団塊おんじ 人生100年時代を行く!

長く生きるかではなく、どう生きるかの試行錯誤録

ラーメンの思い出

一昨夜ラーメンが話題にのぼりました。

「そういえば、近頃おいしいラーメンを食べていないね」と妻が言うのです。

 

 確かに、最近はラーメンを食べる機会がめっきり減りました。
朝食はご飯をしっかり食べるので、昼と夕食ではどうしても炭水化物の摂取を控えてしまうのと、カロリーが高いものを敬遠してしまいがちになっています。

 

 私は小さい頃からラーメンが大好きでした。小学校に上がる前に父に連れられて映画を見に行った帰りに、始めてラーメンを食べさせてもらったのですが、その時の味が忘れられず、出かける機会があれば、必ずと言っていいほどラーメンを食べていました。

 

 親戚のおばさんにデパートに連れていってもらった際にも、屋上のレストランで皆が他のものを頼んでも、私だけラーメンを注文しました。
おばさんが「お前の一番のごちそうはラーメンなんだね」と苦笑いしたのをよく覚えています😊。

 

 最近は、全国各地のおいしいラーメンを紹介するテレビ番組が毎日のように放映されていますが、振り返ってみると、私が昔好きで食べていたラーメンは、どこにでもあるラーメンだったのです。

 

 札幌ラーメンが原点

  実家を離れて、最初に美味しいラーメンに出会ったのは、新宿東口にあった札幌ラーメンのお店です。コクのある醬油味でネギがほどよく乗った本当においしいラーメンでした。当時は貧乏学生でしたので、頻繁には食べに行けませんでしたが、アルバイトのお金が入るとせっせと通ったものです。

 

 そして社会人になってしばらくした頃、札幌に出張する機会がありました。
千歳空港に降り立ち、空腹の中ラーメン屋さんに飛び込みました。冷えた体を包み込んでくれるような店内の湯気です。

 まもなくして届けられた醤油ラーメンは、冷えた体に沁み渡っていくようです。

 

 この時の感触が、これまでの私のラーメン人生(?)の原点だったように思います。

 

 そういえば「ラーメン」という言葉の語源を先日初めて知りました。
北海道大学の前に、大正10年に竹屋食堂ができ、その経営者の奥さん、大久
タツさんが「ラーメン」と名付けたのだそうです。

 中国からの留学生がお客として来ていましたが、その中国人留学生の傍で、日本人客が「支那ソバ」と言って注文するのに心を痛めていました。
当時、支那というのは中国を侮蔑的に呼ぶ表現だったのです。苦心のすえ、
奥さんは「ハオラー(料理ができたよ)」という店の合図言葉から、響きの良い
「ラー」をとって「ラーメン」と名付けたのです。

 

 その後、札幌の雑誌が「札幌ラーメン」と銘打って特集したりして、それが独り歩きしながら、全国に広まっていったようです。

 

 まさに語源的にも、札幌ラーメンは原点なのですね😊。

 

 その時々の思い出ラーメン

 

 私は関東育ちですので、ラーメンといえば醤油と決めつけていたのですが、その後出会った別の麺は、それぞれの味わいがあります。

 

 飲んだ後締めに食べた、博多の中州の屋台の豚骨ラーメン。その後に札幌を訪れた際には、味噌ラーメンを注文することが多くなりました。

 キムチラーメンに凝った時期もありました。東北を訪れた際には、魚介出汁の海藻のたくさん入った塩ラーメンにも魅せられました。

 

 もっと色々なラーメンを食べたいけれど

 年を重ねて、たまに外で飲んだ後に、締めのラーメンを食べるなどという機会は、ほとんど無くなりました。


 いま若い人でごった返している背脂たっぷりの京都ラーメンの店が散歩コースにあります。順番待ちの行列を横に見ながら、いつも通り過ぎています😢。

 

  我が家の身の丈にあったラーメンを食べに行く

 

  さて現在の我が家の身の丈にあった、おいしいラーメンを食べに行こうということになり、妻が自分の強力な友達ネットワークを駆使して、探し始めました。

 

 結果、電車で3駅離れた駅から徒歩数分のところにある「甲州屋」さんを紹介されて行ってみました。こじんまりとした歴史を感じる佇まいの店です。
ご主人はじめ従業員の皆さんの応対も実に感じの良いものでした。

 

 480円のラーメンを注文しました。シンプルでやさしい味のラーメンです。食べ終わるとほっこりとした幸せな気分になりました😊。

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