団塊おんじ 人生100年時代を行く!

長く生きるかではなく、どう生きるかの試行錯誤録

ゆる~いスポーツを通して「弱さを生かせる社会」を

【差別されなくても競い合える】

 

 ドイツのオリンピック連盟は、パラリンピックで2大会連続、金メダルを獲得している陸上、走り幅跳び義足のクラスのマルクス・レーム選手が東京オリンピックに出場できるようIOC=国際オリンピック委員会に求めています。

 

 レーム選手はオリンピック出場を目指す理由について「障がい者を受け入れる社会やパラスポーツのために実例をつくりたい。メダルを争うためではなく、差

別と戦うためと、多様性を実現するために出場したい」と説明しています。

 

 ハンディキャップを抱えていても、普通の選手と同等に競いたいという気概を感じさせられます。

 

 障がいを持つ方々のなかには、スポーツにおいても、自分たちが差別されることに抵抗を覚えている人が少なくありません。

 

 一方、パラスポーツには、「ボッチャ」のように、老若男女、障がいのあるなしにかかわらず、すべての人が一緒に、そして競い合えるスポーツとして広まりつつあるものもあります。

 

【ゆるスポーツ】

 

 さらに、障がい者でも健常者でも、誰でも楽しめる新しいスポーツ「ゆるスポーツ」を広めようとしている人達がいます。

 

 勝ったらうれしいけど、負けても楽しい。一緒に楽しむことで、障がい者のことを理解してもらい、福祉について考えてもらうきっかけにしてほしいという願いが込められています。

 

「世界ゆるスポーツ協会」代表理事の沢田智洋さんは、2013年に長男が全盲で生まれました。

 

 どうやって育てたらいいのか。この子は幸せになれるのだろうか。

 

 将来が全くイメージできなかったといいます。

 

 ある日、沢田さんは長男と一緒に公園に行きました。

 

 そのときに、普通に目が見える子供たちが遊んでいる様子を見ながら、全盲の我が子と一緒に楽しめるスポーツはないかと考えたといいます。

 

 その後、いろいろな人と出会う中で、視覚障害者たちが目隠しをして競技する「ブラインドサッカー」の体験会のネーミングを依頼されました。

 

 体験してみると、視覚が閉ざされて怖いと想像していたのに、情報量が抑えられ、心地よい時間を過ごせたといいます。

 

 また義足をつけた女性たちのファッションショーや、視覚などの身体機能を他人と共有できるロボット開発。

 

 こうした福祉のプロジェクトに関わるうちに、誰にでも「マイノリティー」な部分があると気付いたといいます。

 

 多数派ではないため、目が向きにくい部分です。沢田氏自身も運動が苦手な「スポーツ弱者」だといいます。

 

 そこで、ゆるスポーツを作りました。

 

 誰かにハンデを付けるのではなく、ルールを変えて、どんな人でも活躍できるようにします。

 

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  イモムシラグビー(世界ゆるスポーツ協会HPより)

 

 例えば、イモムシラグビーでは、イモムシの衣装を着て、床を這ったり、転がったりしてラグビーをします。

 

 これだと、歩けない弱さが逆に強みになり、車椅子利用者が活躍します。

 

 ゆるスポーツは、今では110競技ほどに増えました。

 

 できないことや苦手なことは、克服すべきものではないといいます。

 

 弱さの視点があれば、多様なものを生み出すことができるからです。

 

 沢田氏は「これからもマイノリティーを起点に、新しいことに取り組んでいきます。目標は、弱さを生かせる社会です」と抱負を語っています。

  

 

心安らぐ音

 子供のころに、朝、微睡ながら聞こえてくる音でだんだん目が覚める。

 

 母が味噌汁の菜をまな板の上で「トントン」と切る音です。

 

 こんな懐かしい音に郷愁を感じるのは私だけではないと思います。

 

 これもいわゆる「生活音」というものなのでしょうが、このような音は人によって、懐かしさを感じる人、心が安らぐと感じる人もいれば、同じ音を聞いてもうるさいと不快に感じる人もいます。

 

 たとえば蕎麦やラーメンなどをすする音は、私などは美味しそうに食べているというイメージを連想して、食欲をそそられる音ですが、麺をすするという習慣のない海外の人達のなかには、違和感や、不快感を感じる人がいるといいます。

 

 食器が触れ合う音に、客の話し声…。カフェのざわめきを収録した音をスマホのアプリなどで聞きながら自宅で勉強するという東京都の男子高校生(17)は「カフェで勉強することが多かったので落ち着く。本当に居るような没入感があって集中できる」と話します。

 

 読書する時はシトシトと降る雨音、眠る時はフクロウが鳴く森の音など、1日に数時間はいろんな音を聞くのだそうです。

 

 友人とお勧めの音を紹介し合うこともあるといいます。

 

 いま若者は、音楽を聴くのと同じ感覚で、生活音や環境音を楽しんでいるようです。

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    Gennaro Leonardiさんによるpixabayからの画像

 

 私にとって心安らぐ音は何かな?と考えてみました。

 

 今日も雨が降っています。シトシトと静かに降る雨音は、心落ち着く音かなと思いますが、最近の雨は、バケツをひっくり返したような豪雨が多いので、決して心が安らぐような音には結びつきません。

 

 梅雨が開けて、盛夏の時期になると、「小学校の臨海学校の夜に、海から聞こえてきた波の音」などが思いだされます。

 

 お盆休みが終わる頃になると、「清流のせせらぎの音に、ヒグラシの鳴く音が調和する音」が夏の終わりを知らせるような一抹の寂しさを感じつつも、私にとって心が落ち着く好きな音です。

 

 時折小鳥のさえずる森林の中にいる時の、風を受けて木々の枝がきしむ音や小動物が蠢く音など、はやくその場に自分の身を置きたいと思ってしまいます。

 

 

カーナビの功罪

 現在の住まいに住み始めた30年以上も前、私の住まいの前を通る道は、主要道路から外れた、いわゆる生活道路で、近所の人たちが通るくらいなので、車の行き来は本当に少ないものでした。

 

 ところがその後、近くに高速道路の降り口ができたりしたせいもあって、近年では車の往来が格段に増えてしまいました。

 

 近辺には主要道路がありますので、そちらを通ればいいのにと思うのですが、抜け道のように利用する車が多いようです。

 

 物流の一翼を担う大型トラックが、狭いこの道を何台も通っていくようになりました。

 

 周辺の主要道路は渋滞箇所がいくつかありますので、別の主要道路に行く場合に渋滞を避けて、この道を通ればショートカットにもなりますから、便利には違いありません。

 

 初めてこの辺の道路を利用する車でも、いとも簡単に抜け道を捜し出すのにひと役かっているのが、“カーナビ”ではないでしょうか。

 

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   Nickype2さんによるpixabayからの画像

 

 カーナビゲーションシステムというものができてから、もう随分たちますが、昔は目的地にいくのに、地図帳を見ながら、四苦八苦して辿り着いたものが、カーナビができてからというもの、目的地を入力しておけば、あとはカーナビが案内してくれるようになったのですから、画期的なものが発明されたものです。

 

 話は変わりますが、一昨日千葉県八街市で集団下校中の小学生の列にトラックが突っ込み、児童5人が死傷する事故が発生しました。

 

 ガードレールのない狭い道路で起きた悲惨な事故でした。

 

 この事故を起こした運転手は酒気帯び運転をしていたようですから、論外ですが、この道路も普段から車の往来が頻繁な道路で、日本全国にはこのような児童の登下校が行われている道路が無数にあります。

 

 そして年間、登下校する児童が巻き込まれて死傷するケースが千数百件起きているといいます。

 

 ガードレールのない狭い道路を、渋滞回避のための抜け道として利用する車が増えたことにカーナビが関わっているのだとしたら、児童の登下校時間には一層厳しい交通規制を行ったうえで、カーナビにも、時間帯によっては侵入することに注意を呼び掛けるようなプログラムを組み込むなどの措置が必要になってくるのではないでしょうか。

 

 

昭和に生まれたかった

 長崎の14歳の女の子の投稿を目にしました。

 

「自由な昭和 うらやましい」というタイトルに「おやっ」と目が引き寄せられました。

 

 以下、投稿された文面を紹介させていただきます。

 

 昭和生まれの母は、自分が子どもだった頃の話をよく聞かせてくれる。

 

 友達と遊ぶ時に黒板で伝言をやりとりしたこと、冬の寒い日は制服の下にジャージーを着てわいわい登校したこと、倉庫にお菓子を持ち込み,キャンプをしたこと……。

 

 全てがおおらかで自由に思え、うらやましく感じる。

 

 今の時代、人々は外で遊ばず、まるでゲームやスマホに取りつかれているようだ。

 

 将来、私たちが働き始める頃には、仕事はAIに取って代わられ、もっと家に閉じこもってしまうのではないか。

 

 便利な時代と言う人もいるだろうが、私はつまらない、と思ってしまう。

 

 便利さは、人の触れ合いなど多くの大切なものを奪っていくのかもしれない。

 

 だから私はよく思う。

 

 昭和に生まれたかった。

             ( 以上 )

 

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  Dim Houさんによるpixabayからの画像

 

 14歳といえば多感な年ごろです。

 

 コロナ禍のなかで、児童・生徒たちはこの1年半、いろいろな行事が中止になったり、ステイホームを強いられたりで、友達と外で思いっきり遊んだりできなくなってしまいました。

 

 そればかりでなく、自分の将来の働くイメージのなかに、AIに仕事を奪われ、一緒に仕事をする仲間との触れ合いが失われてしまうのではないかという漠とした不安を感じているようです。

 

 彼女の「全てがおおらかで自由に思える」昭和、というのは第二次大戦後に生まれたであろう母親が、右肩上がりで成長を遂げた時代の「明日は今日より良くなる」という、将来に希望を持って青春時代を送った時代の様々な思い出を伝えられたイメージなのだろうと思います。

 

 全てに“非接触”の生活を要求され、友と将来について語り合う、といった機会も極端に少なくなった中では、何に希望を見出していけばよいのか。

 

 我々大人たちは、それぞれの立場から、彼女のような不安を抱える人たちに、希望を持つことの大切さを伝えていかなければならないと思った次第です。

 

 

開催を危ぶむ声が一段と強まっている

 大勢の国民の反対を押し切って強行開催するオリンピック。

 

 さらに開催地の飲食店に、アルコール飲料の提供の自粛要請をしておきながら、オリンピック選手村において「ステークホルダーとの関係を配慮」という名目で、

アルコール飲料の提供を検討していた関係者。

 

「開いた口が塞がらない」とはこのことで、このままオリンピックに突入すれば大変なことになると危惧していました。

 

 そのステークホルダーの1社である「アサヒビール」が、選手村でのアルコール飲料の提供を止めるよう申し入れをしたようです。

 

 経緯はよく分かりませんが、まずはアサヒビールの良識ある決断を評価したいと思います。

 

 そして、2番目に来日したウガンダの選手団から、成田空港で1人、移動先の泉佐野市で濃厚接触者とされた1人の感染が確認されました。

 

 開催が近づくにつれ、各国の選手が大挙してやってくるわけですが、十数人のウガンダの選手だけでも対応に追われているのに、あちこちの国の選手から陽性者が続出したら一体どうなってしまうのでしょう。

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  Jill Wellingtonさんによるpixabayからの画像

 

 少しでも観客を入れたい政府や組織委員会ですが、夜の時間帯の始まる協議を受け持つ埼玉・千葉の両県から、これらの協議については無観客にするよう申し入れがありました。

 

 これに対し丸川五輪相は「知事の判断権限は非常に大きいと認識している。知事の判断を受け止めざるを得ないが、工夫できることがないか調整している」とまだ観客を入れることを諦められない様子、どこまで悪あがき(?)をするのでしょうか。

 

 そもそも夜の九時からの試合開始など、私のような年寄りは最初から敬遠してしまうのですが、米国の時間帯にあわせて試合が開始されるということのようです。

 

 IOCは、2032年までの夏冬6大会における米国内での放映権について、米NBCと76億5千万ドル(約7780億円=当時)の契約を結ぶなど、収入の約7割をテレビ放映権料から得ています。

 

 たとえ無観客でも、大会が開かれれば、放映権料を受け取ることができます。

 

 IOCは、支出の約9割を、アスリート育成や世界各国の五輪委員会や競技団体への分配に使っているとしています。

 

 仮に大会が中止になり、放映権料を払い戻すことになれば、特にマイナー競技の団体は分配金が減って資金難に陥る可能性があります。

 

 また、東京との関係では、IOCは大会組織委員会に850億円の拠出金を支払っている。しかし、大会が中止となって放映権者が放映権料の返還を求めた場合、組織委は拠出金をIOCに払い戻さなければならない契約になっています。

 

 しかし、大会が中止となって放映権者が放映権料の返還を求めた場合、組織委は拠出金をIOCに払い戻さなければならない契約になっているようです。

 

 開催にこだわる背景には、これらの事情があるのですが、無観客にしても放映権料に影響がないのだとすれば、潔く無観客に踏み切るべきだと思うのですが…。

 

 

コメ余りの原因は高年齢層が食べなくなったから!

 日本で完全に自給できている唯一の食料がコメです。

 

 自給率は97%ですが、これは民間企業が米を安価に輸入できないように、関税非課税のミニマムアクセス枠を国家貿易で独占しているため、そのことを他国から非難されないために、実際に一定量の輸入をする必要があるからです。

 

 このように国家により大切に守られてきたコメですが、近年コメ余りが深刻だといいます。

 

 私はこのニュースを聞いて、若い世代がパン食に移行し、コメを食べなくなったからだと最初は想像しました。

 

 ところが実際にコメ余りの最大の原因が、高年齢世代がコメを食べなくなったからだと知って驚きました。

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   Lukas Jancickaさんによるpixabayからの画像

 

 新潟大学の青柳斉名誉教授らの調べによると、2001年の20代のコメの消費量を100とした場合、2008年に20代は変わらずほぼ100近く、15歳~19歳も2001年が120強でしたが、2008年にも120強で若い世代は現状維持でした。

 

 ところが60代でみると、2001年には110強で20代より消費量が上回っていたのが、2008年には85と大幅に落ち込んでいます。

 

 70代についても10%以上減少しています。

 

 コメを食べなくなった分、小麦製品や肉類の消費が増えているといいます。

 

 我が家の場合も朝はご飯を食べていますが、娘はパン食なので、私と妻の分のご飯を炊きますが、コメ0.7合に、もち麦0.3合をブレンドし、1合炊いていますが、それでも食べきれなくて余ってしまいます。

 

 近年は様々な健康情報を参考にして、炭水化物を控えて、野菜や肉・大豆類などを意識して摂るようにしていますから、勢いコメの消費は減ってしまうのが現実です。

 

 江戸時代には“1人1日5合”のご飯を食べていたと言いますから、日本人の食のスタイルも大きく変わってきているのを実感します。

 

 ただ日本のコメ文化は大きく変わるものではなく、加工品を含めて、栄養価の高いコメの活用には、これから工夫が必要なのでしょう。

 

 農水省はすぐ消費を回復させるのが難しいと判断し、水田の5%(約6万7千ha)を主食用以外のコメか、別の作物に切り替えようと各地の意見を聴取しているようです。

 

 食料自給率の低い日本、農地の転用の可否を含めて、農業関係者の知恵を総動員して、工夫を凝らしてほしいものだと思います。

 

 

中国の若者に変化が

 現在、世界の中で四面楚歌の状態になっている中国。

 

 かつて鄧小平が「白猫であれ黒猫であれ、鼠を捕るのが良い猫である」といって社会主義市場経済を強力に推し進めて以来、みるみる経済力をつけて、いまや米国を追い抜く勢いです。

 

 人民の生活は豊かになり、億万長者を大量に排出するまでになりました。

 

 しかしこの間に、中国の経済をけん引してきた第一線のビジネスエリートたちは、かつて日本で「企業戦士」といわれ、「24時間戦えますか!」といったCⅯのフレーズにあったように、苛烈な仕事ぶりを求められてきたのです。

 

 そのような親を見ながら育った今の中国の若者達の中には、そんな生き方に疑問を持つ人達が出てきても不思議ではありません。

 

 いま中国の若者の中に「寝そべり主義」を主張する人たちが出てきています。

 

 無理に頑張らない生き方を指し、激しい競争や親からのプレッシャーに疲れた若者の心をつかんでいるといいます。

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   Dim Houさんによるpixabayからの画像

 

 発端は今年4月、「タンピンは正義だ」と題したネットユーザーのSNSへの投稿でした。

 

 タンピンは中国語で「寝そべる」の意味です。受験や就職の競争を避け、家や車を買わずに最低限の生活を送ることを指す言葉としてネットで広がりました。

 

 文章にはこうつづられています。「常に周囲との比較や伝統的価値観から圧力を受ける。人間はそうあってはいけない」

 

 投稿は反響を呼び、ネット上では、「経済発展の犠牲になる必要はない」

「社会の進歩とは、若者の苦労を少なくすることだ」などと共感する声が目立つといいます。

 

 政府が人口抑制策として1979年に始めた「一人っ子政策」の下に生まれた

若者は、幼少期から親族の期待を一身に背負ってきました。

 

 香港メディアなどは、常態化する長期間勤務や不動産価格の上昇といった生活負担コストの負担も寝そべり主義を生む要因だと指摘しています。

 

 当然予想されるように、中国紙は批判を展開しています。

 

 広東省共産党委員会機関紙・南方日報は「寝そべりは恥だ」「奮闘する人生こそ幸福な人生だ」とする論評を掲載し、これを国営新華社通信も掲載しました。

 

 他にも「寝そべり族は経済社会の発展に不利だ」(光明日報)などの報道が出ています。

 

 しかし若者の間では、結婚や出産に消極的な傾向も広がっており、習政権は労働人口の減少に危機感を募らせています。

 

 内憂外患の中国・習近平政権、一党独裁で野望を実現しようと突っ走ってきましたが、足元をすくわれかねない新たな“悩みの種”になりかねません。