団塊おんじ 人生100年時代を行く!

長く生きるかではなく、どう生きるかの試行錯誤録

従兄弟の死

【突然の知らせ】

  昨年末に父から従兄弟が危篤状態だと連絡がありました。

 

  私と同じ年の従兄弟です。

 

 大晦日に実家に行く際に、見舞いに立ち寄ろうとしていましたら、時すでに遅し、29日の夜に亡くなったと連絡が入りました。

 

 こんなにも早く亡くなってしまったことに愕然としました。

 

 

【従兄弟との思い出】

  私には何人もの従兄弟や従姉妹がいますが、同じ年だったこともあり、一番親しかった従兄弟でした。

 

   彼は山歩きが大好きな人でした。山歩きといってもトレッキングや山登りではなく、山菜やキノコといった季節ごとの山の恵みを求めて、山に入るのを趣味としていたのです。

 

 何度か誘われて山歩きをしたことがありましたが、その度に大収穫だったことを思い出します。

 

 彼は、間違えなく収穫できるポイントを熟知していて、そこに私を誘って喜ばせる、そんな奴でした。

【質素なお葬式】

  年が明けてからの葬儀に参列しました。

 

従兄弟は現役を引退してからというもの、友達付き合いもほとんどなかったようで、参列者に友人らしき人の姿はほとんど見当たりません。

 

  親戚の席と一般席に分かれていましたが、一般席は空席が目立ち淋しいものでした。そればかりか、ほかの従兄弟連中も姿を見せず、ちょっとショックを受けました。

皆、現役を引退し年金生活者が多く、遠くの葬儀には駆けつけられないのでしょうか。

  彼は次男だったこともあり、親戚付き合いもほとんどしなかったようで、それも参列者が少なかった理由の一つのようです。

【これから増えるであろう親しい人との別れ】

  今回の従兄弟の死でショックを受けたのは、大事な人が亡くなったことに加えて、近年増えつつある同年代の知人の訃報です。

 

 何も知らずに、いつも通り年賀状を送って、年が明けてから、奥様から亡くなった旨の葉書をもらうケースが増えてきたのです。

 

 これからの齢を重ねる時間は、親しかった友人・知人と、一人また一人と別れを経験する歳月なのかなと改めてと感じています。

 

 ということは、私もいつ死んでもおかしくない年代になったということに気付かされます。

  今年は一日一日を、生きていることの有難さを噛み締めながら、過ごさなければならないと思った次第です。