期間中に、それまで頻繁に来店してくれた常連さんの足が遠のいてしまったのかもしれません。

 

 自粛を拒否して、常連さんがそのまま足を向けているお店をみていると、恨めしく思ってしまいますと、ある飲食店の主人が漏らしていました。

 

 ワクチン接種が進んだ英国や韓国が、再び感染が急増しているというニュースをみると、マスクを外して外で食事をすることには、やはり躊躇いがつきまとってしまいます。

 

 コロナ禍の生活様式の変化により、それまでの外食の習慣を、調理済みの食材を買ってきて家で食べる、いわゆる中食とか、この間料理にめざめて、一から家で料理をする人も増えたといいます。

 

 いつまでもつのかわかりませんが、本格的に自粛が解除され、支援金も断たれた飲食店が、いかに客足を戻していくのか、年末の“カキイレドキ”を前にして、飲食各店の真価が問われる時期にさしかかっています。

 

 

幸せはお金で買えない

 少数の大金持ちと、生きていくのがやっとという多くの人達を生み出してしまった資本主義。

 

 衆議院選挙を乗り切って、岸田総理は新しい資本主義を目指すといいます。

 

 所得の低い女性たちが自殺を選んでしまうといった不幸な状況を、何とか脱しなければなりません。

 

 さて、一定の所得を確保しなければ生活が成り立ちませんが、お金はあればあるだけ幸せになれるのか?

 

 ノーベル経済学賞を受賞した経済学者のダニエル・カーネマン氏の大規模調査によりますと、アメリカで「最も幸福度が高い年収は7万5000ドル」。現在の日本円にして約850万円です。

 

 この金額を境に、幸福度は横ばいになるといいます。

 

 一方、大阪大学社会経済研究所の調査では、年収500万円までは、収入が増えるほど幸福度は上がりますが、そこから900万円までは横ばい。そしてなんと、年収1500万円以上は、金額が上がるにつれて幸福度は少しずつ下がっていくという結果です。

 

 内閣府の最新の調査でも、最も満足度が高いのは年収2000万~3000万円の層で、それ以上になると満足度はゆっくりと下降します。

 

 満足度が最も低い年収100万円未満の“貧困層”ほどではないにしろ、年収1億円以上の“最富裕層”の満足度は、世帯年収を10段階に分けた中で、下から5番目でした。

 

 いずれの調査結果をみても、お金がたくさんあるからといって、必ずしもそれだけでは幸せにはなれないという結果がでています。

 

 たくさんの収入を得るために、お金をめぐるトラブルなどが増えるのかもしれません。

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      Dim Houさんによるpixabayからの画像

 

 精神科医の樺沢紫苑さんによれば、脳科学的には、幸せは3種類あるといいます。

 

「幸福を感じているとき、さまざまな脳内物質が分泌されます。身の安全や健康が保たれていて『やすらぎ』を感じているときは“幸福物質”とも呼ばれるセロトニンが。人や動物と触れ合って愛情を感じるなど、『つながり』による幸せを感じると“愛情ホルモン”のオキシトシンが。

 

 そして、仕事で成功したり欲しいものを手に入れたりして『達成感』を得ると、“やる気の物質”のドーパミンが分泌されます。お金を手に入れたり、買い物をしたときの幸福感はこれにあたります」(樺沢さん・以下同)

 

 多くの日本人が想像する幸せは、この「ドーパミン的幸福」なのです。ドーパミンの持続時間は短く、たとえ大金を手に入れたとしても、その幸せは数か月しか続かないといいます。

 

「たとえば、30万円のバッグを買うと、大きな達成感、満足感を味わいます。もちろん、幸福な状態だといっていい。ところが、その幸福感は徐々に薄れていきます。そのうち飽きて、もっと高価なものが欲しくなる。ドーパミンは依存の原因物質なのです」

 

 持続時間が短く、くせになるからこそ、「あの幸福感をもっと味わいたい」という気持ちをかき立て、仕事や学業を頑張るモチベーションにつながるメリットもあります。

 

 しかしそれにお金が絡むと、金銭欲や物欲が際限なく膨れ上がり、稼いでも稼いでも満たされなくなる可能性があるということなのです。

 

【お金では買えない『つながりの幸福』】

 2011年の東日本大震災後、「絆」や「つながり」という言葉がキーワードとなりました。

 

 震災が人と人との助け合いやつながりの大切さが見直される機会になったことが、このキーワードに反映されていたのでしょう。

 

 こうした「つながりの幸福」は、決してお金では買うことができず、失って初めて気づくものなのかもしれません。

 

 

 

キャッシュレス化のなか「小銭の確保」が大変です

 最近買い物をするのに、現金での支払いをする機会がめっきり減りました。

 

 切り詰めた生活をしていますので、高額の買い物はあまりしませんが、日常の食品や雑貨用品などは、近くのスーパーと薬局店で済ませています。

 

 それらの店では、現金をチャージしておき、買い物のたびに引き落とされ、金額に応じてポイントが溜まる仕組みになっています。

 

 スーパーでは買い物金額に応じて200円で2ポイント(2円)溜まります。

 

 月に3度ほど、ほとんどの商品が5%引きになる日がありますので、まとめ買いをすると、結構なポイントが溜まります。

 

 また薬局店では、電子決済アプリで買い物をしていますので、ここでもそれなりのポイントが付与されます。

 

 気付くと現金で買い物をする機会がめっきり減ったなと実感しています。

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        Dim Houさんによるpixabayからの画像

 

 またコロナ禍にあっては、感染対策上もこれらの買い物の仕方の方が安全ですから、日々の現金の出番がなくなっているのです。

 

 そうなると以前のように、買い物でつり銭が発生しませんから、小銭(500円、100円、50円、10円、5円、1円)が手元にやってきません。

 

 それで不便になるのは、駐輪場で都度支払う駐輪代、そして神社で拝観する際の「お賽銭」です。

 

 毎週2日ほど職場に出掛ける際には自転車で最寄りの駅まで移動していますが、有料駐輪場で管理するシルバー人材センターのおじさんに現金で150円を支払っています。

 

 100円玉と50円玉を用意しておけば、やりとりがスムーズにいくので、利用する都度、これを用意しておくようにしています。

 

 妻もパートの仕事で出かける時には、この駐輪場を利用していますので、とっておいた50円玉がしょっちゅう枯渇し、50円玉の奪い合いとなることがよくあります。

 

 そして不信人な私でも、朝の散歩で立ち寄る神社で毎月1日と15日には、お賽銭を投げ入れて拝観しているのですが、5円玉を切らしている時には、他の小銭の組み合わせにしばし悩んだりします。

 

 拝観時につり銭をもらうわけにはいきませんから…😊。

 

 あとは日常で小銭がないと困ることは、時たま利用するコインロッカーでの100円玉くらいでしょうか。

 

 中国や韓国では、すでにキャッシュレス決済がかなりの程度浸透しているといいます。

 

 日本でも、遅ればせながら浸透してきましたが、非接触決済の利点を考えれば、更なる浸透の工夫が求められるのかもしれません。

 

 そのうちお賽銭もスマホから投げ入れることが出来るようになるのでしようか。

 

 

分配問題の是正、非正規雇用の廃止に期待しよう

 31日の衆議院選挙を控えた日本で「分配」というキーワードが浮上しています。

 

 19日に開かれた9政党の党首討論会では「分配」が45回も取り上げられ、「成長」の29回より1.5倍多かったといいます(日本経済新聞調べ)。

 

 自民党は「分厚い中間層」を、立憲民主党が「1億総中流社会の復活」を掲げているのは、格差の問題をこのまま放置することはできないという危機感のあらわれでしょうか。

 

 岸田首相のいう「新しい資本主義」とは、小泉純一郎元首相時代から続いてきた市場中心の新自由主義経済政策からの転換を意味するといわれます。

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       Hermann Traubさんによるpixabayからの画像

 

 日本のGDPは、小泉政権のときから低下し続け、ここ20年でGDPのシェアが3分の1に低下しています。

 

 また2012年末の第2次安倍内閣から始まった経済政策「アベノミクス」は、日本経済にある程度の活気を与えましたが、大多数の国民は所得が増えず、むしろ格差を拡大したという評価を下しているようです。

 

 小泉政権時に内閣府特命担当大臣として小さな政府への転換を仕切った竹中平蔵氏ですが、経済が悪化する中、日本の企業はリストラできないので、非正規社員を雇用できるよう法改正してしまいました。

 

 これが今日まで続く「ワーキングプア」を生み出す起点になってしまったのです。

 

 安倍政権を踏襲した前菅義偉首相は、内閣の柱として、竹中氏を中核とする「成長戦略会議」を設置しましたが、岸田氏は首相に就任すると即、竹中氏をブレーンから外したといいます。

 

 選挙の結果は、おそらく自民党が議席を減らして、場合によっては自公の議員数で過半数に届かないといった結果も考えられる気がします。

 

 新自由主義との決別をどこまでやりおおせるか、そして悍ましい“非正規雇用”という言葉を日本から追放できるか。

 

 人の話を聞くことが得意な岸田首相に、野党の筋の通った意見を取り入れながら、日本を再生して欲しいものだと思っています。

 

 

ひとを褒めることが上手な人

 昨日は家人が出払って一人で家にいました。

 

 そんな折、ふと先日亡くなった元職場の先輩Aさんのことを思い出しました。

 

 Aさんは、決して他人の悪口を言わない人でした。

 

 そして、他人を褒めることがとても上手な人でもありました。

 

 当時、仕事上での相談事をする場合、もっとも信頼のおける先輩だったのです。

 

ひとを“褒める”ということは意外と難しいものです。

 

 かくいう私も、人を褒めることはあまり得意ではありません。

 

 相手が褒められてうれしいのは、真に自分を見てくれているなと実感できる時だと思います。

 

 歯の浮くような“おべんちゃら”を言っても見透かされるだけです。そして何か魂胆があるのかなどと、疑われるのがオチでしょう。

 

 人を褒めるときには、相手の特徴をしっかり観察する必要があります。なぜなら普段まったく接しない、見ていない人に対してはどこに褒めるポイントがあるのかがわからないからです。

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   Bessiさんによるpixabayからの画像

 

 人は褒められることで“ドーパミン”と呼ばれる快楽物質が脳から放出されるそうです。

 

 ドーパミンとはやる気や行動力を高める神経伝達物質です。人は褒められて嫌な気分になることはめったにありませんが、これはドーパミンの分泌が関係しているからのようです。

 

 褒められてドーパミンの分泌量が高まると「よし、次も頑張ろう」「やってやるぞ」といった前向きな気持ちになることが多いといいます。

 

 しかし最近では困難な状況に追い込まれて「自己肯定感が低い」方が多いと言われますが、そういう状況に置かれている人に、いきなり誉め言葉を投げかけても、心に入り込んではいかないことも事実です。

 

 そんな人には前向きな気持ちになれるまでは、寄り添って一緒に考えていくことの方が大事になります。

 

 そして励ます必要が出てきた段階で、それまで知りえた“その人の長所”を伝えて、背中を押してあげることが必要になります。

 

 私は最近、いろんな人達と接する機会がめっきり減りましたが、傾聴力だけは研ぎ澄ませておきたいと思っています。

 

 傾聴により、その人を褒める言葉が見つかると思っているからです。

 

 

偏屈な鍵職人

 数日間実家に行ってきました。

 

 ここにきて父の老化に拍車がかかってきたようで心配になり、今回はまとまった時間を一緒に過ごそうと、やや長期の滞在となりました。

 

 また家が古くなり、いろいろなものに不具合が生じてきて、私ができる範囲の対応をするのが、今回の目的です。

 

 しかしその前に、問題が発生します。

 

 玄関の鍵が見当たらないと言うのです

 

 色々聞くと、どうやら外で落とした可能性は低く、家の中のどこかにありそうです。

 

  そうは言っても鍵がないと不便ですし、また同じようなことが起きかねませんので、スペアキーを作っておこうということになりました。

 

 また私がいってから、近所の人が訪ねてきたのですが、玄関で名前を呼ばれて最初は気付きませんでした。

 

 近所の人はしびれを切らしたようで、玄関のドアを開けて大きな声で名前を呼びかけてきました。

 

 そんなに広い家ではありませんが、普段は、訪ねてくる人がインターフォンを鳴らしてきますので、来客に気付きます。

 

 玄関に行って確かめると、やはりインターフォンのボタンを押しても音がならないことが判明しました。

 

 ただでさえ老夫婦は耳が遠くなっていますので、これはまずいので音が出るようにしなければなりません。

 

 調べて見ると、どうやら電池切れが原因のようです。

 

 驚いたことに、家を建ててから40数年が経つというのに、インターフォンの電池切れなど一度も経験がないといいます。

 

 翌日、スペアキーの作成と交換電池の購入を兼ねて、隣町まで車で出かけました。

 

 ネットで調べて、ホームセンターに行き、スペアキーの作成を頼みます。

 

 係員が鍵を見て、分厚いカタログを取り出し、調べてくれたのですが、カタログには元になる型番がないようです。

 

 そこで別のホームセンターを紹介され、そちらに移動して、同様に鍵の作成を依頼しました。

 

 しかし同様に調べてもらった結果、うちでは少しすり減った鍵のスペアを作るのは自信がないと言われました。

 

 しかし「鍵作成をしている専門店があるので、そちらに行ってみてはどうか」と言われ、「少し変わった人ですが、腕は確かです」と太鼓判を押されます。

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  S.Hermann&F.Richterさんによるpixabayからの画像

 

 場所を教えてもらい、移動しましたが、分かりにくい場所で、すぐには見つかりませんでした。

 

 そこで助手席に座る妻が場所を聞こうとし、電話をかけました。

 

 すると電話口に出た店主らしき人は、場所を尋ねようとした妻に「持ってくりゃ作ってやるよ!」とぶっきらぼうに言うなり、一方的に電話を切ってしまいました。

 

 この応対に妻も驚くやら、怒るやら大変です、「やはり言われた通り、変り者のようだね」と苦笑いをするしかありません。

 

 仕方がないので、ホームセンターの店員に教えてもらった目印を頼りに、再び探し始めます。

 

 20分近くグルグルと車を走らせて、ようやく店を探し当てました。

 

 店に入るや否や「寒いから、はやくドアを閉めて!」という声が飛んできます。

 

 鍵を渡すと、しばらく鍵を練目回した後、店内を移動すると小さな箱を取り出してきます。

 

 そして「1本2000円!3本だと6000円だけどいいの?」と言います。

 

 どうせ作るのであれば、私も1本持っておいた方がよいので、3本の作成を依頼したのです。

 

 ちょっと高い気もしたのですが、父に確かめて「はい、お願いします」と返事をかえすと、やおら作業を開始します、黙々とというより、作業の合間にため息とも吐息ともつかぬ声を発しながら作業をしています。

 

 どこか体調でも悪いのかとハラハラしながら作業を見つめましたが、手元の動きはキビキビとしていて、あっという間に3本のスペアキーを作ってしまいました。

 

 鍵を渡され、父が「領収証を貰っておいてくれ」というので、頼むと面倒くさそうに領収証を書き出しました。

 

 普段要求しなければ、領収証も発行していないのかもしれません。

 

 家に帰ってすぐに作成してもらったスペアキーを玄関のカギ穴に差し込んで確かめましたが、3本とも見事に開け閉めができました。

 

 紹介してくれたホームセンターの担当者が言うように、確かに鍵づくりの腕はいいようです。

 

 変わり者というより、偏屈な鍵職人という印象を持ちましたが、腕が確かなら「それでいいか」と変に納得した次第です😊。

 

 

今の若者は「欲望のコントロール」が上手なのか

 イソップ寓話に次のような話があります。

 

【キツネとブドウの房】

「おなかがすいたよう」と、キツネが森の中を歩いていました。

 

 すると、おいしそうなブドウがブドウ棚からたくさんぶら下がっていました。

 

 キツネはなんとかして取ってやろうと思いました。

 

 でも、ブドウ棚は高くてどうしても手が届きません。

 

 キツネは、「あのブドウは、まだ酸っぱいのさ」と、独り言を言って、どこかへ行ってしまいました。

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     Pezibearさんによるpixabayからの画像

 

【モノ離れがすすむ若者たち】

 今の日本の若い人たちの間では、「車離れ」「ブランド品離れ」などの傾向が顕著だといいます。

 

 上記のイソップのキツネの寓話のように、自分の経済力では手に入らないということで、車を持つことや高級ブランド品への憧れを諦めてしまっていることなのでしょうか。

 

 それとも車や高級ブランド品が欲しいという、気持ちそのものが薄れてしまっているということなのでしょうか。

 

 日本経済が右肩上がりで、豊かな時代に生まれた彼らは、モノに溢れた環境

の中で育ちましたから、生きていくうえで必要最低限なモノは、自分の周りに

揃っていました。

 

 今は、コロナ禍で困難な状況下に置かれた人達もいるとはいえ、大半の若者は、私達以前の世代に比べて、モノへの執着は希薄なような気がします。

【足るを知る】

 そんなことを考えていた時、モデルや女優として、大活躍の中条あやみさんが、

”豊かさ”について語っている記事が目に留まりました。

 

「人と比べたらキリがない!当たり前の日々こそが”豊かさ”」という趣旨のメッセージです。

 

 昨年、おうち時間が増えたときにアルバムを見返して、自分はとても豊かな時間を過ごしてきたんだと実感しました。

 

先のことばかりを考えて当たり前のように過ぎていった日々は、当たり前じゃなかった。私たちって、すでにたくさんの“豊かさ”を持っていたんだなって思いました。

 

今はSNSなどで色んな人が発信する素敵な投稿に「いいなぁ」と共感したり憧れたりして生きていて、それは楽しいことだけど、一方で比べることはキリがなくて、自分が持っている“豊かさ”が見えなくなりがちだなとも思います。

 

私は「足るを知る」という言葉が好きです。

 

こういういう時代だからこそ、自分が満足できる量やモノを理解して、今持っているモノに感謝するのって、すごく大事なことなんじゃないかなと思うんです。

 

「足るを知る」こそが自分にとっていちばんの幸せの近道なのかもしれませんね。

 

人と比べて落ち込むことがあっても、きっと自分は自分の”豊かさ”を持っているはず。今、この当たり前の日々に感謝して過ごせば、毎日がもっと楽しくなりそうですよね。

       (以上、中条あやみさんの手記より)

 

 売れっ子の中条さんが、こんなにしっかりした考え方をしているんだな、と感心してしまいました。