団塊おんじ 人生100年時代を行く!

長く生きるかではなく、どう生きるかの試行錯誤録

インバウンドのダイヤモンドルートに注目

【注目されているダイヤモンドルート】

   インバウンド・ツーリスト(訪日外国人旅行者)の数が増え続けています。

 

  初めて日本を訪れる方々には、定番の東京〜箱根~京都、大阪が人気なのでしょう。これをゴールデンルートと呼びます。

 

 それに対して東京から栃木県、茨城県そして福島県と4都県を結ぶルートをダイヤモンドルートと呼びます。

 

 私も最近知った言葉で、日本ではあまり馴染みのない言葉なのですが、外国人の間では高い人気を誇っているのです。

 

 4都県の名所を結び合わせた時にダイヤモンドのような形になることから命名されたといいます。

 

 

【自然と日本の原風景にあふれる地域】

   日光東照宮を擁する栃木、鹿島神宮などがある茨城を経て、大内宿会津まつり相馬野馬追などで知られる福島県まで足を運んでもらおうとPR動画などの作成に力を入れてきた結果、YouTubeをみた海外の人達から予想以上の反響がありました。

 

 福島には、自然・食・温泉・雪・歴史・文化という外国人観光客に刺さるコンテンツが非常に多いことから、動画での紹介の努力が功を奏したといえます。

 

 また行政側の取り組みに加え、民間人の地道な努力も見逃せません。

 

 奥会津の景色を世界に発信している郷土写真家で霧幻峡を案内している船頭さんの星賢孝さん(70)は、毎日のように季節の移ろう奥会津の原風景を写真に取り続け、Facebookに投稿しています。

 

 その結果、この冬には雪景色の中、鉄橋をコトコトと走っていく只見線の2両電車の走る光景を写真に収めようと多くの外国人観光客が押し寄せました。

【今後の取り組みに期待】

   2020年にはすでに3千万人を突破した訪日観光客を、4千万人にまで伸ばしていこうという国の観光政策からすれば、この辺に達成のためのヒントが隠されているのかも知れません。

 

 ダイヤモンドルートだけではなく、すでに日本各地の私達が予想もしていなかったような場所に、訪日外国人が押しかけている光景を度々目にします。

 

 日本の何に彼らが関心を寄せるのか、私達日本人はもっと知る努力をしていかなければならないでしょう。

 

 そのうえで、地域の人々が今後自らの魅力を発信し続けられるか、いかに訪日外国人観光客をもてなすことができるかが鍵となります。

 

 PR動画を作って終わりではなく、いかに世界中に「日本ファン」をつくっていけるか、今後の動向に注目が集まります😊。

 

 

 

動物注意の標識に興味津々😊

【ぶつかると車が大破!?】

   今回北海道を旅して、興味をそそられたことの一つに「動物注意」の標識があります。

 

  道東を移動している際に、まず鹿の図柄の標識が目に留まりました。聞けば時々車とエゾシカが道路上で衝突し、車が大破する事故が起きるそうです。

 

 それだけに鹿の図柄もリアルに近いもので、鹿が飛び出してくるぞーっといった注意換気の思いが伝わってくる気がしました。

 

 

【人を食べるヒグマ】

   本州に生息する熊は、人を襲い、人肉を喰らうといった獰猛性はありませんが、北海道ではかつて蝦夷ヒグマが集落を襲い、7名が犠牲になるという痛ましい事件が起きたことがあります。

 

 「三毛別羆事件(さんけべつひぐまじけん)」といって北海道を震撼させた事件でした。現在はさすがにそのような事が起きる可能性はほとんど無いのでしょうが、怖い話です😢。

 

【場所場所に合った標識】

   またキタキツネが生息する地域では、狐の図柄の標識を何度も目にしました。

実際に雪に覆われた畑の上を餌を求めて彷徨うキタキツネを見つけたこともあります。

 

  彼らは用心深いので、人に近づくことはめったにないそうですから、キタキツネとの衝突事故は少ないのかもしれません。

 

また酪農の盛んな地域では牛の図柄の標識がありました。

 

  そして大都会札幌のある道央地域に入っていくと、動物の道路への飛び出しも少なくなるせいか、余裕ある可愛い図柄の動物の図柄が増えていきました。

【動物注意標識って誰が決めている?】

  場所によってユニークな「動物注意標識」がありましたので、動物のデザインは誰が決めているのかと興味を持ちました。

 

 国土交通省道路局に聞いたところ、動物注意標識はその道路の管理者が設置しているとのこと、国が管理する国道であれば国土交通省が、自治体が管理する国道や都道府県道であればその都道府県が、市町村道であれば市町村が管理者です。

 

 描かれる動物やデザインに決まりがあるかというと、「道路標識、区画線及び道路標示に関する命令」、通称「標識令」ではシカの絵が例示されているほか、サル、タヌキ、ウサギの標識については国土交通省の「標準」が存在します。

 

  この4種類についてはなるべく標準的なものを使い、これら以外の動物についても、各道路管理者がその場所に合わせて適宜制作し設置できるようになっているそうです。

 

 今回はひたすら移動に時間がかかり、写真におさめる時間がありませんでしたので、こちらをご覧ください😊。

 

 

コタンの口笛とアイヌ新法

【コタンの口笛】

  子供の頃に「コタンの口笛」という小説を読んだことがあります。
石森延男さんの作で、映画化もされました。

 

 アイヌを主人公とした物語で、日本人(和人)による差別と彼らとの和解などを描いた小説です。

 

 

【阿寒湖を訪れる】

   一面氷に覆われた阿寒湖を訪れました。

 

この辺は北海道内でも格別に冷え込む所です。

 

  幸い雪は止んでいるものの、道路脇は氷が貼りついていて、歩いて散策をするのは滑って転びそうで躊躇してしまいます。

 

  目抜き通りを車で見て回りましたが、ここはアイヌの民芸品を並べたお店が目立ちます。

 

 民芸品と踊りの里・阿寒湖アイヌコタンは、湖畔の温泉街にあります。

 

 コタン(集落)では、アイヌ古式舞踊や人形劇が阿寒湖アイヌシアターで上演され、アイヌ生活記念館では古代からのアイヌの生活や文化を学ぶことができます。

 

【アイヌコタンの現状】

  層雲峡温泉でもアイヌコタンの方々の舞踊を見せて頂きましたが、最後に中学生の男の子が上手な踊りを披露してくれました。

 

 その後に、その子の親でもある舞踊メンバーの長の女性の挨拶があり、「この子も中学を卒業すると、進学のためコタンを離れます。年々若い子が少なくなりアイヌコタンも人手不足状態なのです。」と話しておられました。

 

 ここ阿寒湖温泉の民芸品店でも、アイヌの民芸品が数多く並べられています。

 

 お店の人に聞くと、バブルがはじける以前は、大きな木彫りの熊などが飛ぶように売れた時代もあったのですが、今は小物・アクセサリーなどが中心で、経営的には厳しいのだそうです。

 

 北海道のあちこちにアイヌコタンはありますが、広い北海道の中で狭い土地に追いやられ、観光業などで細々と生計を立てている現状をみると、改めてアイヌ民族との共生のあり方を考えさせられます。

【アイヌ民族への差別】

   先に紹介した小説「コタンの口笛」でも触れていますが、アイヌ民族は和人(大和人)から差別を受け続けてきた歴史があります。

 

 そのためアイヌ人の親は、子供たちを積極的に和人と結婚させてアイヌの血を薄めることによって、差別から何とか逃れようとしたと聞いたことがあります。

【アイヌ新法成立の動き】

  そんな折、2月15日には「アイヌ新法」案が閣議決定されたようです。

 

アイヌ文化の振興や啓発に向けた交付金制度の創設などが柱で、アイヌは先住民族だと法律に初めて明記されます。

 

 菅官房長官は「アイヌの人々が抱えている課題の解決に向けた取り組みを着実に実施していきたい」と話しています。

 政府は今国会での成立を目指しています。

コーヒーが薬として利用されていた

【当時、薬としての効果を期待されたコーヒー】

  コーヒーが江戸時代に薬として利用されていました。

 

 江戸幕府が北方警備を命じた津軽藩士たちに、水腫病の予防策として和蘭コーヒー豆を配給したという記述が残されています。

 

 日本にコーヒー豆が入ったのは、1641(寛永18)年以降、長崎の出島にオランダ人が自分用として持ち込んだのが最初といわれています。

 

 出島に出入りしていた一部の日本人が飲用できたようで、当時は薬としての効果を期待され、水腫に効果があるとされていました。

 

 

【寒さ厳しい稚内・宗谷】

   稚内を訪れました。ここは私の父が第二次世界大戦の終戦間際に通信兵士として滞在していた場所です。

 

 以前よく稚内の冬の厳しい環境の話を聞かされていましたが、実際来てみると想像以上の風雪に驚くばかりです。

 

【北方警備の藩士たちの悲劇】

   1806(文化3)年~1807(文化7)年にかけて、ロシア通商使節のニコライ・レザノフの部下・フヴォストフは独断で水兵を率い、ロシア皇帝の許しもなく樺太や北海道の漁村で略奪を行ったり、番屋が襲われて放火されたりという事件が頻発していました。

 

 そのため江戸幕府は襲撃に備えるよう、1807(文化4)年、宗谷郡域は天領とされ、江戸幕府は仙台・会津・南部・秋田・庄内の各藩に蝦夷地警備と出兵を命じました。

 

  1809(文化6)年以降は、津軽藩がソウヤに出張陣屋を築き警備に当たりましたが、宗谷の気象条件が厳しく、冬期間の寒気により相当数の死者を出しており、宗谷の越年を増毛に変更し勤番陣屋を築造しています。

 

 この北方警備は、ただ単に寒さに強いはずという理由で、本州最北端の津軽藩士が宗谷に派遣されましたが、厳冬のため多数の死者を出しました。


寒さと野菜不足により、一冬で50名が水腫病などで死亡したと記録されています。

【水腫病に対し薬効があるコーヒー】

 1803(享和3)年、京都の蘭方医「広川解」(けものへんに解、読み:かい)が、コーヒーは水腫病に対しての薬効がある(コーヒー豆に含まれる水溶性ビタミンB複合体の一つニコチン酸)ことを発見しています。

 

 コーヒーに含まれるカフェインの利尿作用に効果があると考えられました。

 

 水腫病の予防薬として和蘭コーヒー豆が兵士たちに配給されたという記述が残されています。

 

 その記述には『和蘭コーヒー豆、寒気をふせぎ湿邪を払う。黒くなるまでよく煎り、細かくたらりとなるまでつき砕き二さじ程を麻の袋に入れ、熱い湯で番茶のような色にふり出し、土瓶に入れて置き冷めたようならよく温め、砂糖を入れて用いるべし』とあります。

 

 その後の記述に、水腫病による死者の報告はないようですから、コーヒーが一定の薬効効果をもたらしたものと考えられます。

 

 稚内市宗谷村宗谷の宗谷公園内に、津軽藩兵詰合の記念碑があり、コーヒーを薬として飲んでいた記述があります。

 

 

 

 

食と健康の一億年史

食と健康の一億年史

 

 

 

 

 

国後島まで16kmの地を訪れる

【地の涯ての半島】

  北海道道東の野付半島に行って来ました。

 吹雪のウトロ町散策をあきらめ、車を走らせ1時間、標津町を経て別海町に入ってすぐの道を左に入っていくと、左右が陸地はでない半島になっている道を進んでいきます。

 

  左がオホーツク海、右が真っ白に覆われた湾と、何とも不思議な光景を見ながら先へ先へと進みます。

 

  14㎞ほど車を走らせると、野付半島ネイチャーセンターがあります。

 

 野付半島とは全長26kmの日本最大の砂嘴(さし)です。


ここは春夏秋冬、様々な表情を見せる所ですが、真冬の現在は氷で覆われた野付湾を、ネイチャーセンターのスタッフの案内で歩いて散策することができます。

 

 最近では氷と雪に覆われた湾上で、「インスタ映え」する写真を撮るのが人気だそうで、若い人を中心に盛んに写真撮影を行っていました。

 

 エゾシカやキタキツネは人目を気にしながらも氷の上を、餌を求めて歩き回っています。

 

 ネイチャーセンターに到着する前、「トドワラ」という表示が何箇所かありました。センタースタッフに聞いてみると、海水に浸食されたトドマツが並ぶ場所で、現在も浸食が進んでいるため、いずれこの光景も見られなくなる場所だとのことです。

 

 

【四季折々の顔を見せる半島】

  春になり4月下旬からは「エゾエンゴサク」の花が咲き始め、5・6月になるとシコタンタンポポ、スミレ類、クロユリそしてセンダイハギ、その後加藤登紀子の歌に出てくる「ハマナス」が9月頃まで咲き続けます。

 

その他にも10月下旬まで10数種類の花を見ることが出来ます。

 

 また、ここは日本に生息する水鳥の40%が確認されている場所とのことで、2005年には「ラムサール条約」に登録されました。

 

【すぐそばに見える異国】

 ネイチャーセンターのスタッフと別れる前に、「あそこに見えるのが国後島ですよ、ここから16kmしか離れていないんです。夜になると国後島の民家の灯りが見えるんですよ。」と説明されました。

 

 いま再び熱く議論されている北方領土返還問題、道路脇のあちこちで「島を返せ!」という看板を見かけました。この地の人たちにとっては「北方領土返還」は私達以上に特別な思いがあるのだろうなと感じました。

 

 こんなに近くにある別の国、ロシアの人々の生活の営みが灯りを通して見えてくるような気がします。

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キャッシュレス社会に高齢者はついていける?

【キャッシュレスでのポイント還元が始まる】

  今年の10月に消費税率が10%に引き上げられます。

 

 その際に、消費が落ち込まないように、政府は「ポイント還元策」を打ち出しました。

 

 一言でいうと、キャッシュレスで買い物をした人に、ポイントを還元する。その還元分の費用は、国が補助するというものです。

 

 クレジットカード、コンビニなどの電子マネー、それにスマートフォンのアプリを使ってQRコードなどを読み取って決済すると、ポイントが還元される仕組みです。

 

 ただし対象のお店は、中小・個人のお店に限られます。

 

 小売業なら、資本金が5千万円以下か従業員が50人以下。サービス業なら、資本金が5千万円以下か従業員100人以下の事業所になります。

 

 

【中小事業所は新たに決済設備を導入?】

  いまや消費生活上、ポイント制は当たり前に使われていますし、中小店でもどこかのポイントシステムに組み込まれているのが風潮になっています。

 

 しかし街の小規模店舗などは、ポイント制の世界から取り残されているのが現実です。

 

 ポイント還元率は、購入額の5%(コンビニやガソリンスタンド、外食などのチェーン店は還元率が2%)だといいますから、決済設備を導入しないでいると、客足が遠のき、導入している別の店舗に流れてしまいます。

 

 小さな商店にとっては、相応の設備投資をするかしないかは、頭の痛い問題だと思います😢。

 

【高齢の消費者は困惑?】

  そして高齢者の世帯などは、いまだに現金のみで買い物をしているのは珍しくありません。

 

 「情報弱者」たる高齢者は、スマホなど持たず、キャッシュレス決済だとか、QRコードなどといわれても、「それ何の事?」となってしまいそうです。

 

 弱者にこそ還元特典を与えてほしいのですが、変化についていけない、あるいはついていこうとしない高齢者には、この特典が行き届かないことになります。

 

 国は海外と比べても遅れをとっている、キャッシュレス決済を、これを機会に一気に浸透させようという思惑もあるようです。

 

 

 

 

「まんが日本昔ばなし」の語り口の魅力

【まんが日本昔ばなしは大人のファンの方が多かった】

「まんが日本昔ばなし」を子どもと一緒によく見ていました。

 

 仕事のストレスを癒すうえで、私にとってとても貴重な番組でした。

 

 「むか~し、むかしのことじゃったぁ」の常田富士夫さんと市原悦子さんの語り口は、ノスタルジックで自分の子供の頃を思い起こさせるものでした。

 

 先日、生前の市原悦子さんのインタビューでのやりとりを聞いていましたら、この番組はじつは子供より大人のファンが6割くらいなのですと言う話をされていて、「さもありなん」と合点しました。

 

 当時を振り返っても、私の子供たちは野山を駆け回って遊んだ経験などありませんから、懐かしさなど覚えるはずがありません。

 

 かえって私の方が、昔ばなしの絵のアニメに自分の子供の頃をだぶらせてテレビを夢中で見ていたのかも知れません😊。

 

 市原さんと常田さんは「二人で車椅子生活になっても、この番組を続けていきたいね」と話していたといいます。

 

 そのお二人が、2018年7月に常田さん、そして先日2019年1月13日に市原さんと、相次いで亡くなりました。

 

まんが日本昔ばなし DVD-BOX 第1集(5枚組)

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【良い番組を作るのはお金がかかる】

「まんが日本昔ばなし」は、惜しまれながら1994年に終了しました。

 

 20年にわたる長寿番組でした。

 

 市原さんはインタビューの中で、私達は続けたかったのに、この番組は絵にお金と時間がかかり、制作費コストがかさむので、打ち切りにせざるを得なかったと打ち明けていました。

 

良い番組を作るのは、お金のかかるものなのですね。

【語り口の魅力】

「まんが日本昔ばなし」の温かな語り口は今でも忘れられません。

 

市原悦子さんの語りやナレーションは、以前から高い評価を得ていました。

 

ここまでになるには舞台での経験が関わっているようです。

 

 市原さんは、「舞台を観に来てくれた隅の方の一人一人にまで、自分の声や台詞がよく聞こえるように意識して、声を出していました。」と話していました。

 

 そのような舞台経験の積み重ねの努力と本来の才能とが相俟って、あの素晴らしい語り口やナレーションを生み出したのですね😊。