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団塊おんじ 人生100年時代を行く!

長く生きるかではなく、どう生きるかの試行錯誤録

「おらおらでひとりいぐも」を読んでみた

第158回芥川賞受賞の「おらおらでひとりいぐも」を本屋で手に取りました。本のタイトルに興味がわいたからです。また著者の若竹千佐子さんが遠野市生まれということも加えて、読んでみようという気になりました。

 柳田國男の「遠野物語」に憧れて、遠野には二度ほど訪れたことがあります。四方を山に囲まれた緑豊かな地、遠野は昔ながらの日本の原風景が残る再び訪れてみたい場所です。

 

 子育てを卒業し、亭主を見送った主人公の74歳の桃子さんは、一人老後の生活を送っています。「おらの頭このごろ、なんぼがおがしくなってきたんでねべが、どうすっぺいぇ、この先ひとりで、なんじょ(何如)にすべがぁ。何如にもかじょにもしかたながっぺい、てしたごどねでば、なにそれぐれ、だいじょうぶだ」(文中引用)と身体のあちこちにガタがきていることを感じながら、それでも気丈に過ごしています。

 

 都会に対する憧れと生まれ育ったこの町を足蹴にするような裏切りの気分との狭間で揺れ動く子供時代を経て、都会に飛び出て、その後郊外の新興住宅地で夫とともに歴史を作り上げてきた住まいでの日常を追った文章が続きます。

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齢を重ねた現在、それまで封印(?)していた遠野時代の東北弁でもう一人の自分と対話するシーンが続き、今はもう、話し相手は生きている人に限らない。木や草花、流れる雲でさえ声が聞こえ、話ができる。それが桃子さんの孤独を支えます。遠野で生まれ、幼少期に育った自然との対峙の経験が、それを可能にしているのかと思いつつ読み進めました。豊富な語彙力を駆使した流れるような東北弁の文章で、たちまち終章に近づきます。

 

 孤独な老人の生活は、認知症の恐れを感じさせる展開を予感させられ、最後はどんな結末を迎えるのかと思っていましたが、薄暗い部屋のカーテンを開け、ぱっと明るい光が差し込んできたような締めくくりに、思わずほっとさせられました。